私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

ありのままの台湾紀行(後編)

2004年03月10日 00時25分40秒 | 台湾関連

2月4日(水)フリー日

 昨日はガイド付きの観光コースで台北市内を回ったが、今日はフリー日である。朝食を食べながら何処へ行くか思案する。しかし今日も雨だ。このままでは台湾滞在中はずっと雨に降られそうだ。朝食後、MRTの民權西路站に向かう。ガイドブックにMRT一日乗り放題の切符が係員がいる窓口で150元で買えると書いてあるが、言葉が分からないのでガイドブックの一日乗車券(一日票)の部分を示すと理解してくれたようで、テレカ見たいなカード式の切符を出してくれた。その場で切符に名前を書けばOKである。  

 この一日乗車券は切符の投入口がある普通の自動改札口ではなく、一日票との表示のある扉を開ける専用出入り口から入るので煩わしいが仕方ない。普通の切符と違い磁気カードではないため自動改札は使用出来ないようである。でも磁気カードとは異なり手元に残るので、記念になりました。


 最初は民權西路站を通る淡新線と相互乗り入れしている中和線で南勢角站へ向かう。しかしずっと地下を走り景色は何も見えなかった。南勢角站はごちゃごちゃした町である。バイクが倒れたままになっていたり、編み笠みたいな物を被り手に箒を持って雨にも関わらず掃除をしている人(左画像)が5,6人おりましたので、このような人がいなければ町はゴミだらけになってしまうでしょう。付近にある「全家便利商店」(右上画像)はコンビニのファミリーマートのことであり、また「麥當勞」はマクドナルドの店(右下画像)でした。看板のデザインは同じですからすぐ分かります。

 再び南勢角站から古亭站まで戻り今度は淡新線で新店站まで行く。ずっと地下で景色は見えず。新店站はすぐそばに川が流れており、小さな2人乗りのボートが沢山繋がれていた。川沿いには土産物屋が並んでいるが雨なので人の姿はない。この雨ではさすがにボートに乗っている人はいなかった。川を渡る大きな吊り橋あり、橋の上から雨に煙る川の眺めが良い。吊り橋を渡ると、肉屋の前に止まっていた車から中年の男が籠に入れて持って来た鶏の足を掴んで肉屋の前に置かれた籠の中に移し替えていたが、その籠の横には皮を剥かれた鶏が吊されていたので、これから皮を剥ぐ鶏だろう。

 新店站付近には老婆が野菜などを売り売る露店が多い。カメラを示して写真を撮らせて下さいとジェスチャーをしたが、一人の老婆はニコニコして撮らせてくれたが、もう一人は困るという仕草をしたので諦めた。

  台湾では5、6階建て位のマンションのような住宅が多いが、上階でも窓に鉄格子(左画像)が入っているが、初日に空港まで迎えにきたガイドさんの話では泥棒除けとのことでした。ということは屋上からロープを使い窓から侵入する泥棒がいるという訳である。

  新店站から台北車站まで戻り、台北市内に残る旧日本の遺産建物を巡ることにする。相変わらず雨が降っており、おまけに傘をさしていることから地図を見るのも大変である。最初は台北市役所であったという行政院を見る。出入り口には憲兵が厳重な警備している。写真を撮ろうとしたが、そんな雰囲気ではありませんでした。その前は大きな交差点となっており、反対側には台北州庁舎であった監察院(右画像)がある。どちらも今の日本には、こんな立派な建物は残っていないだろう。

  次は台北帝国大学付属病院であった台大病院(左画像)である。煉瓦造りの重厚な建物であり、マラリアやコレラと言った熱帯病の世界的な研究機関であったとのことで、雨にもかかわらず通院患者であろうか人が一杯である。よく見るとマスクをしている人が多く、これは新型肺炎(SARS)ではないかと心配になり、内部の見学はやめた。病院のすぐ前はMRTの站がある。台大病院の前は総督官邸であった台北賓館がある。

 道路を横断したところが、二二八公園である。この公園は台湾にとって戦後最大の悲劇となった二二八事件の記念碑や、台湾総統府博物館であった国立台湾博物館などがあるところである。博物館は残念ながら休館日でした。
 さて、ここで両替に挑戦してみようと総統府のとなり台湾銀行に入る。この銀行も旧日本の遺産である。入り口には警備員が拳銃付けて立っている。さあ、言葉分からない。案内人にガイドブックの両替のページを指示したところ、担当の窓口に案内してくれた。そこで申請書名前。国籍、宿泊ホテル名、パスポートナンバーを書く。そして、すぐ前の窓口に出したところ、どうも違うと言っているようで、紙に27と書いたので27番の窓口へ行く。そこで1万円を両替したが 3062元となった。窓口の行員は1万円を透かして見ていたので偽札かどうかの確認をしていた。それからパスポートを提示して両替を完了した。日本で言えば日本銀行の本店で両替したと同じで、自分で言うのも何だが度胸があるなあ。

  台湾銀行横の道路を渡ると台湾総督府であった総統府(右画像)の大きな建物がそびえている。憲兵が警備しており、気を付けの姿勢である。道路との境には柵などないが、歩行者が少しでも敷地に入ると憲兵が警笛を鳴らしていた。敷地内に警察の白バイとパトカーがおり、偉い人が出てきてリムジンに乗り込み、その先導で走り去ったが総統であろうか。
 台北の中心にそびえるように立つこの総統府は、日本統治時代の1919年(大正8年)3月に竣工以来、すでに85年の歳月を経ている訳だが、その威容は今日でも全く色褪せていないようである。中央に高塔を抱く煉瓦造りの建物は美しく、建築学的な視点でも特筆されており、しかも、竣工時にはこのような大型で高層の建築物はなかったであろうから、天を突くようなこの建物は、市内のどこからでも確認できたことであろう。平日の午前中には公開しているそうですが、すでに午後になっているので残念ながら見学は出来ませんでした。

  さて、昼食は食べていないし、どこかの食堂にでも入ろうかと思いながらぶらぶらと歩いて台北站(駅)方向に向かう(左画像)。狭い歩道にも関わらず、また露店が沢山出ていることもあり、実に歩きにくい。これでは通行方法を巡るトラブルなどあるのではないかと思うが幸いそんな場面には出会うことはなかった。

 今度はMRTではなく従来からの鉄道に乗って見ようと思い台北車站(台北駅)に入る。構内にあったコンビニで昼食用のパンとジュースを買う。日本の3分の1位の価格である。台北車站は中国宮殿様式の壮麗な地上4階、地下6階ある大規模建築であり、1階に切符売り場があるが東京駅などのように多くの人がせわしなく構内を歩いているという姿はなく、切符売り場も行列が出来ているなどの様子はありませんでした。朝夕の通勤通学時間帯でなかったのですいていたのかも知れません。

 台湾の列車の種類は日本の特急列車になる「自強号(ツーチャンハォ)」、設備は自強号と変わらないが車両がやや古い「呂光号(チークヮンハォ)」、日本で言う急行列車だが車両が古い「復興号(フーシンハォ)」、それと「電車」と言うのがあるが、これは車両が日本でいう電車ではなく一つの列車の種別であり、近郊に行く列車が電車と表示されているようである。もう一つ「普快」と言うのがあるそうですが、これは電車よりさらに下位の列車の種類のようですが、詳しいことは分かりません。 このように台湾では列車種別ごとに運賃が異なる方式を採用している訳であり、その運賃は日本に比べて格段に安いことから、「この運賃で本当に大丈夫かな。経営がなりたつのか」と心配になるほどの運賃でした。

 あまり遠くに行けないので基隆まで行って見ることにする。時刻表を見ると、すぐ基隆行きの電車があるのようですから、まず切符の券売機で、基隆までの料金を確認し、硬貨を投入し、最初に一張(張とは切符の枚数のことです)と表示のあるボタンを押し、次に列車種別である「電車」の表示のあるボタンを押し列車種別を決定し、次に全票(大人の意味です) のボタンを押す。そうすると投入した硬貨の範囲で行くことが出来る行き先の駅名のランプが全部点灯し表示されるので、行き先の基隆というボタンを押すと車票(切符)とおつりが出て来た。MRTのようにテレカのようなものではなく、日本と同じ大きさの硬券ではない切符でした。

 エスカレーターを降りると改札口があり、自動改札機ではなく駅係員がおり、鋏を入れてもらい入場する方式である。台湾では改札口と出口が分かれいるようで、月台(プラットホーム)に入るのは改札口、月台から出るのは出口と言う訳です。出口で使用済の車票(切符)を渡すのは日本と同じとのことです。

 ここで車票(切符)を券売機で買う時の方法をおさらいしておきましょう。まず
1. 一張 / 二張 / 三張 / 四張のボタンで枚数を決定。
2. 自強 / 呂光 / 復興 / 電車 / 普快から列車種別を決定。
3. 全票(大人) / 孩童(子供) / 老障(老人) / 成人去回(大人往復) / 孩童去回(子供往復) から決定。
4. 行先を選択(行先はボタンに書いてある)
です。どの時点でコインを投入するか忘れてしまったが、列車種別を決定した後だったか先だったか。ともかく券売機にボタンを押す順番の番号表示があるのでわかります。

 台北車站(台北駅)の月台(プラットホーム)はエスカレーターを降りたところにあり4本の月台がある。その1本の月台の左右に線路がありますので、一つの月台はA、Bと区分表示されています。ですから台北車站には1A、1B、2A、2B、3A、3B、4A、4Bの日本でいう1番線から8番線まである訳です。

 1A、1B、2A、2Bの月台は新竹、台中、高雄方面であり、3A、3B、4A、4Bの月台は基隆、花連、台東方面である。大きな表示があるので間違えることはないでしょう。また時刻表にも乗車する列車の月台が表示されているので、乗車前に確認しておけば大丈夫です。従来からの鉄道の月台は以上のように一つの月台をA,Bと表現しているがMRTの方はの月台は日本と同じ、月台の面をそれぞれ「第1月台」「第2月台」と称しているようです。

 基隆行きの電車を待っていると、隣の月台に高雄行きの復興号が入って来た。日本ではほとんど見られなくなった機関車が客車を引くもので、旅情が感じられる。こんな客車で時間を掛けて台湾をのんびりと旅をしたら良いだろうなあと思いました。まもなく基隆行きの電車が入線して来た。車体は日本の山の手線と同じような電車で横向きの長い椅子が対面して左右にあるもので、これでは旅情など感じられない。

  台北車站を発車した電車は、MRTとは違い左側通行であり、線路幅も日本と同じ狭軌である。次の松山車站(松山駅)を過ぎるころまでは地下を走るのでつまらないが、まもなく地上に出る。電車のスピードは遅い。もっと速度を出さないかとイライラしてしまう。私の感じでは60キロ位ではないか。それに各駅停車なのでなおさら感じる。約30分でやっと基隆車站(基隆駅)(右画像)に着く。

 駅前広場に先は港であり、大型の貨物船が停泊している。基隆は台湾を代表する国際貿易港であるそうであり、また1年のうち3分の2は雨が降る街と言われており、当日も雨でした。ここから石垣島までのフェリーも出ているそうです。

 基隆車站に着いてすぐ、トイレに行きたくなった。切符売り場を外に出た所にあったので飛び込む。便器は日本と同じ和式であるが、トイレットペーパーもなく、そのフォルダーらしいものもないのです。ポケットを探るとテッシュペーパーがあったので、仕方ないのでそれで尻を拭けば良いかなと思ったが、トイレに流すとパイプが詰まってしまうのではないかと心配したのです。しゃがんだ時に横に、ポリバケツが置いてあったので、中を見ると、糞らしいものが付いた紙が入っているので、どうも尻を拭いた紙をそこに入れるようになっているようで、私も尻を拭いた後のテッシュペーパーをトイレに流さず、そのポリバケツ入れました。  

 この方法で良かったかどうかに分かりませんが、ガイドブックにも書かれていませんので、その後、私の糞が付いたテッシュペーパーがどうなってしまったか分かりません。尻を拭いた後の紙をポリバケツに入れるのが正解なら、沢山人が入った後でしたら糞の臭いでたまりませんね。しかし後でJTBからもらったガイドブックを良く見たら、トイレの汚水を流す管が細くて詰まってしまうので、尻を拭いた後の紙を流さずポリバケツに入れるトイレもあると書いてありましたので私のやったことは正しかったようです。

  雨が降っているのに道ばたで70歳位の老婆が、日本の今川焼きに似たものを売っている。3個20元とか。あまり売れていないようなので3個買って食べる。台湾では、このように年寄りが道ばたで露店を出している姿を多く見かける。広場の港の所に回転寿司があった。形式は日本と同じようである。看板は「迴轉壽司」とSUSHI EXPRESS(左画像)であり、何となく意味は分かるでしょう。

 再び、基隆車站から台北車站まで戻る。それからMRTでまだ乗っていないところの乗るために、今度は昆陽行の板南線に乗る。しかし、昆陽までは全部地下で、景色が見えない。昆陽で引き返し、忠孝復興站で木柵線に乗り換える。木柵線は板南線と違い、高架式の最初に開通したゴムタイヤを履いた新交通システム(MRT)だそうであり、よって台北市内の風景を眺めるのは最適である。最初は動物園站まで行き、すぐに引き返し、中山國中站まで乗り、忠孝復興站で再び乗り換えて板南線に乗り、昨日行っているが龍山寺にまた向かう。板南線は龍山寺の先の新浦まで伸びているが、現在延長工事が行われているそうです。しかし、昆陽と龍山寺の間は全部地下で景色が見えない。

 台北を訪れてMRTに乗車するなら淡新線の圓山站から淡水までと木柵線の全線が良いでしょう。他の路線は景色が見えない地下を通っていますからつまらないです。

  龍山寺站を出る。相変わらず雨が降っている。ここには小さな占い店が軒を連ねており、どの店も占い師とお客が2人位しか入れない広さである。ここには女性占い師が多いようである。台湾で最古の寺院である龍山寺は、昨日来た時より人が多い。それも昨日は午前中であったせいもありますが、若い女性が目立つ。長さ40センチ位のお線香を両手で持って頭の上に上げて、何かを祈っている(左画像)。また台の上には、果物やお菓子類がお供物として沢山乗っている。この大量なお供物を後でどうするのか心配になる量です。すでに暗くなっているので、境内はイルミネーションに飾られて綺麗である(下画像)。台北を訪れる機会がある人は、この龍山寺の見学を欠かしてはならないと思いました。なぜ若い女性が目立つのか、昨日ガイドから、赤い糸が入った龍山寺の名入りの袋を貰ったが、この龍山寺が縁結びのお寺として有名であるからでしょう。




 龍山寺站から板南線で再び台北車站の戻り、再び淡新線に乗り換えて、民權西路站まで戻る。夕食がまだでしたので、昨日入った同じ全自助餐の店で済ませる。90元でした。安い。

 ホテルに戻り、荷物を置いた後、再び出掛ける。台湾の最後の夜であるので、いかがわしいことを考えている訳ではありませんが、町中をもっと見たいと思いMRTの木柵線に乗った時に一番にぎやかであると感じた忠孝復興站付近に行って見ることにする。雨の中ですが、「うわー」と声を出したくなる位に人が多い。忠孝復興站の前には大きな太平洋そごうデパートがあり、裏道に入れば、どの街でも見られるような安価で食事が出来る店や屋台が沢山ある。本当に台湾では、どの街を歩いても良く食べている人が多い。これが雨でなければもっと凄い人出ではないかと思う。

 付近散策後に忠孝復興站に戻り、台北車站で淡新線に乗り換え民權西路站まで戻り、ホテルに帰る。いや雨の中良く歩いた。これで寒かったら、そんな気分にはなれないだろう。ホテルの風呂は、日本の温泉や家庭風呂のように肩まで入るのが難しい。これでは風呂に入った気分にはなれないし、やはり日本人は旅に来たら大きな風呂で温泉でなければと思った。MRTの新北役站の近くには温泉があるそうで、行けば良かったかな。でももう時間がない。残念だ。今日歩いたことをレポート用紙にメモし、午後11時30分寝る。このホテルのベットは成田のホテルより寝心地が良かった。


2月5日(木)帰国日
 さあ、台湾最後の日となりました。昨日は少し歩き回りすぎたので、疲れていたせいか。7時30分頃に目覚める。さっそく、自助式精美早餐に向かう。メニューは、少し変化があるようである。今日はパンの他にお粥を食べる。これが美味しい。

  午後0時にガイドが迎えにくることになっているので、それまで、ホテル周辺の散策にでる。今日も雨である。台湾滞在中、これで4日間雨に降られた訳である。ホテル近くの民權西路站のそばの十字路交差点には屋根付きの横断歩道橋がある。角には台湾銀行があるが、この警備員も腰に拳銃を付けている。横断歩道橋の上から眺めると、車よりバイクが多い感じだ(左画像)。日本にはないと思いますが、バイクが赤信号で止まっている時の専用のラインで囲まれた場所(右画像)が、それが普通の車の停止位置より前にあり、そこに沢山のバイクが青信号になるのを待っており、青信号で、走り出す瞬間は壮観です。日本のゲンチャリ暴走族のようでした。

 朝の通勤時間帯ですが、横断歩道橋の上にしゃがみ込んでいる老人がおり、前に茶碗のような物を置いているので、物乞いのようである。後でガイドさんに聞いたら、台湾は60歳定年だそうですが、年金というものはないそうで、だから、街を歩く年寄りが屋台で商売をしていたり、日本でいう朝市のようなことをして現金収入を得ているのでしょう。台湾に滞在中に、物乞いをしている人を3人見ましたが、60歳になればまず年金を受給される日本は良い国であると思いました。

  散策していたら、北市警察局分局の建物(左画像)がありました。日本統治時代の古い建物のようです。前にはパトカーが4台位止まっていました。台湾のパトカーは緊急時は赤灯と青灯の両方を点灯させているようです。その付近には「朝代戯院」という看板がある建物があったが、いわゆる映画館である。ラストサムライの看板がありましたが、台湾では「未代武士」とのタイトルが付いていました。

 次に農安街の朝光市場に行って見ました。まだ午前中ですが、すでに開いている店があり、食べ物屋であれば必ず2,3人の客が入っている。裏通りという感じですが、お客がくるのかと心配になってしまう。
  
  台湾では女性の整形が流行しているか分からないが看板らしいのがあったの写真(右画像)に撮ったが、術前と術後20天の顔があまりにも違うので驚いた。またその近くに「福客多商店」との看板のある店(左画像)もあったが、これもコンビニだろう。また「収費停車場。毎小時60元」の看板(右下画像)があったが有料駐車場であろうか。付近の道路は駐車車両で一杯でしたが、「収費停車場」はがらがらでした。

 さあ、今日も雨だったがホテルに戻ろう。観光客が行かない所を散策したので、変な目で見られたこともあったが、カメラを片手にふらふらしているのだから仕方がない。観光客と分かり、日本人と知ったら声を掛けてくると思ったが、そのようなことは、龍山寺で1回あっただけである。台湾は本当に親日の国なのか。駅や買い物中に声を掛けられて「日本人です」と答えても、特に親しげに話す人にも会いませんでしたし、日本統治を受けた時代の年寄りでも同じです。たまたま、そんな人に会わなかったのか。あるいは他の理由かいまだに分かりません。

 さて荷物をまとめ、チェックアウトを済ませて、ロビーでガイドさんが来るのを待っていると午後0時5分前に姿を現す。今度の車はベンツである。ガイドは今日の帰国を担当するのは私一人だけだと言う。それにベンツでは贅沢である。

 中正国際空港(中正国際機場)に向かい。高速道路を行く。雨が強い。途中交通事故があり、トラックと乗用車が衝突して大破していた。ガイドは「飛ばし過ぎてスリップしたのでしょう」という。台湾に着いた時と同じガイドさんでしたが、日本語は何とか理解出来るようですが発音がややおかしい。東京国際空港の正しい発音の仕方を教えて欲しいと言われた。ガイドさんも色々苦労が多いようである。

 中正国際空港には午後1時頃に着く。エヤーニッポンのチェックインカウンターに行き、航空券の引換券を示し搭乗券を受け取る。このEL2104便はエバー航空と共同運行なのですが、機体はエヤーニッポンのものである。
 また両替をしなければならないので中國國際商業銀行中正機場分行の窓口に行く。当日のRateは0.3176のこと財布から台湾元を出して日本の円に両替する。署名するだけで簡単である。出境審査の所でガイドさんと握手して別れる。

 出境審査はパスポート、来る時に書いた出入境カード、搭乗券を出す。特に質問はない。税関手荷物検査とハイジャック防止のX線の検査を受けて搭乗ゲートに向かう。台湾の硬貨の元が少し残っているので、これで昼食を食べようとうろうろしていたら「ラーメン」と書かれた日本で良く見かける旗があった。さっそく150元で、台湾最後の食事をとる。旨い。さすがに台湾である。台湾で食べた最初で最後のラーメンでした。出発時刻は14時55分発でしたので、しばらく滑走路を離着陸する航空機を眺めていた。天気は雨が上がったが曇り空である。

 しばらくすると成田からのエヤーニッポン機が着陸し、搭乗ゲートに横付けになった。帰国する航空機が来てほっとする。14時20分まもなく搭乗のアナウンスがあり、機内に入る。ほぼ満席である。
予定通り離陸し、成田には18時38分に到着しました。帰りもほとんど雲ばかりで地上は見えなかった。


台湾紀行の感想

 台湾紀行を終え、日本は良い国だとの認識を新たにしました。特にガイドさんから台湾では60歳定年であり、年金などないとの話を聞き、その後はどうして生活をするのか。病気になったらどうなるかなど、それに引き替え日本は何と幸福なのでしょうか。物価は日本の3分の1ないし5分の1と思いますが、年寄りが雨の降る中、路傍に座って物乞いしている姿は哀れなものです。

 日本ではよく見かける青いビニールシートで囲われて生活しているホームレスのような人は見かけませんでしたが、年寄りが路傍にで少しでも現金収入を得ようと、露店を細々とやっているのも良く見かけました。日本でいう朝市のような感じなのですが、これも何だか哀れさを感じさせました。また年寄りだけでなく若い女性が路傍でアクセサリーなどを販売している姿もありました。

 若者の服装は、日本の方が個性を通り過ぎてだらしない感じで、台湾の若者で、「何という服装しているのか」とか「なんという着方しているのか」という人には一度も会いませんでした。

 風紀については、繁華街に行けば必ずあるようなアダルトグッツを売る店や風俗産業は滞在中は一度も見かけませんでした。その点は日本の方が乱れている感じがします。人口密度が高いからと思いますが、どこを歩いても人が多く、また倒産してシャッターが長期間閉まったままの店は1軒も見ることはなく、日本では良く見かける落書きなどありませんでした。

 台湾は急速に発展している国であるとの印象で、非常に活気がある感じです。私の台湾訪問の目的である「台湾は親日国なのか」についてですが、わずか3泊4日の滞在でしたので、それだけで判断は出来ませんが、そんな印象はあまりありませんでした。現地のガイド、ホテルの人、観光客相手の店の人などは、日本人でもどこの国に人でも親切なのは当然でしょうが、普通の市民に「私は日本人です」と言っても、急に愛想が良くなったとか、親切にしてくれたとか。そんなことは一度もありませんでした。「日本人?ああ、そうなの」という感じです。支那や韓国では罵声を浴びせられることがあるそうですが、私が観光客もめったに行かない所に行ったせいか、あるいは人相が悪いせいか、変な目つきで見られたこともありました。

 やはり日本人ですから、文化も習慣も異なる外国は疲れます。食べ物は何を食べても美味しことは良かったです。また女性であまり太っている人を見かけませんでしたので、この点についてガイドさんが「台湾では食事の後に色々なお茶を飲んでいます。だから太っている人が少ないのでしょう」と言っていました。

 メディアが流す旅番組は良いことしか伝えませんが、私は台湾の印象をありのままに書いて見ました。長くなってしまいましたが、読者の方からのご感想をお待ち申し上げます。 以上。
(2004/03/10)  

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6 コメント

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Unknown (Nescafe on away)
2010-02-04 18:22:11
初めまして。私は台北は二度、観光で渡航しています。
 台湾紀行文の後半で気になったのが「人相が悪いせいか、変な目つきでみられた事も有りました。」という所です。私の想像ではそちら様は70~80歳代の方だと思いますが、台北には時々、日本人でも右翼思想の老人や放蕩や酒色が目的のやくざ者などが滞在しそれらによる迷惑を心配しているのではないかと思われます。実はある区域には女郎屋などの花街も有ります。・・これが第一の理由かと。
 第二に台北は海峡を挟んで中國からの引っ越し、出稼ぎ中國人が相当の割合なため、勢力意識のせいか日本人に対して警戒する中國人の目とも思われます。
 また来年あたり渡航しようかと思います。その時は嫁を一人、頂戴しようと考えております。
Unknown (forest(管理人))
2010-02-05 20:36:39
>Nescafe on awayさん

コメントありがとうございます。台湾に行ったのは私が57歳の時で、「人相が悪いせいか、変な目つきでみられた事も有りました。」と書いたのは、そのような体験をしたからですが、半分冗談も入っており、おそらく、私は一人で、観光客があまり行かない所をブラブラしていたことや、身長が高く、体格もがっちりしていますので、そのような人と間違われてしまったかも知れませんね。

私が日本人であることを知らずに、声をかけられたことは何度かありましたが、日本人ですと言っても、警戒されたことはありませんでした。

年寄りの方は私が日本人であることが分かったのか親しげに声を掛けてきましたし、台湾には悪い印象は持っていません。また行きたいとは思いますが、毎日忙しく、何日も家をあけることが出来なくなりましたので、台湾を紹介する番組があったら見るだけで我慢しようかと思っています。
Unknown (Aaa)
2010-08-30 21:01:06
こんにちは。
私は台湾にはまってしまった30代の主婦です。
二十歳の頃から毎年台湾に行っていました。
これまでに10回以上台湾へ行っています。

私は台湾はとても親日だと思います。
アジアやヨーロッパ、色んな国を旅しましたが日本人と分かってボラれるどころかオマケしてくれる国を他に知りません。

日本で言う甘味処のような屋台にに入った時のこと、入った時間が遅くお店の人は閉店準備をしていました。
ひとつデザートを頼んだだけでしたが、次から次へと色々なデザートを持ってこられました。
頼んでないと私が言うと、「今日作った分は捨ててしまうし、せっかくだから台湾の料理を沢山食べてみて」と
言ってくれて色んな種類のデザートを堪能させてもらいました。

また淡水では若い女性の絵かきに日本人かと声をかけられ絵をのモデルになってくれと頼まれたり、
ファーストフードのお店では学生達が寄って来て、一緒のテーブルで食べないかと誘われたりしました。
またお店のおばあちゃんが日本統治時代に覚えた日本語を話したいと言って来て
店先で当時の話などを聞かせてもらったりしました。
ちなみにその時、台湾の建物の1階部分がアーケード状になっているのは日本が計画的に建築規制をしてできあがり今に至っていて
「アーケードを作ってくれた日本にとっても感謝してますよ」と笑って話してくれました。
他の国で日本に感謝と言ってくれるなんてあり得ない話だと思いませんか?!

またホテルでは日本人だと部屋のランクアップをよくしてくれます。
これは日本人が部屋の使いかたが綺麗でホテル側が日本人を好むからだとホテルのスタッフが言っていました。
ホテル業界ではあたりまえの認識だそうです。
なんだかちょっと嬉しいです。

台湾では日本がブームになった事があり、日本好きの若い子が増えたのせいもあると思いますが
上記以外にも行くたびに親切にされ、日本人に優しい国だなと感じます。

今度、台湾に行かれましたら道端でガイドブックを広げて立ってみて下さい。
きっと誰かが「大丈夫?迷った?」と声をかけて来てくれると思います。
そしてその人と言葉が通じなかったり、目的の場所が分からなかったらまた通りすがりの別の誰かが入って来て
ああだこうだと言いながら教えてくれます。

日本人に優しいと言うより、元々あまり警戒心のない人懐こい人が多い国なのかも知れませんが、
その他の近隣国では体験出来ない、人と人とのふれ合いが楽しめる国だと思います。

Unknown (forest(管理人))
2010-09-01 23:19:50
>Aaaさん

コメントありがとうございます。台湾に行ったのはもう何年の前のことですが、どこか海外旅行に行きたいと思って計画したのが台湾だった訳で、それは日本遺産を今でも大事にしている親日国であるのが主な理由でした。それとは正反対の支那、韓国は当然ながら検討外でした。

確かに日本人だと分かっても、不利益な扱いをされことはなく、言葉は通じなくとも、台湾の方の誠意が伝わってきましたし、ブログにも書きましたが龍山寺で「日本の方ですか」と声を掛けられ「新宿に住んでいました」と言って、日本人と話すことが懐かしそうで、なんとも穏やかな表情でしたね。

淡水に行かれたそうですが、MRTの淡水站(駅)を出るとすぐ前が川で、露店がたくさん出ていたような気がします。ホテルでは朝食だけにして、後はすべて外で食べましたが、ともかく安いのと美味しいので、色々な店に入って色々なものを食べましたね。

台北市内を中心にまわりましたが、日本遺産の建物も多く、大事にしてくれているとして嬉しくなりました。

一人旅でしたので、狭いシングル部屋かと思ったが、明らかに広い二人部屋でしたので、ゆっくり過ごせたのが良かったですね。

台湾では日本が好きな人たちのことを、漢字は忘れましたが「ハーリー族」とか言うらしく、ともかく日本のことは何でも知りたいと言う訳で、だから日本に旅行に行きたいとして、実際に訪れる方も多い訳です。

特亜国と呼ばれる国の観光客は何かと問題を起こしていますが、台湾の方ではそのような方はいないようで、そう考えると、日本が友好関係を維持したいのは台湾だけで、他の近隣国とは距離をおいた方が良く、観光客としても歓迎出来ないと言えるでしょう。

また台湾に行く機会があるかどうか分かりませんが、特亜国のことより台湾のことに関心を持って、台湾発のほのぼのするニュースを期待しております。
「ありのまま」にわかる台湾の模様 (成田あいる)
2018-02-08 20:44:15
ご親切にも台湾のご旅行のエントリを薦めていただき、ありがとうございます。

さて、台湾で大地震が発生してしまいました。
管理人さんが訪問された先はどうなったのでしょうか。
そして現地や被災者の方たちの事が気がかりです。
犠牲になった方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方の一日も早い回復と被災地の復興をお祈りします。

さて、この一連のエントリはご旅行の様子が「ありのまま」に、そして台湾の模様も、まるで実際に旅しているように「ありのまま」に感じられます。

日本では見られない「泥棒除け」があると言う事は、それほど治安が悪いのでしょうか。
それでも、「台湾国籍」の人物による「狼藉」は、日本では余り聞きませんが。。。

コンビニと言い「マック」と言い、日本ではお馴染みの看板が見られますが、建物を見ても大事にすべきところは大事にしている国だという印象を受けます。
確かに「親日国」と言う事は、この一連の記事を拝見した限りでは伺えませんでしたが、「日本の遺産建物」を大事にしているところで「親日的」と言う感じがしました。

暮らしやすいと言えば暮らしやすいかもしれませんが、お年寄りの方たちが「屋台」や「物乞い」をしているところを見ると、年金がある日本の方がはるかに良いと感じました。
「年金減額」で訴訟をしている人たちの方が何て寝呆けている事か、と思ってしまいます。
>成田あいるさん (forest(管理人))
2018-02-10 20:31:28
コメントありがとうございます。私が行ったのは台北周辺だけでしたので、今回の地震の花蓮は150キロくらい離れていますから、台北周辺の被害はなかったと思います。

台湾に行って感じるのは、日本遺産と言うべき建物が残っており、いづれも大事にしていることで、そうなると台湾はかっての日本統治時代を評価していることになるし、親日と言えばそう捉えても良いかと思います。

台湾には日本で言うところの年金がありませんので、年寄りでも働く必要がある訳で、それでも出来る仕事がないとなれば、乞食のような生活となるので、日本の方が良いでしょう。年金や、生活保護が減額されると困ると騒いでいる方がいますが、外国に比べて日本ははるかに幸福であると認識して欲しいものですね。

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