花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

古聖前賢の教を大切に

2020-01-04 21:21:18 | Weblog
 幸田露伴は小説「運命」(岩波文庫)の出だしのところで、次のように語っています。「かつや人の常情、敗れたる者は天の命を称して歎じ、成れる者は己の力を説きて誇る。二者共に陋とすべし。事敗れて之を吾徳の足らざるに帰し、功成って之を数の定まる有るに委ねなば、其人偽らずして真、其器小ならずして偉なりというべし。」

 失敗は自分の力が及ばなかったからであり、成功は天運が味方したとする態度、この謙虚さが必要だと説いているのでしょう。そして、謙虚さを養うためには、「仮令数ありとするも、測り難きは数なり。測り難きの数を畏れて、巫覡卜相の徒の前に首を俯せんよりは、知る可きの道に従いて、古聖前賢の教の下に心を安くせんには如かじ」と述べています。

 ところで品性乏しく、厚かましいのを何とも思わない、ただただ我が身可愛いおとっつあんたちの跋扈ぶりを新聞で読むにつけ、「あーあ」とため息が出ます。変な人たちが妙にのさばるのは、私の不徳の致すところかもしれませんし、あるいはいつの世にもあることなのかもしれません。ただ思うのは、天の上から露伴先生に「陋」なりと言われないためにも、古聖前賢の教に耳を傾け、おかしな連中とは一線を画していかねばということです。「しょうがない」はグルへの一歩と戒めながら。