楽しい一日でした。
私は1年前に大学を定年退職しましたが、数年前に卒業した学生から「久しぶりに会いましょう」とい連絡があったので、どうせなら玉川上水を散歩することにしました。とても熱心な学年で、学生時代はよく野山に行ったものです。この日は、その頃にもどって植物の説明をしたり、想い出話をしながらゆっくりと散歩をしました。説明をすると、
「あ、それって前に聞いたことがある。」
「ハコベの仲間って、なんたらハコベとかノミノなんとか区別がむずかしいということは覚えてる」
とか楽しく話をしながら歩きました。
ヒトリシズカがあったので写真を撮ったりしていると、年配の女性が近づいてきて
「ヒトリシズカね、フタリじゃないわよね」
「ああ、ヒトリですね」
「カタクリは見ました?」
「はい、見ましたけど、もう花は終わってました」
「そうよね」
といって立ち去りました。
あとで
「玉川上水ではときどき、ああいう会話があるんだよね。ぜんぜん知らない人に、誰ともなく話しかけられることがあるんだ。都心じゃないよね。」
「そうですよね」
「でも、さっきからさりげなく先生の話を聞いている人がいましたよ。」
「えっ、そうなの?」
「ええ、なんとなく植物を知ってそうな感じがわかるんじゃないですか・・・」
「そうかなあ、そんなことはないと思うけど」
とたわいのない会話。
考えてみれば、こうして花の名前や開花のことを知らない者どうしが会話できるということ、そのものが、なにか貴重でありがたいことのように思えます。最近はテロだとか虐待だとか、胸のつぶれるような話題が多くて、気持ちが塞ぎます。それを思うと、こういうささやかなことに救われたような気がするのです。それは心にぽっと灯火が点(つ)いたとでもいう感じです。でもそれはLEDのような煌々とした明るさではなく、ろうそくのように、とろとろとした明るさのものです。