プシコの架空世界

ホレホレ触るとはじけるゾ。
理性がなければ狂いません(妄想の形成にも理性の助けがいる)。

Xとしての人間

2010年05月25日 07時10分14秒 | インポート

 僕の友人のOさんが幻聴とは自分の心の中の声が聴こえることで、統合失調症者を自分の心に思ったことが実際聴こえてくる人と定義しました。

 だけど僕の幻聴は確かに自分の思ったことが聴こえてくる時もあったけど、思考より早く聴こえてくる時や、思ってもないようなことが聴こえてくる時もありました。それになぜ幻聴は様々な他人の声で聴こえてくるのか。

 とにかくわけの分からない幻聴も心の声ならば、僕の心もわけの分からないものだということになります。

 精神の病んでいなかった頃の僕にとって自分というものは自明のものでした。「自分は自分だ」で済ませてしまっても一向に構いませんでした。自分の根拠など説明する必要に迫られたこともありませんでした。

 でも精神を病んだ後の僕は自分というものはそんな簡単に分からないぞと思い知らされました。

自分のことを天皇と僭称する統合失調症者もいるようだけど、彼が分かりやすいシンボル名を用いるのはそれだけ自己の内部に不確かなものを抱えている証拠だと思います。

今の僕は自分そのもの(その属性ではなく)を理性と言葉で説明しようとするからいっそうわけが分からなくなり、それを世間の人たちは狂気と見做すのだと思っています。

「あなたは何者ですか?」と訊ねられた時、あなたならどう答えるでしょうか。履歴書に書くように自分は「誠実な人です」とか「嘘をつかない人です」とか「真面目な人です」とか「優しい人です」とか答えるでしょうか。でもそれはいつも本当と言えますか?

 僕は精神病者と健常者の差はそれほどないと思うのです。また精神病者は悪人ではないと言っておきたいです。

 ただ僕たちは人間のわけの分からなさに覚醒した者に過ぎないということを言いたいです。

「人間」というモノについてのわけの分からなさ。わけの分からないXとわけの分からないXとが一つの世界の中で、加減乗除、影響しあって生きている。それを一人一人の人間たちと実際触れ合うことなしに頭だけで解決してしまったことが間違いでした。

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4 コメント

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新宿の精神科医は統合失調症の特徴は自分でドラマ... (マーちゃん)
2010-05-25 14:31:00
初めは何を言っているのか分からなかったけれど年月が経つにつれて成程と思いました。
幻聴は初めの頃は新鮮でリアリティがあったのですが今じゃ自分の脳に何かが憑依してそこから情報を出しているみたいです。だから自分が知っている事は全て自分より速く言うし、自分が忘れてる事も知っているのです。
急性期の頃は正にドラマが繰り広げられていましたが今はくだらないただの幻聴です。
人は玉葱の皮のように社会から与えられた人格を持っています。だからほんとうの自分を見つけるにはその玉葱の皮を一枚一枚剥いていかなければならないのです。その中心にある「空」が本来の自分だと思うのです。
マーちゃんの話、とても宗教的ですが嫌いじゃない... (たあちゃん)
2010-05-25 14:56:29
マーちゃんの話、とても宗教的ですが嫌いじゃないです。統合失調症者が自分でドラマを創るのは自己防衛の一種だと思います。そうやって大切な自己を守ろうとしているのだと思います。だけど自我が必死になって守ろうとしていた自己とは一体何だったのだろう。自意識はあるけど自分というものが分からない。それでも日々生きている。人間とは不思議な生き物だと思います。
今日のたあちゃんの話しは わたしには 難しくて よ... (ももちゃん)
2010-05-25 20:21:45
今日のたあちゃんの話しは わたしには 難しくて よく 分かりませんでした。 ただ マーちゃんという人のコメントの中にある 統合失調症者は 自分で物語りを作る ということは よく分かります。 わたしの場合が 正に それだったからです。 でも 妄想がひどい時は その物語りを 現実と思い込んでしまうのです。 これは とても 危険で辛いことです。 妄想と現実の境界線がなくなるからです。 もう 二度と あんな苦しい思いはしたくありません。 そのために 仕方なく薬を飲んでいるのです。
僕は妄想とは初め過酷な現実から自己(SELF)... (たあちゃん)
2010-05-25 21:25:49
僕は妄想とは初め過酷な現実から自己(SELF)を防衛しようとして生み出されるのだと思っています。自我(I)が無意識のうちに試みるのだと思っています。そしてその試みによって内と外ができます。すると今度は内と外を意識しながら絶えず自覚的に生きようとします。でもこれは人間にできることではありません。自意識過剰になって当然気が休まらなくなります。さらに疲れてくれば意思も弱まり内と外の境界線も曖昧になります。この状態はかなり苦しいですよね。こうならないためにだから僕はあまり恐れるなと言ったのです。

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