私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

北朝鮮の核兵器保有宣言に沈黙する反核運動

2005年02月13日 22時56分50秒 | 売国奴・反日日本人
~平和宣言で北を非難せずして、今度はなぜか非難した秋葉広島市長~  

 2月9日に、埼玉スタジアムで行われたワールドカップアジア最終予選で敗戦した北朝鮮が、腹いせのように翌10日に核兵器の保有を宣言した。また、北京で行われていた6カ国協議への参加も拒否しており、相手が相手だけに今後どのような展開となるか全く予想出来ない事態になっている。

 悪魔のテロ国家が核兵器を保有し、その指導者の暴政を側近の誰もがたしなめられないのでは、こんな危険なことはない。持ってはいけない物を北朝鮮の独裁者は持ってしまった訳で、自暴自棄となって暴発しないようにし、また何とか核兵器を検証可能な方法で廃棄させることを国際社会は模索すべきである。

 そのためには北朝鮮の独裁者に、暴発は即北朝鮮という国の終焉を覚悟すべきとの認識を持たせるべきであり、独裁者が死亡したり、排除がなされない限り、核兵器による抑止力を維持し、暴発を防ぐべきであろう。

 さて、わが国は世界唯一の被爆国として反核平和運動が行われているが、他国の運動と同様なある奇妙な現象が見られる。それは核廃絶を求める批判の矛先がなぜか米国を中心にして向けられていることであり、米国以外の核保有国に対しては全く行われていないか、非常に穏やかなものとなっている。

 今回の北朝鮮の核兵器保有宣言に対して、広島市の秋葉忠利市長は金正日あてに「平和を希求する多くの人々の願いを踏みにじる暴挙であり、強い憤りを覚える」との抗議文を送ったと報道されているが、一昨年の8月6日の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式での平和宣言は、米国の核政策だけを批判し、核開発を続けていた北朝鮮に対しては何ら言明しなかった記憶がある。であるからして、今回、北が核保有を宣言したから仕方なく抗議文を送って、反核平和運動がいずれの国に対しても公平に行われているかのように装うアリバイ抗議ではないだろうか。

 一昨年、秋葉市長は「東京を火の海にするぞ」と日本を恫喝している北朝鮮の金正日の100%実現する可能性のない広島訪問を招聘していたようで、「この人の頭の中はどうなっているのか」と思わず笑ってしまった記憶があるが、秋葉市長が抗議をした程度で北朝鮮が核兵器を廃棄するとは思えない。

 秋葉市長は核兵器に関して「作らせず、持たせず、使わせない」との珍説である新非核三原則を国是として提言しているが、その原則は当然ながら、わが国の防衛政策を拘束するだけであり、北朝鮮の核開発や保有、使用には何ら影響を与えない訳であるからして、秋葉市長の提言は、わが国の安全を守りにくくするものであると言えるであろう。

 しかし、秋葉市長の努力もむなしく北朝鮮が核兵器保有を宣言してしまった訳だが、「取り返しのつかない事態を引き起こす恐れがある」「核兵器が人類に何をもたらすかに十分思いを致し、核兵器を即刻廃棄するべきだ」と訴えたとしても、北朝鮮が答える訳がなく、一旦保有した核兵器を廃棄することは不可能に近いと考えて、いかに核抑止力を維持して行くか現実的な対応をすべきではなかろうか。

 だが秋葉市長は、6カ国協議を再開して国際社会との対話を進めるよう求め、「核抑止力に頼らない外交努力を」と呼び掛けたとのことだが、北朝鮮は6カ国協議に参加しないと言っているのであるから、今のところその道はない訳で、ならば、ただ抗議するだけでなく直接北朝鮮に出向いて説得されたらどうか。また北朝鮮が核兵器保有を宣言しているのに、「核抑止力に頼らない外交努力」とは、わが国だけは特に新非核三原則を厳守し、米国の核の傘にも依存しないで、外交努力と言う単なる話し合いで、北朝鮮に核兵器の廃棄を要求すれば道は開けるかのように言っているのである。

 まことに甘い考えであり、核兵器という強大な力を持った北朝鮮に対し、こちらが核抑止力がなく、ほとんど無防備の状態で立ち向かって、核兵器廃棄を迫っても無視されることは明らかであり、北朝鮮をして核兵器を廃棄する選択を取らざるを得ない状態に追い込むためには、こちらの力が強大でなければ無理である。

 秋葉市長のこのような考えは、反核平和運動を行っている組織や個人に共通するもので、抗議や署名活動、集会などを行えば核兵器廃絶への道が開かれるとの幻想を持っているのであろう。私も過去に署名を求められたことがあるが、「そんなことをしても何の役にも立ちません」と答えた記憶があり、現に核兵器は廃絶されず、保有数の減少しかならず、それは核の均衡によって生まれたものに過ぎない。

 核兵器は今や使えない兵器として、大戦争を防止してきた。広島・長崎に原爆が投下された後は、核兵器保有国同士の紛争はあったが、核が使用された事例はなく、核保有国が非保有国に使用した例もない。それは保有国同士が使用すれば、その両国の消滅を意味し、また世界人類におびただしい惨禍をもたらすことからして、今日の世界は核兵器による恐怖の均衡によって、なんとか過去のような世界大戦を防止していることを事実として受け止めるべきであろう。

 かってヨーロッパでわき起こった反核平和運動は、後で当時のソ連の陰謀で行われたことが判明するのであるが、わが国の反日サヨクも反米闘争の一環として米国だけに対して抗議し、当時のソ連や支那の核は「きれいな核」として保有を容認するかのような明らかに偏向したものであった。選挙もなく、国民世論もない共産国にそのような運動でも効果があるとの幻想を抱いていたのであろうか。過去に反核平和運動に夢中になった人達に、また出番が来たではないか。悪魔のテロ国家北朝鮮が核保有を宣言したのであるから、秋葉市長でさえ金正日に抗議文を送ったのあるからして、抗議行動を朝鮮総連の前において行ったらどうか。しかし、この沈黙はなぜであろうか。
(2005/02/13)

この記事は「私の主張」第232号
  北朝鮮の核兵器保有宣言に沈黙する反核運動
~平和宣言で北を非難せずして、今度はなぜか非難した秋葉広島市長~
としてHPに掲載されていたものです。