「ちびさん」のご主人

ねこ好きなお父さんの気ままな日記です。
最近は、お城の他に甲冑と火縄銃に嵌まっております

吉備津彦神社 流鏑馬神事

2014-10-19 14:09:51 | 城、城跡、歴史
本日、吉備津彦神社、秋の大祭で流鏑馬神事が執り行われました。

11時からの神事開催でしたが、9時にはすでにたくさんのカメラマンが集合。
その輪の中には、さすがに入れずそれでもそれなりに良い場所を確保して、2時間近く神事の始まるのを待ちました。


吉備津彦神社の歴史を少し、社伝では推古天皇の時代に創建されたとあるようですが、初見の記事は平安後期。神体山と仰がれる吉備の中山の裾の、大吉備津彦命の住居跡に社殿が創建されたのが起源と考えられています。
戦国時代には、日蓮宗を信奉する金川城主・松田元成による焼き討ちに遭い社殿を焼失。松田氏滅亡後、宇喜多直家が崇敬し、高松城水攻めの際には羽柴秀吉も武運を祈願したと伝えられています。

江戸時代になると姫路藩主で岡山城主の池田利隆が本社を造営。利隆は光政の誕生を期に子安神社を造築しました。
その後、岡山藩主池田忠雄により本社・拝殿が造営された。池田綱政が社領300石を寄進したほか本殿を造営し、本殿・渡殿・釣殿・祭文殿・拝殿と連なった社殿が完成しました(元禄10年(1697年)に完成)。

吉備津神社には年に1度、十日えびすには行くのですが、ここ吉備津神社には参拝した記憶が...はるか昔のような...。

流鏑馬とは、騎乗した射手が木板の的を弓矢で射貫く神事で、千年以上の歴史があるそうです。
当神社においても歴史は古く、康永元年(1342年)の文書に国主が馬や馬費を出した記録があり、少なくともその当時から行なわれていたようです。
特筆すべきは、吉備津彦神社の流鏑馬においては風水の災いを防ぐ為、風の神、水の神とされる鶴島、亀島の方位に矢が射られることです。
これは岡山市指定民俗文化財だそうです。

以前、京都下賀茂神社で、比べ馬の神事を見たことがあるのですが、そちらとは雰囲気の違った神事でした。
3名の乗り手が順に矢を放っていきます。









神事前に、お手伝いをされていた岡山大学の乗馬クラブの学生さんにお話を聞いたのですが、馬上で手綱を離して乗ることだけでも大変な技術だそうで、その上で弓を射ることがいかに大変なのかを説明していただきました。

そういえば、本日夜19時よりBSジャパンで流鏑馬に生きる~武士の矜持~と題して小笠原流の流鏑馬を2時間番組で放映するようです。
こちらもチェックかな?

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