気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

小さな忘れ得ぬ旅先での温もり(前)

2015-01-13 22:17:21 | 小さな旅日記
 平成10年の昔に或る公募の作品に応募した時の原稿を本棚から見つけた。
読み直してみた。懐かしい・・。


 一階の和室に入ると、柱にいつも蓑と笠と草鞋と藁沓の四つが揃う小さな郷土民芸品が吊り下がっているのが見える。
 もう、何年になるのかと時折、指で数えることがある。
たしか、社会人になって数年しか経っていない昭和37年頃の冬のことだった。 
 広報誌の仕事で「雪のかまくら」の写真取材に秋田の横手に出張をした。
 東京育ちの私には情景が頭の中でしかなく、気もそぞろでしかなかった。

 鞄にカメラとフラシュを収め、上野から東北本線の黒沢尻(今の北上)に向かった。
横手には横北線の始発駅黒沢尻で乗り換えねばならず、ここで一泊することにしていた。
鞄ひとつで降り立って見ると駅前には店が一軒もなく不安に駆られた。 
直ぐに駅前からタクシーで町はずれの小さな旅館に連れて行って貰ったが、ほかに誰も泊り客がいないのか館内は静かだ。

 夕食の世話をしてくれていた女中さんが
「ここは何もないので、川沿いのバーでも行かれてはどうですか」
と、地方訛りを押さえた声で親切に教えて呉れた。
酒が余り飲めない私にはバーなど独りで行ったことがなく、躊躇したが床に就くには余りにも早い。
余り寒さを感じなかったので、丹前姿でとりあえず行くことにした。

 一杯しか飲まないので一軒では長居はできない。
程よい時間で切り上げ最初の店をでて、眼に入った同じ川沿いの少しばかり大きな店に入った。 
初めての梯子なので店に入るには息を整える勇気がいった。

カウンターに座るなり
「ハイボール」
と、酒場に慣れてるかのような格好つけた声で言った。
「お客さん 東京かね 何かかけるかね」
と、声を返してきた。

ふと、いま流行っている歌を思い出した。
「北上夜曲ありますか」
店内に曲が流れ静かに聴き、一杯のハイボールを空けると店をでた。

「お~、天が呉れた演出だ!」と心で叫んだ。
外は、いつしか雪が降り積もり、私の歩く下駄の足跡だけを川端の雪の上に残しながら宿に戻った。
(後半は続く) 

古き時代の映画を観て(2)

2015-01-13 09:03:34 | エッセイ
 前篇(1)より続く・・

映画は昭和29年制作とある。
 当時の私は受験浪人時代でまだ都内には都電が走り戦後の後遺症がやっと癒えた時代だ。


 映画は昭和の初期の頃の小豆島の分校での先生と子供たちの交流の話で前にも観てると思うが、この頃記憶が薄くなってきた。 きっと、そんな昔に観たのではないと思う。
 時代が大きく変わったとは言え貧しさに心が痛む。

 会社生活にそろそろ終わりが見えてきたせいなのか。 それとも数年前に還暦を迎えたせいなのか、前から思っていたが人生を終えるのに会社に使われぱなしで終えるのは生きた事にはならないと思っている。

 或る経済雑誌に或る会社の相談役が90歳台が二人もいるのには驚くとともに、名誉欲と地位欲の飽くなき欲に哀れさえ覚えた。
 制度もさるものの辞退する者がいないのには情けない一言に尽きる。 
 仕事の責任を果たしたら自分の人生を飾るためにも思い切り自由に気ままに、心が踊りそして感激し、心を満たし残り少ない人生を何倍にも膨らませて生きるのが人間としての生きざまではないかと思う。

 心豊かに人生を送る事に意義を感じない者には貧しさに心は痛まない。 
 心の貧しさに哀れを感じる。

 この頃、歳のせいか涙もろく特に幼い子供には弱い。 
この間もカリフォルニアに臓器移植で渡米した幼い女の子に僅かばかりの寄付をしたが役にたたなかった。
 この映画を観終え、いろいろと考えさせられた。 
一日も早く仕事を終え人生計画を実行したい。
 心は常に青春で若々しく、これからが本当の人生の始まりだと思っている。

 大好きな つくば の街にもう直ぐ秋の訪れが始まる。
 この秋と来年の秋しか味わえない。任期満了を迎えるので・・・。

 生きていてこそ人生、感動があってこそ人生、好奇心に満ちてこそ人生、生き方に自信持たせて呉れた古い時代の映画でした。
 
 
 当時を振り返り思う事は、今も20年近になる記述した頃と考え方は変わってはいない。
人生とは歩いた路を振り返り振り返り観て、遠ざかって行くものですね。
 
 終わり