Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

3. 4. 4. 調査、調査の調査、ル・フロック神父の追放

2006年04月30日 | ルフェーブル大司教の伝記


第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)

4.アクション・フランセーズの排斥 (その4)


調査、調査の調査、ル・フロック神父の追放


 4月 26日から 5月 6日まで、門外の聖パウロ修道院の大修道院長 ----- 将来の枢機卿であり、福者に列福される ----- ドン・イルドフォンス・シュステル (Dom Ildefonse Schuster) によって遂行された調査は、彼が教皇に書いて送ったように「それらすべては、捏造 (montatura) でしかなかった」ことを見せてくれた。


 彼は何人かの神学生たちに「神学校の精神を受け入れない何人の人はにとって・・・このアクション・フランセーズ事件は、もう既に古くからあった教義的傾向を守ろうと試みるための口実に過ぎなかった 」とまでも言った。


 しかしそれについて何もなされなかった。研学聖省 (注: すべての神学校とカトリック大学に関する事務を管轄する聖省) はまたも新たな不平を聞いた。そして神学校長に関する不平不満を見つけ出そうと労力した。研学聖省はそれさえも出来ず、絶望のあまり、手段方法を選ばず ---- 間違って ---- 教会法 505条に訴えてル・フロック神父を入れ替えろと要求した。


 ローマへ駆けつけたル・アンセック司教に対して、ピオ11世はこう命令した。
「あなたはル・フロック神父を直ちに放逐しなければならない。」


総長がこれを履行することはできないと拒否すると 、最高司教は拳で机をバンと叩いていった。
「私は教皇だ!」


 そして教皇は、アクション・フランセーズと反自由主義に対して話し始めた 。
 ピオ11世の「鋼鉄のような意志」に直面し、ル・アンセック司教はル・フロック神父が教皇に辞表を提出することができるかを尋ねた。教皇はこう言った。
「彼は反逆者だ。従わないだろう。」
「教皇聖下、私は彼の従順について聖下に保証します。お願いですから、少なくとも私に試みることを許して下さい。」


 ピオ11世は言った。
「そうするが良い。しかしあなたはすぐにわかるだろう。私は断言する。彼は反逆者で、あなたの言うことを聞かないだろう。」


 勿論、神学校長は総長の言葉を「聞いた」し直ちに教皇に辞表を提出した。

 ル・アンセック司教はまたその代償として、ケレール神父の人事異動をするという聖霊修道会の最高顧問会によってなされた決定を実行に移す権能を得た。もしもそうされないようならば自分は聖霊会総長職を辞任するという脅迫にものを言わせた 。ル・フロック神父は 3日後にローマを発った 。ル・アンセック司教は後に自分の思ったことを打ち明けてベルト神父にこう言った。
「今となっては、彼らは私に対して自分のしたいようにすればよい。私にこれ以上悪い事はもう起こりえない。私はもうひるまない 。」


 事件の詳細を知り尽くしていたイタリア人司祭モンシニョール・プッチ (Pucci) はすぐ次のように書いた。(それを要約する)
「ピオ11世は、ル・フロック神父が 20年間のあいだ別の政治方針のために奉仕してきたが、自分の方針のために勤めることも、それの適応を教えることも相応しくないと判断した。 」もしもこの種の「適応」が神学校で勉強する内容と関係があることならば。


(つづく)

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ル・フロック神父の従順--破壊的な策略

2006年04月29日 | ルフェーブル大司教の伝記

第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)


4.アクション・フランセーズの排斥 (その3)


ル・フロック神父の従順--破壊的な策略



 ガスパリ枢機卿国務長官は、神学校の内部事情に対する情報を詳しく、しかし間違って手に入れるようだった。そこでガスパリ枢機卿国務長官はル・フロック神父が「うたがわしい態度 」を取ると言って神父を責めつけたが、ル・フロック神父は、教皇がアンドリゥ枢機卿宛の書簡に対して「最高に完璧な従順を、神学校の愛する生徒たちに勧告した」と回答した 。そして1926年 12月 20日、アクション・フランセーズを断罪する枢機卿会議の教皇談話の翌日、学頭のル・フロック神父はピオ11世に「決定的な行動路線」を取ってくださって感謝するという書簡を書き、神学校の従順を保証した。神学校校長ル・フロック神父は各神学生たちを個別的に呼び出して面接し、彼らからそれぞれその従順を取り付けた。また校長は教授陣と夕方の講話の時間には神学生たちに、必要な説明をした。


 しかし、「すべての善の敵」は、神学校の反自由主義精神について議論していた神学生らのサークルにおいて、神学校の仲間の学生たちの会話を偵察し、幾人かの教授たちに知らせる、ということを思いつかせた。これら教授たちのうち一名がウジェンヌ・ケレール (Eugene Keller) 神父であり、彼は教皇にサンタ・キアラにおけるアクション・フランセーズ精神の悔い改めない精神があると密告する報告書を届けた。そこでル・フロック神父が義務を履行せず、「反自由主義者」であり「第二のラムネ (Lamennais)  」であると告発した。


 この告発は、悪意に満ちたものであり均衡を失った解釈からでた実りであり、不幸にも!ローマ教皇に緻命的な影響を及ぼした。1927年 3月 25日に教皇謁見のために揃った神学校を前にし、教皇訓話でピオ11世は「服従の宣言」と「不従順と反逆」とを結付させる者等を弾劾し、続いてもしも「ラムネがローマに滞在した後にした活動」をまねるためであったなら、「ローマへ来ることも、ローマで勉強することも、何らの役に立たない 」と言うことを暗示させた。


 復活節の休暇中、総長であるル・アンセック (Le Hunsec) 司教は、ローマに来てピオ11世と会った。


 ピオ11世は断固としていた。

「ル・フロック神父は、たしかに過去には素晴らしい業績があるが、フランス神学校にはこれ以上置いておくわけにはいかない。」


 司教は、若い司教の力強さで、敢えてル・フロック神父の拝謁を承諾してほしいと言って、彼なりに最善をつくして神学校長を弁護した。ピオ11世からは次の答えが帰って来た。

「私は第二のラムネが私のところに足を踏み入れるのを望まない! 」


 さらに教皇はこう付け加えた。
「神父は教会法に基づいた監査訪問を要請した。彼はそれを受けるだろう。」


(続く)


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韓国カトリック教会では何が起こっているのか?

2006年04月28日 | エキュメニズム関連情報

アヴェ・マリア!

今、韓国カトリック教会では何が起こっているのか?

エキュメニズム関連 韓国情報(仏教編 その五)


天主の御母聖マリアも観音も名前は違うが中身は同じだ?

「聖母そっくりの観音像」
(カトリック新聞2000年5月5日付けの記事より 拙訳)



「チェ・ジョンテ会長、仏頂僧侶と因縁
吉祥寺へ観世音菩薩像を造成
"文化芸術を通した宗教交流を期待」

「カトリックと仏教の芸術の美しい出会い」

 宗教間の和合と一致が、話の始まりとなっている新しい千年期に篤実なカトリック信者、彫刻家が一寺院に仏教彫刻像を作っているという話題だ。

 韓国カトリック美術家協会チェ・ジョンテ(霊名ヨゼフ、六八歳、前ソウル大、美術大教授)会長は、仏頂僧侶がたてたソウル・ソンブク区の吉祥寺に、高さ一八〇センチの花崗岩で出来た観世音菩薩を制作している。この彫刻像は仏教の観音祭日である四月二四日に吉祥寺説法展を前に、慎ましい行事と共に奉献された。

 これと共に、彼は個人的に所蔵したいと思う現代造形美を備えた高さ一二〇センチの青銅観世音菩薩を別に完成させた。チェ会長は二つの彫刻像を作り、一つを仏頂僧侶に贈り物をした。

 この青銅の観世音菩薩像と出会った仏頂僧侶は、最近彼に親筆の手紙を送り感謝と満足感を表明しつつ、「大慈大悲の象徴である者、衆生の災難と苦痛を救済して下さる観世音菩薩は、天主教の聖母マリア様のような方」と伝えた。

 チェ会長のこの度の観音像制作は、事実四〇余年以前から準備してきた結実である。日本の奈良の法隆寺にある「百済半跏思惟像」が彼の彫刻芸術に決定的な影響を与えたためである。すなわち、信仰はカトリックであるが、長い間着目してきた韓国的な芸術の根は仏教の影響を受けたこと。このようなところに、昨年秋、小説家ジョン・チェボン氏の紹介で会った仏頂僧侶が、その場で観世音菩薩像の制作を依頼してことが為し遂げられた。

 チェ会長は「観世音は、必ず制作しなければならない課業として考えてきた」とし「この度の仕事を機会に、カトリックと仏教間に文化芸術を通した交流も活発に成し遂げられなければならない」と素朴な望みを述べた。

 一九五八年に洗礼を受けたチェ・ジョンテ会長はソウル・シャルトル聖パウロ修道女会の聖母マリア像など、韓国的聖母像を制作しながら西洋芸術と韓国教会の土着化に献身してきた。

+++++++++

「聖母マリアと観世音菩薩は、お母さんのような姿」
(カトリック新聞2000年5月7日付けの記事より 拙訳)



「チェ・ジョンテ会長が制作 観世音菩薩石像 吉祥寺で奉安式」

 カトリックと仏教の出会いが、ソウル都心の一寺院で行われた。
 韓国カトリック美術家教会チェ・ジョンテ会長(霊名ヨゼフ、前ソウル大教授)が制作した観世音菩薩石像(本紙三月五日に報道)は、ソウル・ソンブク区の吉祥寺に建てられ、四月二八日午前一〇時に奉安式を執り行った。

 この日の奉安式には吉祥寺の信徒五〇〇余名を始めソウル大司教区広報室長ジョン・ウンモ神父と修道者、カトリック信者たちも共に参列し、芸術を通して宗教間の和合と理解を謀る場が出来た。

・・・・(中略)・・・・

 この日、奉安式で吉祥寺の会主仏長僧侶は法語を通して「聖母マリアや観世音菩薩は、名前が違うが、大慈大悲で、衆生の災難と苦痛を救済して下さる同じ姿のお母さん」と言い「荒々しく厳しい最近のような世界には、聖母様や観世音菩薩のような母性的愛が切実に必要とされているので、私たちもこの石像を仰いでお母さんの愛を育てていこう」と強調した。

 

+++++++++
(’’)?  「聖母マリアや観世音菩薩は、名前が違うが、大慈大悲で、衆生の災難と苦痛を救済して下さる同じ姿のお母さん」??? いや、聖母マリア様は、天主の御母です。今でも天国で三位一体の御許で私たちのために取り次ぎをして祈ってくださっているお方、人となった天主のみ言葉も従順したもう天主の御母です。カトリック新聞であれば、そのことをコメントしても良さそうなのに。


(ー_ー )主よ、憐れみ給え! 天主の御母聖マリアよ、憐れみ給え! 人々は混乱しています。憐れみ給え! 悲しい。

 


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今、韓国カトリック教会では何が起こっているのか?

2006年04月27日 | エキュメニズム関連情報

アヴェ・マリア!

今、韓国カトリック教会では何が起こっているのか?

エキュメニズム関連 韓国情報(仏教編 その四)


仏教典礼がカトリック・カテドラルで執行される。

 ソウル大司教区によって運営されている平和放送によると、4月19日に明洞聖堂敷地内のホールで仏教徒らがヨンサンジェの儀式をした。報道によると、明洞聖堂敷地内で仏教儀式が行われるのは初めてのこと。これを企画したソン・スクホ・ミカエルは5月5日のウェサク祭に合わせて為されたとのことだ。

 ソウルのボンウォン寺の仏頂僧侶であったデウン僧侶は、この儀式が執行される時に、ヨンサンジェは仏教文化の本質を見せており「仏教儀式の華」と呼ばれている、と説明した。ボンウォン寺はこの国民的文化財を保存し伝えるために指定されている。

 チェ・ホヤン・ヨハネ神父は韓国カトリック大学の音楽教授であるが「韓国仏教は長い歴史を持ち、ヨンサンジェは仏教文化を保存している。仏教儀式を体験することにより、カトリックは仏教のみならず韓国文化をより多く理解することが出来る」と語った。

 明洞聖堂でこの儀式を執行したウンボン僧侶は、仏教文化をカトリックに見せることが出来て非常に嬉しい、この機会が出来たのも「カトリック教会の広い心のおかげだ」と言った。「これは一回限りのものであってはならない。この種の出来事が定期的に行われることを期待する。

http://www.catholic.org/international/international_story.php?id=19563

 

Buddhist ritual performed at Catholic cathedral compound
4/24/2006
UCANews (www.ucanews.com)

SEOUL, South Korea (UCAN) The performance of a Buddhist dance ritual in the heart of the Korean Catholic Church added a new dimension to interreligious understanding and dialogue between the two communities.


+++++++++
(’’)? カトリック教会の聖伝によるラテン語ミサは、カトリック信仰の本質を見せている聖ピオ十世会はその「信仰の華」という遺産を保存し伝えているんだけれどなぁ。


(’’)?  聖伝のミサに与ることにより、カトリックは信仰のみならず西洋文化・音楽・芸術をより多く理解することが出来るのになぁ。


(’’)? カトリック信徒は、カトリックの聖伝のミサ聖祭を見ることさえ出来ずにいて非常に不幸だ。仏教宗教儀式については「広い心」を持っているんだけれどね。


(’’)? 私たちは教会で洗礼を受ける時、教会からこう尋ねられた。
教会   「あなたは天主の教会に何を求めますか?」
洗礼志願者「信仰を
教会   「信仰はあなたにに何を与えますか?」
洗礼志願者「永遠の命を


(’’)? こんどから新しい教会で洗礼を受ける時、こうなるかも?
教会   「あなたは現代の教会に何を求めますか?」
洗礼志願者「エキュメニズム運動を
教会   「エキュメニズム運動はあなたにに何を与えますか?」
洗礼志願者「定期的な仏教儀式の体験を。仏教のみならず韓国文化の理解を


(’’)? こんなことしてたら信徒らが混乱して、聖書よりも仏典を研究しよう、なんてことになるんじゃない?

 

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カトリック神父が何故仏教典を?
(カトリック新聞1997年6月22日付けの記事より 拙訳)


「般若心経」を翻訳、「行こう! 行こう!・・・」を発行したチョン・ホギョン神父


「般若心経」、これは大乗仏教の般若思想の核心を盛り込んでいる梵語一七〇余字の「マハバンヤバラミルタ心経」の通称を意味する。仏教の核心思想を盛り込んでいるこの本をカトリック神父が翻訳したら、世界の人々に毛並みの変わった興味を抱かせることだろう。


 80年代にカトリック農民会の指導司祭として活動し、現在、キョンブク・ピョンフヮで農業をしているチョン・ホギョン神父が、まさにその主人公だ。「因縁を悟った人間は、何ものにも束縛されない空になった人」という修業姿勢をもって生きている司祭チョン・ホギョン神父が翻訳した「行こう! 行こう! 一緒に行こう! 悟りのあの丘に」(ヘッピッ出版社)には、般若心経を易しい韓国語で理解できる喜びが染み込んでいる。


 例えばチョン・ホギョン神父は般若心経の結尾語句である「アジェ・アジェ・バラアジェ・バリスン・アジェ・ポリサバハ」を「来たなぁ、来たなぁ! 悟りのこの丘に一緒に来たなぁ。パタパタ翼が出来たんだなぁ! 新しい仏頂様に万歳、ホイホイ 良い良い! やったー! すごいぞ!」と翻訳、仏教の知識を欠く一般人たちが容易に理解することが出来るようにした。


 ここでチョン・ホギョン神父が直接描いた挿絵は、内容と合っており、一枚の絵はがきのような感じを醸し出している。


 「"簡単に簡単に" 理解を助ける」


 チョン・ホギョン神父は本の巻頭言で「釈迦牟尼やイエズス様は、底辺で苦しんでいる衆生たちにこうやって難しく話をなさることはない」とし「般若心経を文字の意味も文字の音で翻訳し、また学者たちよりも修行者が翻訳をしなければならないという考えで、より易しく、いや私の気ままに翻訳された」と明らかにした。


 またチョン・ホギョン神父はこの本を読む人たちに幾つかお願いをしている。まず本を読む前に身の持ち方を正しくし、目を閉じて深呼吸をし、茶禮をするのが良く、また一度にたくさん読まずに、一題目づつをゆっくり何回も読まなければならず、そしてしばし瞑想することが般若心経を心で受け止める姿勢だと忠告している。


(写真は、「行こう! 行こう! 一緒に行こう! 悟りのあの丘に カトリック神父が気ままに翻訳した般若心経」の本とチョン・ホギョン神父)

+++++++++
(’’)? 般若心経を読む前にいろいろと難しい忠告をしているようだけれど、御聖体拝領をする人たちにする幾つかお願い、たとえば、まず御聖体を拝領する前に、聖性の状態であること、御聖体を拝領する時にはひざまずいて目を閉じて口で聖体拝領すること、また一日に何度も聖体拝領するのではなく、一日に一回だけであり、そして御聖体拝領の後には一五分ほどは跪いて私たちの霊魂に来て下さった私たちの主イエズス・キリストに感謝の祈りと黙想をすること、それが私たちカトリック信者がイエズス様を御聖体拝領によって受ける姿勢だ、などという忠告はしているのかな? 関心もないかな?


(’’)? 今度聖ピオ十世会の発行する本の題名はこれだね?「行こう! 行こう! 一緒に行こう! 聖伝のミサのあの聖堂に


(’’)? 私たちは教会で洗礼を受ける時、教会からこう尋ねられた。
教会   「あなたは天主の教会に何を求めますか?」
洗礼志願者「信仰を
教会   「信仰はあなたにに何を与えますか?」
洗礼志願者「永遠の命を


(’’)? こんどから新しい教会で洗礼を受ける時、こうなるかも?
教会   「あなたは現代の教会に何を求めますか?」
洗礼志願者「エキュメニズム運動を
教会   「エキュメニズム運動はあなたにに何を与えますか?」
洗礼志願者「般若心経を


(’’)?? こんなことしてたら信徒らが混乱して、聖書なんかどうでも良いよ、仏典を研究しよう、なんてことになるんじゃない?


(’’)?? こんなエキュメニズムを見て、信徒の方々が「もう何も信じられない!」と涙を流しながら、カトリック教会を離れていったとしたら、いったいそれは誰の責任なんだろうか? 

 


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今、韓国カトリック教会では何が起こっているのか?

2006年04月26日 | エキュメニズム関連情報

アヴェ・マリア!

今、韓国カトリック教会では何が起こっているのか?

エキュメニズム関連 韓国情報(仏教編 その三)

 カトリックと仏教 これもNO Problem !


 枢機卿様が、仏教のお寺の祝福に参加。NO PROBLEM!


(東亜日報1997年12月15日付けの記事より 拙訳)

 「吉祥寺開院法会、金枢機卿祝辞」
「霊魂の休息の場のような道場になることを」


 14日(注:1997年12月14日)午後、ソウルのソンブク区ソンブク洞、昔の大院閣にて開かれた吉祥寺開院の法会は、仏教と天主教(=カトリック教)との「開かれた心」と「広い胸」とが交わった会合の一場面であった。


 吉祥寺の会主、仏頂僧侶の招待を受けて開院法会に参加した天主教のキム・スーハン(金壽煥)枢機卿が、僧侶と仏教信徒ら四〇〇〇余名の拍手の中で、吉祥寺の無窮の発展を祈願する祝辞をしたのだ。


 この日、開院の法会には施主者である金英韓女史(八一歳)と曹渓宗の宋月珠 総務院長を始め、観応、昔珠、菩成、玄虎などの僧侶らと天主教の春川教区長のチャン・イク司教、朴清秀 原仏教教務が同席した。


 金枢機卿は主日ミサのために開院法会に途中で法壇に立ち入った。仏頂僧侶は席を立って枢機卿を迎え入れ、後ろに並んで座り、手を取り合って親しい挨拶をしてから、枢機卿は合掌で礼を表示した。


 祝賀茶禮祭祀が為されると、金枢機卿は法壇に上り「喉風邪を引いた」と了解を求めた後、「平素、尊敬して止まない仏頂僧侶様の招待を受け、この意味深い席に参加するようになり心から嬉しい」と挨拶した。


 金枢機卿は「このように美しいお寺が、都心のすぐ近くに入り込んでいるいることを心から祝賀致します」とし「吉祥寺が清さと平安の香りが湧き出る泉の場として全ての人に霊魂の休息の場の道場となることを祈願する」と言った。


 法頂僧侶は挨拶の言葉を通して「金枢機卿様と遠く春川から来て下さったチャン・イク司教様に感謝申し上げる」と謝意を表した後「お布施をして下さった方の貴重な意向を受けて、吉祥寺を清らかな薫り高くも貧しい寺として育てていきます」と誓った。


 公式行事が終わった後、金枢機卿は吉祥寺内の禅院でお茶を飲みながら「山の中で無所有の心で生活しておられる仏頂僧侶様の生活を平素より憧憬して来た」とし「私も憧憬するがこのようなやり方で生活することは出来ないだろう」と言って惜しんだりもした。


 金枢機卿はまた、仏頂僧侶が「数年前にバチカンを訪問した時、チャン・イク司教様の推薦で、枢機卿様の宿舎で幾日か過ごしたことがあった」と言うやいなや、「ほら、良くなさった」と応答した。仏頂僧侶は、枢機卿のこの日の訪問に対して返礼として今年の聖誕節に祝賀するメッセージを「平和新聞(注:カトリック系の韓国の新聞紙)」に寄稿しようと約束した。


(記事の上方の写真には「14日、吉祥寺開院式には仏教界の人士は勿論、金壽煥枢機卿など他宗教の指導者と各界の人士など四〇〇〇余名が参列、正教を呈した。」とある。)

(記事の下方の写真には「吉祥寺をお布施した金英韓女史」とある。)

 



 「仏教と天主との "美しい出会い"」
(東亜日報1997年12月15日付けの記事より 拙訳)



 14日午後、ソウルのソンブク区ソンブク洞、昔の大院閣にて開かれた吉祥寺開院式には、天主教のキム・スーハン(金壽煥)枢機卿が来賓として参加、祝辞を述べるなど、暖かい話題を残した。左側は吉祥寺の会主である仏頂僧侶



「"愛" と "慈悲" とは一つの道だ」
(カトリック新聞1999年5月23日付けの記事に付いていた写真 拙訳)

1997年12月、仏頂僧侶(左側)の招待で、吉祥寺の開院式に参加した金壽煥枢機卿

+++++++++
(’’)? 「開かれた心」と「広い胸」とをお持ちの枢機卿様は、聖伝のミサの無窮の発展を祈願する祝辞をし、聖ピオ十世会の聖伝の聖堂について「このように美しい聖堂が、都心のすぐ近くに入り込んでいるいることを心から祝賀致します」とか「聖伝のミサが、清さと平安の香りが湧き出る泉の場として全ての人に霊魂の休息の場の道場となることを祈願する」とか言ってくれるかな?


(’’)? 枢機卿様が仏教のお寺に行っても良いなら、聖ピオ十世会の聖伝のミサに与って何がいけない?


(’’)? 「天主の十戒: 第一 われは汝の主なり。われを唯一の天主として礼拝すべし。」 これ、どうなっちゃったのかな?


(’’)? 「"愛" と "慈悲" とは一つの道だ」???? こんなこと言ったら、キリストも仏陀も同じだ、とか言い出すんじゃない ? 

 

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仏教のお坊さんがソウルのカトリックのカテドラルでお説教をしても NO PROBLEM!

 「今度は、法頂僧侶が明洞聖堂(注:カトリック教会のソウル・カテドラル)に行った」



(東亜日報1998年2月25日付けの記事より 拙訳)

"無所有の説法" 仏頂僧侶の説教の様子。参列者たちは僧侶のお話をメモするなど深い関心を見せながら笑いと拍手が突発するなど、和気藹々の雰囲気だった。(写真の説明より)

金枢機卿の吉祥寺参列に返礼、聖職者及び信徒、一五〇〇余名に講話

「天主教と仏教の、もう一つの美しい出会い」

「無所有」の法頂僧侶は、天主教の「友情こもる招待」により24日(注:1998年2月24日)午後、国内における天主教の象徴である明洞聖堂(ソウル大司教区の司教座大聖堂)にて招待講演会を持った。


 この日の講演会は、崔昌武司教と明洞聖堂の張徳弼主任神父を始めとする聖職者と修道女、一般信徒など一五〇〇余名が聖堂を一杯にするなどの活動を呈した。


 仏頂僧侶の明洞聖堂での講演は、昨年末、金壽煥枢機卿が、僧侶が会主とするソウル・ソンブク区の吉祥寺開院式に参列し、「真心のこもった祝辞」をしてくれたことに対する返答の意で行われたことである。明洞聖堂側は「仏教界の人士が、明洞聖堂で講演をすることは初めて」と明らかにした。


 今年、聖別されて一〇〇周年を迎える明洞聖堂は、過ぎた3日から毎週各界の人士を招待し「経済難国克服のための特別講演」を開いている。


 仏頂僧侶はこの日「国と同胞のための宗教者の姿勢」をテーマに一時間の間講演した。


 午後七時頃、明洞聖堂に来た仏頂僧侶は「金枢機卿の広い度量に報答するためにここに来た」とし「このような場所を準備して下さった "因縁" と "天主様の御旨" に感謝する」と話の切り出しを開くや、信徒たちは大きな拍手で歓答した。


+++++++++
(’’)? 聖ピオ十世会の司祭が「友情こもる招待」を受けて、カトリック小教区の聖堂で説教をしたらどうなるかな? 主任司祭が罷免される? 


(’’)? 私たちは教会で洗礼を受ける時、教会からこう尋ねられた。
教会   「あなたは天主の教会に何を求めますか?」
洗礼志願者「信仰を
教会   「信仰はあなたにに何を与えますか?」
洗礼志願者「永遠の命を


(’’)? こんどから新しい教会で洗礼を受ける時、こうなるかも?
教会   「あなたは現代の教会に何を求めますか?」
洗礼志願者「エキュメニズム運動を
教会   「エキュメニズム運動はあなたにに何を与えますか?」
洗礼志願者「経済難国克服と、国と同胞のための姿勢を



(’’)? 「経済難国克服のため」にあるのが宗教で、宗教はまず「国と同胞のための」のものだとしてら、こんどはキリストも仏陀も結局は同じだ、とか言い出すんじゃない ? 


(’’)? ピオ11世教皇の教えって当たってるよ。

この誤りは、宗教に関する本当の観念を歪め、同時にそれを拒む。

[どんな宗教でも同じだという]
宗教に関する誤った考え

↓↓↓↓↓
[真の宗教に関する問題よりもこの地上のことを重視する]
超自然否定主義(naturalism)
 <<====【今このあたりかな?】
↓↓↓↓↓
[結局、真の宗教も、真の天主も存在しないという]
無神論


へと歩んでいく。


(’’)? こんなことしてたら信徒らが混乱して、聖書よりも仏典を研究しよう、なんてことになるんじゃない?

 

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アクション・フランセーズの排斥 (その2)

2006年04月26日 | ルフェーブル大司教の伝記


第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)


4.アクション・フランセーズの排斥 (その2)



マルセル・ルフェーブルの沈黙


 やはり、軍人神学生はその断罪によって極めて辛い思いをした。彼はアクション・フランセーズにおいて自分が願っていたキリスト教秩序のための闘いを見ていたからだ。彼は後にこのときを振り返ってこのように言っている。


「ああ、それはカトリック運動ではなかったけれども、祖国において、フランスにおいて、フリーメーソンがもたらしていた無秩序に対抗する反動の運動だった。健全で、決定的な反動、秩序と規律への立ち戻り、道徳キリスト教的道徳への回帰だった。」「教皇聖下がそれを断罪した事実は、秩序に反対することであり、反革命の両腕を切り取ってしまった。 」


 これが、モラスの本を読んだこともなく、アクション・フランセーズに属したこともない青年が見ていたこと、或いは感じていたことだ。


 それ以外は、彼の軍服務の以前から、「政治について話さないということに忠実たろうとしていた 」と妹のクリスチアンヌは言った。彼の兄ルネはマルセルのような言葉の註意を持たなかった。修練期の間に熱烈なアンリ・ド・モプ (Henri de Maupeou) と友達になった。それは 1924 - 1925年のことだった。二人は同じ修練生のアレクシス・リオ (Alexis Riaud) を誘った。リオはこう語っている。「彼らは私にアクション・フランセーズのことを知らせようと望んだ。彼らは、私たち三人だけで散歩しようと言いながら私を誘ったが、私がその話に乗ってこなかったのを見て取った。 」 アクション・フランセーズの「排斥」があってから、他方マルセルは以前よりいっそう政治について黙りこくった。クリスチアンヌによれば 、マルセルが 1927年にスェビルリにいる兄ルネを二度訪問したが、そのうち一回は、滞留する間に兄ルネが「[盛んに話題になっているアクション・フランセーズに関して] 対話の始める餌を撒こうとしていたけれど、マルセルがそれに対応しないでいるのを見ると、ルネがマルセルにこう言うのがまだ耳に響くようです。 "お前は、俺の知ったこっちゃない主義者だ!" と。いいえ。マルセルは決してそうではありませんでした。」


 それは無関心ではなく断固たる意志だった。彼の神学校の同級生の一人はマルセル・ルフェーブル神学生についてこう証言している。「親密な友達の間では、アクション・フランセーズについて話をしていた。しかし私はマルセルがそれに対して話すことを全然聞いたことがない。マルセルの座右の標語の一つがこれだった。ローマは語った。問題はそれで終わった。 」


 それでも、たしかにアクション・フランセーズに関する禁止令も辛いことではあったが、それはマルセル・ルフェーブルの目にとって、尊敬するル・フロック神父がフランス神学校を去ったことに比べれば何でもないことであった



フランス下院で非難されたフランス神学校


 1925年 1月 25日、サンタ・キアラでの昼休みレクリエーションは活気に満ちていた。新聞を読んでいる司祭の周りに群れができた。「首相エドゥワール・エリオ (Edouard Herriot) は、バチカン大使館の影響力を貶めるために、ブルボン宮(フランス下院)でフランス神学校を攻撃した。」報道によるとフランス神学校では「フランス共和国の法律に違背する政治的教義が花咲き乱れている 。」


 そうこうしている間、3月 10日にはフランスの枢機卿及び大司教たちは、政教分離の法律の不当性に関する宣言文を起草し「この法律に対して闘うために取るべき措置 」を述べた。これが発表されたことは、教皇ピオ11世を激怒させた。何故なら彼はことを丸く収めようと願っていたからだ。


 実際、3月 20日に、フランス下院ではエリオが司教団の宣言文を攻撃し、その宣言文の出所と思われる所を次のように主張して告発した。司教らの宣言文は「ローマにあるフランス神学校から直接的に 」来ている、と。


 そしてエリオはフランス下院で、聖トマス講話会でジョルジ・ミシェル(Georges Michel) がした講話の抜粋を引用した。「国家は、カトリックの宗教を、天主を礼拝する唯一の真の形式として認める義務がある・・・(左翼と極左翼で叫び声が上がる)、カトリック教を公式に国家宗教として宣言する義務があり」そして「もし必要ならば軍事力を行使しても」カトリック教を保護する義務がある(同じ反応)。


 ルシアン・ルフェーブル (Lucien Lefevre) 神学生の講話も攻撃された。「国家は教育に対して一切の権利がない」(同じ反応)。そこでアンリ・ミシェル代議士は「これがまさに世俗法規に対する尊敬心だ!」と大声一喝した。


 4月 30日、外務大臣アリスティド・ブリアン (Aristide Briand) は、教皇庁の元にある自分の大使であるジャン・ドゥルセ (Jean Doulcet) に手紙を書き、ガスパリ (Gasparri) 枢機卿国務長官が「ローマのフランス神学校の管理者たちが司教らに持っている影響力をよく考えてみること、その施設でどんな精神が支配しているかを正確に調査してみること、その場所でアクション・フランセーズのリーダーたちが持っている影響力がどれ程大きいかを調べてみること」を提案した。言葉を付け加えて、これはもしもガスパリ国務長官が「人心を鎮めるように誠実に働くこと」を望んでいるならば、と書いた 。


 これはピオ11世のもっとも敏感な糸に触れた。人心を鎮めることこそ、ピオ11世が就任後初の勅書である『ウビ・アルカノ Ubi Arcano 』で焦点を定めたもっとも主要な課題だったからだ。


 しばらくした 1925年 7月 5日、ル・フロック神父が顧問として多大な影響力を行使していた教区聖省 (注: すべての司教たちの監督、司教任命準備、教区新設・改訂などの事務を引き受けて管理する聖省) は、司教任命権に関して、教会特務聖省 (注: 教区設定, 司教任命などに関して各国政府と交渉する必要があればこれに臨む聖省) と国務省とに統括され、司教任命権を失った。ピオ11世は、自分の「緊張緩和及び和解 」の政策にもっと素直に受け入れる司教、あまり好戦的ではない司教たちを望んでいた。


 ルフェーブル大司教は後に、その時期を回顧しながら、ピオ11世の宗教政策を次のようにかなり厳しく判断するだろう。「教理の次元で (例えば, キリストの社会的王権の教義) ピオ11世は自由主義者(リベラル)ではなかった。 」しかしピオ11世は「惰弱であった、実際的行動の領域では、極めて惰弱であった」「彼はむしろこの世と少し妥協する方に試みた。 」 ルフェーブル大司教は次のように自分の言わんとすることを明確に述べた。教皇ピオ11世は、レオ 13世のように「事実上の (de facto) 政府と友好関係を結ぼうという強迫観念、その政府がフリーメーソン政府であろうと、革命政府であろうと構わないからとにかく関係をという強迫観念」を持っていた。そしてその行動によって、その対話の相手に「極めて重大な幻想の模範」を与えていた

 


ル・フロック神父とアクション・フランセーズ


 ル・フロック神父は、天主が啓示し給うた信仰を教える教師、且つ、天主が助け給うローマ・カトリックの教導職の奉仕者として、アクション・フランセーズという実証的経験主義学派の対立極に位置していた


 ローマ神学校の学頭であるル・フロック神父がアクション・フランセーズに見いだしていた唯一の接触点とは、ル・フロック神父の言葉を借りれば「私たちは教理的観点から、自由主義、政教分離主義及びフランス革命の原理に対立して闘っているが、アクション・フランセーズは政治的観点から、これらのまったく同じ間違いに対立して闘っていることに偶然出会った。


 しかし、学頭神父は1926年 7月に神学生たちが卒業する時、注意深く次のように言葉を加えた。神学校は 「アクション・フランセーズに賛成でも反対でもない。賛成しないのはそれが政治的な組職だからであり、反対しないのも同じな理由のためだ。モラスの幾つかの著作については、私たちはその中でカトリック教義が断罪することを断罪する 」と。

 


(続く)


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プロテスタントの牧師が信徒をカトリックの修道院に連れ、カトリックの聖体拝領

2006年04月23日 | エキュメニズム関連情報

アヴェ・マリア!

エキュメニズム関連情報

御復活のミサを捧げた後で、カトリックとプロテスタントの聖職者達が論争を開始。


 プロテスタントの牧師グラハム師が二〇人の信徒をカトリックのアウグスチヌス会の修道院に連れてきて、カトリックの聖体拝領をした。


 アイルランドのカトリックの総大司教、ブラディー大司教はこの出来事を詳しく調査する予定であると言った。


ブラディー大司教は言った。
「真のエキュメニズムは、そこに関わる人々の伝統や習慣、規律などを尊重して始めて役に立つ。さもなければますます広がる混乱をひき起こし、偽りの期待をいだかせ、誤解と操作に開かれた状況を創りだすという現実的な危険がある。」


ブラディー大司教は、イームズ大司教の言葉を引用しながらこう言った。
「不幸なことに、このような機会は誤解と間違った解釈へと導いている。しかも私たちの教会の間の関係が改善したその時に」

 


(´・ω・) エキュメニズムはどこまですすんじゃうのかなぁ?? 
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http://www.ewtn.com/news/index.asp

CONTROVERSY ERUPTS AFTER CATHOLIC, PROTESTANT CLERICS CONCELEBRATE EASTER MASS
BELFAST, April 20 (CNA) - Controversy in Ireland continues after a Protestant clergyman marked the 90th anniversary of the Easter Rising of 1916 and the Western Front by celebrating mass with three Catholic priests, reported the Belfast Telegraph.

Both the Catholic Church and the Church of Ireland have promised to launch investigations after it was revealed that the minister, Rev Michael Graham, had brought 20 members of his congregation to the Augustinian Priory in Drogheda, Co Louth, where they took Communion.

The Catholic primate, Archbishop Sean Brady of Armagh, said he intended to seek further details about the event, which drew about 1,000 people.

"True ecumenism is best served by initiatives that are respectful of, and sensitive to, the traditions, ethos and discipline of all those involved," he reportedly said. "Otherwise there is a real danger of causing widespread confusion, raising false hopes and creating situations that are open to misunderstandings and manipulation."

The head of the Church of Ireland also expressed concern about the implications this incident would have on ecumenism.

"Unfortunately, such occasions - while well intentioned - can lead to misunderstandings and misinterpretations at a time when relations between our Churches have improved so much," Archbishop Robin Eames was quoted as saying.

Fr. Iggy O'Donovan, one of the Catholic priests involved, told the Irish Times he had had no intention of defying Church rules, which strictly prohibit intercommunion.

 


韓国のカトリック教会では何が起こっているのか?(つづき)

2006年04月23日 | エキュメニズム関連情報

アヴェ・マリア!

韓国のカトリック教会では何が起こっているのか?

エキュメニズム関連 韓国情報(仏教編 その二)

 



カトリックの修道女も釈迦の誕生日の行事に参加。NO PROBLEM !

(カトリック新聞1999年5月23日付けの記事「愛と慈悲は一つの道だ」より)

「釈迦誕辰日を迎えて開かれた提灯行事に参加した、カトリックの三笑会の会員たち」とある。


+++++++++
(’’)? 釈迦の誕生日なら、聖伝のミサに与るのが許されるかな?
聖ピオ十世会の聖伝のミサに与った「十笑会」の会員たちとか・・・?

 

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 カトリックの修道者らは、お寺に行ってグレゴリオ歌を歌う。

「別もの」が出会って「一つ」になったよ。
大願寺「世界平和祈願 宗教音楽祝祭」で
オリヴェト会の修道士、修道女がグレゴリオ聖歌を歌う
(2002年5月19日付けのカトリック新聞より 拙訳)


 古めかしい山寺でグレゴリオ聖歌が響き渡った。
 修道士、修道女、僧侶たちが一つになった「世界平和祈願 宗教音楽祝祭」が5月5日午後4時、チョンナム・ボソンの天奉山の大願寺で開かれた。


 大願寺開山(設立)一五〇〇年を記念して開かれたこの日の行事には、オリヴェト聖ベネディクト修道会(注:一四世紀に福者ベルナルド・トレメオによって創立されたベネディクト会系の修道会で、イタリアのシエナ近郊にあるオリヴェト山ににある自会の修道院の名にちなんで会名を取った)(修道院長=イ・ヨナク神父)とオリヴェト聖ベネディクト修道女会(総院長=ソン・レオ修道女)の修道士、修道女三〇余名が共に、宗教の壁を越えた静かな感動の舞台が拡がった。


 一〇〇〇余名が参加した中で開かれた宗教音楽祝祭は、生活聖歌歌手のキム・ジョンシク(ロザリオ)氏の「平和の歌」と修道会の修道者たちが準備したミサ曲グレゴリオ聖歌合唱が引き続き、仏教にカトリック音楽を知らせる機会になった。


 仏教側では夕の礼仏儀式と霊山音楽演奏(注:霊山を「りょうぜん」と読んで、釈迦如来が説法した霊山会の仏菩薩を歌った歌曲)、人間文化財イ・エジュ教授(ソウル大 体育学課)と韓舞踊共同体が用意した鐃鑼踊り、法鼓踊り、サルプリ踊り(巫女が行う厄払いの儀式)の公演が続いた。


 この日、「統一は平和の歌」という題目で祝詞を朗誦したイ・ヘイン修道女は「仏様の慈悲とイエズス様の愛が、平和という名前で、一房の花になった」とし「人知れず大きく成長していた仏身がこの場を通して生かされて、理解と愛の心を抱くことが出来るようになった」と伝えた。


 大願寺の住職であるヒョン・ジャン僧侶は「隣りの宗教者達と共に共感し互いに心を分かち合うことができる良い機会だった」とし「東西の宗教が、調和を築く美しい感動の場になったようだ」と言った。


 公演を終えて、夕食とお茶を共にしたこの人たちは「互いに "別もの" と会って "一つとなること" を築いた祝祭を忘れることが出来ないことだろう」と言いながら、壁を越えて一つとなった心で全世界の平和を祈願した。

 

+++++++++
(’’)? オリヴェト会のブラザーやシスターたちを聖ピオ十世会の聖堂に招待したら「世界平和」のために、典礼の壁を越えてグレゴリオ聖歌を歌ってくれるかな? え? それは限度の壁を越えている?



(’’)? それもそうだけど、カトリックの聖堂の中でも、グレゴリオ聖歌を聞きたい?



(’’)? 私たちは教会で洗礼を受ける時、教会からこう尋ねられた。
教会   「あなたは天主の教会に何を求めますか?」
洗礼志願者「信仰を
教会   「信仰はあなたにに何を与えますか?」
洗礼志願者「永遠の命を



(’’)? こんどから新しい教会で洗礼を受ける時、こうなるかも?
教会   「あなたは現代の教会に何を求めますか?」
洗礼志願者「エキュメニズム運動を

教会   「エキュメニズム運動はあなたにに何を与えますか?」
洗礼志願者「礼仏儀式と霊山音楽演奏、鐃鑼踊り、法鼓踊り、サルプリ踊りに与ることを。互いに "別もの" と会って "一つとなること" を

 


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大多数のアメリカ人は進化論を信じない。

2006年04月22日 | カトリック・ニュースなど

大多数のアメリカ人は進化論を信じない。


 報道によると、全米でのアンケート調査によると、アメリカ人は進化を信じていない、とのこと。


 アメリカでは、フランスについで聖伝のミサが盛んだし、本当にアメリカは面白い国だ。ルフェーブル大司教様も聖ピオ十世会創立後によくアメリカに行かれていた。




(´・ω・)  ふーん、このニュース面白いけど、ルフェーブル大司教様の伝記もがんばってね、と思った方は、クリックをお願いします。↓
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http://www.bpnews.net/bpnews.asp?ID=23075

Poll: Majority of Americans don't believe in evolution
Apr 19, 2006
By Michael Foust
Baptist Press

NASHVILLE, Tenn. (BP)--Once again, a nationwide poll shows that Americans are prone not to believe in evolution -- even if many academic leaders and media members do.


韓国のカトリック教会では何が起こっているのか?

2006年04月22日 | エキュメニズム関連情報

アヴェ・マリア!

韓国のカトリック教会では何が起こっているのか?

エキュメニズム関連 韓国情報(仏教編)



 仏陀の誕生日には「仏様のお誕生を心から祝賀します 天主教ソウル大教区」との祝福のメッセージを送る。
NO PROBLEM !



(カトリック新聞2001年4月29日号より 拙訳)

「仏様の来られる日」(5月1日)を前にして、司教会議は慶祝メッセージを発表し、ソウル大司教区から曹渓宗(注:韓国仏教の一派)に祝電を送るなど、宗教間の壁を超えて暖かい祝賀と和合の挨拶が行き来している。


 教会一致と宗教間の対話委員会は、委員長 チェ・キサン司教の名前で、5月1日、仏様の来られる日を迎える仏教界に韓国天主教(注:カトリック教会)を代表して慶祝メッセージを発表した。

 チェ司教は、「仏様の来られる日に、全国の仏寺の皆様に送る祝賀メッセージ」の中で、「仏教は韓民族の受難の歴史中に、常に民衆と共にし、喜びと悲しみを分かち合った」と言い「特にこの国の文化発展と民族の心身に甚大な影響を及ぼした」と言った。チェ司教はまた、国と民族のための仕事、特に「人を生かし社会正義を実現させる仕事に仏寺と共に力を合わせてきた」とし「特に仏教と天主教の聖職者たちとは深い友誼を交わしてきた」と強調した。

 天主教は南北の交流増進の喜びと経済的危機が交叉する今日、国民のありとあらゆる心配を和らげてくれ、特に苦痛を受ける人々に必要な助けを与えてくれる希望を吹き込む仕事に、仏者の皆さんと天主教の信者と共にする所望だ」と言いながら、もう一度祝賀の念を伝えた。

 ソウル大司教区長のチョン・ジンソク大司教(注:現在は枢機卿)は、曹渓宗の総務院が座している曹渓寺正門の前で「仏様のお誕生を心から祝賀します」と書かれた祝賀バナーをつるして祝賀の意を伝えようとした。チョン大司教はこれと共に曹渓宗軸へ「仏様のお誕生を祝賀し、仏様の慈悲がこの地に満ちることを共に祈願します」という趣旨の祝電を打った。



 曹渓宗は、昨年のキリスト聖誕の大祝日を迎える司教会義議長 パク・ジョンイル司教に祝賀メッセージを送り、総務院に祝賀プラカードを掲げもした。

 一方で、ソウル大司教区ポイ洞小教区教会(主任=パク・クンテ神父)は、祝賀の植木鉢をクリョン寺へ送る計画であり、毎年シンクンにあるマタ寺と典礼的な交流を持っているオクス洞小教区教会(主任=ハン・ヨンマン神父)も、司牧委員たちを派遣し祝賀の意を伝える予定である。また水原教区のデーチョン洞小教区教会(主任=パク・サンボク神父)は教会前に、仏様の来られる日を奉祝賀する4メートルの大きさの垂れ幕を掛け、宗教間の和解の様子を見せてくれている。

 ソウル大司教区広報室長チョン・ウンモ神父は「昨年、曹渓宗から聖誕祝賀プラカードを掲げるなど祝賀の意を相互に伝達してきた」とし「互いの和睦と協力の姿勢が生命運動など大社会運動をもより活性化しうるだろう」と語った。

 他方で、教皇庁は毎年、仏教の「仏様の来られる日」とイスラム教のラマダンの祝祭にあわせて慶祝メッセージを発表してきてもいる。

===(翻訳終わり)===


 次の写真は、曹渓宗の総務院がキリスト聖誕節を記念して掲げたプラカード。
(カトリック新聞2000年1月1日号より)
「曹渓宗の総務院からも、キリスト聖誕節を記念するプラカードを掲げた」


+++++++++
(’’)? 聖伝のミサを心から祝賀致しますという典礼の「壁を超えた暖かい祝賀と和合の挨拶」メッセージとか「聖伝のミサを祝賀し、カトリック聖伝の荘厳さがこの地に満ちることを共に祈願します」などというメッセージとかは許されるかな?

 

(’’)? 私たちは教会で洗礼を受ける時、教会からこう尋ねられた。
教会   「あなたは天主の教会に何を求めますか?」
洗礼志願者「信仰を

教会   「信仰はあなたにに何を与えますか?」
洗礼志願者「永遠の命を

 

(’’)? こんどから新しい教会で洗礼を受ける時、こうなるかも?
教会   「あなたは現代の教会に何を求めますか?」
洗礼志願者「エキュメニズム運動を

教会   「エキュメニズム運動はあなたにに何を与えますか?」
洗礼志願者「国と民族のための仕事、特に人を生かし社会正義を実現させる仕事、国民のありとあらゆる心配を和らげてくれ特に苦痛を受ける人々に必要な助けを与えてくれる希望を吹き込む仕事を

 

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エキュメニズム関連 韓国カトリック情報 (プロテスタント諸教派と)

2006年04月21日 | エキュメニズム関連情報

アヴェ・マリア!


今、韓国のカトリック教会では何が起こっているのか?


エキュメニズム関連 韓国カトリック情報



カトリック司教会議とプロテスタント


 イエズス会のソガン大学で。
 カトリック司教会議が主催の共同祈祷集会



+++++++++
('')? 韓国のカトリック信徒が、聖ピオ十世会の聖伝のミサで一緒に祈ると言ったら何と言われるかな?



 釜山のカトリック神父とプロテスタント
 こんなことをしても、問題は無い。NO Problem !



+++++++++
('')? それなら、カトリックの聖堂に聖ピオ十世会の司祭を招待して、聖伝のミサを捧げてもらっても問題はないかな?



上に紹介したのは、大きな氷山のほんの一角


(´・ω・)  うぁー本当、韓国でもカトリック教会ではエキュメニズム運動がすすんでいるんだなぁ、
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4.アクション・フランセーズの排斥

2006年04月21日 | ルフェーブル大司教の伝記


第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)

4.アクション・フランセーズの排斥



 「反フランス」を形成するフリーメーソン結社組織、自由主義、その他の陰謀勢力に反対する反動として、1899年に設立されたアクション・フランセーズは、分析と政治活動の学派、そして「民族主義研究の実験室」となった。この学派の首長であるシャルル・モラス (Charles Maurras, 1868年 - 1952年) はこう言った。「実際、私たちが発明するのではなく確認するだけに過ぎない政治的真理がある。だから私たちはそれを確かめよう!」 彼が確認したこととは、革命と民主主義がフランスを崩壊させているということだった。フランスに相応しいことそして復旧されなければならないこと、それは「伝統的な、世襲制の、反議会制度的な、地方分権化した君主制度 」である。


 ここまでは、この健全な政治的現実主義に対抗して反論する筋合いがいささかもない。さらにモラスの自由主義及び革命に対する妥当な非難はビヨ枢機卿 によって承認されており、知識人たちの救いの事業を実現していた。モラスの指導を通じてフランスの全エリートは、誤れる自由主義の信条(ドグマ)を捨て、次に知的な回心、それから道徳的回心を果たしていた。さらに無信仰者たちもそこに信仰の道を見つけさえしていた 。


 不幸なことにそして逆説的なことは、モラスが不可知論者だった、ということである。彼はこう言っていた。「私は信仰を失うという不幸を持った。しかし人々が私について讒言し言い張るような無神論者ではない。私は無信論者であったことは一度もない。」モラスがカトリック教会に対して「知的な道徳的な秩序のこの教会大本堂に向けられる驚歎、尊敬、愛」を言い現していた時、最初はカトリック教会のローマ的な特徴を考察することによるものだった。モラスはこの「ローマ性」こそが、無政府状態の根元であるヘブライの福音を整備し導いた、それに引き替えこの無政府状態はプロテスタント精神において解放されることになった、と考えていた。


 この珍しい誤解は人々をいら立たせ、不幸にもモラスが1914年以前に著作したものの中で多くを台無しにしていた。 彼の闘争の標語の幾つかも、例えば「まず政治が優先だ! 」とか「政治は道徳ではない 」といったような、「その状況では 」謙遜な知恵に満たされていたものも同様に、偏向的なそして悲惨な結果を生む解釈をされる余地を与えていた。


 それにもかかわらず聖ピオ10世はアクション・フランセーズの首脳であるモラスの著作物を断罪するのを拒否した。教皇はこう言った。「アクション・フランセーズはあまりにも多い善行をしている。権威の原理を擁護している。秩序を擁護している。 」


 その12年後、アクション・フランセーズの影響は信者たち及び闘争的な司教の間で絶頂に至った。しかし、それは共和主義政府と良い関係を発展させるのを気づかっていたピオ11世の宗教政策 には障害物だった。さらにアクション・フランセーズの「師匠」が青年に対して持つ影響力は、ピオ11世をして自分のお気に入りであった、青年の信徒使徒職「カトリック・アクション」の利益を損なう虞があると思わせた。信仰の光と超自然的な賢明による方向付けが与えられておらず、熱心に傾聴されているその師匠の精神は、若者達の判断を歪曲させ、弟子たちをして非難を浴びるような行動へと駆り立てはしないだろうか? と 。


 教皇は、或るフランス人枢機卿が警告文を発行し、自分は後にそれを承認するようにしようと決断した。しかしボルドー (Bordeaux) の大司教, アンドリゥ (Andrieu) 枢機卿は、あまりにも不手際な警告をなした ので、それを教皇が承認 するのはあまりにも合理性に欠けるように思われるほどだった。この「あまりにも情けなく始まった 」事件は、アクション・フランセーズのカトリック指導者が抵抗を引き起こし、続いてアクション・フランセーズ紙は禁書目録 に登載され、同紙を頑固に読み続けようとする読者たちに対してはローマの重い制裁措置が下されることとなった。


 例えば, ドュゴン (Dugon) 伯爵の亡骸は、彼が「アクション・フランセーズに固執した罪」と言う理由で教会葬儀を許されず、教会の閉まった門の前で自分の息子であるロベール・ドュゴン神父によって聖水を撒かれただけであった。その若い司祭は父親の亡骸を祝したことをブザンソン (Besancon) の大司教に咎められ、制裁を受けて修道司祭となることを命じられた。彼が入会したのは、・・・聖霊修道会だった 。


 さらに尋常ではなかったことは、アクション・フランセーズの断罪はその敵、すなわち民主主義キリスト者及び自由主義カトリックの凱旋を意味したことだ。ベルト神父はこう書いている。「フランスではアクション・フランセーズが最後にただ一つ残った堅固な反自由主義勢力だったこと、そして、それに代わる"第三の勢力"は存在してなかったこと、はあまりにも残酷な真実であった。アクション・フランセーズがカトリック信者たちに禁止された後は、自由主義者(リベラル派)たちが全てを牛耳るようになった。それ以後それはずっと優位の地位を占め続けている。 」


 アクション・フランセーズの断罪は、教会歴史において一つのターニング・ポイントとなった。今後は、司教職はリベラルな左翼聖職者に委ねられることになり、他方で自由主義に反対する闘いは悔しくも間違ってアクション・フランセーズというレッテルを張られ濡れ衣を着せられることになった。この赤く焼かれた鉄の刻印は、容赦もなくル・フロック神父に押しつけられ、後にはルフェーブル大司教にも押しつけられるだろう。



(続く)


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エキュメニズム関連情報

2006年04月20日 | エキュメニズム関連情報

アヴェ・マリア!

今 カトリック教会で何が起こっているのか?

エキュメニズム関連情報


【教皇様は何と言っているか】


 ピオ11世教皇は、真実の宗教の一致に関する回勅『モルタリウム・アニモス Mortalium animos』(1928年1月6日)で、こう教えている。


====引用開始====

 ある人達は「宗教的感覚を完全に失ってしまった人は極めてまれである」と確信しています。そして、この確信を基礎に、諸民族を、その宗教の違いにもかかわらず、宗教生活の共通の基礎として認められる幾つかの教義を兄弟的に認めあうまでもって行くことが、容易にできるという希望を養っているようです。ですから、彼らはかなり多くの聴衆者が出入りする会合、集会、講演会などを開いています。彼らは全ての人々を区別無く、ありとあらゆる種類の不信者、信者、更に不幸なことにキリストから離れ苦々しくそして頑固にキリストの神性とその使命を否定するものまでもその公演に招待しています

 このような骨折りにたいして、カトリック信者はいかなる賛同をも与えてはなりません。何故かというと、彼らの活動が“全ての宗教は、たとえ形は違っていても、全て等しく、私たちを天主に導き、私たちをして天主の力の前に尊敬を持って屈めさせる自然の生まれつきの感情を表している”という意味で“どの様な宗教でも、多かれ少なかれ、良いものであり称賛すべきである”という、間違った考えに基づいているからです。

 彼らは、ただ単に誤謬のうちに迷い込んでいるだけではありません。この誤りを支持しつつ、彼らは、宗教に関する本当の観念を歪め、同時にそれを拒んでいるのです。そうして彼らは、[どんな宗教でも同じだという]宗教に関する誤った考えを持ち、少しずつ[真の宗教に関する問題よりも、この地上のことを重視する]超自然否定主義(naturalism)そして、[真の宗教も、真の天主もないのだという]無神論へと歩んでいます。ですから、このような誤った教えの賛同者となり宣伝者に合同することは、天主によって啓示された宗教[すなわちカトリックの教え]を全く打ち捨てることであるということは完全に明らかです。

====引用終わり====


 ピオ11世教皇は言葉を続ける。


====引用開始====

 しかし、キリスト・イエズスにおいて兄弟的な交わりをしきりに説く非カトリックの多くは、イエズス・キリストの代理者が教えを説く時には、それに従おうともせず、彼が命じる時、それに従順たろうともしません。しかし彼らは喜んでローマ教会と同じレベルで、同輩の者として話し合おうとするでしょう。しかし、現実には、彼らがもしそうしたとしたら全く疑いもなく彼らは、彼らを今でもキリストの唯一の群れの外に迷わせ放浪させているまさにその誤りを放棄しなくても大丈夫だという考えを持ってしか、いかなる同意をも結ばないでしょう。

 この条件の下では、使徒座はいかなる口実の下であろうとこれらの集いに参加することができず、いかなる犠牲を払ってまでもカトリック信者は、その賛同あるいは行動によってこれらに好意を与えることができないことは一目瞭然です。

====引用終わり====


ピオ11世の「モルタリウム・アニモス」の全文を日本語で読みたい方は、
http://fsspxjapan.fc2web.com/papal/ma.html
をご覧下さい。

 

    POINT

◎ 宗教の違いにもかかわらず、全ての人々を区別無く、ありとあらゆる種類の不信者、信者、キリストの神性とその使命を否定する者も共同の集会を開くことは、「どの様な宗教でも、多かれ少なかれ、良いものであり称賛すべきである」という、間違った考えに基づいている。

◎ 従って、カトリック信者はこれに賛同することができない。


    POINT

◎ この誤りは、宗教に関する本当の観念を歪め、同時にそれを拒む。

[どんな宗教でも同じだという]
宗教に関する誤った考え

↓↓↓↓↓

[真の宗教に関する問題よりもこの地上のことを重視する]
超自然否定主義(naturalism)

↓↓↓↓↓

[結局、真の宗教も、真の天主も存在しないという]
無神論

 

へと歩んでいく。

    POINT

◎ このような誤った教えの賛同者となり宣伝者に合同することは、天主によって啓示された宗教[=カトリックの教え]を捨てることに等しい。

    POINT

◎ カトリック信者は、これらの集いに参加することができない。また、いかなる犠牲を払っても、その賛同あるいは行動によってこれらに好意を与えることができない。

 

 【カトリック教会法典は何と言っているか?】


 だから、カトリック教会法典(1917年発布)2314ー2316条によると、他宗教の礼拝に能動的に参与すること(communicatio in Sacris)は、教会法の罰を受けることになっている。カトリック教会法典2316条によると、異端の疑いがあるという。


 新しいカトリック教会法典(1983年発布)も、その第1365条にはこうある。

Reus vetitae communicationis in sacris iusta poena puniatur. 禁止された他宗教の礼拝に参与する者は、相当の罰を受ける。


 何故か? 何故なら、私たちは真理と霊とにおいて礼拝し、礼拝の共同体は信仰の一致を前提としているからだ。



    POINT

◎ カトリック信者は、他宗教と共に能動的に礼拝儀式に参与することができない。

◎ それは「どの様な宗教でも、多かれ少なかれ、良いものであり称賛すべきである」という、間違った考えに基づくからである。

 


(´・ω・)  ふーん、ピオ11世はこんな事を教えていたのかぁ、と思った方はクリック↓
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ルフェーブル軍人神学生 (1926年 - 1927年) 副助祭ルネと修練女ベルナデット

2006年04月20日 | ルフェーブル大司教の伝記

第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)

3.観想的な哲学の学生(続き その7)


軍人神学生 (1926年 - 1927年)


 ルフェーブル神学生はスータンを着てヴァランシエンヌ (Valenciennes) の兵務庁に出頭したが, それは 1923年に彼の兄にそうだったように、スータンは彼に好意と尊敬心を引きつけた。 彼は 1926年 4月 22日及び 23日に初めての神学試験をパスしたばかりで、勉強を中断しなければならないというのが辛かったが、 彼の兄のように「軍隊で多くの善行ができる 」と確信していた。兵役仲間たちは彼が神学生というのを知っていたので彼に全幅的な信頼をよせた。


 もっとよく服務し、比較的な自由を享受するために、彼は予備役将校として訓練するのを選んだ 。そこてムルムロン (Mourmelon) 野営地で第508 タンク連隊 第4中隊に合流した。午前には泥或いは雪の中を「足を引きずって歩き」、午後には授業があった。軍人神学生は12月ヴァランシエンヌで軽装備の第509 タンク連隊に配置された時には単なる下士官の伍長であり、見かけ上、熱心ではなかったようだ。


 「兵舎の事務」という後方に配置され、かなり自由があったしほとんど毎日聖体拝領ができた。若い神学生軍人は軍隊の規定を大きく気にかけなかった。クリスマス・イブに家族を訪問して驚かしたりした・・・こっそりと! この軍人は時には話す相手がいなくて大変さびしがったりした。そこで夕方なら兵役を受けた無学の青年達に読んで書くのを教えることで忙しく動き、教理問答授業をして力を尽くした。人々はその教理問答授業を楽しむようだった 。


 10月には聖フランシスコ第三会のために働いていた。彼は実際に会員だったろうか?  あり得る話しだ。彼は500枚の情報リーフレットを 13フラン払って注文した。

 

副助祭ルネと修練女ベルナデット


 1927年 4月 17日、マルセルは家族と一緒にシュヴィリで挙行されるルネの副助祭(注: 聖体の材料を直接準備する品級)の敍品式に与った 。


 11月 5日ルマール大佐 (Colonel Lemar) によって署名された '品行証明書'はマルセル・ルフェーブル下士官が '倦まず弛まず名誉をもち忠実に服務した'ことを証明した。そして彼は聖職者として 11月 15日シュヴィリで挙行されるルネの司祭叙階式に与ることができ、そこで聖霊修道会の宣教修道女たちのもとで志願者となる妹ベルナデットと会った。


 1921年 1月 6日、ユジェニー・カプ (Eugenie Caps) 及びル・ロワ司教によってロレーヌ (Lorraine) に設立されたこの団体は、「聖霊修道会に依託された宣教と事業とにおいて、見捨てられた霊魂たちの救いのため、特に黒い人種の不信仰者たちの救いのために働く」ために立てられた。この若い姉妹修道会は 1924年に修道女 23人が修道誓願をたてて、その始めての実をおさめた。彼女たちのうち、8人がその同じ年にカメルーンに発っていた。ベルナデットはマリ・ガブリエル修道女という修道者名を受け、1928年 1月 20日ジュイ・オ・アルシュ (Jouy-aux-Arches) で修道女となるだろう。彼女は1930年 3月 25日ベティシ (Bethisy) で誓願をたてるだろう。そして彼女は「聖寵の働きと天主の全能の働きにすっかり身を委ねつつ」、両親を「平和の雰囲気の中に」残して、1933年 11月遂にカメルーンに宣教に発つことだろう。


 ルフェーブル神学生は、11月 17日にローマに帰り、神学校がすっかり変わってしまったということに気がついた。望まないにもかかわらずアクション・フランセーズの断罪に巻き込まれて、崇敬されていたル・フロック神父が除去されていたのだった。


(続く)


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カトリック新聞の記事 『青年らが歴史見る巡礼 「なぜ殉教?」の疑問を胸に』を読んで。

2006年04月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言


アヴェ・マリア!

 カトリック新聞には『青年らが歴史見る巡礼 「なぜ殉教?」の疑問を胸に』という記事があった。
http://www.cwjpn.com/kiji/3856/3p-seinen_jyunrei.htm

 この巡礼は、東京の「真生会館学生センター」が企画したものだ。司祭も2人参加した。しかし、参加者は巡礼しても「どうして殉教しなきゃいけないのか」という疑問への答えは見つからなかった。参加者はむしろ、過去、殉教が「素晴らしいこと」のように考えられていたので、現代と「信仰の表し方が全く違う」ことに驚く。或る参加者は、殉教について「疑問ばっかり増えた」と話す。

 この記事を読んだ率直な感想を述べることを許してもらいたい。

 (1)

 私は、この記事を読んで、 「カトリック新聞」! 「真生会館学生センター」! これの何というダブルスタンダード! と思った。

 少し前まで、そして今でも、外国人登録のための指紋押捺反対、イラク戦争反対、原発反対、憲法改正反対、君が代斉唱・国旗掲揚反対、良心的拒否を声高々に叫んでいるくせに! 指紋押捺反対のために日本国外に追放された外国人宣教師を「殉教者」として賞賛・高揚していたくせに! 共産主義・社会主義に染まった赤い戦闘的プロ市民たちが、「良心の自由」を錦の旗のもとに、命さえ投げ出しているのを、さもうらやましそうに眺めて、彼らに倣えとカトリック信者らにハッパをかけているくせに!


 (2)

 次に思ったことは、この指導者らのカトリック信仰に対する無知だ。(失礼!) 指導者がそうなら、その指導を受ける学生が「何故?」と疑問に思っても不思議はない。

 指導者の二名の司祭らは、豊臣秀吉によってキリスト教が禁止されだした、ということを知らなかったようだ。真理を信じてはならぬ、という悪法が制定発布されたのを知らなかったようだ。
 天主の十戒という全ての人間が遵守しなければならない天主の法があることを教えられていなかったようだ

 私たちの主イエズス・キリストは真理を証明するために生まれた。真理とは好きだから信じるのでも・そのほうが都合が良いから信じるのでも・便利だから信じるのでもない、ということを知らなかったようだ。


 教文館から「殉教者行伝」が出ている。指導者の司祭たちはこれを読んでみたらよい。ドン・ボスコ社から岡神父様の書かれた「戦塵のさなかに ---ある神学生の青春---」という本がある。指導者の司祭たちはこれを読んでみたらよい。

 岡神父様は、日本を愛する愛国心に燃えながらも、愛する祖国のために命すら惜しまない、という情熱に燃えつつも、「クリスチャン」ということで「売国奴」と上官から罵られ、暴力を受けた。「キリスト教の信仰を棄てる方が有利で」便利で、楽チンだった。しかし岡神父様は、イエズス・キリストの御受難を思い起こし、私たちの主にならってじっと堪え忍んだ


 何故、司祭たちがこれを知らないのか? ヒントは学生たちの次の言葉にあるようだ。


 「神様が好きだっていう思いは変わらない」とも感じた。
 「もっと伝えたいことがあるのに、言葉にできないもどかしさ」
 「人が死ぬ話」を聞き、気持ちが「落ち込んだ」。
 青年たちとの交流が、参加者を次の目的地に向かわせる力となった。



 つまり、信仰=感情になっているからだ。司祭たちが指導している「信仰」とは、内的な感情だけだから、言葉にできないし、神様が好きだと「感じる」し、「気持ち」が落ち込むのだ。

 何故か? 何故 信仰=感情 になってしまったのか?


(3)

 司祭たちを責めるのは酷だろう。何故なら、こうなってしまったのは新しい司祭たちのせいではないからだ。彼らは新しいイデオロギーと新しい教えの犠牲者に過ぎない。だれが新しい教えを教え、新しいイデオロギーを司祭たちに植え付けたのか? それは、新しいミサだ。司祭は新しいミサの影響を受けているからだ。


 新しいミサは、皆の食事会であり、信仰の「喜びを分かち合う」人間が中心の集会だからだ。新しいミサの原動力は、「人々との交流だからだ。だから「死ぬ話を聞き」、「気持ちが落ち込ん」でも、「青年達のと交流」が力となったのだ


 岡神父様はこう書いている。カトリック信仰を阻害されるばかりの軍隊生活での厳しい生活の中で、「カルワリオの再現なるミサが捧げられ、最愛なる主イエズスとの親密な一致の甘美さに酔い、諸聖人と語らった朝晩の黙想時間の慰め」を懐かしく思い、「地上における人の命は闘いなり」というヨブの言葉を、来る日も来る日も切実な思いで味わっていた。正に、これがカトリック信仰だ。私たちの主イエズス・キリストの十字架の再現である聖伝のミサの教える信仰だ。信仰は感傷的な感情でも、センチメンタルな意見でもない。


 聖伝のミサでは、「イエズス・キリストの死」が再現される、しかし私たちは「気持ちが落ち込む」どころか、イエズス・キリストとの親密な愛の一致と、諸天使、諸聖人との緊密な一致に酔いしれるのだ。ここから天主の御恵みによって、わが祖国日本からも、イエズス・キリストへの愛のために、真理への愛のために、数多くの殉教者たちが生まれたのだ。



 昨日は、聖金曜日、イエズス・キリストが十字架で真理のために命を失った日だ。しかし、イエズス・キリストはこの世に勝った。私たちの主イエズス・キリストは復活して生きておられる。そしてこの世の最後の日に、生きる人と死せる人々を裁くために再び来られるだろう。天主の御恵みにより、私たちは、主イエズス・キリストに希望をおく。私たちは永遠に辱められることがないだろう。


 だから、ルフェーブル大司教さまは、聖伝のミサを固守した。そしていわばカトリック聖伝の殉教者となったのだ。

 

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