蓬莱の島通信ブログ別館

「すでに起こったことは、明らかに可能なことがらである」
在台日本語教師の東アジア時事論評あるいはカサンドラの眼差し

「死」の「收容所列島」日本を超えて2:深刻化する放射線物質汚染を乗り越えるには?

2011年08月02日 | 20110311東北関東大震災と政治
(写真:大日本帝国の滅亡を惹起した指揮責任者の一人南雲忠一・サイパンで戦死したのは、ペロポンネソス戦争のシシリア遠征で処刑されたニキアスと似ている。歴史の審判は過酷である。)
1.ある国が滅びるとき
 ある国が滅びるとき、不思議なことだが、重要な戦いで敗北を喫したり、過酷な天災が続いたりと、さまざまな不幸な偶然が作用することがしばしばある。中国ではそうした不思議な偶然をもたらす作用を「天」と呼んだ。本ブログで紹介したように、現代では「シンクロ二シティー」として捉えられている。
 本ブログ:シンクロニシティー
 いくらでも例をあげることができるが、いくつか挙げてみよう。
1)ペロポンネソス戦争におけるアテネの敗北
 古典古代の華麗な文化を形成した古代ギリシアの滅亡は、絶頂期のアテネとスパルタを中心としたペロポンネソス同盟との戦い・ペロポンネソス戦争から始まった。その戦争でのアテネの敗北が、古典古代のギリシアを完全に衰亡させたのである。

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ペロポンネソス戦争
 紀元前432年、アテナイ軍のペロポネソス同盟市に対する略奪や侵略を和約の破棄と見なしたペロポネソス同盟会議は、アテナイとの開戦を決議、翌年5月、スパルタ王アルキダモス2世率いるペロポネソス同盟軍によるアッティカ侵攻が開始された。対するアテナイはペリクレスの提案によって、城塞外に居住する市民全てをアテナイとペイラエウス港及び両者を繋ぐ二重城壁の内側へ退避させる篭城策を取り、海上よりペロポネソス同盟の本国などを攻撃する作戦を取った。ところが、エジプト・リビア・ペルシャ領・エーゲ海東部で流行していた疫病がアテナイでも発生、市内の治安が乱れ盗賊が横行した、紀元前429年までに市民の約6分の1が病死した。
 しかし、海上におけるアテナイ軍の優位は変わらず、紀元前425年のスファクテリアの戦いにおいて従来決して降伏しないとされていたスパルタ市民兵120人を含む292人を捕虜とする勝利を収めるなど多くの戦果を得ていた。ペロポネソス同盟軍側は停戦を申し入れたが、ペリクレス死後、好戦的な民衆を抑制出来る指導者を欠いたアテナイはこの申し出を拒否、戦争続行の構えをとった。しかし、戦局は次第にペロポネソス同盟側へ傾き始め、ペロポネソス同盟軍がボイオティアやトラキアにおいて勝利を収める。ところが、紀元前422年にアテナイの好戦的指導者クレオン、同じく主戦派のスパルタの将軍ブラシダスがトラキアのアンフィポリスの戦いで共に戦死したため、和平を望むアテナイの将軍ニキアス、同じく和平を望むスパルタ王プレイストアナクス主導の下で翌紀元前421年にアテナイ、ペロポネソス同盟間で和平が成立した(ニキアスの和約)。
 ニキアスの和平は戦争を完全に終わらせるには至らなかった。両国共に決定された領土の返還事項を守らず、さらにアテナイは主戦論を唱えるアルキビアデスの主導でシケリア遠征を決定し、これによって戦争が再開されることとなった。しかし、シケリア遠征は彼我の距離を無視した無謀とも言える遠征であった。紀元前415年にシケリアの戦局がアテナイ側不利に傾き始めたのを機にペロポネソス同盟はアテナイへの穀物の供給地として重要なデケレイアを占領した。大兵力を投入したアテナイ軍の二次に及ぶシケリア遠征軍が壊滅、失敗に終わったことにより、デロス同盟の被支配市から離反が相次ぎ、情勢はペロポネソス同盟優位に傾いていった。
 アテナイは予想外の耐久力を発揮し、依然エーゲ海でペロポネソス同盟と渡り合った。アテナイはいくつかの海戦で勝利を収めるものの、大勢は決しており逆転するには至らなかった。紀元前405年、トラキアケルソネソス半島を流れるアイゴスポタモイ川の河口付近でアイゴスポタモイの海戦が勃発した。この海戦では、食料調達のために上陸し、休息を取っていたアテナイ軍をリュサンドロス率いるペロポネソス同盟軍が急襲し勝利を収めた。この勝利により黒海方面の制海権を完全にペロポネソス同盟が掌握、同時にアテナイ市への食料供給路を断った。翌年にはアテナイ市が包囲され、アテナイの降伏を以って戦争は終結した。
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 アテネの敗北を運命付けた不幸な偶然は2回あった。ひとつは、初期の戦いでアテネで疫病が流行し、アテネの黄金時代をつくったペリクレスが籠城戦の中、命を落としたことである。アテネは優秀な統率者を失い、以降は小人物が乱立して民主政治が衆愚政治に転落していった。もう一つは、その結果、ソクラテスの弟子であるアルキビアデスの主導でシシリア遠征が行なわれたことである。

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シシリア遠征
 紀元前415年、アテナイはシチリアにおけるアテナイ同盟国であるエゲスタ(現セジェスタ)とレオンティノイを救うため、アルキビアデス、ニキアス、ラマコス三名を総指揮官とする大軍をシケリアへ派遣した。アテナイ派兵の噂がシケリアに届くと、ヘルモクラテスは防衛体制の拡充を訴えた。アテナイ軍がイタリア南端のレギオン(現レッジョ・ディ・カラブリア)に集結すると、ヘルモクラテスはシケリアの諸都市に共闘を訴えた。アテナイ軍が武力を背景にシケリアのカタネ(現カターニア)を拠点とした直後、ヘルメス神の石柱像の破壊事件の首謀者の疑いをかけられたアルキビアデスは、アテナイ本国への送還命令を受け、スパルタに亡命した。秋になってニキアスの率いるアテナイ軍とシュラクサイ軍は、シュラクサイ近郊のオリュンペイオンで最初の戦闘を交え、シュラクサイ軍は敗走した。ヘルモクラテスがシュラクサイ軍の指揮系統の効率化を演説で訴えたところ、ヘラクレイデス、シカノスらとともにシュラクサイの最高司令官に選ばれ、全権を任された。アテナイ軍がメッセネ(現メッシーナ)で冬を越している間、シュラクサイは町を取り囲む城壁を建築し、ヘルモクラテスはシケリアの都市カマリナへ出向いて中立を約束させた。
 紀元前414年、ニキアスはシュラクサイの近くにアテナイ艦隊を密かに集結させ、一気にシュラクサイの北に広がるエピポライの台地を奪った。続いてシュラクサイを包囲する壁を築き、シュラクサイは降伏寸前の状態に陥った。その頃スパルタは、亡命したアルキビアデスの提言に従い、ギュリッポスを最高司令官とする援軍をシケリアに派遣した。ギュリッポスはヒメラに上陸して軍を整え、シュラクサイ軍と共にシュラクサイを包囲していたアテナイ軍を破り、ラマコスは戦死した。エピポライの台地はシュラクサイに奪還され、以降ペロポネソス同盟軍側が息を吹き返し、ニキアスは祖国へ援軍を要請した。
 紀元前413年、アテナイはアレイステネスの子デモステネスを総指揮官とする追加の遠征艦隊をシュラクサイへ派遣し、シュラクサイを再び包囲した。しかし大軍到着後の最初のアテナイ側によるエピポライへの夜襲は、ヘルモクラテスの奮闘により失敗し、その後も緒戦でヘルモクラテス・ギュリッポス側が勝利を収めた。アテナイ陣営は月食(紀元前413年8月27日)により撤退の期を逸したことにより、艦隊が全滅するなど壊滅的敗北を喫した。捕虜となったニキアス、デモステネス両名は、ヘルモクラテスとギュリッポスの助命嘆願にも拘わらず、民衆派ディオクレスの主張により処刑された。
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 アテネ軍は戦力的に圧倒的に優位に立っていたにもかかわらず、司令官の主戦派のアルキビアデスと和平派のニキアスが対立していて、両者の主導権争いの結果、アルキビアデスは敵方のスパルタに寝返ってしまった。その結果、アテネ軍は手の内を知られ、紀元前414年に陸軍が壊滅状態になり、紀元前413年には第二次派遣軍と艦隊がほぼ全滅した。実は、2つの悲劇の予兆はそれぞれあった。ペリクレスの場合はエジプト・リビア・ペルシャ領・エーゲ海東部で疫病が流行していたにもかかわらず、衛生状態の悪い籠城戦を強行したことである。シシリア遠征の場合は、アテネの衆愚政治が対立する主戦派のアルキビアデスと和平派のニキアスを共に司令官とすることで利権の分け合いをしたことである。いずれも道理に反する決定が致命的打撃を与えたと言えよう。しかも、その影響は古代ギリシア全体の衰滅に繋がっていった。

2)太平洋戦争における大日本帝国の滅亡
 私達は太平洋戦争における大日本帝国を冷静には見られないが、アテネと同じ様な不幸な偶然の例は見ていけば無数に見つかるだろう。真珠湾攻撃と宣戦布告遅延問題もその一つである。
 太平洋戦争の開戦時の真珠湾攻撃は何度も映画になっているが、日本側は攻撃前の宣戦布告が不幸な偶然の重なりで遅れた。

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宣戦布告遅延問題
 真珠湾攻撃が宣戦布告を伴わない奇襲攻撃という認識が現在でも一般的であるが、外務省がパープル暗号で送った命令書[14]では当初は攻撃開始30分前の宣戦布告を予想していた。しかし、東京から日米交渉打ち切りの通知を告げる内容の電文が送信された際、日本大使館員全員が宿直も置かず、大使館を空にして同僚の送別会を行っていた事[15]など、諸事情によりワシントンの日本大使館一等書記官奥村勝蔵の英訳親書のタイプが大幅に遅れ、攻撃開始時刻に日米交渉打ち切りの通知が間に合わなかった。
 この件については、誰も処分されておらず、外務省はこの遅延に対し調査委員会を設立し調査を行ったが、調査結果は長らく公表されなかった。1994年11月20日、外務省は当時の調査委員会による調査記録「昭和16年12月7日対米覚書伝達遅延事情に関する記録」を公開し、公式見解として、大使館書記官の不手際により、宣戦布告が遅れたことを認めた。現在、この資料は外交史料館報 第8号で閲覧可能である。
 また、調査委員会設置以来、奥村の上司である館務総括参事官の井口貞夫の責任を問う説が存在するが、これに対して井口は生前「自分の管掌事務ではなく承知していなかった」と主張し、息子にあたる井口武夫元ニュージーランド大使も外務省本省が負うべき落度を現地大使館に責任転嫁しているとして奥村書記官を含めて大使館側に失態はなかったと主張している。
 ただし留意しなければならないのは、宣戦布告が攻撃直前に行われた場合は同じように国際条約の違反になることである。なお、アメリカは第二次世界大戦後に参戦したベトナム戦争、パナマ侵攻などいずれの戦争において宣戦布告を行っていない。
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 もちろん奇襲自体が批難を浴びる結果になったが、遲延したことの結果も決していい方向には向かわなかった。

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第二次世界大戦の拡大
 日本軍の奇襲作戦は成功し、アメリカ軍の戦艦8隻を撃沈または損傷により行動不能とする大戦果をあげた。アメリカ太平洋艦隊の戦力低下により、日本軍は西太平洋海域の制海権を確保し、これにより南方作戦を成功裏に終えた。真珠湾攻撃の前にマレー半島での上陸作戦(マレー作戦)が開始されているが、真珠湾攻撃によって日本とアメリカとの戦争は始まったと言って良い。真珠湾攻撃の翌日、フランクリン・ルーズベルト大統領の要請により、アメリカ合衆国議会は日本に対して宣戦布告した。
 12月10日、アドルフ・ヒトラーは軍部の反対を押し切ってアメリカへ宣戦布告し、第二次世界大戦はヨーロッパ・北アフリカのみならずアジア・太平洋を含む地球規模の戦争へと拡大した。当時モンロー主義を色濃く残していたアメリカは、ヨーロッパでの戦争にも日中戦争にも介入には消極的であり、連合国に対する支援はレンドリース法による武器援助に止まっていたが、真珠湾攻撃を受けてアメリカの世論は一気に参戦へと傾いた。
 さらに、日米交渉打ち切りの文書を渡す前に攻撃を始めた事、その文書は交渉打ち切りの文書であって開戦や武力行使を示唆する言葉が無かったこと、日本が数日から数週間以上前より戦争準備を進めていたことが明らかなことから、真珠湾攻撃が「卑劣な騙し討ち」として宣伝されることとなったことも世論に影響した。イギリス首相ウィンストン・チャーチルは、真珠湾攻撃のニュースを聞いて戦争の勝利を確信したと回想している。
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 そればかりではなく、戦略的にはほとんど意味のない、この攻撃自体が太平洋戦争の戦局全体を大きく狂わせる結果になった。以下の攻撃司令官だった南雲忠一の履歴をみると明かだろう。南雲忠一はミッドウエーでの日本海軍航空戦力の全滅をもたらした。
 南雲忠一 
 また航空戦のベテランだった山口多聞少将ではなく、大艦巨砲主義者の南雲が航空艦隊の指揮官になったのも不幸な偶然である。

 アメリカの第二次大戦への全面的参戦を決定付けたこの攻撃は、不意打ちという道理に反した行為であり、その見かけ上の成功が以後の大日本帝国軍部の傲慢をもたらして無軌道な指揮と作戦が連発されていった。その意味では、真珠湾攻撃は文字通り大日本帝国滅亡の引き金になった。
 国が滅びるというのは、現象面で見ればこうした道理に反した人為による、不幸な偶然が左右している。 

2.サンフランシスコ体制下の「日本国」の最期 
 2010年に日本市民が民主党政権を選んだことは、以上見てきたのと同種の不幸な偶然だと言えよう。そして、菅直人が首相の座についたことも同様の不幸な偶然の結果である。そして、1000年に1回しか起こらない地震が311東北関東大震災としてこの時期に重なったのも同様の不幸な偶然である。
 おそらく、アテネや大日本帝国が滅びたように、私達の日本国も崩壊は免れないだろう。私達の誤りは、民主党の危険がすでに指摘されていたにもかかわらず、国民が道理に反した選択として、政府が変われば今の生活がよくなるという安易な選択をしたことである。
 民主党の危険性
 不幸な偶然で生まれた現政府と民主党の下では、間違いなく国は滅びるだろう。虐殺魔・直人は、福島原発の処理工程表なるものを7月に出した。
 福島原発工程表を改訂 ステップ1は「達成」 プール燃料取り出し「3年程度」
 問題点はまた改めて書きたいが、基本的には、工程表に掲載されていない問題点が多すぎることが致命的である。

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過去最高線量の放射線検出…1、2号機主排気筒読売新聞 8月1日(月)20時42分配信
 東京電力は1日、福島第一原子力発電所の1、2号機原子炉建屋近くにある主排気筒の下部の配管表面で、これまでで最高の1時間当たり10シーベルト(1万ミリ・シーベルト)以上の放射線を検出したと発表した。
 付近での作業予定はないが、東電は半径3メートル以内を立ち入り禁止にした。これまでは1号機原子炉建屋内部で検出した毎時4シーベルト(4000ミリ・シーベルト)が最高だった。
 毎時10シーベルトの放射線を6分間浴びると、吐き気などの急性症状が出る1シーベルトの被曝(ひばく)線量に達する。
 これまで主排気筒付近では復旧作業が行われてこなかったが、7月31日に離れた場所のガンマ線を検出するカメラを使って作業員が周辺を確認中、高い線量を出す場所を発見。1日に地面近くを通る配管の表面の放射線量を測定して判明した。測定した3人の被曝線量は最高4ミリ・シーベルトだった。 最終更新:8月1日(月)20時42分
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 虐殺魔、東電、通産省、原発利権企業が一体になって「福島原発は安全です」、「放射性物質は安全です」・・・だから、「次の選挙は民主党に」、「原発を次々に作りましょう」と言いたいためだけに、デタラメな工程表なるものを出しているだけの話しである。
 虐殺魔・直人には人の安全を守るという概念がもとから完全に欠落している。

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検証・大震災:作業員、被ばく上限 首相「500ミリシーベルトにできぬか
 ◇「250」引き上げ3日後 安全確保、防衛相が阻止
 自衛隊が東京電力福島第1原発の上空からヘリで放水した3月17日、東京・市ケ谷の防衛省に首相官邸から一通の文書が届く。タイトルは<線量限度の引き上げについて>。政府はその3日前、緊急作業時の被ばく線量の上限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げたばかりだった。それをさらに国際放射線防護委員会(ICRP)の基準に合わせて倍の500ミリシーベルトにする--。
 第1原発は爆発が続き、高線量の中での作業が必要だった。作業員の安全を守る立場の厚生労働省にすれば250ミリシーベルトが「ぎりぎりのライン」。しかし、細野豪志首相補佐官(当時、現原発事故担当相)から「250では仕事にならない。役所をまとめてほしい」と要請を受けた長島昭久前防衛政務官は関係省庁にその意向を事前に口頭で伝えていた。
 15日には第1原発から約50人を除いて「撤退」が始まっていた。菅直人首相は東電の撤退に怒りを募らせ、東電幹部に「決死隊になるんだ」と活を入れた。その後、周辺には「撤退すれば、アメリカが(事故収束のために)占領しに来るぞ」と漏らした。
 「文書で正式な要請が来たか」。自衛隊員も直接、事故の収束作業に当たっている防衛省は、北沢俊美防衛相と内局上層部、自衛隊の各幕トップらが緊急会議を開いた。
 250ミリシーベルトを超えると白血球数が一時的に減少する。500ミリシーベルトでは血液中のリンパ球が減って免疫機能が低下する。「500にすると発がん率が高くなる。そんなバカな話はない」「250と発表した後、すぐに500にするのでは何が安全か、現場は何を信用したらいいのか、ということになる」。反対意見が相次いだ。
 同じころ、経済産業省原子力安全・保安院の幹部は、官邸からの要請に基づき、部下に「いつでも500ミリシーベルトに引き上げられるよう準備をするように」と指示した。放射線審議会を開いて省令を改正する必要があるため、審議会を所管する文部科学省との調整を進めた。
 17日午後6時半すぎ、官邸に菅首相、北沢防衛相、海江田万里経産相、細川律夫厚労相、細野補佐官らが顔をそろえた。「500ミリシーベルトに上げられないか」と菅首相。北沢防衛相が「性急に上げるのは良くない」と述べた。
 ICRP基準の「500ミリシーベルト」は人命救助が必要なほどの緊急時を想定している。「今後、巨大な爆発が起きてそのような事態が考えられるようなら国民に説明すべきだし、そうでないのなら引き上げる必要はないのではないか」。防衛省の総意が官邸に伝えられた。
 菅首相は爆発の可能性は否定する。決定寸前で上限引き上げは幻に終わった。
 未曽有の原発事故に政府内は混乱を極めた。その収束に向けた作業は、現場の「安全」と引き換えになっていく。
毎日新聞 2011年7月25日 東京朝刊
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 500ミリシーベルトは、以下の表を見れば分かるように、81ミリシーベルトの「広島における爆心地から2km地点での被曝量・爆発後2週間以内に爆心地から2km以内に立ち入った入市被爆者(2号)と認定されると、原爆手帳が与えられる 」の実に6倍の量である。
 被曝
 虐殺魔・直人は原子爆弾の投下直後よりさらに状況の悪い死地に国民を追いやろうとしていた。また、虐殺魔・直人は「放射性物質汚染食品を食べないヤツは風評被害の首謀者だ」キャンペーンを国民に強要して、内部被曝、低線量被曝の問題を完全に「存在しない」ことにしている。

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<ヒバクシャからの警告>/2 線引き 内部被ばく、対応疑問2011年7月27日(水)13:00
◇「政府はもっと真剣に考えよ」
 東日本大震災の大津波が襲った翌日の3月12日、福島第1原発の1号機が水素爆発する映像を自宅のテレビで見た全国被爆体験者協議会長の小川博文さん(68)=長崎市=は、ぼうぜんとなった。プラントメーカー技術者の経験から、原子炉が制御不能になったことが容易に想像できた。「放射性物質がまき散らされ、発がんなど将来にわたり不安を抱える私たちのような『核被害者』が生まれかねない」
 小川さんは長崎地裁で係争中の「被爆体験者」集団訴訟の原告団長だ。被爆者健康手帳を申請して却下された395人が、国や長崎県などを相手取り処分の取り消しなどを求めている。国が定める長崎原爆の被爆地域は、爆心地から南北に最大約12キロ、東西約7キロの細長い範囲で、小川さんたちはその外にいた。広島と同様に国の線引きで、被爆者と区別された。訴訟では、放射性降下物を井戸水や農作物とともに体内に取り込み「内部被ばく」し、がん発症など健康被害を受けたなどと主張し「被爆者」として認めるよう訴えている。
 原爆投下時、小川さんは2歳7カ月で、爆心地から南西に10・1キロの畑で作業する母のそばから海を眺めていた。「目の前で2メートルくらいの青い光を見た」。小1で慢性腎炎になるなど病気がちで、小学校では2年留年した。今も体の不調を抱える。
 26歳でプラントメーカーに入社。08年に廃炉が決まった浜岡原発1号機(静岡県)の建設にも約1カ月間従事した。原子炉について独学した。もとより、放射線被害の怖さは身をもって知っている。以後、原発での仕事は極力避けてきた。
 国は、原発事故で半径20キロ圏などで住民を避難させる一方、集団訴訟では「被爆地域外で内部被ばくによる人体への影響があったと結論付けるデータはない」と主張する。原告らは、広島で黒い雨を浴びながら援護対象にならない人たちと同じく、国の対応に矛盾を感じている。
 チェルノブイリ周辺で放射線調査をした元気象研究所研究室長の増田善信さん(87)は「原発事故と原爆の違いはあるが『被ばく』は同じ。放射性セシウムによる汚染牛の問題は内部被ばくを象徴している。微量摂取した人が全て病気になるとは限らないが、政府はもっと真剣に考えるべきだ」と警告する。
 07年11月の提訴から間もなく4年。小川さんは「一刻も早く勝訴し、内部被ばくの危険性も提起したい。そして、放射線を浴びたヒバクシャが今も生きていることをフクシマの人たちに伝え、勇気づけたい」と語った。【下原知広】=つづく
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 マスコミの暴言妄説に耳を傾けないで、周囲の人々の様子を見れば、すでに影響は広がっているのではないだろうか。
 放射能防御プロジェクト・木下黄太のブログさん:警告:東京など首都圏で低線量被曝の症状が子どもたちにおきているという情報
 伊豆半島東側注意!静岡県伊東市、土壌調査でセシウム合計が767Bq/kgで放射線管理区域レベル
 必読! 低線量被曝による「脳障害」「不妊」「糖尿病」などを警告するドイツ女医のインタビュー
 YOUTUBE:8-13【子供と健康力】放射能から子供達をまもろう! 講演 野呂美加さん
 このままでは、今後30年以上に渡り日本は「死の收容所」になってしまう。今、市民が冷静な判断を取り戻し、過酷な現実を受け入れることが何より大切であろう。市民が自衛する手段を取るのは、民主社会の基本原則である。

3.「死の收容所」に希望を取り戻すには
 虐殺魔・直人の下、「死の收容所」と化しつつある日本国を、新しい国として再出発させる道はまだ残っている。
1)公衆衛生学の「曲学阿世」を信じないで具体的方策を見付ける。
 前回、書いたように公衆衛生学系統の研究者には、ベリヤのようなサディストが混じっており、基本的に信じてはならない。利益で動く犬以下の動物である。
 虐殺魔「直人」の野望:独裁国家・日本から子どもたちを守れ!!
 それより対策を持っている研究者を抜擢するように自治体と議員にメールなどで強力に働きかけるとよい。以下の、野中先生のような人を大切にすべきである。 
 
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あ)土壌中の放射線核種)ヨウソ131セシウム137ストロンチウム90の動向と対策 #I131 #Cs137 #Sr90 #fukushima #soil RT @tiniasobu2011/04/01
 新潟大学農学部の野中昌法教授からのメッセージを転載します。
以下引用
福島原発による土壌汚染問題 
各位
 野中です。土壌学が専門なのでその観点から記載します。また、環境汚染物質化学と言う講義でチェルノブイリや核種による環境汚染問題を話しています。
 飯舘村を始めとする放射線核種による土壌汚染問題ですが、先日新潟日報の取材があり論説に掲載されますが、
 その要旨を述べます。
 1950年代から1960年代においてソ連、アメリカ、中国等の原水爆実験で日本には多くの核種が落ちてきました。
 そのころ、新潟大学土壌学研究室も含めて土壌中の挙動と作物への影響について研究が行われました。
 東大の研究も含めてのその当時からの知見の紹介です。
 ①ヨウ素131はガンマー線ですが、半減期は8日ですので、土壌への長期蓄積はありません。
 現在の汚染は降下物としての農作物への付着だけです。
 ②セシウム137はガンマー線ですが、半減期は30年です。土壌中では水には溶けにくく、土壌中に50~70%保持されます。土壌中では動きにくいですが、カリウムがあると置換されやすく、作物への移行を抑制できます。原子の周期表ではカリウムとセシウムは同じ第1族で挙動が似ています。土壌中では表層土壌に蓄積すると考えられます。
   体内から排出されやすいと言っていますがガンマー線ですので細胞や染色体に影響を与えることに変わりはありません。
 ③ストロンチウム90はベータ線で、半減期は28年です。今回測定値が発表されませんが、必ず出ています。何故発表できないかといううとマスコミ等で話題になっていますが、ベータ線は測定に時間がかかるからです。ストロンチウムは同じ2族のカルシウムと置換されやすいです。したがって、土壌中ではカルシウムがあると作物への吸収は抑制されます。また、土壌の中で20~30%が水に溶けて、下層土壌への移行と作物への吸収がセシウム137と比べて1桁大きいです。
 人間の体内に入るとセシウムより危険です。なぜなら、カルシウムと同じ挙動を示すので、カルシウムと交換して骨に蓄積してベータ線を出し続けます。骨細胞を破壊してガンになり易くなります。
 畑作物の場合、土壌中に蓄積したセシウム137の吸収率は0.05%以下と考えられますが、イネの場合は湛水状態で0.1%~1.0%程度まで高くなるようです。ただし、先にも書きましたが土壌中のカリウムイオンと置換されて、カリウムがセシウム137の作物への吸収を阻害すると考えられます。有機物を投入した土壌でもセシウム137の吸収を抑制する作用があると思います。ストロンチウム90はセシウム137と比べて、作物への吸収量は一桁多くなるようです。この吸収も土壌中の有機物で抑制できる可能性は大きいです。
 稲作の場合、土壌中の核種だけでなく、農業用水に含まれる核種も問題となります。活性炭・ゼオライト等である程度、除去可能かと思いますが、
 また、現在大気中から降下してくる核種は植物に付着させて、土壌中への蓄積を少なくすることが大切です。また、土壌を耕起しないことも大切です。セシウム137は土壌表層だけに蓄積していると思いますので、また、その際、人間が呼吸で内部被ばくします。
 チェルノブイリでは菜の花で植物除去を行っていますが、これも栽培する時と収獲で人間が内部被ばくするかも知れませんので反対です。チェルノブイリでもストロンチウム90が高濃度で蓄積しています。
 セシウム137とストロンチウム90が土壌に蓄積した場合、土壌の入れ替えしかないと思いますが、どの程度で入れ替えが必要か今後の課題です。
 また、森林土壌に上記2核種が蓄積した場合、きのこに濃縮蓄積されやすいのできのこ栽培ができなくなります。きのこは食べられないでしょう。
 更に、牧草地では地上部に蓄積させて刈り取り除去をすることしか手がないと思います。
 IAEAの飯舘村のデータはヨウ素131と聞いています。今後、土壌中のセシウム137と共にストロンチウム90にも関心を示してください。
 汚染土壌の分布は風向き、地形により異なります。飯舘村でも場所により汚染の程度が異なるはずです。きめ細かなモニタリングで安全である場所と汚染場所の詳細な情報を公開して飯舘村全域や福島県全域が汚染されているような情報を出すことは良くないと思います。
 これから農作業が始まる時期になり、私たちにできることはなにか?
 中越地震の時、原発(の附属設備←安渓注記)が火事なっただけで、柏崎の有機栽培農家は風評被害で2年間苦労したと話していました。
 私たち消費者も含めて皆さんで、真剣に考えましょう
950-2181 新潟市西区五十嵐2の町8050
 新潟大学農学部土壌学研究室
 野中昌法(のなかまさのり)
下記、関連・情報サイトです。
研究室ブログhttp://blog.goo.ne.jp/soil_niigata/e/de37999818412f9e4304cc5eff89f1c8
新潟大学環境安全推進室(室長)紹介 http://www.esc.niigata-u.ac.jp/
以上、引用終わります。
い)国際放射線防護委員会(ICRP)と欧州放射線リスク委員会(ECRR)、それぞれの勧告について 野中
2011-06-03 | MN(野中) 5月28日~29日は北海道で土壌動物学会に参加しました。30日は横浜国立大学でシンポジュウムに参加しました。
 ロシアの土壌動物研究者の話は印象的でチェルノブイリ事故後、今でも土壌動物の多様性は回復していないようです。
 後日詳しく書きたいと思います。横浜国立大学の金子教授がその辺の論文をまとめています。
 31日は料理人のチャリティーシンポに参加しました。東北で1日1000食の食事を提供しているシェフの話には感激しました。地元食材の温かい食事、本当に真心がこもっていました。
 これも、後で書きたいと思います。
 http://www.soulofjapan.org/report.html
 放射線の生体影響について、聞かれることがあるので国際放射線防護委員会(ICRP)と、欧州放射線リスク委員会(ECRR)、それぞれの勧告について、どのように理解すればよいか、下記ホームページを紹介します。
 神戸大学の山内先生がわかりやすく解説しています。
過去の環境問題を見てもわかるように、私が関わってきた、例えば新潟水俣病事件では国が科学的に明らかでないとの理由で被害者を増やしました。
 疫学調査では科学的に証明することが難しいとの理由でECRR勧告を無視する姿勢は間違いです。ECRR勧告もきちんと国民に知らせるべきです。
国はECRR勧告を重視すべきです。私たちも自ら判断することが大切です。
 http://smc-japan.org/?p=1941
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 御用学者の言は決して聞いてはならない。最悪の色魔・サディストだった、小市民ベリヤの仲間のような存在である。
 原発業界御用学者リスト@ ウィキさんによれば、以下は御用学者である。
 原発関連御用学者リスト
 原発関連御用学者リスト(医学関係)
 マスコミ関係にも利益供与を受けて、「子どもたちに放射線汚染食品を食べさせない人は風評被害の首謀者だ」式発言を繰り返す、御用鼠の類が増殖している。
 原発関連御用文化人リスト
 以下は素人なので、発言は何の意味もない。勉強しない限りただの御用「白痴」に過ぎない。
 無知っぽい学者・文化人

 以下の人は、利益供与とは無関係な研究者や文化人である。ただし、大江健三郎のように海外(中国)から利益供与されている人も混じっている。
 反原発学者リスト
 反原発文化人リスト

 以下は、市民の健康の視点から出された「ECRR(欧州放射線リスク委員会)2010年勧告」である。
 ECRR(欧州放射線リスク委員会)2010年勧告
 以下はその元になった、チェルノブイリ被害の報告である。
 ECRR2003報告における新しい低線量被曝評価の考え方

 信頼できる情報はまだ入手できる。しかし、それも今の内である。虐殺魔・直人は権力のためなら何でもする動物である。これから何をするか、誰にも分からない。

4.道理はシンクロニシティーの前兆である
 1で見たように、道理に反する人間の行為は後々まで大きな禍根となる不幸な偶然をもたらすことがある。では、どうすれば不幸な偶然を回避できるか。人間にできるのはなるべく明快な道理を以って行動することである。最近、マスコミ界の洗脳、言論統制に異を唱える芸能人が出てきたのは、その意味では、不幸な偶然を回避するには望ましい傾向である。

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 高岡蒼甫が韓流ブームに苦言「戦後最悪なこの時代に、誰が望んでるんだ」RBB TODAY 7月26日(火)14時29分配信
 高岡は23日、「正直、お世話になったことも多々あるけど8は今マジで見ない。韓国のTV局かと思う事もしばしば。うちら日本人は日本の伝統番組を求めていますけど。取り合えず韓国ネタ出てきたら消してます。ぐっばい」とツイート。この「8」とは、平日の昼に韓流ドラマを放送するなどしているフジテレビを指していると思われる。
 その後も「ここはどこの国だよって感じ。気持ち悪い!ごめんね、好きなら。洗脳気持ち悪い!」「TV局の韓国おし無理。 けーPOP、てめーの国でやれ」などとツイート。今後の活動を心配する声に対しては「影響出るなら辞めるよ。そんなんで干されたら所詮そんな世界って事でしょ」と応じ、その後も持論を展開した。
 高岡は、韓国自体や韓国のタレントを非難している訳ではないようで、「ただこんな戦後最悪なこの時代に韓国おしって、誰が望んでるんだって話し。もっと伝えるべき事が沢山ある」「まず日本に目をむけないと」「俺は日本がよくなってほしい。惑わされずに良くなってほしい。とにかくそれだけ。だから売国は絶対にNOなんだよ。過激に聞こえるかもしれないけどこれが自分の言い方です」と、日本を愛するが故のツイートだということを説明している。
 そのほかにも、ユーザーとのやりとりのなかで、妻である女優・宮崎あおいとは同じ思想なのかと聞かれ「妻は自分と一緒の思想ではありません。火の粉が飛ぶのは勘弁です。と。そう訂正してくれと言われましたのでそのまま書かせて頂きます」とコメント。そして、「一緒の思想にはならなくていいと思うけど彼女の後ろにいる人たちと共存する気はありません。さらっと流れに身を任せたいと思います」と付け加えた。
 また、かつて朝鮮日報のインタビューで竹島問題について「日本は卑劣だ」などと答え、ネット上で非難を受けたことがあるが、そのことについては「卑劣だなんだなんて言ってない。あちらさんの書き方」としている。
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 今後の活動を心配する声に対しては「影響出るなら辞めるよ。そんなんで干されたら所詮そんな世界って事でしょ」そのとおりだろう。軽薄な芸人と見なされがちなマスコミ関係者にも、まともな道理の感覚が戻ってきている。利よりも道理が人を活かしているのである。
 道理に従うと、幸運な偶然が起こることがある。道理の一つは、地道な努力である。
 [博物館だよりNO.54]ここにも科学
 セレンディピティは幸運な偶然か

 道理は明晰判明なものである。自分の素朴な疑問、感覚を信じて、権威、権力、既得権、有名なものはすべて疑い、どれが自分に取って好ましいか、好感を持てるかで選択する、そこで自分のできることをする、それが市民の生きる道理である。

 今日の一歩は決して無駄にはならない。


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