白鵬は全くふざけている。名横綱、大鵬の大記録、優勝回数33回を抜く記録を打ち立てたのは立派だが、昨日の稀勢の里との一番。ありゃ何だ。立ち合いにヒョイと右に変ったのだ。立ってわずか0、6秒で勝負がついてしまった。好勝負を期待していた満員の観客はあっけにとられたことだろう。完全に興ざめである。白鵬は入幕以来一度も立ち合い変化をしたことがないのに何故あのような変化技に出たのか、「何が『不世出の横綱』だ。白鵬は満員のお客と全国の相撲ファンに謝れ」と言いたくもなるが白鵬とて人間。人間とは弱いものなのである。白鵬の立場に立てば勝つためには当然考えられたことである。
白鵬は絶対に連敗は出来ない。稀勢の里に絶対に勝てる自信は無いという証左とも言える。それにしても稀勢の里はだらしない。人間の心理など読めない馬鹿である。その上を行かなければ横綱などほど遠い。白鵬が右に変れば左のまわしが遠くなり難なく勝てるのに全く読めていないからバッタリ倒れてしまったのである。稀勢の里が白鵬の心理を読んでいたら白鵬は墓穴を掘るような変化技には出ない。計算ずくの変化だった。稀勢の里は「なさけない」とつぶやいたそうである。勝負事は相手の心理を読むことも大切なのである。力士は勝つことしか考えない。「変わったら満員の観客や、全国の相撲ファンに申し訳ないから堂々と勝負する」などと考えている余裕はない。一瞬の判断で勝つために変ったのである。過去一度も立ち合い変化などしたことがない横綱が変わったのはやはり白鵬も弱い人間に過ぎないということではあるが、褒められたことではない。『不世出の横綱』といわれている第一人者の横綱白鵬が変化技をやったのだから逸の城も遠慮しないで大いに変化することが出来るというものだ。
大相撲は親方による暴行死、薬物、さらには八百長発覚など次から次に問題が発生し、大相撲の存続さえも危ぶまれたとき、あるいは東日本大震災のあと、力士にできることを問われ続けたときも、白鵬は充分に相撲界の屋台骨を背負って立っていた。そしてそれ以上に本業の方でも立派な成績を上げてきた。だから立ち合い変化で勝っても「モンゴルへ帰れ」という声は少ない。それだけに勝つことしか頭になかったのだから変化も致し方なかったのだろうが、2度とやってもらいたくないものだ。
大相撲は日本古来の伝統文化である。その大相撲で活躍しているのはモンゴル出身の力士ばかりである。大鵬を抜いて33回の優勝という大記録を成し遂げた白鵬をはじめ、横綱は3人ともモンゴル人。そして日本人の3大関は「優勝など関係ない」と思っているわけでもなかろうが、だらしない。14日目まで稀勢の里、琴奨菊、豪栄道ともに8勝6敗。大関は8勝すれば陥落しないで大関の地位を保持出来るから8勝すればよいのである。九六ならなおよい。日本人力士はそんな状態なのに何故満員御礼が続くのだろうと不思議に思う。
今年、東京の一月場所は18年ぶりに15日間満員御礼だった。そして今日千秋楽の大阪場所も14年ぶりに満員御礼が15日間続くという異例の相撲人気である。強いのはモンゴル人ばかり、日本人は弱いのばかりなのに、この大相撲人気の高さはどこにあるのだろう。大相撲は日本の大相撲だが、「相撲協会に所属する力士は全員大相撲の力士なのだから日本人もモンゴル人も関係ない。面白ければ盛り上がる」ということなのだろう。白鵬(29)と稀勢の里(28)は同時期の入幕だが稀勢の里は優勝回数ゼロなのである。常に期待されているのに稀勢の里は常に期待を裏切ってきた。もう期待出来ない。琴奨菊も優勝ゼロ。何時まで続くかと言う状態だから期待出来ない。豪栄道は高校時代から服部という本名は有名で大いに期待されたが豪栄道になったらまるで駄目。四股名が悪い。「天下無敵」という四股名にしておけばよかったのだ。それでは呼び出しが困るから「無敵王」にしておけばよかった。豪栄道も大した期待は出来ないが豹変して欲しいものだ。
期待の星、遠藤もイケメンが売り物で相撲は並の力士に過ぎない。日本人の横綱が現れなくても相撲人気は上々。日本人の経済状態がよくなったということだろう。年金生活者も千差万別だが概して日本人の生活は豊かになったことは確かである。以前は横綱が対戦する結びの一番にしか懸賞金など付かなかったのに、平幕の取り組みにまでやたらと懸賞がかかるようになったことも異常な現象である。それも日本が豊かになった現れなのか、生活保護を受けている人はパチンコ三昧。結構な世になったものだ。
今日は千秋楽。優勝を争う照ノ富士もモンゴル人力士。次期横綱に最も近い力士である。逸の城も横綱候補。モンゴル人の横綱ばかりじゃないか。今場所もまた白鵬の優勝に終わる可能性大だが、わしの生きている間に日本人横綱が誕生することなどないことが寂しい。
白鵬は絶対に連敗は出来ない。稀勢の里に絶対に勝てる自信は無いという証左とも言える。それにしても稀勢の里はだらしない。人間の心理など読めない馬鹿である。その上を行かなければ横綱などほど遠い。白鵬が右に変れば左のまわしが遠くなり難なく勝てるのに全く読めていないからバッタリ倒れてしまったのである。稀勢の里が白鵬の心理を読んでいたら白鵬は墓穴を掘るような変化技には出ない。計算ずくの変化だった。稀勢の里は「なさけない」とつぶやいたそうである。勝負事は相手の心理を読むことも大切なのである。力士は勝つことしか考えない。「変わったら満員の観客や、全国の相撲ファンに申し訳ないから堂々と勝負する」などと考えている余裕はない。一瞬の判断で勝つために変ったのである。過去一度も立ち合い変化などしたことがない横綱が変わったのはやはり白鵬も弱い人間に過ぎないということではあるが、褒められたことではない。『不世出の横綱』といわれている第一人者の横綱白鵬が変化技をやったのだから逸の城も遠慮しないで大いに変化することが出来るというものだ。
大相撲は親方による暴行死、薬物、さらには八百長発覚など次から次に問題が発生し、大相撲の存続さえも危ぶまれたとき、あるいは東日本大震災のあと、力士にできることを問われ続けたときも、白鵬は充分に相撲界の屋台骨を背負って立っていた。そしてそれ以上に本業の方でも立派な成績を上げてきた。だから立ち合い変化で勝っても「モンゴルへ帰れ」という声は少ない。それだけに勝つことしか頭になかったのだから変化も致し方なかったのだろうが、2度とやってもらいたくないものだ。
大相撲は日本古来の伝統文化である。その大相撲で活躍しているのはモンゴル出身の力士ばかりである。大鵬を抜いて33回の優勝という大記録を成し遂げた白鵬をはじめ、横綱は3人ともモンゴル人。そして日本人の3大関は「優勝など関係ない」と思っているわけでもなかろうが、だらしない。14日目まで稀勢の里、琴奨菊、豪栄道ともに8勝6敗。大関は8勝すれば陥落しないで大関の地位を保持出来るから8勝すればよいのである。九六ならなおよい。日本人力士はそんな状態なのに何故満員御礼が続くのだろうと不思議に思う。
今年、東京の一月場所は18年ぶりに15日間満員御礼だった。そして今日千秋楽の大阪場所も14年ぶりに満員御礼が15日間続くという異例の相撲人気である。強いのはモンゴル人ばかり、日本人は弱いのばかりなのに、この大相撲人気の高さはどこにあるのだろう。大相撲は日本の大相撲だが、「相撲協会に所属する力士は全員大相撲の力士なのだから日本人もモンゴル人も関係ない。面白ければ盛り上がる」ということなのだろう。白鵬(29)と稀勢の里(28)は同時期の入幕だが稀勢の里は優勝回数ゼロなのである。常に期待されているのに稀勢の里は常に期待を裏切ってきた。もう期待出来ない。琴奨菊も優勝ゼロ。何時まで続くかと言う状態だから期待出来ない。豪栄道は高校時代から服部という本名は有名で大いに期待されたが豪栄道になったらまるで駄目。四股名が悪い。「天下無敵」という四股名にしておけばよかったのだ。それでは呼び出しが困るから「無敵王」にしておけばよかった。豪栄道も大した期待は出来ないが豹変して欲しいものだ。
期待の星、遠藤もイケメンが売り物で相撲は並の力士に過ぎない。日本人の横綱が現れなくても相撲人気は上々。日本人の経済状態がよくなったということだろう。年金生活者も千差万別だが概して日本人の生活は豊かになったことは確かである。以前は横綱が対戦する結びの一番にしか懸賞金など付かなかったのに、平幕の取り組みにまでやたらと懸賞がかかるようになったことも異常な現象である。それも日本が豊かになった現れなのか、生活保護を受けている人はパチンコ三昧。結構な世になったものだ。
今日は千秋楽。優勝を争う照ノ富士もモンゴル人力士。次期横綱に最も近い力士である。逸の城も横綱候補。モンゴル人の横綱ばかりじゃないか。今場所もまた白鵬の優勝に終わる可能性大だが、わしの生きている間に日本人横綱が誕生することなどないことが寂しい。