人と仕事を考える

HRM総研代表・八木裕之のブログ

指導者の器

2007-10-20 20:47:10 | Weblog
 士業ネットワークの勉強会で、落語家桂歌之助さんのお話を聞く機会があった。勉強会の趣旨は「落語に商売の教訓を学ぶ」というもので、「はてなの茶碗」を楽しく聞かせていただいた。
 落語に先立って、落語界のしきたりや、落語の話し方の法則といったことの紹介があったが、そのなかで印象に残ったのが「師匠と弟子」の関係についての話である。
 漫才など他の芸人さんと違い、プロの落語家になるには、必ず師匠の下に弟子入りをしなくてはならない。
 最近相撲やボクシングで師匠・トレーナーという人が暴走、あるいは弟子を制御できずにいるケースが目に付くが、歌之助さんは、協会が「これからは師匠教育にも力を入れないといけない」というコメントを発表したことについて、とても奇異な感じがしたという。

 東京の落語家さんには「真打」にならないと弟子を取ることができないが、上方落語はそのような真打制度自体がないために、実力がともなえば、先輩より歳が若くても弟子を取ることができる。つまり、「師匠」とは周りから「芸」と「人格」について一定の評価を得た者しかなれないというわけだ。もっとも弟子のおられる落語家の中にも、警察のお世話になった方もおられるので、すべての方が聖人君主ではないのだろうが(さすがに米朝一門はそういうことはないのかもしれないが)、歌之助さんがそう感じられたのは、しごくごもっともなことだと思う。

 本来上に立つ者は、技術や知識以外にも下の者を惹きつける人間性を備えていなくてはいけないといわれる。トヨタ自動車の人事考課にはコンピテンシー考課の項目の中に「人望」というのがある。若者の質も変わり、指導者も過去の法則が通用しなくなっているとことがよく聞かれるが、それを若者のせいにするばかりではなく、指導者も変わらなくてはならない。

1 コメント

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次の更新はいつかなああ (単身赴任者)
2007-11-22 22:10:42
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