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日本初のプロバスケリーグ
「bjリーグ」と日本のバスケを
それとなく応援するブログ。

富山の人

2006-01-13 22:37:08 | Weblog
以下引用。

1月2日、東京・千駄ケ谷の東京体育館で行われた全日本総合バスケットボール選手権。
クラブチーム・富山グラウジーズは京都産業大学との1回戦に臨んだ。
21―15でリードの場面。ゴールからやや離れた位置で
主将の黒田祐さん(28)にパスが渡った。フリーだ。
「チャンスがあれば躊躇無く打とうと思っていた」
素早く放った3点シュートは第1クオーター終了のブザーが鳴り響く中、
孤を描いてリングに吸い込まれていった。


大会前、黒田さんは「自分の武器のスピードがここで通用しなければ、
当然bjでも通用しない。3点シュートも決めたい」
と抱負を語っていた。
富山グラウジーズは、昨年発足したプロリーグ「bjリーグ」に11月から加入する。「挑戦できる位置にいる以上、プロという夢を追いかけたい。
子どもたちに僕がプロで頑張るところ、良いところを見せたいという
思いが力になっています」
黒田さんには選手としての顔だけでなく、指導者としての顔もある。
自ら設立したNPO法人「グラウジーズ・ネット」の理事長を務め、
小中学生にバスケットボールを教える。
プロ入りは自身の夢であると同時に
子どもたちに刺激を与える手段でもあるという。
「いつもかかわっている人間がプロになる、
そんな姿をグラウジーズ・ネットの子どもたちに見せられれば」と話す。
信州大学で生涯スポーツを専攻した黒田さんは、
長野五輪でスピードスケートのコーチを務めた結城匡啓さんの教えを受けた。
五輪の後も地域に根付いたクラブをつくって指導を続けた恩師を見て
「バスケットで同じことをやりたい」と思うようになった。
卒業後富山に帰って就職し、グラウジーズに入団。
全日本クラブ選手権優勝などの実績を積み重ねた。
一方で03年には小学生を対象にした週1回のバスケットボール教室
「グラウジーズスクール」を設立、
その後中学生対象の「グラウジーズアカデミー」などを相次いで立ち上げた。
仲間の協力もあり「一貫した指導で選手個々に技術を身に着けさせる」という
理想とする指導体制を築きつつあった。


しかし、04年10月ごろから勤め先の酒造会社での仕事が忙しくなり、
出張などで1カ月以上富山に帰れない時もあった。
チームメートや同僚らの支えもあり子どもたちへの指導はなんとか続けられたが、
周囲に負担をかけているという思いにさいなまれた。
何よりバスケットボールができないことが苦しかった。
半年間悩み、会社を休職してバスケットボールに専念することを決断。
昨年6月、「バスケで、富山をアツくする」を合言葉に、
スクールなどをNPO法人化した「グラウジーズ・ネット」を設立した。

NPO活動が軌道に乗っていく中で決まったのが、
グラウジーズのbjリーグ加入だった。
ただ、チームがプロ化しても、黒田さんら今の所属選手が
そのままプロ選手になるわけではない。
改めてトライアウト(入団テスト)を受け、合格しなくてはならない。
また、プロとNPOをどう両立させるかも課題だ。
それでも「選手としての夢」を追うことを決めた。
「オリンピック選手を育てることが夢だったが、
bjの存在で考えが変わった。プロ選手を生むために、
まず自分自身がプロになりたい」

京都産業大との試合は一進一退の攻防の末、終了間際に相手エースに
逆転シュートを決められて敗れた。
「やっぱりチームが負けたら悔しい。それでも、ここで終わるわけじゃないんで」
黒田さんの視線は、プロという大きな目標に向いている。

引用終了。
かっこいいぞキャプテン!
なぜだろう、高校野球の古豪・池田高校の蔦監督の名言、
「山あいの町の子供たちに一度でいいから大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」
をふと思い出した。
こういう人の指導を受けた子供たちは、きっといい選手、そしていい人間に
成長していくだろうね・・・

プロ意識って大切だね。
新潟の長谷川選手が、アップだけじゃなくクールダウンも同じくらい
念入りにやるのを聞いたときにも思ったけどね。
体が資本だから。

試合会場が寒いだの審判がダメだのと適当な理由をつけて、
試合(観客いるのに!)を放棄するような人たちには、
決してわからないでしょうけど。

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