花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

忖度の功罪

2017-04-27 20:43:06 | Weblog
先の日曜日、森友学園問題以来にわかに脚光を浴びている「忖度」という言葉をどう思うかに関するアンケート結果が朝日新聞に載っていました。その中から、「忖度」に肯定的な意見と批判的な意見をひとつずつ紹介します。
 肯定的意見:「『忖度』とは明示されずに、『あいまい』であったり『文脈』の中で互いに判断するコミュニケーションであると解釈します。これは古今東西どんな社会でも、いわゆる社会的な場あるいは大人の関係でのコミュニケーションでは、常に伴うもので、『忖度』する能力がなければ社会人としては役に立たないでしょう。私はサラリーマン生活40年ですが、先進国も開発途上国も含め海外5カ国で約20年間経営幹部を務めてきました。相手や仲介者の考えをそれこそ『忖度』しながら意思決定をしなければならない場を多数経験しております。『忖度』の有無が問題ではなく、結果としての『行動』で責任は問われるべきと考えます」(海外・60代男性)
 批判的意見:「子どもを忖度するとは言わない。縦社会が前提で目上を忖度するので、言い換えたらご機嫌取りとかゴマスリとなるんだと思う。民主主義の土台をむしばむ精神性だし、忖度で行動したというのは空気を読んだのであって自分の考えで行動したのではないので責任ある行動とは言えない。思いやりと言い換えるにはあまりにもひきょうだし、実は隠されたエゴイズムなんだろうと思う」(東京都・60代女性)
 相手の思いを汲み取る際、自分の意図がどこにあるかによって、気配りとなる場合もあれば阿諛追従となる場合もあるということでしょうか。中には次のような声もありました。「他人の心中や考えなどを推しはかることは、日本人の美学だと思う。よく行える人は周りからも好かれる。しかし、よくないことについても心中を推し量って勝手に進めて、問題となることもあるだろうということを今回の報道で痛感した。日本人は自分の意見をあまり言わない。言わなくてもわかってくれると勝手に思う傾向があり、こういう問題も起こってくるのかもしれない」(福岡県・50代女性)
 この意見を組織運営の面から見ると、組織が良い方向へ向かっている時は「忖度」によってより一層効率的に事が進んでいくけれども、間違った方向へ行こうとするのにブレーキが掛かりにくいということになります。何が正しくて何が悪いか、原理原則を尊重する精神が欠けていると、「忖度」の功罪のうち「罪」に歯止めが効かなくなると思います。

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