@PAYASO

少しだけ更新再開してます(愚痴オンリー)

我が家の事情とコロナと何か。

2020年04月20日 | Life
大変ご無沙汰しております。
と言っても、当時このブログを読んでいた下さっていた方々に届くのかどうかわかりませんが。いや、届かないでしょうね。

先ほど、久しぶりにログインしてみたらブログ開設から「5569日」という数字がありました。
ブログブームには少し乗り遅れて開始したのですが、それでもそんな月日が流れてしまっていたんだなーと。当時は通信教育、写真専門学校、漫画、映画、サッカー。その他には若輩者の私が思うことをつらつらと書いてるだけのブログだったと思います。

アクセス数は頑張っても1日300〜400。友人には、

「無駄に時間使ってこんなことを一般素人がやって何になるの?」

なんて言われたこともありましたが、とある漫画(現在公開してる記事を見ればわかると思います)のレビューというか感想というか、今読み返してみると内容はすっからかんですが、それがかる〜くバズって最大3000PVなども記録したりしました。その後もつらつらと続けてはいたのですが、諸事情により休止という形をとって現在に至ります。この後書こうとしてる内容とは矛盾しますがとりあえず、

私は元気です。


今回、久しぶりにキーボードを叩こうと思ったのは新型コロナウィルス「COVID-19」(以降、コロナウィルス、コロナ、新型コロナ)についてです。

先に言っておくべきこととして、現在、私及び家族は感染していません。
むしろ、非感染者であるからこその不安など、そういうことについて書こうと思っています。かなり長くなる(このブログはいつもそうでしたがw)ので、読むのめんどくせーって方は、あ、あいつ、生きてたんだwとだけでも伝われば幸いだと思うので、ここまで読んでいただければ十分にありがたいことだと本気で思ってます。昔のお友達などに届いていたら、いつか、また、会える日が来るといいなって思っています。


さて。

話は数年前に遡ります。
2015年の1月半ば過ぎのことです。母が病気になりました。
最初の検査でステージ4の末期の乳癌でした。1年少し闘病をしたのですが2016年の4月にこの世を去りました。

我が家は親父と兄貴と僕の3人暮らしになりました。少し離れたところにもう一人の兄貴家族が住んではいますが、この3人です。

僕は母に代わって主夫となりました。結婚もしてないのに(あらゆる書類の職業欄で微妙な立場となります)。

ま、このブログを始めた少し前に実家に戻り、その頃から働かずに家の手伝いをしていたわけですが。

というのも親父が障害を持っているのです。当初は記憶障害と両足の麻痺程度だったのですが、記憶障害が徐々にアルツハイマーに代わっていき、現在は介護保険を受けながらの介護生活になっているからです。父の症状は母が亡くなる少し前から少しずつ悪くなっていき、オムツが必要になり、我が儘を言うようになり、頑固さが増し・・・定期的に施設にショートステイでお世話になりながら、4年ほど頑張ってきました。

なので、僕は家の中で母的な役割をすることが多いのです。

兄貴は家の現状を職場に伝えているからなのか、この3年は家から通える場所が勤務先となっていて、週末などは少し家のことを手伝ってもらえているので、ほんの少しではありますが僕にも兄のおかげで休めるような日がもらえています。
でも、昨年1年はどうにもうまくいかず、5月くらいから体調を崩し、それがよくなっても6月くらいから精神的に参ってしまい、8月には親父とのトラブルもあって完全にどうにもならないくらいにまで精神的にダメダメになってしまいました。

それでも主夫としてやることは毎日あるわけで、自分が家事のあれこれを滞らせてしまうと家が回らないし親父の世話をやる人がいなくなってしまうのでなんとか踏ん張りました。気がつけば、昨年の8月からつい先日まで髪の毛を切っておらずボサボサになっていたり。

・・・少し話が脱線してますが。

僕の生活はそんな感じです。


話は変わって、この間の月曜日のことです。

この日は親父がショートステイで施設に行っていたので、いつもよりほんの少し遅い6時40分に起きて、間も無く出勤のための準備に向かう兄貴と話をしていました。
兄貴がソファから立ち上がろうとしたのか、体勢を変えようとしたのか、少し動いたところで、

「あ、ヤバイ。」

と。僕がどうしたの?と聞くと、

「いや、痛みが走ったんだけど、これまで味わったことないというか、変な感じだった」

大丈夫?どこが痛いのなどなど質問すると、

「胸の辺りなんだけど、あ、今は落ち着いた。でも、変な違和感があるなー」

と。胸を抑えて蹲るような体勢をとったり、深呼吸したりしていました。

「じゃ、いつもの病院に僕が送っていくから、もう少ししたら準備して家をでよう」

兄貴は素直にしたがって、かかりつけのクリニックに向かいました。クリニックに着いて、兄の様子が落ち着いていて、職場にも遅刻の連絡を自分で入れていたので、これは大丈夫かな〜と僕は車で待つことにしました。
ところが。診察が開始して10分くらい経過したところで、クリニックの看護師さんが僕の車のところまで走ってきました。

「先生から話があるので、急いできてください!!!」

先生は、

「うーん・・・狭心症か、心筋梗塞か。ここではわからないけど、間違いなく大事になってるから、今すぐ救急車で緊急搬送するので救急車に乗って着いていってください」

そのクリニックから、先生が指定した総合病院までは300メートル程度しかなかったので、

「あ、僕の車でではダメですか?」

と。

「ダメっ!その間に何かあるかもしれない!救急車を手配したから到着まで待ってて」

間も無く救急車が到着し、5分とかからず総合病院に到着しました。
カテーテル検査がすぐに準備された。そのまま入院になるからと僕は説明を聞き、色々な書類にサインをしていった。そしたら医者や看護師が少し慌ただしくなり、僕が診察室に呼ばれる。

「心臓には何もなかったんです。でも、明らかに症状が出てるので他の検査をしてみた結果、わかりました。大動脈解離という病気です。この病院では、内科ではどうにもならないので心臓外科、血管外科のある病院に緊急搬送となります。今から病院を探すので少しお待ちください。お兄様はしっかり意識はありますから、大丈夫ですよ」

それからしばらく待たされて、再度、呼ばれた。

「搬送先の病院なのですが、この辺だと○○医科大学になるのですが、現在、COVID-19の影響で受け入れが拒否されました。医大がダメとなると、近場にはなくて、少し遠いですが○○にある○○総合病院か、○○病院になるのですが、○○総合病院で受け入れの許可が出ました。本来ならばドクターヘリでの搬送の案件になるのですが、本日は天候不良なので救急車での搬送となります。病院に到着したら緊急手術になると思います。もちろん、向こうの医者の判断の後になりますが。私と看護師が着いていくので安心してください」

と、とても安心できないような情報がたくさんもたらされた。
伏字ばかりで申し訳ないのですが、兄貴が搬送されることになった総合病院は高速道路を使って1時間かかるかどうかの場所。それ程遠くはないのだけど、ヘリで運ばなくちゃならないような所に1時間もかけて・・・しかも到着後緊急手術なわけで、安心なんてできるわけがなかった。

救急車でおおよそ45分で到着した。

僕は控室で待機させられ、またしても書類にサインをしまくっていた。そして医者に呼ばれ病気の説明を受けることに。

「まず、お兄さんの病気は大動脈解離で間違いありません。血管のかなりの部分が解離してます。この病気は・・・」

2017年だったかな。ドラゴンボールのブルマ役の声優さんである、鶴ひろみさん(奇しくも僕が小学生の頃から好きな声優さんであった)が亡くなったのと同じ病気であると説明を受けた。きっとこの先生はアニメとか好きなんだろうなと思いつつ、この病気は症状が出て48時間以内に処置しなかった場合30%死亡すると伝えられた。また、じっくりと検査をしないでの緊急手術になるので、何が起こるかわからないということも理解してくださいと、理解できないようなことを伝えられる。
鶴ひろみさんが亡くなった時の様子を知ると、怖い病気だっていうことが理解できる。鶴さんは、首都高の路側帯に停車しているところを発見され、病院に搬送されるが間も無く亡くなられている。多分、運転中に兄貴と同じように痛みが走り車を横に停めたのだろう。

その後、もう1人の兄貴と合流し、手術室に入る前の兄貴に会うことができ(意識もしっかりしていた)、平均手術時間5時間。長くても7時間かかるという手術が終わるのを家族控室にて待つことになった。

5時間経っても出てこない・・・
7時間経っても出てこない。足音すら聞こえなくなった。

10時間!いい加減に不安しか無くなって、廊下に出てうろうろしていたところに看護師さんが手術の無事終了を伝えにきた。

手術自体は6時間半で終わったのだけど、出血が止まらず再度確認したりでこの時間になったとのこと。時計はすでに深夜の1時30分を回っていた。

兄貴は大動脈解離のこの病院でやる手術では一番大きな手術を受けたとのことだった。


兄貴が症状を訴えたときに、普段通りに親父が家にいたら僕は朝食を作ってる時間だったし、家に親父を置いて病院に行く事は難しかっただろうし、兄貴もそういう事情は当然理解してるし、最初の痛みの後は症状も落ち着いていたので、そのまま出勤して帰りに病院に寄るっていう選択肢を選んでいただろうし。

もし、兄貴の症状が出る時間が30分遅くて出勤途中だったら?
もし、病院嫌いの僕が病院に連れていくのを渋ったら?
もし、僕が後20分寝坊していたら?

他にもいくらでもパターンはある。ほんの少しタイミングがずれていたら兄貴は助からなかっただろう。九死に一生を得るとは少し違うけど、まさにそんな気分になった。

兄貴の手術準備中や手術中にあちらこちらに連絡をとり、とりあえず親父のショートステイの延期をお願いしたので翌日、親父がいる施設に着替えと薬を持って訪問した。施設には事前に連絡をして聞いてはいたけど、

「あのー、COVID-19の影響で利用者様とのご面会は一切できないのですよ。ここで電話を繋ぐのでお話をしてください」

医療関係者や介護施設関係者はちゃんとCOVID-19と言う。正直、新型コロナと言ってくれた方が馴染みがある。
親父に兄貴のことを伝えるとしっかりと理解してくれた。これは安心だったのだけど、こんな緊急時でもほんの少しの面会もダメなんだなーとちょっとした不安を覚えた。

と言うのも、手術をした兄貴にも会えそうにもないのです。

もちろんしばらくはICUに入るので面会は無理なのはわかるけど、着替えの受け渡しなどの用事がない限りはどの病棟も面会謝絶だと言う説明を受けた。なので、着替えの必要がない(着替えどころじゃない)翌日は兄貴の病院に行くことができないのだ。その翌日に着替えを持って行っても、受付で検温し熱のないことを確認した上で、手の消毒をしてから病棟に向かえる感じ。当然、マスクの着用がない場合も中に入ることができない。
兄貴の着替えを看護師に渡すと、リハビリ担当の方から現状と今後の説明を受けて帰宅。これが水曜日のこと。今後のリハビリに靴(シューズ。僕が持っていったクロックスではダメ)が必要だからと、翌日の木曜日に行くが靴を預けてすぐに帰宅。携帯と財布も持っていったのだが、まだICUにいるからと受け取ってもらえず。

で、金曜日の午後2時ごろに一般病棟に移ったと連絡を受けたので、すぐに用意して携帯と財布を置いてきた。

これでようやく兄貴と連絡が取れるようになる。兄貴からはいくつかのお願いメールが来ていたが、すぐに必要なことじゃないので、昨日と今日は病院に行かずに家で待機。


ここまでが前置きw

兄貴の病気がトリガーにはなったのだけど、新型コロナの不安についてってのが本題です。なので、ここからが本題。


とにかく、新型コロナの影響で兄貴にも親父にも会うことができません。親父はともかくとして、兄貴はあれほどの大手術をしたのに会うことができないのです。
1時間かけて病院に行っても会えないだけでなく、看護師さん等に荷物を渡して帰宅。病状の説明は最初にお見舞いに行ったときに説明があっただけで、その後はほぼわからず。立ち上がって歩いてリハビリしてます、一般病棟に移りました、順調です・・・これだけ。ま、これだけ知れれば十分でもあるのだけど、なんとも不安です。

不安なのは兄貴の病状だけではなく、全国的に緊急事態宣言が出ている中での外出、しかもクラスターになりかねない病院・・・

どこに出かけるのでもマスクが必須なのは当然だし、アルコール消毒が置いてある場所では必ず消毒。完全な自動ドアならいいのだけど、「押してください」方式のドアでは肘を使ったりしてドアを開けたり・・・

幸いなことに2、3箇所でクラスターが発生してるものの僕が住んでるとこはまだまだ感染者は少ない。だから少し余裕があるのだけど、その余裕が怖いというのがあったりもする。僕の行動にも問題があって、家に戻ってからの余裕があまりないことや、一人暮らしが続いていることもあって牛丼屋さんなんかを病院帰りに利用する・・・

このお箸、消毒されてたとしても、お客さんが席をあけるたびにはされてないよな〜、つか、テーブルすらセルフで服だけだから消毒されてないよな・・・

こんな風に神経質になってしまいます。


新型コロナ問題が本格的になって、トイレットペーパーの買い占め、不要不急の外出を控えるように要請された東京の週末には食料品の買い溜めが横行し、品不足に・・・

流石にトイレットペーパーはうちも後2日欠品が続いたらヤバイ状態まで追い込まれたけど、これらの不安からくる行動ってその人の置かれた立場によって違うんじゃないかって思い始めている。
トイレットペーパーなんかは品不足になるのはデマだって言う情報が一般的になったあとですら買い占めが続いたので、本気でアホかとキレそうにもなってたけど、もし、自分の置かれてる立場が違っていたらどんなに最新の情報を得ていても、同じようにトイレットペーパーや食料品の買い占めをしていたかもなーと。


兄貴に会えない、親父に会えない・・・これらの不安も大きいです。
気をつけていても、ウィルス感染のリスクが高いところに行かなければならない・・・これもかなりの不安です。

でも一番は、もし、自分がコロナに感染して自宅待機になった場合、重症化して入院隔離となった場合、現状、我が家は大変なことになることが想像できます。これが一番の不安です。


兄貴の事は病院と病院の近くに住んでるもう一人の兄貴家族に任せれば大丈夫でしょう。
親父の事は金銭的な負担が半端なくなるけど、なんとか施設にお世話になれば良いでしょう。

一緒に住んでいる犬はどうなるのだろう?
あと3ヶ月くらいで17歳になる高齢犬です。母とずっと一緒にいたので、母が亡くなった時の葬儀で数日間長時間の留守番を強いられた愛犬は、それ以降、分離不安の症状が出ていて、1人での留守番はかなり難しいです。誰かに預けるとなっても、間違いなく、ずっと、それこそ眠らずに過ごしかねないのです。間違いなく寿命を縮めることになるでしょう。

犬のことがなんとかなったとしても、家のあれこれができるのは僕だけです。
重症化して2週間ほどで回復したとしても、退院して休養が必要な兄貴を面倒みる人がいません。兄貴の入院を伸ばすことはそれこそ新型コロナの影響で難しくなる可能性があります。

で、タイミングが悪いことにこの数日、体調を崩していたんです、僕が。

どう考えても疲労と睡眠不足なのですが、微熱が続き、頭が重く・・・1時間に何度も熱を計り、加湿器を1つ増やしたり、栄養を取ったり。

熱は37℃を越えることはなかったので大丈夫だったのですが、もし、コロナだったら?これが物凄く、プレッシャーになり、恐怖になり、不安になり・・・この新型コロナ最大の怖さはこれだなって感じたのです。

うちの犬は自分の命と同じくらい大事なのですが、僕があげた、もし自分がコロナに感染したら?っていうやつ、なんとかなるものばかりです。他の家族なり、親戚なり、御近所さん、他にも親父のことなら施設とか色々なんとでもなることばかり。
でも、家を預かる身となると、不安がエスカレートして、思考停止からの、ダメダメ状態に突入していくのですよ。情けないことに。

東日本大震災を経験したからこそ、緊急時に強くなるっていうのはホントのようでウソだなってすら思います。

震災の時、食糧や水不足に加え、電気水道ガスのライフラインがいつまでも戻らず、どうにもならない不安を経験してるからこそ、それを回避しようとして無駄な買い溜め・買い占め行動につながってしまうように思います。

そして、先にのべた、立場です。

僕は家族の要にいつの間にかなってたんです。無職だし、迷惑ばかりかけていても、家のあれこれを全てできるのは僕だけになっていたんですね。

うちには小さい子供がいないので、アホみたいな買い占め行動には繋がりませんでしたが、家族にひもじい思いはさせたくない、もしかしたら週末だけじゃなくて、週明けも家から出られないんでは?そんな思いが買い占めに繋がるんだなって、想像することができました。誰も怒れない、誰も責められない、そんな風にすら感じます。でも、買い占めはダメです。

うちの場合は兄貴のまさかの大病と入院ってのがあるから、不安ってのが余計に僕に発生して、それがこういう考えに至っただけなのかもなので、気分を害した方がいらっしゃったら謝ります。


とにかく、コロナは怖いです。致死率が低い(とも言えなくなってきましたが)からと甘く見てしまってはヤバイと思います。

僕の地元でもコロナが東京や大阪のような状態になっていたら、兄貴の搬送先が見つからないまま、大事に繋がった可能性もあるでしょうし。


正直、ど田舎に住んでる自分はコロナが収束から終息に至っても、対岸の火事を見ているような気分のまま終わると思っていました。
1月の早い段階で、兄貴や親父に、この感染症はヤバイ!!!と騒ぎまくっていた僕ですらそんな風に思っていて、兄貴の病気っていうトリガーがなければ不安すら感じなかったでしょうね。それが今となっては完全にビビりまくっていて、元々家に10枚程度あったストックプラス、昨年末に兄貴が仕事関係の方からもらった50枚のマスクがいつ無くなるのかハラハラしている状態です。

兄貴の入院は4週間(通常は1週間〜3週間なんだそうです)ほどかかる見通しで、あと10回は病院に行かねばならないと思うのですが、その間、ずっと見えないコロナにビビってるんだろうな〜って想像できます。



色々書きたいことがあったのですが、取り止めのないもの、しかも役立つ情報ではなくて、僕が不安だから付き合ってよー的な内容になって申し訳ありませんでした。

ブログ更新が停止してから随分経過しますが、その間にいろんなことがありました。
楽しいことで満たされたような時期もありました。でも、どうやら今しばらくはそういうことも味わうことはできそうにないです。まずは家のこと、家族のこと、犬のこと。しっかりやらなければならないです。特に兄貴はこれからリハビリ、食事制限、行動制限とコロナどころではない大変な日々を長期間(一生)頑張らねばならないでしょう。僕はその手伝いもしなくてはならなくなります。

冒頭にこのブログが無意味なものだという友人の言葉に当時僕はこんな風に返していました。

「僕のことなんて興味ないだろうし、駄文ばかりでしょうもないけど、続ければ本になるよ。それが僕の表現の1つだよ」

と。才能がないなりにいろんなことを模索して、その中でこのブログを始めたわけですが、いつの間にかそんな情熱もなくなり、将来を悲観してばかりになってしまいました。
でも、それでも、そんな僕でも生きた証がほんの少しここに残ってるなーと感じます。何年後になるかわかりませんがコロナが収束して、世界が落ち着いた頃に、価値観や物の見方ががらりを変わってしまっているような気がします。その時に10年、20年前に自分がどんなことを考えていたのか、どんな風に表現しようとしていたのか振り返られたらいいなって思います。

久々の長文ブログお付き合いありがとうございました。


※大動脈解離が大動脈乖離になっていたので訂正しました。老眼で文字がまともに見えてないとかそういう問題ではないはずです。