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ブログの作成・編集
★咸臨丸出港の碑★ 愛宕山公園 横須賀風物百選
◆浦賀
/
2006-10-25
30年前横須賀市が選定した『横須賀風物百選』をめぐるこの企画、今回は浦賀にあります
『咸臨丸出港の碑』です。(“かんりんまる”と読みます。)
まずはその碑がある“愛宕山公園”へ向かいます。横須賀の公園は“うみかぜ公園”の
ように広く、キャッチボールができたりする公園もありますが、単に小高い山だったりする
公園もあります。ここ愛宕山公園は・・・
地図を見て行ったのですが、入り口がどこなのかなかなか分かりませんでした。
そして発見した公園入口。以前は『浦賀園』と呼ばれていたそうです。
奥には階段が・・・ここから“登り”ます。
軽く登ると、ちょっとした広場に出ます。そこに『咸臨丸出港の碑』がありました。
公園といっても、いるのは私一人。手入れされてるとは言い難く、自然そのままの公園です。
『嘉永6年(1853)6月3日、米国水師提督ペリーが、黒船四隻を率いて、浦賀湾沖に現れました。
我が国との貿易を進めることが目的でした。当時、我が国は、長崎を外国への門戸としておりました。
それが、江戸近くに現れたから大変です。「泰平の眠りをさます上喜撰たった四はいで夜も
寝られず」当時流行した狂歌が、世情の一端をよく物語っています。
7年後の安政7年(1860)幕府は、日米修好通商条約批准書交換のため、米軍艦ポーハタン号で
新見豊前守正興を代表とする、使節団をワシントンへ送ることにしました。幕府は万が一の事故に
備えて、軍艦奉行・木村攝津守喜毅を指揮者に、勝麟太郎以下、九十有余名の、日本人乗組員で、
運航する、咸臨丸を従わせることにしました。
1月13日、日本人の力で、初めて太平洋横断の壮途につくため、咸臨丸は品川沖で錨を上げました。
途中、横浜で難破した、米測量船クーパー号の選任11名を乗せ、16日夕刻、浦賀に入港しました。
それから2日間、食糧や燃料その他の航海準備作業が行われました。意気天をつく若者たちを乗せた、
咸臨丸は、1月19日午後3時30分、浦賀港を出帆しました。不安に満ちた初めての経験と、荒天の中を
39日間かけて、咸臨丸は無事サンフランシスコに入港しました。米国での大任を果した咸臨丸が、
故国の浦賀に帰港したのは、家々の空高く鯉のぼりの舞う、万延元年(1860)5月5日でした。
この碑は、日米修好通商百年記念行事の一環として、咸臨丸・太平洋横断の壮挙を永く後世に
伝えるため、サンフランシスコに建てられた「咸臨丸入港の碑」と向い合うように、
ゆかりの深い、この地に建てられたものです。
なを、この愛宕山公園は、明治26年開園で、市内最古の公園です。
また、彼方に建つ、招魂碑の主・中島三郎助は、咸臨丸修理の任にあたったことがあります。』
もう少し上がると、“与謝野晶子夫妻の文学碑”がありました。
『黒船を怖れし世などなきごとし 浦賀に見るはすべて黒船』 寛
『春寒し造船所こそ悲しけれ 浦賀の町に黒き鞘懸く』 晶子
クリックで大きくなります。
そしてこちらが1893年(明治26年)に建立された、浦賀奉行所与力『中島三郎助の招魂碑』
これを機に公園として整備されました。愛宕山公園は市内で最も古い公園です。
クリックで読める大きな画像になります。
Wikipedia→
中島三郎助
訪れてみると、ここ愛宕山公園は、市内で最も古い公園であったり、
『咸臨丸出港の碑』があったり、『与謝野晶子夫妻文学碑』、そして『中島三郎助招魂碑』と、見所は多くありました。
“咸臨丸”につきましては、下記参照サイトの他、多くの充実したサイトがありました。その一つ一つの話は当時の日本の様子が伺え、大変興味深いものでした。
ペリーの来航によって、鎖国していた日本に激震が走り、その7年後に日本人初の太平洋横断を果たす。乗組員には
勝海舟
、
福沢諭吉
小栗忠順
、
ジョン万次郎
らが名を連ね、異国の文明を目の当たりにして帰ってきます。激動の歴史の中で咸臨丸の太平洋横断は、日本という国においても重要な出来事であり、それに伴った“人間”にも大きな出来事であったように思えます。
そしてここ浦賀では毎年4月下旬か5月上旬頃『咸臨丸フェスティバル』があります。
関連サイト
Wikipedia→
咸臨丸
咸臨丸ホーム→
咸臨丸
咸臨丸子孫の会→
こちら
せなうん→
咸臨丸の歴史
当ブログ横須賀風物百選特集は→
こちら
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コメント (
7
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コメント
Unknown
(
左利き
)
2006-10-25 17:58:08
歴史の勉強になりますね~。この公園は知りませんでした。
それにしても凄いボリュームの記事、お疲れ様です!!実はTETSUさん凄い勉強家なんでしょ。
このまま横須賀一地元を知る男になって欲しいです!応援しまっせ!
Unknown
(
イナ
)
2006-10-25 21:30:59
勝海舟はエリートですよね。
幕末の日本には開国、倒幕にむけての立役者が
たくさんいました。
いろんな人間のエネルギーが凝縮してた時代ですね。
江戸から明治、この辺の歴史は日本史の中でも壮大でおもしろいです!
そんな歴史の中に横須賀が何度も登場することが
なんともうれしいです。
ほんとご苦労様です。
(
柊
)
2006-10-25 21:52:34
いつもながら文章書くの大変だったでしょ?
しっかり読んで、
勉強させてもらいますよ。
中島親子は有名ですね、
自分、新撰組がかなり好きなので、
浦賀に中島親子の碑があるのは、
ちょっとだけ、誇りに思ってます。
左利きさんへ
(
TETSU
)
2006-10-26 09:16:54
こんばんは、左利きさん!
私自身も不思議なのですが、こんなにのめり込むとは思っていませんでした。
そして、これまた不思議なのですが、外見からは想像もできないであろう、“勉強家”の一面が私にあったなんて!
自分自身ビックリです。
もっと若い頃に発揮できてれば良かったのですが・・・
すべては“横須賀の魅力”、これに尽きますね。
行って面白く、見て面白く、調べて面白いんです。
身も心もどっぷりです
ここ愛宕山公園は公園自体はこういった記念碑があるだけなのですが、機会がありましたら行ってみてくださいね。
コメントありがとうございます!
イナさんへ
(
TETSU
)
2006-10-26 09:26:21
こんばんは、イナさん!
今回この場所に行ってみて、いろいろと調べてみましたが、私の頭の中では、かすか~~に残る“断片化”した知識を、整理するという作業にはいります
改めて時代を振り返ってみると、面白いですよねこの時代!
数多くのドラマがあり、関係書物なども読みたくなってきます。
昔の横須賀の様子などを想像しつつ、今の横須賀を見る・・・そんな時間が好きです。
はたから見れば怪しいとは思いますが
イナさんが以前紹介していた“竜馬が行く”も読んでみますね♪
コメントありがとうございます!
柊さんへ
(
TETSU
)
2006-10-26 09:46:16
おはようございます、柊さん!
私は中島親子について詳しく知らなかったので、今回の訪問はとてもいい機会になりました。
東浦賀町の東林寺が菩提寺ということなのですが、この東林寺は三浦地蔵尊の35番札所になっています。
これまた訪れるのが楽しみです。
新撰組関係の本なども読んでみて、激動の時代に生きた志士達の生き様をもっと知りたく思います。
本当にいい時代といいますか、“アツイ”時代、日本の歴史の中でもドラマの多い時代ですよね。
いろいろと知ったうえで改めて訪れたいと思ってます。
コメントありがとうございます!
小栗様
(
宮原万里子(旧姓村垣)村垣範正玄孫
)
2013-02-22 00:13:40
小栗忠順様は咸臨丸ではなく、遣米使節として、ポーハタン号で渡米しています。
随行船の咸臨丸の乗組員ではありません。
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それにしても凄いボリュームの記事、お疲れ様です!!実はTETSUさん凄い勉強家なんでしょ。
このまま横須賀一地元を知る男になって欲しいです!応援しまっせ!
幕末の日本には開国、倒幕にむけての立役者が
たくさんいました。
いろんな人間のエネルギーが凝縮してた時代ですね。
江戸から明治、この辺の歴史は日本史の中でも壮大でおもしろいです!
そんな歴史の中に横須賀が何度も登場することが
なんともうれしいです。
しっかり読んで、
勉強させてもらいますよ。
中島親子は有名ですね、
自分、新撰組がかなり好きなので、
浦賀に中島親子の碑があるのは、
ちょっとだけ、誇りに思ってます。
私自身も不思議なのですが、こんなにのめり込むとは思っていませんでした。
そして、これまた不思議なのですが、外見からは想像もできないであろう、“勉強家”の一面が私にあったなんて!
もっと若い頃に発揮できてれば良かったのですが・・・
すべては“横須賀の魅力”、これに尽きますね。
行って面白く、見て面白く、調べて面白いんです。
身も心もどっぷりです
ここ愛宕山公園は公園自体はこういった記念碑があるだけなのですが、機会がありましたら行ってみてくださいね。
コメントありがとうございます!
今回この場所に行ってみて、いろいろと調べてみましたが、私の頭の中では、かすか~~に残る“断片化”した知識を、整理するという作業にはいります
改めて時代を振り返ってみると、面白いですよねこの時代!
数多くのドラマがあり、関係書物なども読みたくなってきます。
昔の横須賀の様子などを想像しつつ、今の横須賀を見る・・・そんな時間が好きです。
はたから見れば怪しいとは思いますが
イナさんが以前紹介していた“竜馬が行く”も読んでみますね♪
コメントありがとうございます!
私は中島親子について詳しく知らなかったので、今回の訪問はとてもいい機会になりました。
東浦賀町の東林寺が菩提寺ということなのですが、この東林寺は三浦地蔵尊の35番札所になっています。
これまた訪れるのが楽しみです。
新撰組関係の本なども読んでみて、激動の時代に生きた志士達の生き様をもっと知りたく思います。
本当にいい時代といいますか、“アツイ”時代、日本の歴史の中でもドラマの多い時代ですよね。
いろいろと知ったうえで改めて訪れたいと思ってます。
コメントありがとうございます!
随行船の咸臨丸の乗組員ではありません。