新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

伊集院静『ミチクサ先生』その④

2020年01月12日 | 本・新聞小説
渋皮煮の渋皮を取り除いて潰し、ちょっとだけ安納芋と蜂蜜を混ぜて茶巾絞りにしてお茶タイムです。


新聞連載『ミチクサ先生』も佳境に入ってきました。(86~120回)


一高の予科では、まさに坂上の雲を仰いで地方から出てきた意気高く熱き血潮の若者達のたくさんの出会いがありました。 
ある日金之助(漱石)はずっと欲しかった本『ハムレット』原語版を、ボロ下宿で共同生活を送っていた中村是公(後に満鉄総裁、東京市長)からもらいます。是公は宿敵・高等商業学校とのボート大会に勝利した褒美として、自分のためでなく漱石のためにシェークスピアの本を所望したのです。
本の虫と呼ばれた金之助の書棚は生きてきた道標。小学時代の学業優秀の褒美の『輿地誌略』、兄・大助が取り寄せてやった『ナショナル・リーダーズ』、漢詩・漢文にのめり込んだ時の陶淵明、荻生徂徠などがズラリ。
身だしなみは大助から教えられたもので、一度もだらしない格好をしたことがないと言われるほどダンディーな一高の学生でした。

本科に進学した金之助は英文学を、子規と米山保三郎は哲学を専攻します。金之助の勉学振りは校内でも有名になるほど。
英語のスピーチ大会で、兄の死に対して悲しみの縁に佇む自分を見つめ、なぜ悲しむのか、どうすればこの苦悩から解放されるかと金之助のこころを詩的に告白した文章は、後の漱石の小説世界を予感させるものでした。原稿を読むのではなく諳じたスピーチは教授陣からも大好評でした。

子規といえば、“常磐会ボール会„の主将として、野球の試合や練習に明け暮れていました。
念願の文集『七草集』にも力を注いでいましたが、完成と同じくして喀血してしまいます。医者は10日ほどの軽症だが養生に専一するように伝えました。そんな病床の子規へ金之助は長い手紙を書きます。『・・・小さい思いなら君の母上のために、大きい思いなら国家のために、自分を大切にしなきゃイケナイヨ。・・・to live is the sole end of man!』と、生きることこそ人間の唯一の目的と励まします。子規は早い快復で皆を喜ばせました。

金之助は子規の『七草集』の感想を漢詩で書き、「漱石」の名前で手紙で送ります。
子規も松山時代から自分の号を十数個準備しており、その中に頑固さ、愚かさの意を持つ「漱石」も含まれていたので、二人の知的な偶然性に喜びます。「夏目君は本物の“畏友”じゃ」と広くて深い知識に心底敬意を持っていました。

漱石は子規の『七草集』に衝撃を受け、英文学の向こうに封印していた漢詩・漢文の世界をよみがえらせました。夏休みの房総の旅を漢詩にまとめた『木屑録』を松山に帰省していた子規に送ります。これを見た子規の『木屑録』への賛辞も尋常ではありませんでした。
『木屑録』は作家・夏目漱石として次々に発表する小説の気配と思想が十分に読み取れるものでした。
一高本科の子規は松山の若者にとっては憧れの的。後の河東碧梧桐、高浜虚子が集まり、子規の夏の帰省は賑やかなものでした。

金之助と子規がやり取りした手紙の長さは4尺(1.2m)や7尺(2.1m)と長く、二人とも書くスピードも速く、それでいてほとんど書き直しがないというもの。後に『草枕』を5日間で、『坊っちゃん』を10日間で書き上げたという噂もあります。
今、二人には心に秘めた片想いの女性がいてその行く末が気になるところです。
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