スポーツナビから転載
初代チャンピオンは、大阪エヴェッサ
bjリーグプレーオフ決勝
2006年05月01日
bjリーグ初代チャンピオンに輝いた大阪エヴェッサ
大阪エヴェッサが新潟アルビレックスを下し、
日本初のプロバスケットボール、bjリーグの初代チャンピオンに輝いた。
東京・有明コロシアムで行われたファイナルの出だしは、
両チームともに動きが硬く重苦しい展開となったが、
大阪は第2Q残り3分1秒からデイビット・パルマーの連続スリーポイントを
口火に連続11得点を挙げ、前半を10点リードで折り返した。
第3Qも大阪のペースで進むが、新潟も粘りを見せ、
第4Q序盤に連続10得点をマークすると、
残り6分2秒に藤原隆充のシュートで4点差にまで縮めた。
ここから一進一退の攻防が繰り広げられたが、
大阪は残り1分を切ってから新潟に得点を与えず要所を締め、
74対64で勝利を収めた。
大阪は米国人4選手(パルマー、マット・ロティック、
リン・ワシントン、ジェフ・ニュートン)に加え、
「2位でも最下位でも同じ。絶対に優勝したかった」という波多野和也が、
第4Qの終盤で味方の得点へとつなぐリバウンドを見せるなど、
持ち味を生かして奮闘。
波多野のオフェンスリバウンドは7本を数えた。
波多野を筆頭にオフェンスリバウンドだけで27本と
ゴール下の争いを制した大阪が、初代チャンピオンの栄光をつかんだ。
一極開催への変更で“うれしい誤算”
当初、リーグはプレーオフをホーム&アウエー方式で行う予定だった。
しかし、試合日時が直前まで決まらない中で会場を抑えることの
難しさなどがあり、有明コロシアムに4チームを集めての一カ所開催となった。
この件について、河内敏光コミッショナーは
「一つの場所に4チームが集まる形式での開催に不安があった」と
語っていたが、実際はセミファイナルで5450人、
準決勝では7641人という観客を集め、
その心配は杞憂(きゆう)に終わった。
日本のチーム同士の対戦でこれだけの観客を集めたのは、
現在NBA挑戦を目指している田臥勇太の高校最後の試合となった
1998年のウインターカップ決勝(1万人以上を動員)以来ではないだろうか。
また、4チームの戦いを一度に見ることができただけでなく、
各チームのチアリーダーのパフォーマンス、
ブースターの姿(bjリーグではサポーターのことを、ブースターと呼ぶ)を
楽しめたことは、一極開催がもたらしたうれしい誤算だった。
仙台のチアリーダーには唯一男性がおり、
ブレイクダンスのヘッドスピンで会場を沸かせていた。
ブースターの応援でいえば、新潟はスティックバルーン、
大阪は小型のハリセンをたたいてリズムを取るなど、
それぞれに個性が出ていた。
ホーム&アウエーでなかったために、プレーオフという大一番を
観戦できなかったブースターもいると思うが、
4チームの応援を一度に見ることができるなど
エンターテインメント性が高く、この2日間に有明コロシアムを訪れた人々は、
試合以外の部分でも十分に楽しむことができたに違いない。
1年目の成果と課題 歴史を刻んだbjリーグの飛躍を期待
ところで、セミファイナル終了時の原稿では
外国人枠がないことについて触れたが、
河内コミッショナーはこの点について
「私を含め、歴代の日本代表ヘッドコーチは、
日本が世界で勝てない大きな要因の一つとして
外国人選手に対する経験不足を挙げている」と、
世界で戦える日本人選手を育成するために外国人の制限を設けなかったと述べた。しかし一方で、今後についてはファンの反応などを見て、
変更が必要だと判断すれば臨機応変に対応していく姿勢を示している。
外国人が3人、4人とプレーすることで、
一見すると日本人選手の存在感が薄い印象を受けるbjリーグだが、
日本人選手の育成や強化に貢献していることを忘れてはならない。
これまでの日本では、大学卒業後もバスケットボールを中心とした生活を
送ることができるのは、多くの場合、高校、大学と常にエリート街道を
歩んできた選手に限られていた。
だが、bjリーグの誕生により、一度レールを外れた選手でも
再起できる道が誕生したのは大きな意義がある。
現にbjリーグでプレーする前は、クラブチームなど
トップレベルから遠い所にいたが、シーズン終盤には外国人を相手に渡り合うまでに成長した選手もいる。
東京の仲摩純平(前・美鈴が丘クラブ)、
新潟の佐藤公威(前・新潟工業短期大学)などは、
bjリーグによって才能を開花するチャンスを得た代表的な選手だろう。
プレーオフ2日間では大きな盛り上がりを見せたbjリーグだが、
レギュラーシーズンの試合では、場合によっては観客数が
1000人を切る試合もあるなど、改善すべき所は少なくない。
しかし、まだようやく1年目が終わったばかりであり、
発展途上なのは致し方がない。
何はともあれ、バスケットボールを愛する者として、
日本においてプロリーグが誕生し1年目を無事に終えたことは、素直に祝いたい。新潟の廣瀬昌也ヘッドコーチが
「新潟は6年の歴史があり、多くの観客が試合に来てくださっている。
他のチームでもそれぞれのチームカラー、応援やグッズの工夫があり、
地域密着をすごく感じた」と話すように、
それぞれのフランチャイズで差はあるにしても、
一歩一歩着実に地域との絆(きずな)を深めていることは間違いない。
2006年には富山、香川の2チームがリーグに加入し、
2007年にもさらに2チームのフランチャイズ加入が予定されている。
現状に満足せず、ハード、ソフトの両面でチーム数の拡大に負けない
bjリーグの成長を期待したい。
引用長くてすいません。
問題点、よく考えれば山積していますよね・・・
選手、フロント、リーグそのもの、協会との関係・・・
でも、「地域」がついてきてくれているのが強みですね。
そしてブースターの後押し。
Jリーグ元年に匹敵する、とまではいかないですが、
バブルがはじけるのも怖いからこんなくらいが一番いいでしょう。
この「熱」の中に、「長いこと待たせやがって・・・」というメッセージが
含まれているような気がするのは気のせいでしょうか?
とりあえずオフシーズンも話題を提供しつづけて欲しい!
とりあえず今期の成績。
文化系女子(スポーツ観戦嫌い・スポーツはやるもの)を脳内改造。
藤原かっこいい!マットかっこいい!
そしてbj面白い!と言わせることに成功。
初代チャンピオンは、大阪エヴェッサ
bjリーグプレーオフ決勝
2006年05月01日
bjリーグ初代チャンピオンに輝いた大阪エヴェッサ
大阪エヴェッサが新潟アルビレックスを下し、
日本初のプロバスケットボール、bjリーグの初代チャンピオンに輝いた。
東京・有明コロシアムで行われたファイナルの出だしは、
両チームともに動きが硬く重苦しい展開となったが、
大阪は第2Q残り3分1秒からデイビット・パルマーの連続スリーポイントを
口火に連続11得点を挙げ、前半を10点リードで折り返した。
第3Qも大阪のペースで進むが、新潟も粘りを見せ、
第4Q序盤に連続10得点をマークすると、
残り6分2秒に藤原隆充のシュートで4点差にまで縮めた。
ここから一進一退の攻防が繰り広げられたが、
大阪は残り1分を切ってから新潟に得点を与えず要所を締め、
74対64で勝利を収めた。
大阪は米国人4選手(パルマー、マット・ロティック、
リン・ワシントン、ジェフ・ニュートン)に加え、
「2位でも最下位でも同じ。絶対に優勝したかった」という波多野和也が、
第4Qの終盤で味方の得点へとつなぐリバウンドを見せるなど、
持ち味を生かして奮闘。
波多野のオフェンスリバウンドは7本を数えた。
波多野を筆頭にオフェンスリバウンドだけで27本と
ゴール下の争いを制した大阪が、初代チャンピオンの栄光をつかんだ。
一極開催への変更で“うれしい誤算”
当初、リーグはプレーオフをホーム&アウエー方式で行う予定だった。
しかし、試合日時が直前まで決まらない中で会場を抑えることの
難しさなどがあり、有明コロシアムに4チームを集めての一カ所開催となった。
この件について、河内敏光コミッショナーは
「一つの場所に4チームが集まる形式での開催に不安があった」と
語っていたが、実際はセミファイナルで5450人、
準決勝では7641人という観客を集め、
その心配は杞憂(きゆう)に終わった。
日本のチーム同士の対戦でこれだけの観客を集めたのは、
現在NBA挑戦を目指している田臥勇太の高校最後の試合となった
1998年のウインターカップ決勝(1万人以上を動員)以来ではないだろうか。
また、4チームの戦いを一度に見ることができただけでなく、
各チームのチアリーダーのパフォーマンス、
ブースターの姿(bjリーグではサポーターのことを、ブースターと呼ぶ)を
楽しめたことは、一極開催がもたらしたうれしい誤算だった。
仙台のチアリーダーには唯一男性がおり、
ブレイクダンスのヘッドスピンで会場を沸かせていた。
ブースターの応援でいえば、新潟はスティックバルーン、
大阪は小型のハリセンをたたいてリズムを取るなど、
それぞれに個性が出ていた。
ホーム&アウエーでなかったために、プレーオフという大一番を
観戦できなかったブースターもいると思うが、
4チームの応援を一度に見ることができるなど
エンターテインメント性が高く、この2日間に有明コロシアムを訪れた人々は、
試合以外の部分でも十分に楽しむことができたに違いない。
1年目の成果と課題 歴史を刻んだbjリーグの飛躍を期待
ところで、セミファイナル終了時の原稿では
外国人枠がないことについて触れたが、
河内コミッショナーはこの点について
「私を含め、歴代の日本代表ヘッドコーチは、
日本が世界で勝てない大きな要因の一つとして
外国人選手に対する経験不足を挙げている」と、
世界で戦える日本人選手を育成するために外国人の制限を設けなかったと述べた。しかし一方で、今後についてはファンの反応などを見て、
変更が必要だと判断すれば臨機応変に対応していく姿勢を示している。
外国人が3人、4人とプレーすることで、
一見すると日本人選手の存在感が薄い印象を受けるbjリーグだが、
日本人選手の育成や強化に貢献していることを忘れてはならない。
これまでの日本では、大学卒業後もバスケットボールを中心とした生活を
送ることができるのは、多くの場合、高校、大学と常にエリート街道を
歩んできた選手に限られていた。
だが、bjリーグの誕生により、一度レールを外れた選手でも
再起できる道が誕生したのは大きな意義がある。
現にbjリーグでプレーする前は、クラブチームなど
トップレベルから遠い所にいたが、シーズン終盤には外国人を相手に渡り合うまでに成長した選手もいる。
東京の仲摩純平(前・美鈴が丘クラブ)、
新潟の佐藤公威(前・新潟工業短期大学)などは、
bjリーグによって才能を開花するチャンスを得た代表的な選手だろう。
プレーオフ2日間では大きな盛り上がりを見せたbjリーグだが、
レギュラーシーズンの試合では、場合によっては観客数が
1000人を切る試合もあるなど、改善すべき所は少なくない。
しかし、まだようやく1年目が終わったばかりであり、
発展途上なのは致し方がない。
何はともあれ、バスケットボールを愛する者として、
日本においてプロリーグが誕生し1年目を無事に終えたことは、素直に祝いたい。新潟の廣瀬昌也ヘッドコーチが
「新潟は6年の歴史があり、多くの観客が試合に来てくださっている。
他のチームでもそれぞれのチームカラー、応援やグッズの工夫があり、
地域密着をすごく感じた」と話すように、
それぞれのフランチャイズで差はあるにしても、
一歩一歩着実に地域との絆(きずな)を深めていることは間違いない。
2006年には富山、香川の2チームがリーグに加入し、
2007年にもさらに2チームのフランチャイズ加入が予定されている。
現状に満足せず、ハード、ソフトの両面でチーム数の拡大に負けない
bjリーグの成長を期待したい。
引用長くてすいません。
問題点、よく考えれば山積していますよね・・・
選手、フロント、リーグそのもの、協会との関係・・・
でも、「地域」がついてきてくれているのが強みですね。
そしてブースターの後押し。
Jリーグ元年に匹敵する、とまではいかないですが、
バブルがはじけるのも怖いからこんなくらいが一番いいでしょう。
この「熱」の中に、「長いこと待たせやがって・・・」というメッセージが
含まれているような気がするのは気のせいでしょうか?
とりあえずオフシーズンも話題を提供しつづけて欲しい!
とりあえず今期の成績。
文化系女子(スポーツ観戦嫌い・スポーツはやるもの)を脳内改造。
藤原かっこいい!マットかっこいい!
そしてbj面白い!と言わせることに成功。