全英連参加者のブログ

全英連参加者の、言葉やその他諸々についての雑感... 不定期更新です。

The things which should not be.

2014-02-05 04:37:19 | 教師の仕事 2013

 年一度必ず行うのが、資料処分。理由は学校の職員室の席替えがあるからである。転勤の場合でも、そうでなくても、年に一度は必ず資料処分をする。だいたいどこの学校にいる時でも、1月末(卒業試験が終わるころ)から、徐々に不要なものを探し始める。

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 僕は公務員で学校の先生である。仕事でさまざまな個人情報が集まり、資料が届く。いろいろなものを日々作成する。それは授業用ハンドアウト、考査問題。保護者・生徒への公文書、成績表、対外的な諸証明書である。
 考査問題は、まず原稿を作成し、数度プリントアウトする。校正、教科内回覧のためだ。試験実施前にかなりの分量の印刷物ができることになる。でも、これらの作業の前に、何をどう出題するかは、大きな紙(A3)に鉛筆でまとめてから作り始める。試験の印刷後、途中経過であるプリントアウトは処分する。
 対外的書類は、まず書式をプリントアウトかコピーを準備する。元資料(指導要録、成績会議資料)もコピーをとり、必要事項を確認する。それらを端末から入力、印刷、管理職に決裁をもらう。
 調査書や推薦書で人物所見が必要な場合、記入スペースを考え、やはり何らかのメモを作る。これらはいくら学校内の事務処理が電算化(古い単語)されても、作成時に原稿、メモが必ずできる。何かを書くとき、メモをする。正確を期すための当然の行為である。少なくとも僕はいきなりPCに向かって、何のメモも見ず生徒の将来がかかるような書類を入力できるほど、図太くない。推薦書は手書き作成なので、よりいっそう神経を使う。

 メモ、これがくせ者なのだ。
 メモは以前書いたノートに書くこともあるし、メモ用紙にすることもある。いろいろだ。元資料のコピーは作成が終わったら、必ずシュレッダーにかける。メモ用紙は必ず元資料のコピーと一緒なので、シュレッダー行きだ。1人の書類作成に関わるものは、散逸防止のために必ずクリアファイルに入れている。ノートは年度末に処分になる。
 それでも、何かが残る。気づかない間に、どこかに。それがわかっているから、年に一度の資料処分なのだ。

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 2001年から2年間、僕は大学院で学んだ。そのころまででも、自分は同僚と比べると資料収集をするほうだと自覚していた。しかしここ10年ほど、毎年かなりの分量の『諸資料』(印刷物・刊行物)がたまり、本棚等のスペースを占有するようになっていた。これらも学校での資料処分と同じ時期、重複があるものや、プリントアウトしたものと同じものがデータとしてDLできるものは処分することにしている。

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Why  何年か前、その年の資料処分の準備作業のついでに、家の押し入れを整理したら、段ボールから3校目の勤務校で作成した英語定期考査(放送問題スクリプト)原稿がでてきた。最終稿ではなく、途中でボツになったものの下書きだった。相当驚いた。転勤時に全部処分済のはずが、処分をすり抜けたようだ。そしてもう一つ、ものすごいものが出てきた。まさに、「なんでそこにいるの?」である。

 忘れていたことに、かなりショックを受けた。

 翌日学校にもって行き、全部シュレッダーにかけた。
 ・・・何かは言えない。


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