花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

雨中遡行

2006-06-13 22:34:59 | 季節/自然
 日曜日、雨をついて奥多摩へ沢登りに出掛けた。雨合羽を着て、滝を登ったり巻いたり、岩を乗り越えたり、流れに足を踏み入れたりして源頭までつめ、最後は少しだけ藪を漕いで登山道へ出た。朝からずっと雨が降っていたにもかかわらず、特に水量が増すこともなく、山の保水力の高さを実感した。雨の日の山は、木々の緑が心なしか活き活きしているように思える。岩の苔も雨滴をまとって瑞々しい。山の気配がいつもよりほんのちょっと濃く感じられる。一日経った月曜、指先に顔を近づけると、草の青いような、そして樹液の甘いような、そんなにおいが少し残っていた。何故だか懐かしい気持ちがした。

風見鶏

2006-06-10 00:07:33 | Weblog
 8日の夜、東京駅の近くで会社の同期と飲んだ。普段、彼と飲む際は遊びの話が中心となるのだが、この夜は珍しく会社の話に多少踏み込んだ。話の中で彼が言うには、「上にはYesマンで下は踏み台くらいにしか思っていない人は、小さい頃から優等生だった人が多い」、そうだ。ちっちゃな時から、「○○さん、良く出来ました。偉いわね」と言われることを拠り所にして頑張ってきたので、褒めてくれる人には無茶苦茶忠誠を尽くす。だから、今の上司には褒められたいばかりに何でも言うことをきくけれども、評価したりご褒美を与えてくれる権限を失った人(例えば元上司でラインから外れてしまった人)には手のひらを返したような態度をみせる。ましてや、部下を顧みたり育てたりすることはありえない。自分が評価されるためには、利用できるものは利用し、用済みになれば捨てる。そうやって、組織の中で出世の階段を登って来たのだ、と。
 彼と別れた後電車の中でふと思ったのだが、「××会社の常識は世間の非常識」と聞くことがたまにあるけど、そういった会社は彼の言う優等生タイプの社員が多いのかもしれない。世間の常識より上司の受けの方が大事なのだから。また、同時に思い出したのが、別の友人がある時、「僕は人よりも職務に対して忠誠を尽くす」、と語ったことだ。また、ノベール賞を受賞された田中耕一さんが、「周りの全ての人から評価されないなんてことはなく、誰か一人くらいは評価してくれるものだ。自分はゆるぎない評価軸を持っていきたい」、と述べたのを新聞で読んだような気がする。いろいろな生き方があるものだ。

持続可能(sustainable)な生きかた

2006-06-06 22:27:51 | Weblog
 今日の朝日新聞夕刊に北極圏のセイウチ狩りを取材した記事が載っていた。氷の上で昼寝するセイウチたちをみつけた狩人は、静かに群れに近づいていく。ライフルが火を噴くと、セイウチは一斉に水に飛び込む。セイウチは巨体で、しかも距離は数メートルしか離れていない。いとも簡単に銃弾を撃ち込むことが出来るが、狩人はなかなか次の引き金を引こうとしない。その理由を記事ではこう書いてあった。「手負いの個体だけに弾を当てようというのだ。手当たり次第に撃てば無駄に命が失われる。それを恐れていた。肉は人間が食べ、残りは犬のえさ、つまり犬ぞりの動力源ともなる。自分たちで使い切れる分だけを狩る。そう決めている。」
 不正な株取引に対する釈明会見の席で、事もあろうか「金もうけ、悪いことですか」と言い放った男が逮捕された後だけに、極北の狩人が自らに課したルールは私の心に浸みた。

蕎麦屋で飲んだ

2006-06-01 22:31:45 | Weblog
 昨日、学生時分からの友人と田町駅近くの蕎麦屋「京金」で飲んだ。ここは、蕎麦屋で酒を飲むようなるきっかけとなったお店である。それまで、蕎麦屋は蕎麦を食べるところとばかり思っていたので、板わさや川エビの唐揚げを肴に蕎麦屋で酒を飲むことを知ったのは新鮮であり、最後に蕎麦を食べて締めるのはちょいと粋な飲み方を覚えたように感じたものだ。また、焼酎の飲み方に蕎麦湯割りがあることを知ったのも、このお店であった。爾来、蕎麦屋で飲むのは、大好きなシチュエーションのひとつとなっている。何が良いかと言って、昼間から飲んでも自堕落な雰囲気がしない。しかも、時間の流れが緩やかに感じられる。日本橋の三越で買い物をした後、「室町砂場」に立ち寄って卵焼きや天ぷらをつまみにお銚子を2本ほど空けて、この店の濃いめのつゆでもりそばをすすると、妻の買い物に付き合わされてあちこち振り回されたこともチャラにしていいような気になる。また、神田の「まつや」で大ごまを2枚食べながらビールを飲んだりすると、椎名誠言うところの「もうどうでもいいけんね」の「けんね」状態になって、のほほんとした午後を過ごすことが出来る。いずれにせよ、お昼に蕎麦屋で飲むのは「ほどほど感」があっていい。もちろん、夜の蕎麦屋も「ほどほど感」はバッチリである。蕎麦屋で飲む、イコール、前頭葉が麻痺するまでは飲まない、そんな節度ある飲み方に導いてくれる。昨夜も、そんな「ほどほど感」に満たされながら、気の置けない友人と楽しい酒を飲んだ。そして、ちゃんと電車のある時間に帰った。