今年は12月に入ってもまだ紅葉が楽しめます。
昼過ぎから、後楽園へ行ってきました。
後楽園は岡山藩主・池田綱政が岡山郡代官・津田永忠に命じて造らせたもので、1687年(貞享4年)に着工し14年の歳月をかけ1700年(元禄13年)に完成。藩主が賓客をもてなした建物・延養亭(えんようてい)を中心とした池泉回遊式の庭園で岡山城や周辺の山を借景としている。江戸時代には延養亭を茶屋屋敷、庭園を後園または御後園と呼んでいたそうです。
この後楽園内にある、千入の森(ちしおのもり)
千入とは幾度も染めるという意味。
馬場・弓場(ばば・ゆみば)の紅葉もきれいです。
藩主の楽しみの場としてだけでなく、文武両道を怠らぬよう武芸の稽古場も設けられています。 家臣が馬術・弓術の上達ぶりを藩主の前で披露するという行事が行われていた場所。
もうしばらくはこの紅葉、楽しめそうです。
昼過ぎから、後楽園へ行ってきました。
後楽園は岡山藩主・池田綱政が岡山郡代官・津田永忠に命じて造らせたもので、1687年(貞享4年)に着工し14年の歳月をかけ1700年(元禄13年)に完成。藩主が賓客をもてなした建物・延養亭(えんようてい)を中心とした池泉回遊式の庭園で岡山城や周辺の山を借景としている。江戸時代には延養亭を茶屋屋敷、庭園を後園または御後園と呼んでいたそうです。
この後楽園内にある、千入の森(ちしおのもり)
千入とは幾度も染めるという意味。
馬場・弓場(ばば・ゆみば)の紅葉もきれいです。
藩主の楽しみの場としてだけでなく、文武両道を怠らぬよう武芸の稽古場も設けられています。 家臣が馬術・弓術の上達ぶりを藩主の前で披露するという行事が行われていた場所。
もうしばらくはこの紅葉、楽しめそうです。