朝、駅マックで考えた。師走じゃないよなって。。。
今日8日、県内公立高校は前期募集合格発表日。普通科25%、専門学科上限65%が決定する。来週火曜日から後期募集にはじまり、入試業務は3月の発表まで続く。
3月、3年生が卒業し、月末に新入生説明会がある。学校の生徒が実質三分の一入れ替わるのがこの時期である。教師も人事異動で顔ぶれが替わる。学校は実はこの時期が一番忙しい。特に新学年に関わるとすさまじい。
・・・・・・・・もうすぐ学校だ。
朝、駅マックで考えた。師走じゃないよなって。。。
今日8日、県内公立高校は前期募集合格発表日。普通科25%、専門学科上限65%が決定する。来週火曜日から後期募集にはじまり、入試業務は3月の発表まで続く。
3月、3年生が卒業し、月末に新入生説明会がある。学校の生徒が実質三分の一入れ替わるのがこの時期である。教師も人事異動で顔ぶれが替わる。学校は実はこの時期が一番忙しい。特に新学年に関わるとすさまじい。
・・・・・・・・もうすぐ学校だ。
....そう言われる。過去同僚に言ったことがある。でもこれは、言葉通りではない。
3年間担任をして、やっとここ(家庭研修期間)までたどり着いたのを、お互い知っている。この言葉は、「3年間お疲れでした...」の意味だ。
言われた方は、「別に」とか、「せいせいした」とか返事をする。これも言葉通りではない。さびしいかどうかはともかく、言われたら嬉しい。この時期、時間の余裕は増えなくても、物を考えるえる余裕が少しできる。
自己申告・評価をまとめよう。大学院Rep.も仕上げなきゃ...
もうすぐ学校だ。
勤務校は月曜日が3年生の成績決定日だった。
各教科担当からクラスの成績が担任に伝達される。(学校によって呼び方は違うけど)「成績個票」に成績と欠席等を書いたものが担任のところに来る。勤務校では成績データが校内LANで入力され、クラスの成績一覧表もすぐ完成になる。すごく便利。ありがたい。
3学期の評価は1年間の評価。3年生だけでなく、どの学年でも今学期だけがんばっても余り成績は変化しない。1学期2学期の成績が芳しくない者は、3学期もよほどいい点数をテストで取らない限り成績は10段階で1か2(いわゆる赤点)しかつかない。だから、担任をしているクラスの生徒には、今年赤点を取った者は月曜日いっぱい自宅待機を申しつけておいた。
午後各教科担当(自分も含む)から、クラスの生徒の成績個票が来た。ありがたいことにどうにか全員合格点(10段階で3以上の評価)をいただけた。
…正直ホッとした。
学年の成績会議が終わり、ほとんどの生徒はひとまず卒業内々定である。
この後、赤点を取った者は補習と追試が待っている。追試を受けて合格できなければ卒業はできない。合格できれば、赤点がなかった者といっしょに、学校全体の成績会議で卒業の認定を受け、3月の卒業式で卒業である。
***** *****
この時期、あまりうれしくない思い出がある。
学校全体の成績会議で卒業を認められた後の生徒たちの身分は「卒業見込み(卒業内定)」である。まだ、卒業ではないのだ。この時期、事故で高校生が亡くなることがある。仮に卒業の認定を受けていても、卒業式の日に「生きていない」とどうなるか。実は卒業取り消し。除籍なのである。
随分前のことになるが、勤務校に重い病気を患った生徒がいた。どうにか学校に通い、勉強して、テストでも合格点を取った。出欠席のハードル(一定数以上の授業欠席は単位を認められない)もクリアして、後は卒業を待つばかりだった。学年の担任も誰も、どうにか無事に卒業の日を迎えて欲しい、そう願っていた。
3月になり、あと数日で卒業という日に、その生徒は亡くなってしまった。
当時担任が保護者から亡くなったことを電話で連絡を受け、校長に報告に出向いたとき、校長がまず言ったことは、「除籍(卒業取り消し)」だった。
このときばかりは、怒った。あまりのことにめまいがした。何とか卒業させる方法がないものか、考えようともしないことが納得できなかった。
結局、学年の総意として、校長・県教委に掛け合い、亡くなった生徒の卒業日を、亡くなった日に繰り上げて、卒業は正式に認定された。あの年のあの学校の卒業生は、1人だけ卒業の日が違う。でも、きちんと保護者の方に卒業証書を渡すことができた。でも、つらい思い出である。
不幸にもこんなことが起きてしまったら、前例として話すつもりではある。でも、病気でも事故でもあんな悲しい、そしてつらい思いはしたくない。
本当に心底そう思う。あと一ヶ月で卒業なのだから。
今週の入試選考会議に備えて、準備会議。忙しかった。3年生の成績会議も今週だ。
去年の10月の休日出張の代休を、まだ取っていなかったことがわかった。忙しくって、休んだかどうかも忘れていた。
金曜日半日年休使い、併せて1日休みをもらうことにした。これで4連休だ。少しは、ぼんやりできるかな。
1日は入試で臨時休校。2日と昨日、学校は平常営業。今日も同じ。僕・全英連参加者は、数日前に書いたように…いなかったかな…授業がない。入試業務はいっぱいだけど。。。
家庭研修期間は朝の学活がない。少しホッとする。3年分の緊張が少しずつほぐれているのがわかる。
2日も昨日も、受験生が進路室や教室で勉強していた。健康第一でがんばってもらいたいな。天気予報では、今日は3月の陽気とか言っていたけど、朝はまだまだ寒い。
もうすぐ学校だ。
3年生は1日から家庭研修。3年生担任・授業担当の僕、全英連参加者は、2日は入試業務(データ処理・資料作成)、3年生の成績最終案作成と、期日の迫っている自己申告のとりまとめを行いました。
自分の放送大学大学院での研究テーマ(教育課程のあり方)についての勉強もしました。。。
僕の研究は仕事密着です。今年の仕事の一環として自己申告にも含まれているので、たぶん職務専念義務違反にはならないと思います。。。たぶん。
***** *****
学校の授業編成は学校自体の学科構成(普通科単独・普通科専門学科併設)などにより制限を受けます。また、カリキュラムにより、理科の科目配置(理科総合ABと物化生地を組み合わせるとか)制限や、単位数の少ない家庭科・芸術科目のように、開設学年がどうしても1年生2年生になりがちな科目もあります。数年前に始まった情報ABCも、PC室の複数ある学校ならばともかく、1クラス分しかない学校では、まず施設設備の準備がありきで、開設学年の自由度はそんなに高くありません。
いろいろな事情が複雑怪奇に絡み合うのが、時間割と担当学年編成です。
僕の担当する英語という科目は、英語の先生ならば誰がどこの学年を教えるか、教えないか、そんなに縛りのある科目ではありません。あえて編成で注意しなければならないのは、ALTとのティームティーチングのことぐらいです。担当科目・学年編成の自由度が高い科目と言えます。これは、国語・数学・体育にも当てはまることです。
制限が多い科目だと、どうしてもスタッフ全員で各学年の授業を担当することになります。
特定の学年しか教えられない(免許の制限:地歴公民は免許が別個)場合もあります。
芸術科の先生は、自分が学級担任でも、自分のクラスの授業をもてないこともあります。逆もあり得ます。
全部書いてもゴチャゴチャするだけですが、結果として、多くの担当者が3学年の授業を持っている教科は、毎年2月以降、3年生の授業担当分がそれぞれちょっとだけ少しなくなることになります。僕の過去の経験では、英国数体担当は、授業担当の編成がしやすく、担任になるともっぱら自分の担任学年の授業を担当することが多く、2月以降3年生担当(担任)は授業がゼロになるケースが多いような気がします。
2月、毎年少し授業が減る方がいいか。3年生の担当で、全部なくなる方がいいか。なかなかハムレット的な悩みです。
これを1年満期とか3年満期と言います。
もちろん授業がなくなるといっても、次の学年の授業計画、教科書読み込み、教材作成が待っています。現在のように入試業務がどっさりあるのは当然だし、生徒の家庭研修期間は、「家・予備校で勉強してもいいですよ期間」なので、登校して勉強をする生徒もいます。今日も何人かの受験勉強につきあうことになりました。でも、この間に時間が取れ、精神的に少しは落ち着いて、いろいろ考え事ができるのはいいことです。現在は職員の年度自己申告のまとめ(反省・総括)をする時期です。このためには非常にありがたいことだと思って、今日は一日入試業務と空き時間に自己申告のまとめをしました。
考える時間、大事です。
教師にとっては何よりも大事です。
この大事さがわからない人間が、あまりにも多すぎる。ぶつけどころのないイライラを感じました。
昼食後のデータ処理がやっとこさ終わり、ようやく学校を出ることができた。明日以降も資料作成その他諸々が控えている。
資料を何度もチェック、合否基準案を決める。係全員で県教員が定めた基準通り、選抜手順を踏んでいるかの確認作業は神経が疲れる。校長・教頭臨席で合否判定の基準が出来た。
頭の中がイライラ、ゴチャゴチャしている。もー、ちょっと限界… (>_<)
これで放送大学の大学院レポートが書けたら、それは奇跡か、よほど内容が薄口のものになることがわかっている。指導教官にあわわせる顔がない。
埼玉県立・県内市立高等学校は、今日からが入試月間だ。前期試験の面接が今終わった。(^^)v
昨日までと違い朝は寒くて参った。受験生も大変だったろう。お昼ご飯を食べて、いつ終わるかわかんないデータ処理開始だ。(@_@;)
考査が終わり、学年集会と教室整理・大掃除が終わったのが12時半。生徒を下校させ、昼ご飯。息つく間もない。
午後は試験の打ち合わせ、試験会場作成、中学校からの書類整理とデータ作成&分析の準備... ホントにめまいがする。
早く家に帰りたい。
3年生は今日がテスト最終日。その後、学年集会とHR。明日からは家庭研修期間になる。
この期間、生徒は受験や就職先での業務研修である。
3年生授業担当の僕は、授業が無い分入試業務がドカっとある。普段とは異質の緊張が続く。大変だけど、受験生のことを考えて、事故なく業務遂行に務めねば。…ちょっと偉そうかな。
もうすぐ学校だ。
疲れると新任の時、「元気くらい出しなさい」と言われたことを思い出す。(*_*)
学年末考査も後半戦。昨日は職員会議後6時半ごろまでデータ入力。疲れた。
今日は考査得点と授業点、レポート点、ディベート評価を勘案して、学年の成績原案を作ることになる。出来れば追試等は避けたいんたが.....(>_<) うまくいかなそうだ。
僕ら教師は当然だが、生徒も、保護者も赤点なんて誰もほしくも、付けたくもないのにね。まあ、仮に成績が不振でも、まだチャンスはあるわだけど。
今朝は駅で寄り道していこうかな...
冬、登下校時はコートなどを着ているからあまり目立たないけど、最近10年ほど、公立学校は全般的に制服の着こなしの悪い(と、大人社会から注意、御意見を賜る)男女生徒が目につくことが多い。いわゆる、お勉強のできるできないにはあまり関係なく、短いスカート、大人から見てだらしない(と、される)ズボンの姿の生徒が目につくようだ。
大人になりかけの時期、型にはめられることが嫌な時期がある。誰でも程度の差こそあれ、身に覚えがあるはずだ。これはいま偉そうなことを言っている先生、教育何とか会議のの先生さま方も同じである。髪の毛を伸ばしたり、ひげを生やしたり、いろいろやった記憶があるはずだ。今の生徒たちは、制服に縛られるのが嫌で、ズボンをだらしなくはいたり、スカートを極端に短くしたりするのが、型にはめられることへの静かなる抵抗なのだと思う。こんなもの時期が来ればだいたい直る、一種の病気なのである。高校生が制服を着ることができるのは、昼間の学校ならば、たった3年なのだ。そういう生徒を見て、昔自分でも反逆していた世間のみなさまは、自分のことは棚に上げて、やれ、だらしないだの、みっともないだの様々なご意見を述べておられる。
よく言うよ。あなただって、そうだったでしょ。自分のことがいえますか?
たまにいいたくなる。でも、世間さまのご注文だから、僕たちはそれぞれいろいろな理屈を考えて、生徒に訴えかけることになる。短いスカートも、だらしないズボンも、よく考えれば自分で特定の型にはまりに行っていることに、彼ら彼女たちは気がつかない。みんなと同じじゃ嫌で、格好を変える。でも結局別の同じ格好になっている。矛盾に気づいているのかいないのか、僕らはわからない。当事者もわからないと思うけど。。。
前に、こんなことを考えた。
いっそのこと、「ノーネクタイデー」にならって、月1度とか、学期に1週間、「自由服登校日・週間(制服禁止日・週間)」を設定したらどうだろう。好きな格好で登校してもいい、そんな日をもうけてみたらいいのではないか。3泊4泊の修学旅行を私服でいけるのならば、最大で1週間くらい私服登校もできるはずだと思うのだ。自由な服装(自分のセンス)で学校に来ることで、いろいろクラスメイトに言われたり、言われなくても見られたりすることがあっても、いいのではないか。そんな中で、制服のありがたさや、着こなし、世の中の見方を再認識してくればいいのではないかと、まじめに生徒会の役員諸君や担任クラスの生徒に聞いたことがあったが、ことのほか不評だった。
何を来ていくか考えるのがおっくうだ。(型にははめられたくないけど、楽もしたい。)
こんな感じだろう。これもまた、今も昔も変わらない。
どんなもんだろうか。どこかの公立学校で、普段は制服着用が生徒規則(校則)で決まっていて、制服を着ないで登校する日を設けている学校って、どこかにないのだろうか。。。
1日目が終わりました。インフルエンザ・ノロウィルスでの欠席もなく担任として一安心。
午後からは脇目も振らずひたすら採点。5時半ごろ、半分(1科目)採点が終わった。一休み。この後は授業点の集計作業をしようと思う。勤務時間はもう過ぎている。
今日はそこまでで帰宅する。土日はきちんと休まないと、心身ともに草臥れてしまうから。
勤務校の3年生の授業は今日で終わりだ。明日から学年末考査期間になる。
体の具合があまりよくないので、午後はお休みを貰うことにした。明日以降、採点・評価・補習・追試・単位認定&卒業認定が続く。当時進行で2度の入試をこなすのだからきつい。
陽が高いうちに、家に帰るなんて久しぶりだ。