Wilma's Diary

2005年いきなり始まった認知症介護生活。その時々の思いを忘れないために,自分のために書き留めています。

◇◆◇ お知らせ ◇◆◇

2012年11月11日午前10時
義母は,息子である私の夫に見守られて
天国に旅立ちました。


老いの重荷は神の賜物
古びた心に、これで最後のみがきをかける
まことのふるさとへ行くために
おのれをこの世につなぐくさりを
少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事

入院当日

2010-02-03 01:09:47 | 実母

1月8日。いよいよ入院当日。

朝食後,荷物を車に運び込んでから,母を車に乗せる。先日病院受診したときと同じく,お隣のM村さん,そして,今日は斜め向かいのM本さんが出てきて,母を車に乗せるのを手伝って下さった。今日は,ちょっと長いドライブ。大丈夫だろうか・・・せめて渋滞に巻き込まれたりせず,スムーズに行けますように!昨日一度行っておいてよかったとつくづく思った。
本当によい天気で,車の中はポカポカ。景色も美しい。だけど,母にはそれを楽しむ余裕はなさそう。時間的には昨日よりちょっとかかったけれど,正味1時間はかかっていない。しかし,母にはとてつも長く感じられたようだ。

病院に着くと,外来の方がいっぱいで,車椅子も出払っていた。母を車で待たせ,受付で車椅子を持ってきてもらうように頼んで,その間に私は荷物を下ろした。やっと車椅子が来て,母を乗せてもらい,受付をする。母は,すぐに,レントゲンなどの検査へ。私は,持ってきた書類を提出したりの事務手続き。しばらく待たされた後,やっと昼前に検査が終わり,一緒に病棟へ案内される。

部屋は4人部屋だけれど,とても広く,西側の明るい場所。荷物を片付けたりしていると,すぐに昼食が運ばれてきた。普通の病棟とは違い,食堂があって,そちらへ移動して食事をするのだけれど,母は今はまだ動けないので,今日のところはベッドで食べるようだ。食事をはさんで,看護師,ケアワーカー(介護スタッフ)いろんな人が入れ替わり立ち替わりやってくる。昨日書いてきたお願い事項をさっそく見て下さり,とりあえず,トイレはポータブルを置いてもらうことになった。その他,入れ歯やめがね等持ち物のチェック。歯ブラシやうがいコップは預けておいて,食事の度に歯磨きをさせて下さるとのこと。お風呂は当面機械浴になる模様だけれど,週2回曜日が決まっていて,この日の午前中にあったばかりだそうだ。なので,次の機会まで待たなければならないみたいだけれど,仕方がない。

主治医となる医師は,この日は午前中外来に出ていて,病棟に来れるのが2時頃になるということで,それまでが私の自由時間。病院には売店はあるけれど,食堂がなく,車で数分走ったところのファミレスに食べに行った。

戻ってしばらくすると,先生が来られた。若くてなかなかイケメンの先生。
前の病院で作ったコルセットを見て,「う~ん・・・まぁこれでもいいけど・・・今はもうちょっと楽なのがあるんだけど・・・でもせっかく買ったのだし,とりあえずこれで行きましょう」その後,私だけナースステーションで,レントゲンを見せてもらって,説明を受けた。

まず,経過についてのおさらい。そして,レントゲンを見ての説明。今回の第一腰椎を含めて3カ所の圧迫骨折がある。しかし,7,8年前転倒したときに折れた胸椎の他に,一番下の胸椎も折れた跡が・・・これは知らない間に折れて固まってしまったらしい。

私が,義伯母の経験から,圧迫骨折で入院させてくれることはないと思っていたと言うと,「そんなことはないですよ」とやさしく言って下さった。回復期リハビリテーション科というのは,骨折等の他,脳血管疾患等の後のリハビリのための病棟で,それぞれの疾患に応じて,入院出来る最長期間が決まっており,その期間内に集中的にリハビリをして,在宅復帰を目指すところであるらしい。骨折の場合は最長2か月。圧迫骨折の場合,それ自体は治療のしようがないけれど,だからといって安静を保って寝てばかりいると,廃用症候群になる恐れがある。それを防ぐために,足を鍛えておく必要があり,そのためのリハビリをしていただけるということだ。しかし,認知症等でリハビリが出来ない,あるいはその効果が上がらない場合は退院させられることもあるとか。言ってみれば,重要事項説明書みたいなものに沿って,そんなことをいろいろ説明され,医師(病院)と患者側のサインをし,コピーをいただいた。

母には1日2回,各40分のリハビリが行われるらしい。医師の話のあと,部屋に戻ると,さっそく担当の理学療法士の先生があいさつに来られた。早速明日から始めますということだった。

やっと解放されたのが夕方近く。長い長い1日だった。1週間ぶりで,ゆっくり寝られそうだ。母は安心して眠れるだろうか・・・