東海林直人のゴロテマ日本史

語呂合わせでテーマ史を記憶するので「ゴロテマ」です。YOUTUBEのゴロテマ、三省堂刊「ゴロネコ日本史」もヨロシク。

化石人類の覚え方◇C古代3

2015年03月30日 07時39分06秒 | 入試対策講座

□古代3:化石人類(年代順)         ◇C
[ゴロ]去る人は/減給の/新人くん
猿人)(人・人)(新人

[句意](今度この職場を)去るつまり辞める人は減給された新人君だ、という句。


[ポイント]

1.化石人類猿人原人旧人新人の順で進化。

[解説]

1.地球上に人類が誕生したのは、今からおよそ500万年前の地質学でいう第三紀の鮮新世の初めころで、人類は第三紀の終り近くから第四紀を通じて発展した。第四紀は、約1万年余り前を境に更新世完新世とに区分される。

2.現在までに日本列島で発見された更新世の化石人骨は、静岡県浜北人沖縄県港川人山下町洞人など、いずれも新人段階のものである。

〈2010立命館大・文系A方式:「
人類は化石人骨の研究により、猿人・原人・[ A ]・新人の順に深化していることがわかっている。日本列島では[ A ]段階以前の化石人骨は確認されていない。静岡県や沖縄県で出土した更新世に属する化石人骨はいずれも新人段階のもので、その形質的特徴は後の縄文人にも受け継がれたと考えられている。

 更新世は氷河時代ともよばれ気候が寒冷だったが、今から約1万年あまり前の[ B ]世になると、地球の気温も温暖になり、自然環境も現在に近いものになった。」」(答:A旧人、B完新世)〉

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マンモスとナウマンゾウの覚え方◇B古代2

2015年03月29日 00時31分19秒 | 入試対策講座

□古代2:日本旧石器時代の大型動物  ◇B

[ゴロ]来た来たマンモス(な)ウマンゾオオ


マンモス・ヘラジカ)(ナウマンゾウ・オオツノジカ)


[句意]来た来た!マンモスとナウマンゾウの行進(更新世)だ、という南北を組み込んだ句。句の末尾を「ゾオオ」として南からきたオオツノジカを表わしているところがミソ。しかしその対抗の北から入ってきたヘラジカはあえてゴロにいれていない。この句を再現するとき、常にオオツノジカの対抗にいるヘラジカを意識してください。


[point]
1.更新世に、北方からマンモスヘラジカが、南方からナウマンゾウオオツノジカがやってきた。

[解説]

1.更新世氷河時代ともよばれ、寒冷な氷期が約10回もあり、海面は現在にくらべると著しく下降した。

2.このため氷期には日本列島は北と南でアジア北東部と陸続きになり、からはマンモスヘラジカからはナウマンゾウオオツノジカなどがやってきた。


3.こうした大型動物を追って、人類も何回かにわたり日本列島に渡来してきたらしい。

4.ところが最後の氷期がすぎて完新世になると海面が上昇し、およそ1万年余り前には最終的に大陸から切り離され、ほぼ現在に近い日本列島が成立する。

 2014金沢学院大・一般入試B:「
( イ )の日本列島は、氷河時代ともよばれ、寒冷な氷期と比較的温暖な間氷期が交互におとずれていた。氷期には、現在よりも海面が100m以上低く、大陸と地続きとなることもあった。そのような時代に人々は、北からは( キ )やヘラジカ、南からは( ク )やオオツノジカなどの大型動物を追ってやってきたと考えられている。」

(答:イ.更新世、キ.マンモス、ク.ナウマンゾウ※原問題には選択肢)〉


2012早大・文:「
 下線a温暖化した自然環境の下の説明として誤ったものを1つ選べ。


 ア 気候が温暖化して、氷雪の融解と共に海水面が凡世界的規模で上昇した

 イ 低地部に海水が浸入し複雑に入り組む遠浅の入り江が各地に出現した
 ウ 日本海側の冬季の降雪が顕著になり、ブナ林を中心とした植生が生み出された
 エ 亜寒帯性の植生から落葉広葉樹林、照葉樹林等の植生に徐々に変化した
 オ マンモスやオオツノジカなどの北方系動物群が、本州から北海道方面へ移動した。」

(答オ×オオツノジカは南方系)

2012立大・現代心理社会コミュ福:「
問1.下線部1大型獣に関する記述として正しくないのはどれか。次のa~dから1つ選べ。

 a.オオツノジカは日本列島各地に渡来し,その化石がナウマン象の化石とともに出土することがある
 b.ナウマン象が北海道から九州まで生息していたことが、化石の出土からわかる
 c.ヘラジカは九州から日本列島を北上して行った
 d.マンモスはシベリアから北海道に渡ってきた」

(答:c※ヘラジカは北方からきた)〉

2010早大・人間科学:「
問2 旧石器時代に関することがらとしてふさわしくないものはどれか。もし該当するものがないときはカをマークせよ。


 ア 更新世    イ 港川人骨
 ウ オオツノジカ エ 古モンゴロイド
 オ 細石器」

(答:カ)〉

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中国の歴代王朝の覚え方◇S古代1

2015年03月28日 01時33分03秒 | 入試対策講座

□古代1:中国の歴代王朝 ◇S
[ゴロ]しかしお母(かん)と義母(ぎぼ)は/ずっと五大(ごだい)(そ)/厳命(げんめい)
(しん)・(かん)・(しん))(後漢(ごかん)・晋南朝)((ずい)・(とう)・五代(ごだい)・(そう))((げん)・(みん)・(しん))

[句意]しかしお母さんと義母(継母)は、ずっと「五大学を狙え!」と厳命してきた、という句。「五大学」は「五大大学」(例えばMARCHとか)の意でも、お好みで(笑)。「おかん」は方言などで「おっかさんの」の意味。離別あるいは死別した実母に加えて、後妻として来た義母もいる受験生を想定。隋・唐王朝以降の「ずっと…」以下の使い道が多いと思う。奈良時代以降はこれらの諸王朝に関連しているから。


[ポイント]

1.夏→商(殷)→周→春秋→戦国→後漢)→(ぎ)(しん)南北(なんぼく)五代→清

[解説]
1 本句以前の王朝に)→春秋時代→戦国時代があるが、日本史にはほとんど関係がないので、ゴロ句作成は割愛(かつあい)した。中国王朝は、日本史受験に必要ないと思う向きもいるかも知れない。しかしこれは基本だと肝(きも)に銘じて覚えること。常に中国史との対比を考えるようにすれば、理解が深まるはずだ。日本史は東洋史の中にあるのだから。

2 魏晋南北朝(ぎしんなんぼくちょう):後漢が滅んだ220年ころから隋が天下を統一した589年までのおよそ370年間の時代の総称。

 1)三国時代魏蜀呉、220~280)
 2)(西晋)の統一時代(265~316)
 3)東晋五胡十六国時代(317~420、304~439)
 4)南北朝時代(439~589)に4分される。

3 南朝北朝:日本関係の記述で有名な『宋書』の宋は、全土統一王朝の宋(960~1279)ではない。魏晋南北朝時代aの4王朝((せい)→(りょう)→(ちん))を南朝といい、この宋(420~479)をさす。なおbの北魏以下を北朝という。


〈2013青山学院・文:「百済からわが国に仏教が公的に伝えられたのは[ a ]天皇の時代である。『日本書紀』にはその仏教伝来の翌年、百済にたいして暦博士の交替と暦本の送付を要請し、翌々年には新しい暦博士が来日したことが記される。この時期に伝えられた暦は、百済と密接な関係にあった中国南朝の[ b ]で最初に作られた元嘉暦とされるが、そのわが国での本格的な定着は、602年に百済僧[ ア ]によって暦本・天文地理書・遁甲方術の書などがもたらされ、暦法が教授されてからであった。」(答:a欽明、b宋、ア観勒)〉


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団菊左時代の覚え方

2015年03月09日 21時26分52秒 | 入試対策講座

□歌舞伎の団菊左時代(明治の歌舞伎改革運動)  ◇C
[ゴロ]急恋で/縁談キックさ
代目・代目・代目)(市川十郎・尾上五郎・市川団次)

[句意]他の人と急に恋に落ちたことで縁談はけっ飛ばす、という句。


[ポイント]

1.9代市川団十郎5代尾上菊五郎初代市川左団次の3人が団菊左時代を現出した。

[解説]
1.1877年前後から、歌舞伎界の革新運動、演劇改良運動が始まる。江戸時代に「吉原」などと同じ悪所(あくしょ)と見なされた歌舞伎を、文明開化の波に乗り西洋演劇の手法を取り入れ、高尚な演劇に革新しようとしたもの。運動が進められた結果、歌舞伎の社会的地位の向上がはかられた。

2.9代市川団十郎(1838~1903)らが演劇改良運動をすすめ、かれと5代尾上菊五郎(1844~1903)・初代市川左団次(1842~1904)の3人が競う団菊左時代を現出した。


3.運動は脚本の面から河竹黙阿弥福地源一郎らが支援した。


4.しかし一面歌舞伎本来の良さは、その江戸時代的な不条理、おどろおどろしさなどにあり、歌舞伎の本来の良さが失われ、油の抜けた「目黒のサンマ」(落語の代表的演目)のようになってしまったという批判もある。


5.9代目市川団十郎は、「劇聖」といわれた名優。7代目団十郎の五男。進取の気性に富み演劇改良運動の中心となる。史実に忠実に演じる「活歴」を創始。


6.5代目尾上菊五郎は、屋号を音羽屋といい、幕末から明治にかけて活躍。3代目菊五郎の孫。河竹黙阿弥の脚本による世話物の演技に優れる。


7.初代市川左団次は、大坂生まれで、屋号高島屋。立役(たちやく)(善人の男の主役)を得意とした人気役者。93年明治座を創設・経営した。

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