僕の友人のOさんが幻聴とは自分の心の中の声が聴こえることで、統合失調症者を自分の心に思ったことが実際聴こえてくる人と定義しました。
だけど僕の幻聴は確かに自分の思ったことが聴こえてくる時もあったけど、思考より早く聴こえてくる時や、思ってもないようなことが聴こえてくる時もありました。それになぜ幻聴は様々な他人の声で聴こえてくるのか。
とにかくわけの分からない幻聴も心の声ならば、僕の心もわけの分からないものだということになります。
精神の病んでいなかった頃の僕にとって自分というものは自明のものでした。「自分は自分だ」で済ませてしまっても一向に構いませんでした。自分の根拠など説明する必要に迫られたこともありませんでした。
でも精神を病んだ後の僕は自分というものはそんな簡単に分からないぞと思い知らされました。
自分のことを天皇と僭称する統合失調症者もいるようだけど、彼が分かりやすいシンボル名を用いるのはそれだけ自己の内部に不確かなものを抱えている証拠だと思います。
今の僕は自分そのもの(その属性ではなく)を理性と言葉で説明しようとするからいっそうわけが分からなくなり、それを世間の人たちは狂気と見做すのだと思っています。
「あなたは何者ですか?」と訊ねられた時、あなたならどう答えるでしょうか。履歴書に書くように自分は「誠実な人です」とか「嘘をつかない人です」とか「真面目な人です」とか「優しい人です」とか答えるでしょうか。でもそれはいつも本当と言えますか?
僕は精神病者と健常者の差はそれほどないと思うのです。また精神病者は悪人ではないと言っておきたいです。
ただ僕たちは人間のわけの分からなさに覚醒した者に過ぎないということを言いたいです。
「人間」というモノについてのわけの分からなさ。わけの分からないXとわけの分からないXとが一つの世界の中で、加減乗除、影響しあって生きている。それを一人一人の人間たちと実際触れ合うことなしに頭だけで解決してしまったことが間違いでした。
幻聴は初めの頃は新鮮でリアリティがあったのですが今じゃ自分の脳に何かが憑依してそこから情報を出しているみたいです。だから自分が知っている事は全て自分より速く言うし、自分が忘れてる事も知っているのです。
急性期の頃は正にドラマが繰り広げられていましたが今はくだらないただの幻聴です。
人は玉葱の皮のように社会から与えられた人格を持っています。だからほんとうの自分を見つけるにはその玉葱の皮を一枚一枚剥いていかなければならないのです。その中心にある「空」が本来の自分だと思うのです。