みやしたの気まぐれblog

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被害者を無視した法

2007-02-28 22:31:42 | 日常
車で5人殺傷の被告に無罪 大阪地裁「心神喪失状態」(朝日新聞) - goo ニュース

死者2名、負傷者3名出しても無罪。「心神喪失状態」だったら人を殺してもいいと言うのは納得できない。そもそも、「心神喪失状態」の人間に何故自動車が運転できる。まともな考えができなくても、自動車は動かせると言うのか?否、自動車の操作は本能だけで行えるものではない。
そもそも、過失だろうが、意図的だろうが、正当防衛以外の理由で殺人や傷害をするのは罪であろう。例え殺した犯人がどんな状態であっても、殺された被害者や残された家族・友人にとって、無罪が納得できるものではない。
なぜ「心神喪失状態」なら殺人が許されるのか。その理由は刑法第39条にあり、
 第39条第1項 心神喪失者の行為は、罰しない。
 第39条第2項 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
とある。問題はこれが全ての刑法上の犯罪項目に対して適用されてしまう事だ。
だから認定さえされてしまえば、殺人をしようが虐殺をしようが、何をしても許される。

私はあきらかに、法が間違っていると思う。法は全て正しいわけではない。しかし、法に従わねばならないのが法治国家なのだ。
池田小の事件を踏まえ、こういった精神障害者を観察する法律こそできたが、所詮は「加害者保護」であって「被害者救済」ではない。そもそも精神障害者は殺人が法によって「許可」されているわけだから、いかに観察されようと、観察の目が離れればまた人を殺す事ができるのだ。

これらとは違うが以前にも述べた、交通事故での死亡事故がある。危険運転致死罪ですら、最高懲役20年、業務上過失致死はわずか5年。昨年あった埼玉県川口市の園児4名の死亡事故は、危険運転致死罪が適用されず、被告が負うのは最高でも5年だと言うことだ。未来ある幼い子供を4人も殺しても、犯人は5年経てば社会に戻る事ができる。しかも犯人は反省の意思すら見えないと言う。

いったい命の重さはどうなっているのか。加害者の命は重要なのに、被害者は殺され損、悪く言えば無駄死の状態ではないか。加害者の命がそんなに重要か。悪が世にはびこる事を法律が援助するのか。加害者に反省を促して更生させる事に何の意味がある。失った被害者の命は戻らないのだ。被害者の家族には永遠に命は戻らないのだ。

今の法律が続くならば、もし私が大切な人を「心神喪失状態」の犯人に殺されたり、業務上過失致死で反省の無い犯人に殺されたりするなら、私は恨みを晴らす事に躊躇はしないだろう。
憎しみは憎しみを生むと言うが、被害者だけがひどい目に遭い、加害者は大手を振って暮らせる世の中など、生きている価値がない。
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