東海林直人のゴロテマ日本史

英語では単語力が不可欠。単なる語彙力は無意味。日本史でも同じ。テーマ史という流れの中にはまってこそ得点力が倍加します。

沖縄返還の覚え方◇A近現701

2019年02月01日 21時21分53秒 | 入試対策講座

□701.沖縄史②(沖縄返還)◇A

[ゴロ]沖縄泣いてる/夏復帰


沖縄返還協定調印・1971)(1972・本土復帰


[句意]沖縄が泣いている、夏の復帰実現で、という句。泣いている意味は、復帰を喜ぶ泣きと、基地の全面返還がならない悔し泣きの,両方の意味を込めています。


[point]

1.1971年沖縄返還協定が締結され、翌年1972年初夏(5月)に本土復帰が実現した。

[解説]

1.米軍の直接統治(1945~52):
 a.沖縄が最前線基地化し、沖縄県民に対する米兵・軍属による事件・事故多発。
 b.沖縄戦での沖縄県民の犠牲者は約15万人になり、沖縄県民の約1/4が死亡。つぎつぎに沖縄戦に従軍し戦死した学徒隊の慰霊碑の建立される(ひめゆりの塔1946など)。

2.アメリカ統治(琉球列島米国民政府)下で琉球政府による政治体制(1952~72):

 a.日米行政協定(1952)が締結され、日本はアメリカ駐留軍の施設を無償で提供し、駐留費用は日本側が負担することなどを認めた。
 b.さらにMSA協定(1954)で、日本はアメリカの援助(兵器や農産物など)を受けるかわりに、自衛力の増強を義務づけられ、自衛隊を発足させた。
 c.この間、給食中の小学校に米軍戦闘機が墜落炎上、児童11人を含む17人が死亡する大惨事(現うるま市)宮森小学校戦闘機墜落事故(1959)が発生。
 d.佐藤栄作首相が「核兵器をつくらず、もたず、もちこませず」という非核三原則を表明(1967)。
 e.米軍B52爆撃機(核搭載機)が嘉手納基地で墜落炎上(1968)。
 f.琉球政府主席公選実現(1968):革新統一候補屋良朝苗(やらちょうびょう)が当選。
 g.コザ(現沖縄市)暴動(1970):米軍兵士が連続して起こした2件の交通事故を契機におこった大反米暴動。

3.沖縄返還協定調印(1971)沖縄県の本土復帰なる(1972):

 ①沖縄のアメリカ統治を終了させ、日本の施政下に復帰させた日米間の協定。
 ②アメリカの利益を最大限尊重(日本政府は米軍政下で設置された琉球水道公社・琉球電力公社・琉球開発金融公社のほか、那覇空港施設・琉球政府庁舎、あるいは航空保安施設、航路標識などの民生用資産の引き継ぎの代金1億7500万ドルを含む特別支出金として総額3億2000万ドルを支払う)。
→「これらの施設・資産は無償譲渡されるべきもの」「沖縄は日本政府によって金で買い取られた」という批判噴出。
 ③政府がアメリカとの間に、非核三原則の拡大解釈や核兵器持ち込みに関する秘密協定などを結んでいたことが2010年に明らかになった。

4.県民は日本復帰と同時に米軍基地の全面返還を望む。しかし在日米軍基地に占める沖縄県の米軍基地面積割合は、約60%(1972)→約75%(2000)とむしろ増えている(第二の琉球処分?)。


2017慶大・商:「

(3)下線部(ウ)沖縄県を設置したについて、沖縄県で衆議院議員選挙が最初に実施されたのは何年かを書きなさい。」

(答:1912年)


2017津田塾大・学芸(国際関係):「

 近現代の日本において、国政選挙権の付与範囲は変化していった。
 1889年に発布された大日本帝国憲法では、帝国議会は[ 1 ]院と衆議院からなる二院制をとることが定めらていた。同年に公布された衆議院議員選拳法により、衆議院の選挙人は満25歳以上の男性とされ、[ 2 ]税15円以上の納税資格制限が設けられ、翌年に第1回衆議院議員総選挙が実施された。なお、沖縄県では、a参政権獲得運動は進められたものの、最初の衆議院議員選挙が実施されたのは1912年であった。

問1.空欄[1~2]にもっとも適当な語を入れなさい。


問2.下線部aについて、沖縄県庁職員を辞して、政治結社である沖縄倶楽部を結成し、この運動を推進した人物を答えなさい。」


(答:問1→1貴族、2直接国、問2謝花昇)〉


2017早大・文:「

 1945年4月、アメリカ軍は沖縄本島に上陸し、以後、d一般県民を巻き込む激しい戦闘が3ヵ月近く続いた。その結果、アメリカ軍は沖縄全島を占領し、日本政府の行政権を停止した。

 1951年9月、サンフランシスコ平和条約が調印され、翌年4月、発効により占領は終結した。しかし、沖縄は引き続きアメリカの施政権下におかれた。一方、平和条約と同時に調印された日米安全保障条約により、アメリカ軍は日本に駐留し続けた。1952年、この条約にもとづいて[ E ]が締結され、日本はアメリカ駐留軍の施設を無償で提供し、駐留費用お日本側が負担することなどを認めた。沖縄では1949年、本格的な軍事基地の建設がはじまり、1953年、アメリカは土地収用令を公布して、土地の強制収容をすすめた。1954年には日本とアメリカはeMSA協定をむすんだ。


 ペリーが那覇と浦賀に来航してから1世紀が経過していた。


問8 下線dに関する説明として誤っているものはどれか。1つ選べ。

 ア 中等学校の男女生徒が鉄血勤皇隊・女子学徒隊に編成された。
 イ 戦闘の妨げになるなどの理由から住民の集団白決が発生した。
 ウ スパイ容疑で住民が日本軍によって殺害される事態が発生した。
 エ アメリカ軍による激烈な攻撃は「鉄の暴風」と呼ばれる。
 オ 日本軍は本土決戦を避けるため、沖縄戦に全力を投入した。

問9 空欄Eにあてはまる語句を漢字6字で記入しなさい。


問10 下線eに関する説明として誤っているものはどれか。lつ選べ。

 ア アメリカの相互安全保障法による援助を受けることを規定した協定である。
 イ 日米相互防衛援助協定のほかに4つの協定が締結された。
 ウ この協定によって日本はアメリカから経済・軍事援助を受けることになった。
 エ この協定によつて日本は防衛力増強の義務をアメリカに対して負うことになった。
 オ この協定の成立にともなって、日本政府は陸・海・空の3自衛隊を設置した。」

(答:問8オ×※日本軍は本土決戦を考えていた、問9日米行政協定、問10イ×※日米相互防衛援助協定=日米MSA協定)〉


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