音楽講師の思い出日記 

現在、奈良県の自宅で音楽を
指導しています。
ヤマハ講師時代~東大阪自宅時代の
生徒の思い出日記を掲載します。

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第2章 保育所の先生になった「ちーちゃん」

2005-08-26 13:57:01 | Weblog

私が堺の諏訪ノ森センターで稼動していた時の事。

そこで、始めてエレクトーンの指導をする事になりました。

その時の生徒さんで、ちーちゃんと言う3年生の子がいました。

彼女を高校2年生まで指導しました。

ち~ちゃんは写真の一番後ろの列の右端から2番目の女の子。彼女はいつも元気いっぱいの女の子でした。いつも頑張って練習してきてくれました。

例えば、小学生の子にジャズ的な指導をしても

なかなか理解してくれなかったのですが、

彼女はすごくのみこみも速くセンスのいい子でした。

その上、ムードメーカーでクリスマス会ではいつも盛り上げてくれました。

なにしろ、平成生まれの子なんかだったら

小学校5年生くらいになったらクリスマス会を開いても

盛り上がってくれず、しらけムードになるのですが

彼女は高校生になっても小さい子達と一緒に楽しんでくれるから

周りの中学生達彼女の影響でクリスマス会なんかで盛り上がってくれました。

ただ1つ欠点をあげるなら、音楽表現が苦手で

しっとりとした曲は彼女に向いていませんでした。

 なんとなく彼女が音楽に関係する仕事につくかも?と考えた私は

彼女にピアノも指導しました。勿論月謝はエレクトーンの分だけ頂きました。

まず、ハノンの指の練習曲をさせて

それからアンサンブルでレットイットビーのピアノを担当して貰いました。

ある日彼女がなにげなく「私 将来何になろかな?」と言いました。

私が「そやな、エレクトーンの先生は収入が安定してないから

小学校の先生か幼稚園や保育所の先生がいいかもな。

あんた体育も図工も得意やし子供好きやから向いていると思うよ。」と

答えました。

後に彼女は、幼稚園や保育所の就職率が抜群の某短大に進学し、

公立の保育所の先生になる事ができました。

 彼女が大人になってからもしばらく交流がありましたが、

今もきっと元気に頑張っていると信じています。

当時チェツカーズのフミヤが好きだった彼女も今は30歳代になっています。

 何気ない一言が彼女の進路に影響を与えたかもしれない?ので

常に子供とは真剣に、向かいあっていたいと思いました。

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