語らいの時間を持った広榮堂、「ご自由に」と紙製の兜が置かれていた
つい先日、よく存じ上げている方の死亡の連絡があった。私より若い方の訃報に接すると、少しだけ滅入ってしまう。年齢を重ねることで、存じ上げている方々が、鬼籍へと入って行かれる。私の周辺世界が広がることはない。抗がらい難い事実だ。
その一方で、「年齢を重ねると成熟する」とよく言われるが、私自身どこか成熟しているのだろうかと自問自答することがある。答えはいつもない。
さて、そんな中で、昨日は友人との語らいの時間を持った。場所は久しぶりの広榮堂。格別の話題はないが、何かしら心が落ち着く。いつも思うのだが、次第に周辺世界が狭まっている我が身であり、こうした時間が持てることを嬉しく思う。
ところで広榮堂では、子どもの日を前にして、以前は「身長計の鯉のぼり」が置かれていたが、今は兜だった。「ご自由にお取りください」とあり、私もいただいて帰った。
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