花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

社会の二極化、あるいは負けることの意味について

2006-02-13 20:51:12 | Weblog
 先日(2/12)のブログで格差社会について触れたが、実は日本社会の格差の拡がりについて新聞の記事などを注意して読むようになったのは、正月にもらった1枚の年賀状がきっかけだった。年賀状の送り主は、行政を司る立場にいる高校からの友人である。彼は格差の代わりに階層化という言い方をしており、最近の階層化を推し進める動きを懸念する旨、書いてあった。おそらく彼が見ているであろうことを、私は二極化と呼んでみたい。では、なぜ二極化なのか、それを述べるために、二つの極の片方、つまり敗者、の意味合いが大きく変わってきていること取り上げてみる。
 ここ数年、頻繁に指摘されていることだが、新卒者で正社員になれなかった人、あるいは事情により正社員から非正規雇用者(アルバイト、契約社員、派遣社員など)になった人が、正社員になるのは難しくなっている。そして、正社員と非正規雇用者の間の経済的格差が年を経るごとに拡がることや、多くの非正規雇用者の仕事内容が単純労働であるため自分に誇りを持てなくなったりして、悪い方向へのスパイラルに陥りがちだと報告されることを目にする機会が増えてきた。
 このことはほんの一例に過ぎないが、思うに、バブル崩壊以前の敗者には敗者復活戦の途が開かれていたが、今の敗者には閉ざされているのではないだろうか。かつては、勝者と敗者は階段によってつながっていて、多くの敗者にとって負けると言っても、それは奈落の底に突き落とされることではなく階段のどこかで止まって、やる気があればそこからまた階段を登り始めることが出来たように思う。それが、今では、階段は存在せず、あたかも蟻地獄に落ちるかのように、敗者ははい上がることの許されない穴の中に閉じこめられてしまうのではないか。勝ち負けの帰結するところが、階段の中の序列付けであった世の中(負けても居場所はあった!)から、ふるいに掛けられた砂のように捨て去られていく社会に変わってきているような気がする。一方の極からどんどん敗者が排除され、もう一方の極へ(不可逆的に)移っていくという点で、私は二極化という言葉を使いたい。
 以上、具体的な例証もなく、雑駁な言い様ではありますが。