音楽講師の思い出日記 

現在、奈良県の自宅で音楽を
指導しています。
ヤマハ講師時代~東大阪自宅時代の
生徒の思い出日記を掲載します。

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第3章 音楽表現が抜群なだった「ここちゃん」

2005-08-31 21:58:00 | Weblog

ここちゃんは、ヤマハのオーナー会場<ヤマハの個人レッスンの教室として貸してくれるオーナーさん>の子供さんでした。

お父さんは小学校の先生をされていてお母さんは明るく世話好きな方です。

ここちゃんを4歳~10歳迄指導しました。

ここちゃんは、写真の3列目の左から4番目の茶色の衣裳の女の子です。

彼女はすごく頑張りやさんで音楽が大好き!

思いやりもあって小さい時からしっかりした女の子でした。

しかも音楽表現は抜群でした。

彼女が小学校1年生の時のに始めて弾いてもらった曲は「人形の夢とめざめ」でした。

1年生と思えないくらいの豊かな音楽表現で一生懸命に弾いてくれました。

彼女は頑張りやさんなので2年生の頃にはソナチネアルバムに進んでいました。

もしかしたら音楽に関係する仕事に進むかもしれないと感じた私は、

3年生の時のクリスマス会でエレクトーンにもチャレンジしてもらいました。

ミュージカルキャッツの主題曲を弾いてもらいましたが、

エレクトーン未経験で、いきなり6級の曲にチャレンジにもかかわらず

見事に演奏してくれました。

4年生の時の発表会の時は湯山昭の「バームクーヘン」と言う

ちょっとジャズっぽくて粋な曲にチャレンジして貰いました。

そんな彼女は私が教室を辞めてからエレクトーンを本格的に始められました。

そして私の手柄ではありませんが、

なんとエレクトーンフェステバル中学生の部で、

京橋センター大会で優秀賞を貰えました。

思いやりが合ってリーダー格で努力家の彼女は、

現在障害児の指導にたずさわる仕事をされているそうです。

音楽の道に進まなかったけど、彼女なら

きっと立派で尊敬される大人になっている事でしょう。

 

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第2章 保育所の先生になった「ちーちゃん」

2005-08-26 13:57:01 | Weblog

私が堺の諏訪ノ森センターで稼動していた時の事。

そこで、始めてエレクトーンの指導をする事になりました。

その時の生徒さんで、ちーちゃんと言う3年生の子がいました。

彼女を高校2年生まで指導しました。

ち~ちゃんは写真の一番後ろの列の右端から2番目の女の子。彼女はいつも元気いっぱいの女の子でした。いつも頑張って練習してきてくれました。

例えば、小学生の子にジャズ的な指導をしても

なかなか理解してくれなかったのですが、

彼女はすごくのみこみも速くセンスのいい子でした。

その上、ムードメーカーでクリスマス会ではいつも盛り上げてくれました。

なにしろ、平成生まれの子なんかだったら

小学校5年生くらいになったらクリスマス会を開いても

盛り上がってくれず、しらけムードになるのですが

彼女は高校生になっても小さい子達と一緒に楽しんでくれるから

周りの中学生達彼女の影響でクリスマス会なんかで盛り上がってくれました。

ただ1つ欠点をあげるなら、音楽表現が苦手で

しっとりとした曲は彼女に向いていませんでした。

 なんとなく彼女が音楽に関係する仕事につくかも?と考えた私は

彼女にピアノも指導しました。勿論月謝はエレクトーンの分だけ頂きました。

まず、ハノンの指の練習曲をさせて

それからアンサンブルでレットイットビーのピアノを担当して貰いました。

ある日彼女がなにげなく「私 将来何になろかな?」と言いました。

私が「そやな、エレクトーンの先生は収入が安定してないから

小学校の先生か幼稚園や保育所の先生がいいかもな。

あんた体育も図工も得意やし子供好きやから向いていると思うよ。」と

答えました。

後に彼女は、幼稚園や保育所の就職率が抜群の某短大に進学し、

公立の保育所の先生になる事ができました。

 彼女が大人になってからもしばらく交流がありましたが、

今もきっと元気に頑張っていると信じています。

当時チェツカーズのフミヤが好きだった彼女も今は30歳代になっています。

 何気ない一言が彼女の進路に影響を与えたかもしれない?ので

常に子供とは真剣に、向かいあっていたいと思いました。

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♪第1章 今までで一番印象に残った生徒さん

2005-08-26 00:09:42 | Weblog

約20年間指導してきて一番印象に残った生徒さんは、

恭平君と言う男の子です。

 彼を4歳~10歳迄ヤマハのオーナー会場で指導してきました。

恭平君は写真の3列目の左から2番目の男の子です。

 印象に残った生徒さん?さぞかし優秀で進度も速いのでは?と

想像されると思いますが、彼は

最もやんちゃさんで家での練習をしてきた事のない子供さんでした。

なにしろ、3年間ピアノを指導してきて発表会で弾いた曲は

「むすんでひらいて」だったのです。

頭の回転はすごく速い子です。

ただピアノよりもお絵かきに興味があったようです。

レッスン中もふざけたりして私を困らせていました。

当時、レッスン態度の悪いお子さんにドクロマークを書いていて

ドクロマークの多い子を発表していました。

それは、皆の前で恥をかかせるのが目的ではなく

ユーモア感覚でしていました。

練習してこないので当然進むのは遅いのですが、

当時アンサンブルと言って何人かのグループで合奏をしたんですけど、

合奏の時はやたらと張り切ってくれて皆を笑わせてくれるような

ムードメーカーでした。

彼のお父さんもお母さんも市役所に勤められていました。

彼は本当は絵を習いたかったのですが、

お母さんがピアノと習字は、絶対辞めてはいけないと言われていたので

彼は私が結婚でその教室を辞めてからも、6年生までは続けたそうです。

 ピアノはあまり上達してくれなかったけど、

私はなぜか彼を教えていると元気になれました。

辛い事があっても彼の屈託のない笑顔を見るとすごく元気が出たんです。

 確かに高い月謝を払っているのだから、上達して欲しいと親御さんは

誰もが思うかもしれません。

でも彼は常にレッスンもクリスマス会も発表会も楽しんでくれました。

「恭平もう また練習してきてへんのか?今日もドクロマークつけるで」

「きょうも、俺ドクロマーク!俺ドクロマークだんとつ1位やな。」と言う

たわいもない会話のなかで、お互い楽しみながらレッスンしてきた日々が

懐かしく感じます。

 

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