花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

大崎止まりの必要性(後編)

2008-04-26 00:08:48 | Weblog
 そんな忙しさの真っ最中に思ったのは、一日一日に節目を付けることの必要性でした。コンピュータシステムでは、一日の業務が終わると エンドジョブを走らせ、前日との差分データをバックアップとして保存しますが、人間も「今日はこれでおしまい」と一日の区切りを明確に付けるべきでしょう。また、ある時点の自分をスナップショットしたり、あるいは過去の自分と今の自分との差分を意識することは大切ではないかと思います。昨日の自分と今日の自分の区別がつかないということは、今の自分を計るためのものさしがないということになり、自身が捉えどころのない存在と化してしまいそうな気がします。
 話は少しそれますが、最近問題となっていることに、学校を出たての若者の離職率の高さがあります。一方で、会社に入って年数の若い社員の長時間労働が指摘されています。賃金の安い者をこき使おうということのようです。会社を辞めていく若者たちは、先ず第一には、過労で身体を壊さないために否応なく退職していくのかもしれませんが、次のような理由も考えられないでしょうか。学校を卒業するまでは個性や自分らしさを求められていたのに、会社に入った途端、忙しさのあまり自分の存在感が手応えを持って捉えられず、確かだと思っていたものが蒸発してしまいそうな恐怖感が引き金となり、会社を辞めるのではないかと。
 同じところをグルグル回っている山手線も、時々大崎で止まります。忙しいのは結構ですが、人間にも大崎止まりが必要かもしれません 。一旦自分を流れから切り離しちょっと区切りをつけ、次の運転まで休む。もしそれがないと、自分が見えなくなるし、いずれモダンタイムスのチャップリンが演じていた、目の前の仕事を処理するだけのマシンになってしまうのではないだろうかと思いました。 (おわり)