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「すでに起こったことは、明らかに可能なことがらである」
在台日本語教師の東アジア時事論評あるいはカサンドラの眼差し

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新しい「人」が新しい「時代」を創る:横竝びの安心感を得るのはもうやめよう!

2011年04月28日 | 20110311東北関東大震災と政治
(写真:民主党のホームーページに出ている、中国への日本の従属を進める会議の一コマ、小沢はもう自分がどの国の政治家かも分からなくなっているだろう)

1.日本社会の宿痾

 今まで、日本社会の宿痾を考えていただきたいと思い、いくつか書いてみた。
 もう東電は要らない:嘘で塗り固めた「節電キャンペーン」のもたらすもの
 今後の地震の発生パターン:地震予知に備えるには(補足4月23日朝)
 貧困のリーダーとリーダーの貧困

 こうした宿痾の影響もあって、日本社会は今までも発展と停滞・崩壊を繰り返してきた。
 奈良時代の律令国家は大唐帝国の時代の新体制樹立で、大きな発展であったが、その後の律令制の長い崩壊過程を経て、古代国家は衰退し、武士の時代に移った。こうした時代の推移も、教科書のように一般化された「国」で考えると、ほとんど意味のない話しになってしまうが、自分を中心に考えれば、全然違う故郷が見えてくるだろう。腐敗した京都の支配階級に対して在地の権力者が自立を始めた時代である。以下に広島県西部地域の歴史を示す。
 古代から中世の廿日市

 中世は、貴族国家と武士社会の相克の時代であり、それに終止符を打ったのが信長、秀吉、家康の安土桃山時代であろう。その後の江戸初期の発展まで日本社会は近代の発展期を迎えた。しかし、元禄時代以後、生産性の向上は止まり長い停滞の時代を迎える。そして、幕末、停滞した武家政権は崩壊して、明治国家の近代的な武家とブルジョワジーの支配する社会が誕生した。信長などの活躍には光が当たっているが、こうした移行は視点を変えてみると、もっと社会的な意味や地域的な意味が見つかる。以下は、貨幣から見た場合である。この時代も、江戸時代後半の停滞は、沈滞した支配階級の生産性の低さが社会不安を増大させた。江戸時代は気候変動もあって大飢饉が発生し、支配階級は対応能力を失った。
 江戸期三貨制度の萌芽―中世から近世への貨幣経済の連続性
 江戸四大飢饉

 一方、江戸時代の武家政権である薩長藩閥の支配体制という点では「明治帝国(大日本帝国)」は、まだ市民社会とは言えない。その国家は、教科書とは全く違って、非常に不安定で腐敗しており、経済的にも在弱で、ヨーロッパ文化を手本にしたと言っても、欧化は限定的で、江戸時代と大日本帝国を連続させて捉えると、今までとは違った日本の社会像が見えてくるだろう。
 明治期の政争
 また、たとえば価値観であるが、「美人」の例を以下に示す。
 美人 - Wikipedia
 売春の習慣が公然と社会化されて、今、「従軍慰安婦問題」で批判されている淵源は江戸時代の風俗を明治時代以降も受け継いでいたからとも言える。薩長藩閥の支配体制がもたらした結果は、第二次大戦での民族国家滅亡という悲劇である。大日本帝国を破滅に追い込んだのは、腐敗した支配階級の存在だったことは言うまでもない。
 世界恐慌と井上日召の血盟団事件
歴史も、自分を置く中心を変えてみれば、教科書ように時代を区切る必要はまったくないことがわかる。また、社会問題で見れば特に19世紀の江戸幕府から20世紀の薩長藩閥まで日本は支配階級の腐敗による宿痾をずっと抱えていることが分かる。腐敗した支配階級は、民間の活力を奪い、社会全体を蝕んでゆく。

 311大震災があって、改めて日本社会の宿痾が見えてきたとも言える。その一つは、先に述べたように、固定した因果律の思考法である。今回は、もう一つを取り上げて見よう。それは「集団意識」である。
 「集団意識」は311地震の危機の中でも、多くの現場の日本人が、冷静で沈着、かつ適正な危機処理をしていたことで、高く評価できる国民性であるが、日常生活では宿痾をもたらす場合が少なくない。

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「セクハラの基準が分らん」と言う人の仕事の実力。/川口 雅裕
2011年4月26日(火)10:30
管理職の自律性について、セクハラに対する姿勢から考えてみる。
セクハラについて、多くのオジさんが冗談めかしてこんな会話をしているのを、よく耳にします。「俺がちょっと声をかけただけでセクハラになって、キムタクなら触ってもOKなんて、何だそれは?相手がどう思うかがポイントなんて、よく分からんよなあ。」
どこからがセクハラで、どこまでがそうでないのか、明確な基準があるべきだ。セクハラだと断じて、罰する可能性があるなら、ちゃんと基準をはっきりさせてもらいたい、と言っています。要は、「私はルールや罰則(報奨)があれば、それに基づいてちゃんと行動できるんだけれども、基準がなければ、すぐに困ってしまうんですよ。」と言っているわけです。こういう人は、評価会議でも「明確な評価基準がないから、評価しにくい。」「何をしたら、どんなことができたら、何点をつけたらいいのか、はっきりさせて欲しい。」といった一見、もっともらしいことを言います。が、こういう人の本音は、答えを教えて欲しいということなので、いくら基準を明確にしていっても「曖昧だ」と言い続けます。
そんな自律的に判断・行動できない人材が、マネジャーになると困る。言われなくても、ルールや仕組みがなくても、自分で思考し、想像力を働かせて行動できるのは、幹部やマネジャーはもちろん、一人前のビジネスパーソンの条件と言ってよいでしょう。部下から見ても、会社が定めたルールに則ってやれという指示・指導だけなのであれば、マネジャーの存在意義は非常に軽いものになります。いい役職についているだろう人達が、セクハラに基準がないのは変だと言っているのは、明確な基準やルールのもとでしか動けないと言っているのと同じで、冗談半分だとしても悲しい姿です。
また、こんな人材が多いと、セクハラの防止だけでなく、コンプライアンスの実現も有り得ません。なぜなら、相手がどう思うか、といういかにも曖昧で流動的なものが基準であるのは、セクハラだけではなくコンプライアンスに関わる分野の全てに共通しているからです。誠実性や倫理観といった自分の胸の中にだけあるものを基準にして行動できるかどうか、が問われているのがコンプライアンスであって、ルールや基準に則ってしか判断できないような他律的人材には、コンプライアンス上の危うさもあります。ルールや基準にはないから、という理由だけで良からぬことをやりかねません。
考えてみれば、終身雇用が崩れかけ、成果主義的な処遇システムが広がるのに伴って、会社に寄りかかっているような人材は困る、これからは、一人でもやっていけるような力量と自律性を求めるといったコンセプトになってきたはずであるのですが、実際には掛け声だけで、個々も組織もルールでしばり、手続きや体制の強化で監視をし、以前よりも子供向けの人材マネジメントになっているようにも見えます。給与格差を広げるぞというだけでは、怯えと萎縮を生むだけで、自律性は生まれない。「基準がないと動けない」管理職には、基準がなくても動けることが給与を高くしている理由であることを理解させた上で、自律的に思考しないと何も進まないような環境に置くのが良いと考えます。
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 日本社会の社会的生産性を低下させ、グルーバル化の中での国際競争力を奪っているのは、こうした中間管理職以上の支配階級の自立性のなさ、言い換えれば、自己判断力のなさである。昨日、日系企業に勤めて事実上台湾支社の切り盛りをしている卒業生に4年生への就職説明に来てもらった。その後、一緒に食事をしているとき、日本的組織と台湾的組織の話が出た。彼は「日本人は全部をルールで標準化しようとしている。これは確かにいい面もあるが、現場では融通が効かず、わざわざ遠回りになることが多い」という意見を持っていた。日本人支社長の下で事実上の総マネージャーを任される立場にあるので、その意見は傾聴に値するであろう。
 なぜルール化するのか、それは誰がしても同じように対応できるようにという、そうした品質管理の手法なのだろうと思われるが、教育の現場で考えると、それは最悪の方法だと思われる。大学生と言っても、不思議なほど毎年気質や人間関係、趣味などが違っていて、機械的なやり方では授業はうまくいかない。相手に合わせて、毎年内容やポイントを変え、教材を更新している。もしトップダウン式のルール管理になると、最初に決めた以外のことはルール違反になるため、私のような授業は言ってみれば場当たりでいつもアドリブで変えているので、そうした組織管理の中では行き場が無くなり、私は失業するだろう。しかし、授業で困っている人ほど、実は何か授業のモデルのようなものとか、教授法のモデル、あるいは教科書の内容反復など学生とは無縁のルールを自分のケースに適用しようとして、学生の離反を招き、「行きたくない」授業をしてしまっていると思われる。トップダウン式のルール管理は教育現場にも広がっている。
 だが考えて見ると、工場の品質管理などの手法を、人間のケースやサービス業に拡大する場合は、かなりの変更が必要だろう。卒業生には、どんなお客様にも担当者が変わっても同じサービスが提供できるようにしているのだろうと説明はしておいたが、ビジネス界ではこうした方法だけを組織論にしていいのかどうか、疑問に思われた。
 日本式の組織論の背後には「横竝びで誰でも一緒ならばいい」+「トップダウン式に決めてくれれば安心できる」という発想があるように思われる。

2.国が決めるという生産性の低さ

 こうした問題は職場を蝕んでいるばかりでなく、国家全体を腐食させている。以下のようなニュースも、まるでスターリンやヒトラーが支配する全体主義国家のステートメントのようである。

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サマータイム“国全体は否定的
4月26日 12時0分
 枝野官房長官は記者会見で、夏場の電力不足に対応するため企業ごとに導入の動きが出ている、いわゆる「サマータイム」について、国全体として制度を導入するには相当な費用が必要になるなどとして、否定的な考えを示しました。
夏場の電力不足に対応するため、企業の間では、勤務時間を通常より早める、いわゆる「サマータイム」を導入する動きが出ています。これについて枝野官房長官は、閣議後の記者会見で「企業単位で就業時間帯をずらすことでピーク時の電力を調整してもらうのは大変ありがたい。労働環境などの影響が出てくると思うので、十分配慮のうえ進めてもらえると期待している」と述べました。その一方で枝野長官は、国全体としてサマータイムの制度を導入することについて、「全体として時計の針を動かすと、相当なコストがかかることは間違いないし、電力需要のピーク時がずれるだけにとどまる可能性がある。最も効果的なものをそれぞれが判断してもらうほうが、現実的であり効果的だ」と述べ、否定的な考えを示しました。また、節電啓発を担当する蓮舫行政刷新担当大臣は「期間限定で時間をずらして戻す手間ひまや、新たなインフラが必要なことを考えると、国としてサマータイムを導入するより、各企業がフレックス制の勤務を導入するほうが結果として節電につながると思う」と述べました。
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 節電の方法は、職場、地域、家庭ごとに事情がまったく異なるので、一律に同じ方法を適用できないのは火を見るより明らかであろう。にも関わらず、菅直人民主党政権は、「ああしろ」「こうしたほうがいい」とトップダウン式の誤った指示や命令を出して、それが次の悪影響や被害を生みだしている。しかし、こうしたステートメントを許している国民の側にも同じ問題がある。先に挙げたようなセクハラのルールを決めてくれ、ルールがないからセクハラはしてもいいと言っている管理職のように、ルールがあれば守るがなければ勝手にすればいい、という自立性のなさ、内的モラルの低下である。
 そんなもの自分の判断ですればいい、それが市民社会のルールで、節電の対策は各企業や各家庭で考えればよいことだ。また、枝野のコメントにもあるように「国全体として制度を導入する」という議論をすること自体、北海道から沖縄まで多様な自然環境で生きているそれぞれの地域を一律のルールで管理できるという錯覚が存在している証拠で、日本の生産性向上を阻む大きな害悪と言えるだろう。

 以下のように今まで実現しなかったフレックスタイムや在宅勤務、SOHOなどを積極的に導入して、「みんな一緒に働く」という感覚を捨てたほうがよい。それは、決して生産性の向上にはもう役には立たない。

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NTTグループ8社が在宅勤務導入へ
 NTT西日本のデータセンターに備えられている自家発電設備=大阪市
(共同通信)NTT全社的在宅勤務 夏の節電へ8社5万人
(産経新聞) 2011年04月27日 08時00分
 NTTがグループ主要企業の社員を対象に、全社的な在宅勤務制度を近く導入することが26日分かった。すでに数社では希望者を対象に実施しているが、節電効果を高めるために本格導入する。技術部門や顧客情報管理部門など在宅勤務が困難な部署を除き、ほぼ全員が週に数日の在宅勤務を取り入れる方向で労働組合と調整している。
 経団連は会員企業に対し、夏場の電力需要ピーク期に25%の電力削減を求めている。しかし、24時間通信機器や回線を維持するために膨大な電力を使う通信事業者は需要の変化が小さいため、一定期間、大幅に節電するのは困難。NTTは夏期休暇の一斉取得も検討しており、在宅勤務の全社導入と合わせグループ全体で夏場のオフィスの消費電力削減を目指す。対象となるのは持ち株会社、東西地域会社、ドコモ、データなどグループ主要8社。社員は合計5万人に上る。
 ソフトバンクも26日、グループ5社のほぼ全社員2万人近くを対象に在宅勤務を実施すると発表した。5月上旬から順次導入するが、実施日数など制度の詳細は検討中としている。同社は空調設定温度の引き上げや照明器具の照度低下と合わせて、オフィス消費電力の30%削減を目指す。
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 今回の節電が実現すれば、文字通り、原子力発電無しでも十分電力はまかなえることになり、また、今までと違う働き方が始まることで、全部を人間関係でいい加減に処理し、コネが全てという悪弊を広げた近代日本社会のビジネスにも大きな変化になるに違いない。「横竝びで働く」という意識は、言い換えれば他者依存性の助長であり、自立性を損ない、また人と異なる発想や自発的な思考を圧殺し、さまざまなハラスメントの温床にもなって、今や日本社会の頸木、重い足かせになっている。
 今回の夏の節電を、菅民主党政権、東電、通産官僚は電力利権温存策と考えたが、今では逆に引っ込みがつかなくなっているだろう。なぜなら、日本市民や企業現場の自発的潜在力は非常に高く、政府や行政の指導なしに、すでに高い節電率を実現しており、もともと大停電を夏に起こさせて「原発が必要だ」というアリバイ造りに利用しようとしていた電力利権側の陰謀がすでに機能しなく成りつつある。
 
3.次は復興の資金政策

 復興に関する資金づくりも、発想の転換の時代が来ている。私は、素人として、現在の慢性的デフレ対策として「どんどん貨幣を増発して、資金量を増やせばよい」と思ってきたが、似た意見の専門家も多いようだ。

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復興国債100兆円も可能 日本再生のチャンスに変えよ (1/2ページ)
2011.3.17 22:51
 日銀引き受けによる「復興国債」の発行は、場合によっては数十兆円規模でも十分可能だ。勤勉な日本国民が営々と築き上げてきた膨大な貯蓄が新規に創出される日銀資金を裏付けるので、円価値の信認を保てる。ちまちました規模でもたつくひまはない。
 被災の規模や原子力発電依存のエネルギー・インフラの再構築を勘案すると、阪神・淡路大震災の復興対策をはるかに上回る財政資金需要が見込まれる。数兆円程度の規模に限定するなら日銀引き受けという非常手段をとる必要はない。
 例えば、戦後欧州復興のための「マーシャルプラン」の場合、米国が欧州の経済規模の2.2%を援助した。復興国債を10兆円発行しても日本の国内総生産(GDP)比でも2%強にとどまる。
 確かに、復興のためとはいえ、日銀がお札を発行して政府の財政資金を供給する政策はいかにも法外な非常手段だが、政府は国債の暴落懸念を引き起こさずに、100兆円を上限に国債の形で日銀から長期借り入れできるだけのゆとりがある。というのは、政府はこれまで国民の預貯金を100兆円借り上げて米国債を保有している。政府は必要なら、日銀に米国債を担保として差し出せばよい。米政府の了解は必要だが、米国債を売却する必要は全くないので、米金融市場の動揺を引き起こす恐れはない。米国の了解も取り付けられるはずだ。
 実行は時間との勝負である。現時点では、国際的に日本国債が買われ、円高基調が続いている。日本の生保など金融機関や企業が国内財務対策のためにドル資産を売って日本国債を買う結果、円高が進行するとの予想のもとに、米欧の投資ファンドが投機的な日本買いに奔走しているからだ。この傾向はいつまでも続かず、いつ逆に国債売り、円相場急落に振れ出すとも限らない。政府は確かな復興計画を国際金融市場に提示する必要がある。
 阪神大震災の場合、政府は当初こそまごつきながらも、国債発行など順次、短期間のうちに財政出動に打って出た。財政支出を呼び水に、企業設備投資は震災から半年後に急速に回復し、住宅投資は1年後にめざましい回復を遂げた。
 この結果、1994年に1.5%だった日本全体の実質経済成長率は震災の95年は2.3%、96年2.9%と上昇していった。国民資産は10兆円規模で破壊されたが、被災した地域や住民ばかりでなく国民全体の奮闘によりわずか2年間で21兆4150億円も経済規模を拡大するのに成功した。
 阪神大震災復興後の97年以来、自公政権を含め政府は財政資金の投入は経済成長に結びつかないとみなし、公共投資を削減し、民主党政権に至っては末端消費者へのばらまきに終始してきた。この間に実需が減り、物価下落以上に家計の所得が縮む日本型デフレが慢性化している。今や未曽有の大震災を奇禍として、思い切った財政資金の投入をてこに、大々的な日本再生の機会に変えるべきだ。(編集委員 田村秀男)
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 財政再建派と貨幣増発派の対立は、バランスをとる必要があり、ずっと一方だけでよいわけではない。

 前回、小渕首相のタイプと政策を、次の政府の人選、路線にと書いたが、今の日本の再生ができるのは、小渕首相のように民間の声を聞いて、必要な対策を立てるという、調停者の役割が欠かせない。それだけ、民間の実力は高く、志気も高いからだ。
 小渕首相(バラマキ政策)→森・小泉路線(緊縮財政)→安倍・福田・麻生(メリハリのない放漫財政)→鳩山・菅(管理放棄、無政策)で、このままでは、復興どころか財政破綻は時間の問題だろう。今年の菅直人の失策のせいで、「日本は眠れる虎」という評価は崩れ、「ただの無能」という評価が出てくるのは時間の問題だからだ。19世紀の清朝の二の舞になる。

 今、問題なのは、国民や企業の問題ではなく、むしろ、江戸幕府の腐敗した役人や昭和初期の軍部や戝閥のように、腐りきっているのは特権を謳歌し自分の利益だけを追求してなんらはばからない今の民主党や自民党の支配階級であり、その極めて低い生産性である。丁度、イージス艦隊の旗艦を信長の鉄甲船艦隊がしているようなものだ。どんなに後続が努力しても、政府、官僚、旧時代の経営者という鉄甲船艦隊が先導していては、艦隊はいずれ全滅であろう。

 今回の地震で、政府、官僚、旧時代の経営者という信長の鉄甲船艦隊が実は時代遅れで、何の役にも立たないことが明らかになった。東電という大企業の実態が、実は完全な腐敗企業だったのが、それを如実に証明している。まだ被害は少ない。こいつらを置き去りにして、イージス艦隊だけで前進すればいい。

4.後は国民が政治家を選べば

 今までは支配階級が国民をマスコミを使って、たぶらかし、動かしてきた。しかし、311大震災で分かったのは、人任せにすると大変な危険を惹起するということであり、日本の支配階級は危機管理能力を完全に失っているということである。
 民主党を選んだ人は、自民党はだめだということだろうが、確かに、今の自民党は民主党と変わらない。

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菅政権退陣に追い込む戦略を…自民が意見聴取2011年4月27日(水)06:58
 自民党は26日、党本部で「全議員・選挙区支部長懇談会」を開き、菅政権を退陣に追い込む戦略などについて意見を聴取した。
 菅首相が提案した民主、自民両党による「大連立」への賛成論は出ず、執行部に政権奪還へのさらなる努力を求める声が相次いだ。
 会合には、次期衆院選で議席奪還を目指す前衆院議員らを含む約170人が参加した。牧原秀樹・前衆院議員は「『(東日本大震災という)非常時に首相をまた代えるのか』というのが一般的な感覚だ。菅首相ではいかにダメか、国民への説得が必要だ」と指摘した。元経済産業副大臣の坂本剛二・前衆院議員も「統一地方選は民主党のミスで勝った。災害対策も経済対策も『自民党政権にしたい』と国民が思うようなものがない」と述べ、政権構想の練り直しを求めた。また、執行部が検討中の内閣不信任決議案の提出に関し、柴山昌彦衆院議員は「(首相の)敵の敵は味方というわけにはいかない」と語り、民主党の小沢一郎元代表とは連携しないよう注文した。
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 結局、派閥を作って仲間で集まらないとなにもできない、チンピラの集りのようなレベルだろう。自立性を一番失っているのは、政治家たちである。国民のためならという気概を持つ人物が枯渇している。みな、右顧左眄して、「あの人がやれば自分もする」というような金魚の糞ばかりだ。

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仮設住宅めど立たず…国交相が首相発言打ち消す読売新聞 4月28日(木)13時28分配信
 大畠国土交通相は28日の閣議後の記者会見で、すべての仮設住宅が完成する時期について「めどがついてれば私の方から申し上げている」と述べ、現段階では見通しが立っていないことを強調した。
 菅首相は26日の衆院予算委員会で「遅くともお盆のころまでに希望者全員に入って頂けるようにしたい」と8月中旬までの入居を目標とする考えを表明していた。被災自治体からはこれまでに計約7万2000戸の仮設住宅の建設要請が来ている
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 一事が万事朝令暮改の菅民主党政権は管理職になる能力自体がなく、人事自体が末期的症状である。国内を言論統制で押さえきる計画だろうが、海外からの評価は今後ますます厳しくなり、このまま行くと政府の能力への信用不安による国債暴落等で日本経済は破綻するかもしれない。

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自民・小池氏「首相の対応にネガティブ評価」 国債格付け見通し引き下げに2011.4.27 12:55
 自民党の小池百合子総務会長は27日午前、米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が日本の長期国債の格付け見通しを「安定的」から「ネガティブ」に引き下げたことについて、菅直人首相の東日本大震災や東電福島原発事故など一連の危機管理のまずさを念頭に、「総合的に日本に対する不信の表れということに尽きる。菅首相の対応が国際的にも『ネガティブ』(な評価を受けた)ということだろう」と述べた。産経新聞の取材に答えた。
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 その意味では、もうそう時間の余裕があるわけではない。1929年の世界恐慌も予兆はたくさんあったが直接のきっかけは有力株の値下がりという偶然から、2008年のリーマンショック(世界金融危機)も予兆は多くあったが、直接のきっかけは1社の破綻から起きた。

 地元に人材を捜し、次の衆議院選挙でその人を地域党で出すのもいい選択だと思われる。あるいは、政党の政治家に厳しく地元の要求をぶつけるのもいいだろう。
 いずれにしても、国民が政治で自立性を発揮しない限り、日本の社会的衰退は止まらず、日本の政治は何も変わらず、復興はおそらく苦労ばかりではかばかしくは何も実現しない。
 
 横竝びの安心感を捨てる、日本の復活はそこから始まる。

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