以前に「川間トンネル」に行った時は知らなかったのですが、この川間トンネルに平行してもう一つトンネルが
あったのです!川間トンネル手前で、脇道に入っていきますと、トンネルが現れました。
これはこれはまたいい雰囲気のトンネルです。
1996年にお隣川間トンネルができて、こちらは通行量もほとんどありません。
このトンネルの完成は1930年(昭和5年)。
浦賀側のトンネル入口には庚申塔がありました。
完成後、1971年(昭和46年)に改修されています。
この蛇腹の内面は横須賀市内のトンネルでよく見られますが、
金属の冷たさと、経年による色合いが、独特で異様な雰囲気を作り出しています。
こちらは反対側、長瀬方面より。日中でもあまり日が当たらないようです。
かつてこのトンネルは「千代ヶ崎砲台」への重要な道であり、軍用物資と人員輸送の要でした。
また浦賀と久里浜を結ぶ生活道でもあり、かつては多くの人がこのトンネルを利用していました。
終戦直後、浦賀に引き揚げ軍人が帰ってくると、このトンネルを通り、久里浜から故郷へ帰っていったそうです。
その数、50万人!どんな想いでこのトンネルを通っていたのでしょう。
なんだか太目のおばさんに見えます。下には「交通安全」と記されています。
◎「長瀬トンネル」◎
完成 1930年(昭和5年)
改修 1971年(昭和46年)
全長 51.5m
幅 5.8m
高さ 5.4m
google画像検索→横須賀 長瀬トンネル
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現在では通行量もなく、寂しい感じのトンネルになっていますが、
多くの人が往来していた頃を思い浮かべると、また違って見えてきますね。
息子(川間トンネル)に後を託し、ひっそりと老後のトンネル生活を送っているように見えます。
「昔は俺だってなぁ・・」という声が聞こえてきそうです。
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そうだ!横須賀に行こう!
ありまして、たま~にですが、このトンネルを通り
ましたよ~。あの頃はまだ川間トンネルがなく、
あの辺りの道路も今ほど整備されていませんでした。
ここ数年で環境がずいぶん変わりました。
暗いトンネルなので、帰りが遅くなった時はコワイので
通ったことがありません
奥さんと散歩で通ったんですが、昼間なのに
やたら怖かった覚えがありますね。
早足になって!さっさと抜けました。
軍用とは知りませんでした。
いつもは新しいトンネルを使いますが、
脇道に入り燈明堂へ向かうとタイムスリップした感覚です。
時代の流れを感じるトンネルはいい味していますね!
私は以前「燈明堂」に行った時に初めてこの辺りを通りました。
以前はもっと違った雰囲気だったのですね。
このトンネル、夜にはまだ通った事はないのですが、怖そうですね~
でもちょっと行ってみたい気もします。
コメントありがとうございます!
横須賀は軍とは切っても切れない関係があります。
旧海軍から、自衛隊、そして米海軍と。まさに軍港の街とも言えます。
コメント&応援、ありがとうございます!
ここのトンネル行かれた事あるのですね。
私が行った時も天気は良かったのですが、トンネルには光が当たらず、暗かったです。
軍用としても重要なトンネルであり、生活道としても重要なトンネルだったようです。
今のトンネルからは想像できませんね。
コメントありがとうございます!
今のトンネルだけ見ると、古くて、暗くて、怖い感じがしますが、
このトンネルの経た年月を想像すると、そんな今の姿にも愛着が湧いてきます。
この雰囲気はなかなか出せませんよね。
私も今度、このトンネル経由で燈明堂へ行ってみますね。
コメントありがとうございます!
先日、終戦直後に浦賀で引き上げ、復員の事務に携わっていたご婦人の話を聞く機会がありました。
引き上げてきた人を消毒するためにDDTという消毒粉を噴霧するので、横須賀線の車内はその粉が舞い、真っ白だったそうです。
終戦直後の様子が分かるお話、ありがとうございます。
戦争が終わり、やっと祖国の土を踏めるという時に船内で“コレラ”の蔓延・・・
電車の中が真っ白になるほど、消毒粉はすごかったのですね。
50万人ともいわれる復員兵が通ったこのトンネルもきっと真っ白だったに違いありませんね。
そういった事全てが、「過去の事」となりつつある現代。
横須賀からはまだ、戦争についての多くの事を考えさせられます。
このブログでも、今後採り上げていきたいと思っています。
知らない事ばかりなので、お力添えをいただけたら嬉しいです。
宜しくお願いいたします。
コメントありがとうございます!