花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

私はコアラの赤ちゃんです

2010-04-23 22:26:49 | Weblog
 土曜日の朝日新聞には「be」という別刷りが折込まれていますが、何週間か前のbeに興味深い記事がありました。カンガルーの赤ちゃんのウンチを、お母さんカンガルーが食べる話です。それまでカンガルーの赤ちゃんのウンチなんて想像したこともありませんでしたが、お母さんのおなかの袋の中で、ウンチやおしっこをするとなれば、ばっちくてそんな中で育ちたくはありませんし、不衛生で病気になっちゃったら大変です。実は、カンガルーのお母さんはベロで赤ちゃんに刺激を与えて排泄を促し、出てきたウンチやおしっこを食べてしまうそうです。同じ記事にはコアラの赤ちゃんのことも書いてありました。カンガルーとは逆に、お母さんのウンチを赤ちゃんコアラが食べるようです。お母さんコアラがおなかの中でユーカリの葉っぱを消化し、赤ちゃんにとって食べやすくするのが理由のようです。そう言えば、昔、ゴリラが自分のウンチを食べるのを見たことがあります。その時は、頭がおかしくなったゴリラなのかと思いましたが、その後、何かの本に、ゴリラが食べる固い葉っぱは、一回では消化吸収出来ないので、ウンチになってこなれたものをまた食べて、栄養を摂りやすくすると書いてありました。コアラの赤ちゃんもゴリラと同じことをしているのでしょう。
 さて、コアラの赤ちゃんがお母さんのウンチを食べることを知って、ふと思い出したことがあります。大学に入ったばかりの頃、マックス・ヴェーバーの「職業としての学問」・「職業としての政治」を読んだ時のことです。大学生になったのだから、アカデミックな書物でも読んでみようかと思い、岩波文庫の2冊を買い求めて読んでみました。ところが、読んでもちっともおもしろくありませんでした。有名な学者の有名な本にも関わらず、言ってることがつまんないと感じました。しばらくして、ある友人に安藤英治著 「ウェーバーと近代」(創文社刊)を薦められて読んでみました。すると、当たり前っぽいことしか書いていないと思っていた「職業としての学問」と「職業としての政治」に対する認識が、全く変わってしまいました。当時のドイツの社会状況の中で、なぜヴェーバーが2冊の本に書いてあるようなことを言ったのかが、安藤先生の著書を通じてよく分かりました。また、時代を超えて私たちにも当てはまる意味も見えてきました。
 木に竹を接いだような話になりそうなので、コアラの赤ちゃんと掛けて「ウェーバーと近代」と解いた、そのココロを説明してみます。自分が意味を読み取れなかった本も、もっと頭の良い人が咀嚼して、消化しやすくしてくれれば、何となく意味が見えてくる、つまり、私にとって「職業としての学問」・「職業としての政治」はユーカリの葉っぱであり、安藤英治氏はコアラのお母さんだった訳です。もちろん、「ウェーバーと近代」をウンチ扱いするつもりはこれっぽっちもなく、栄養満点の食事だと思っています。そうなると、私自身はコアラの赤ちゃんということになります。これからは知的なコアラの赤ちゃんと称しましょうか。