東海林直人のゴロテマ日本史

語呂合わせでテーマ史を記憶するので「ゴロテマ」です。YOUTUBEのゴロテマ、三省堂刊「ゴロネコ日本史」もヨロシク。

井上財政(金解禁・重要産業統制法)の覚え方◇B近現653

2018年06月06日 09時10分28秒 | 入試対策講座

□近現653.井上財政(金解禁・重要産業統制法)◇B

[ゴロ]貧弱井上の/寄宿三里皆勤は/最重要


口内閣・槻内閣)(井上準之助)(緊縮財政・業合化)(金解禁)(1931重要産業統制法)


[句意]身体が貧弱な井上が高校から3里の寄宿舎から皆勤したのはもっとも褒(ほ)めるべき重要なことだ、という井上君の快挙に先生たちが驚いている句。長すぎると思う人は、寄宿舎から3里(12キロを自転車通学?)の部分はカットしても良いでしょう。全部を再現するのはむずかしいので練習をお願いします。


[point]

1.浜口若槻両内閣の蔵相井上準之助は、(緊縮財政産業合理化を行ったうえ)、1931年、金解禁を断行し、重要産業統制法を制定した。

[解説]
1.浜口(1929.7~31.4)・第2次若槻(1931.4~.12)両内閣の蔵相井上準之助(1869~1932)による財政政策を井上財政(任1929.7~1931.12)という。

2.当時の日本経済は1920年からの戦後恐慌1923年からの震災恐慌1927年からの金融恐慌とつづいた不況が癒(い)えない慢性不況下にあった。


3.戦争中(この場合第一次世界大戦)は、日本を含め欧米各国は‘お宝’である金輸出を禁止した(これは国際常識)。大戦後、欧米各国は次々に金輸出を解禁し、金本位制に戻っていた(つまり平常への復帰)。しかし、日本はこの不況の間、金保有量を大きくオーバーして通貨を発行していた(通貨膨張=インフレ状態)。金本位制(金の保有量に見合った分しか貨幣を発行できない)という先進国ルールに復帰しなければ、国際的な通商・金融ルートに乗れないし、円の為替相場は非常に不安定であった。いわば金本位制の世界市場にパイプが繋がっていない状態である。どうすれば金本位制に復帰できるかを模索することになる。


4.将来の繁栄を期して、不況覚悟(中小企業や国民生活に痛手の可能性)の産業合理化(国際競争力の強い産業や企業だけを強くする)を推進し、政府予算を大幅にカットするなどして通貨供給量を減らす(通貨縮小=デフレ)緊縮財政政策に転換した(物価は下がるがそれ以上に国内市場が狭まり大不況になる)。そして間の悪いことに1929年10月に世界恐慌が始まっていたが、資本主義経済によくある恐慌に過ぎないと過小評価したまま(当時は世界の誰もこれが未曾有の世界恐慌になるとは予想できなかった)、1931年1月金解禁を断行した。しかも、旧平価(円高)ですなわち(当時の実勢レート(100円=46.46ドル)よりも円高の旧平価(金輸出禁止をした1917年(大戦中)のレート:100円=49.85ドル)で解禁してしまった。


5.しかし、折からの世界恐慌の大波をまともに受けることとなり、日本の国内市場は縮小し、輸出産業は円高もあって国際競争力を失い不振に陥り、かえって外国製品が輸入され、その代金として支払われた(きん)が短期間に大量流出することになった。これにより企業の倒産が相次ぎ、大量の失業者が生まれたほか、緊縮財政により農産物の価格も下落し農業恐慌も同時に発生した。日本経済は甚大な打撃を受けたのである。これに自己企業集団のことしか考えない三井財閥が金輸出再禁止(そうなれば円相場が下落しドルなど外貨が急騰するだろう)を見越して「円売りドル買い」を行う為替差益稼ぎがこの状況に拍車をかけた(三井の「ドル買い事件」)。


6.浜口内閣はこの状態を打開するためさらなる緊縮財政を推進し、1931年6月には重要産業統制法を公布して経済界への政治介入を行った(焼け石に水)。これが産業統制やカルテル結成によって軍需産業化を助長することになり、1930年代後半の統制経済への道を拓いていく。政府(政党内閣)と大企業(財閥)が強力に結びついて一国の政治・経済を支配するという国家独占資本が進行がはじまった。そしてこの悪い状況を政党政治が作ったとして、国民は大正デモクラシー以来の「憲政の常道」とされた政党政治への不信感を強め、‘劇薬’である軍部への期待が一気に高まっていった。


7.井上準之助は、浜口雄幸首相が凶弾に倒れた2年後に、血盟団により暗殺された。


2017京都大・前期:「

問15 下線部k世界恐慌に関して、当時蔵相として金解禁政策を主導していた政治家は誰か。」

(答:井上準之助)〉


2017大学入試センター・日本史A:「

第5問 昭和期の経済・社会に関する次の文章Aを読み、下の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)

A 資本主義の発達につれて、企業に雇われて働き、賃金収入で生計を立てる人々が増えていった。このため経済・社会の仕組みに対する人々の関心が高まるとともに、経済を安定的に運営し、発展させることが政治の重要な役割の一つとなっていった。


 経済政策を実施する際に、国民の理解を求めることも行われた。たとえばb浜口雄幸内閣期には、首相や大蔵大臣が、文章の発表や遊説を通して経済政策への協力を訴えた


 1930年代後半以降、政府は軍需生産へ資源を重点的に配分することをめざし、民間の自由な経済活動を取り締まる政策を次々と打ち出した。こうした政府による経済への介入政策は、敗戦後も復興と国民生活の安定をはかるためにしばらく続けられた。このように戦時期から占領期にかけては、経済活動への政府による介入が積極的に行われた。


問2 下線部bに関連して、次の史料は、この内閣の大蔵大臣が経済政策を説明した文章の一部である。この政策と史料に関して述べた下の文a~dについて、正しいものの組合せを、下の①~④のうちから一つ選べ。


史料

 真の景気といふものはどうしても金解禁を断行した後でなければやつて来ない。(中略)政府は中央及び地方財政の徹底的緊縮を断行し併(あわ)せて公債の大整理を行ふべく、着々これが実行にとりかかつてゐるのだ。(中略)国民諸君よ、暫く政府と共に今日の不景気に堪へ忍んでもらひたい。金解禁の断行は日本をして今日の借金生活から解放してくれるであらうから。 (『金解禁-全日本に叫ぶ-』)
 
 a.金解禁とは、金の輸出を解禁し、金本位制から離脱することである。

 b.金解禁とは、金の輸出を解禁し、金本位制に復帰することである。
 c.筆者は、金解禁を行うために公債の増発が必要だと述べている。
 d.筆者は、金解禁を行うために財政支出の抑制が必要だと述べている。

 ①a・c ②a・d

 ③b・c ④b・d」

(答:④ ※史料の筆者は井上準之助蔵相、a×金本位制から「離脱」→金本位制に「復帰」、b〇日本は1930年、蔵相井上準之助の時に金本位制に復帰した、c×史料文中にとあるように、「公債の増発が必要」→「公債の大整理を行ふべく」、d〇史料文中に「財政の徹底的緊縮を断行し」とある)〉

   
2017関西学院大・全学部2/1:「
問6.下線部g旧立憲政友会系の議員を中心に日本自由党が、また旧立憲民政党系を中心に日本進歩党が結成されたについて、立憲政友会及び立憲民政党に関連する記述として誤っているものを下記より選びなさい。

 ア.第3次桂太郎内閣は、立憲政友会の犬養毅・尾崎行雄ら野党勢力や商工業者などによって展開された第一次護憲運動により、2ヶ月足らずで退陣した。

 イ.退役した陸軍の長老で長州閥につながる田中義一は立憲政友会に総裁として迎えられ、若槻礼次郎内閣の退陣を受けて後継内閣を組織した。
 ウ.立憲民政党は、立憲政友会から分離して結成された政友本党と憲政会が合同して結党された。
 エ.立憲民政党の浜口雄幸内閣は、井上準之助を蔵相に起用し、産業合理化・緊縮財政につとめて物価引き下げを図り、金解禁を断行した。」

(答:ア×、犬養毅は立憲国民党)〉


2016上智大・神外(英)総人(教・心):「

 その翌年(東海林注:1932年)の2~3月には右翼の( サ )が率いる血盟団の団員が前蔵相の( シ )、三井合名会社理事長の( ス )を相次いで暗殺する事件を起こし、さらに5月には海軍の青年将校の一団が首相官邸に乱入し、( ウ )を暗殺するという「5 ・15事件」を起こした。

問11 空欄( サ )に入る人物は誰か。もっとも適切な人名を、次から1つ選べ。


 ①北一輝  ②橘孝三郎
 ③井上日召 ④内田良平


問12 空欄( シ )に入る人物は誰か。もっとも適切な人名を、次から1つ選べ。


 ①井上準之助 ②高橋是清
 ③片岡直温  ④三土忠造


問13 空欄( ス )に入る人物は誰か。もっとも適切な人名を、次から1つ選べ。


 ①小林一三 ②池田成彬
 ③益田孝  ④団琢磨」


(答:問11③、問12①、問13④)〉


2016明大・経営:「

問12 下線部(シ)の井上準之助について、正しい記述をA~Dの中から一つ選べ。

 A 井上毅の娘婿であった。

 B 日本銀行総裁をつとめた。
 C 外務大臣をつとめた。
 D 五・一五事件で暗殺された。」

(答:B〇 ※D×血盟団事件で暗殺)〉


2016立教大・済コミュ福観光:「

 1929年のニューヨークでの株価暴落を契機とした世界恐慌、さらに1930年に8浜口雄幸内閣で実施された金解禁により。日本経済は9深刻な恐慌に陥った。この未曾有の不況下で、傘下の三井物産や三井銀行が円相場の下落を見込んで、円売り・ドル買いをしているとして、三井財閥は、世論から大きな非難を浴びた。財閥批判が高まるなかで、1932年、10血盟団員に( ニ )が暗殺され、三井財閥においても、社会事業への寄付や株式公開など、「財閥の転向」と呼ばれる様々な改革が行われた。

問9.1930年代のこれに関する記述として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。


 a.議会での井上準之助蔵相の失言により、銀行の取り付け騒ぎが生じた

 b.鈴木商店が倒産し、台湾銀行が休業に追い込まれた
 c.重要産業統制法が公布され、指定産業でのカルテル結成をうながした
 d.対米輸出が増加し、生糸・繭の価格が暴騰した

問10.これを率いた人物は誰か。その名をしるせ。」


(答:ニ井上準之助、問9c、問10井上日召)〉


2016明大・経営:「

問14 浜口雄幸内閣の政策としてふさわしいものをA~Dの中から一つ選べ。

 Aモラトリアムの発令

 B重要産業統制法の制定
 C台湾銀行の救済
 D金輸出再禁止」

(答:B)〉

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