tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

ロバート・キャパ 『ちょっとピンぼけ』

2013-06-14 07:36:07 | 
 冒頭のニューヨークでの場面から、ぐんぐん惹きつけられて、読むのが面白くてたまらなかった。

 キャパの人柄と、明朗闊達な文章があいまって、とても明るい。それからニューヨークからロンドン、北アフリカ、イタリア、パリと、戦争の前線をめぐり、極限の悲惨さと緊張を鼻の先にして、戦争の一隅に針のように刺されるのだ。

 訳者あとがきによれば、ロバート・キャパは、本名はアンドレ・フリードマン、1913年にハンガリーのブタペストに生まれる。
 ユダヤ人であり、祖国独立の後17歳の時、思想的な理由で国を追われる。ベルリンでトロツキーを撮った写真が初めて世に出た後、再びナチスの台頭そしてユダヤ人追放により、今度はパリへ渡る。
 パリでは生活資金は底をつき、商売道具のカメラも手放すことに。友人である日本人芸術家のアパートに転がり込むが、その時キャパを迎え、朝夕の生活を共にした親友が、この本の訳者でもある川添浩史、井上清一の両氏だった。

 1954年、キャパは41歳で亡くなる。インドシナ戦線でフランス軍のジープに乗っていて、地雷に触れた。

 この本では、第二次世界大戦、1942年の夏から1944年の春までの間の、キャパや自身の周囲の兵士や戦場の様子が、そしてピンキィという女性との恋が、語られる。写真論のようなものは一切なく、全てが、酒と賭博が大好きな、そしてキャパ個人の視線によってつづられている。

 キャパは、動いてるものが好きなようだ。

 敵国人でありながら、アメリカ軍属の報道写真家として、身分証明書を手に入れるために、または失わないために、船から船へ乗り移り、落下傘で降下し、銃弾の間を這い、泳ぎ、また大陸から大陸へ、島から島へと自身もひっきりなしに動き回る。
 仕事でもあるけれど、祖国を追われヨーロッパを追われ、「ハンガリー人であるような、ないような」キャパにとって、動いているということが何者であるかの証明のようなものだったんじゃないかと、思えなくもない。自由のはずがない身分と戦乱の中で、キャパはあらゆる知恵と明るさと冷静さと、運命を持って、「戦場カメラマン」としての自分を動かして行った。
 それだけと言えば、それだけだ。
 陽気で率直で勇敢で、決してあきらめないキャパ。焦りや恐怖、悲しみは、どこにしまってあるんだろう。
 すぐにしまってしまうので、どこにあるのか分からないけど。

 静かなるもの。静止したもの。それはようやく再会した入院中の、療養中のピンキィだ。キャパはベッドに貼り付けられた彼女にも、彼女のいないロンドンにも耐えられない。そしてノルマンディ上陸作戦について行くために、そのような理由で、キャパはロンドンを去った。


  抜き書き。

 「やがて、よく気をつけて見ると、みんな、ある一つの兵舎に向かってゆくようなので、私もその方向にしたがうことにきめた。私は、クラブ・ルームに入り絶望的な気持ちで、誰かが話しかけてくれないものかと希った。すると、バーの後ろにいた一等兵が、私に何を飲むのかときいてくれた。私は有難い思いで、みなさんと同じ生ぬるいビールを注文した。私の側にいる若い飛行士、__有名な“空飛ぶ要塞”のヨーロッパ一番乗りの連中は静かで、しかも、おとなしそうであった。彼らのうちのある者は、アメリカの古雑誌を読み、また、ある者はひとりぼっちで、綿々たる手紙を書いていた。唯一の活気は、まわりに群がった連中の背中で隠されてはいるが、部屋の中央の大きなテーブルの上にあるらしかった。」 (p.48 Ⅲ/われ君を待つ より)

 この後キャパは、ルールも分からないトランプ・ゲームに飛び込み、でたらめにぼろ負けしてから、兵士たちの写真を撮る。うちとけたのだ。そしてこの爆撃機隊の、出撃を待つ幾日かの間、ポーカー仲間として過ごす。
 まだまだしょっぱなの、この部分が好きだ。小さな小さなエピソードだけれど、なぜか好きだ。

 「 彼は 私たち家族のものを 友達として扱い ― 友達たちを 自分の家族ときめこんでおりました」

 弟であるカーネル・キャパの言葉の通り、本書のすべての頁にキャパの魅力があふれている。タイトルだって、とぼけている。読み終えた後、キャパがとっくにこの世にいないことを思って胸が切なくなる。
 1956年、ダヴィッド社。文春文庫版は1979年。


   ちょっとピンぼけ