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栄えの玄義黙想(2017年5月4日 秋田巡礼にて シュテーリン神父様)

2017年10月29日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

こんにちは!

今日は聖伝の典礼暦によると王たるキリストの祝日でした。愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは、ソウルで聖伝のミサを捧げました。ミサの前に赤ちゃんが一人洗礼を受けました。ミサの直後には御聖体降福式を行いました。午後には終油の秘跡を行うために病者の訪問に参りました。

今年の秋田巡礼で、シュテーリン神父様が私たちに提案されたロザリオの栄えの玄義の黙想をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


栄えの玄義黙想(2017年5月4日 秋田巡礼にて シュテーリン神父様)
同時通訳:小野田圭志神父


『栄えの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、主の復活し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて信仰の徳を乞い願わん。』

もしもファチマのメッセージ、あるいは秋田のマリア様のメッセージが涙と悲しみに満ちていたとしても、これがマリア様の最後の言葉ではありません。救い、喜び、幸福というものがなければ、マリア様は悲しみとか苦しみをもってお現れなる事はありませんでした。秋田のマリア様の御涙は、私たちを大きく招いている涙です。

私たちの涙は死をもたらすものですが悲しみだけですが、マリア様の涙は命を与えます。マリア様が私たちの心に入るのを私たちが許すならば、マリア様はすぐに私たちを連れて、悲しみから取り離して喜びへと導いて下さいます。

マリア様は私たちを連れて、カルワリオに連れて行ってくれます。マリア様は墓に葬られたイエズス様をお見せになり、私たちを連れて行きます。そして3日間そこに留まるようにお命じになります。マリア様がその御悲しみの最高潮にある時、聖土曜日の真っ只中で、暗闇にいる時に、イエズス様は復活の、栄光ある復活をなさいます。ですから涙と喜びとは、マリア様については密接にかかわっています。

聖金曜日は私たちに、「苦しみが多ければ多いほど、より多くの栄光が待っている」という事を教えています。

ここ秋田でマリア様は、両手を広げて、「ご覧なさい、私の涙を。ご覧なさい、教会の聖金曜日を。多くの全てが今苦しんでいるという事を。」聖金曜日のように全てはもうこれで終わってしまったかのように思われています。私は今、新しい別のドアを開けます。ここのドアからこの門から光が入ってきます、「私に留まり、私と共に苦しむなら、私と共に報いも受けるでしょう。終わりのない命を受けるでしょう。それはこの命とは、死からよみがえった私の御子です。」

私たちはマリア様の御元に馳せ寄りましょう。そしてマリア様に申し上げましょう、「マリア様、お母様、私にその光を下さい。」

『栄えの玄義 第2玄義:この一連を捧げて、主の昇天し給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて天国の福楽を深く望む心を乞い願わん。』

マリア様は私たちに、「死の後に命がある、苦しみの後に喜びがある」という事のみならず、「苦しみの後に、天国が待っている」という事を教えようとしています。復活したイエズス様は弟子たちに、「見よ、私はお前たちの為に場所を準備しに行く。」

天国というのは、向こうの方から遠くの方から眺めているだけの何か蜃気楼のようなものだけではなく、私たちが永遠の楽しみを、永遠の命を受けるその事です。マリア様がそこに私たちを導いて下さいます。マリア様の汚れなき御心だけが、私たちをそこに導く道です。

イエズス様の教えははっきりしています。私たちはそこのその天国に、十字架なしにカルワリオを通らずに行く事はできません。愛をもった苦しみを経なければ行く事ができません。この天国は、マリア様の御涙に、御心を刺し貫く茨のおかげで開かれました。なぜなら救いの大事業において、第2のアダムであるイエズス様と共に第2のエヴァマリア様が、共に苦しみを捧げて下さったからです。

秋田のマリア様の御像は、十字架とマリア様がくっついています。十字架に付けられた新しいアダム、新しいエヴァです。新しいアダムが天国へ上げられると昇天し給うと、マリア様もその後をついて行きます。

「おぉイエズス様、マリア様、御身は私の為に全てそれをなさって下さいました。私は弱い、罪を犯す小さな子供ですが、どうぞ御身の腕で私を天国に引き寄せて引っ張って下さい。マリア様、どうぞ私をイエズス様の方に運んで下さい。私の小さな心は、御身の汚れなき御心とイエズス様の至聖なる聖心の間にあります。この2つの聖心は天国に今永遠におられます。もしもマリア様とイエズス様の聖心においてあるなら、私も何らかのやり方で天国にあると言えます。」

マリア様は、「その為には1つだけ条件がある」と言います。「その条件とは、あなたの眼差しをいつも私の方に向けていなさい。そして私と共にいたいという願いを持っていなさいという条件です。あなたを天国に行かせないようにしているのは罪ではありません、なぜなら私は、御子の赦しをあなたにもたらす為にやって来たからです。あなたを天国に行かせないように妨げているものは、あなたが、私がせっかく与えようとしているこの喜びと幸せを、無関心と冷淡な心で受け止めているからです。」

「おぉマリア様、我が母よ、私は御身が私の救いをそれほどまで望んでいる、そのお望みに応えたいと思います。天国で御身と共に永遠に一緒にいたい、という大きな望みをもって応えたいと思います。」


『栄えの玄義 第3玄義:この一連を捧げて、聖霊の降臨し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて聖霊の賜物を乞い願わん。』

おぉインマクラータよ、御身は一体どなたですか?マリア様、御身は一体どなたなのでしょうか?

御身は聖アンナ、聖ヨアキムの娘です。天使が御告げを告げたその瞬間、御身は「はい」と答えました。その時から御身は天主の御母となりました。カルワリオの時から、御身は私たちの母となりました。

御身の最も偉大な特権とは何でしょうか?御身の一番深い玄義とは何でしょうか?御身が天使たちや聖人たちをはるかに勝って、偉大な大聖人とされたのは一体なぜでしょうか?

それは、天主が御身をイエズス様の御母とした、その選びにかかっています。御身を良き天主の御母と、ふさわしい者とする為に、イエズス様は御身の一番深みに入り、そして御身の存在すべてを変えられました。イエズス様のその功徳はあまりにも、その力はあまりにも強く、御身が原罪の汚れさえも免れる事をお望みになりました。永遠の天主の愛である聖霊が御身を守り、御身を保護されました。天主聖父と天主聖子は共に、聖霊を御身に与えようと望まれました。

天主聖父と聖子は、全世界に聖霊を送りたいと望みますが、しかしそれが送られるにふさわしい場所はたった1つしかありませんでした。それはマリア様、御身の汚れなき御心です。天使は御身の御心について言います、「聖寵充ち満てる御方、」御身は聖寵の充満であります。

御身は聖寵の充ち満ちと天主の充満を受けています。その天主の充満よりも更である天主が御身にはあります。天主・聖子・聖霊は御身に全く一致しているので、御身は聖霊の浄配となられました。御身は聖霊の充満をもって、そして御身の御心は聖霊の充満に充ち満ちておられます。

御身が話されると、それは聖霊が話されます。御身が私たちの心を動かす時に、それは聖霊が御身を通して私たちを動かすのです。聖霊は私たちの心の回心の全ての恵みをもたらしますけれども、それが働くのは、御身を通してだけ聖霊が働くのです。聖霊は聖化の実りを私たちに与えますけれども、しかし聖霊は御身を通してのみやって来ます。御身は非常に豊かで、そして偉大な私の御母であります。御身は永遠の命の御母です。

イエズス様は聖霊を御身に全く委ねました、与え尽くしました。ですからある意味で御身は、聖霊をご自分のお望みのままに動かす事ができます。御身がもしも小さな霊魂を見つけて、その霊魂が御身に開かれているのを知っているならば、それが分かるならば、御身は聖霊の全てのお恵みと賜物をその霊魂に与えるでしょう。

希望を失ったような人々が御身の元にやって来ると、必ず彼らは希望をもって帰ります。ですからこそ、罪人が御身の元にやって来ると、罪を赦されて帰って行きます。だからこそ、疑いで満たされた霊魂が御身の元にやって来ると、光に満たされて帰って行きます。
御身は全く汚れのない美しいものであります、“Tota pulchra es.”

私たち、汚い私たちが御身の元にやって来ると、御身は私たちをきれいにして返して下さる事ができます。


『栄えの玄義 第4玄義:この一連を捧げて、聖母の被昇天を黙想し、その御取次ぎによりて善き終わりを遂ぐる恵みを乞い願わん。』

マリア様が被昇天をされたのは、私たちを天国へと連れて行く為であります。マリア様の汚れなき御心に対する信心を持っている人たちに、マリア様は凱旋を、大勝利を、天国への凱旋を約束しました。

私たちの人生の成功とは何でしょうか?それは、マリア様が私たちを全く聖化して、変えて下さる事です。マリア様が私たちをお望みのままに、私たちを変える事です。私たちの汚い手でも、それをマリア様に与える事ができる事です。もしもそうするならばマリア様は、私たちの手を取って、私たちを天の国へと運んで行く事ができます。

そこで御出現の所ではいつもよくある事ですけれども、秋田でもその通りですけれども、マリア様は両の手を広く開いて、私たちを招いています。天地の元后であるマリア様が私たちの元にやって来て、この謙遜な木造の御像の中にご自分を閉じこめておられます。なぜならマリア様は私たちを、今マリア様がいらっしゃる天の国に運びたい、私たちを連れて行きたい、という大きな望みがあるからです。

愛する母親の大きな望み、幸せというのは、愛する子供たちが幸せであるという事です。ですから私たちはマリア様に応えて、私たちの手をマリア様に差し伸べましょう。私たちがマリア様に手を差し伸べるのは、巡礼の時や、あるいは危機の時、あるいは重要な時においては簡単です。しかし私たちにとって苦しい時、試練が辛い事がある時に、マリア様の御元に手を差し伸べ続けているのは非常に大変です。私たちがそのマリア様から逃げてしまわないで、その代わりにマリア様の手を一生懸命ぎゅっと握りしめているお恵みを乞い求めましょう。

私たちがマリア様の手を握りしめて、マリア様と共にいなければならない2つの時があります。

それは「今」です。なぜなら今、私たちは生きているからです。多くの人々は誤解しています。マリア様に自分の手を与えたというのは過去の事である。しかしこの過去の事はもう終わってしまった事です。ある人はマリア様の手に自分の手を差し伸べる事を望みますけれども、それは未来の事です。しかし未来はまだ来ていません。しかし今現在、今この瞬間、私たちの考えはマリア様と共には一緒にいません。今私たちが考えているのは、自分の苦しみや、自分の悲しみや、自分の問題、抱えている問題、自分の感じている辛い事などです。マリア様の事ではありません。今私たちが考えているのは、携帯や、あるいはゴシップや、あるいは噂話や、あるいはその他世のニュースです。

「マリア様、御母よ、私は今、今この瞬間、私の全てを御身に委ね、御身の手を握っていたいと思います。そして御身のない今がないようにして下さい。私が一体どこにいようと、何をしようと、いつも私が今御身と共にいるようにして下さい。」

マリア様の手を握りしめていなければならない時は、また別の第2の時があります。それは「死の時」です。それは私の人生で一番恐るべき時です。死の瞬間というのは、悪魔の私たちの攻撃の時であります。

「マリア様、ですからどうぞ私をしてマリア様から遠ざける事がないように助けて下さい。特に臨終の時に、御身から離れる事がないように助けて下さい。マリア様、このあわれな罪人である私の為にお祈り下さい。今、そして臨終の時に、私の霊魂を御身と共に連れて下さるようにお祈り下さい。」


『栄えの玄義 第5玄義:この一連を捧げて、聖母が天使と人類との元后に立てられ給いしを黙想し、その御取次ぎによりて永福の冠を乞い願わん。』

マリア様はファチマでも秋田でも、最も良い母として来られましたが、マリア様は母のみならず、元后でもあります。マリア様は地球の上に立たれます。これは「全ての人を支配している」という事のシンボルです。

「マリア様、御身の御像は謙遜に満ちておられますけれども、栄光にも満ちておられます。マリア様、私の霊魂は敵の攻撃の力強さに恐れています。霊魂を狙う敵は、私を永遠の破滅へと向かわそうと一生懸命やっています。しかし御身はそこに立ち止まって、尊厳をもって力強く立ち止まっておられます。御身こそ天と地の元后であります。御身はたった一人で、世界中の異端を滅ぼし尽くし給うた御方です。御身は御一人で、サタンの頭を踏み砕くという特権をいただきました。そして御身のたった1つの行為で、たった1つの言葉で、御身はサタンの頭を踏み砕くでしょう。」

「マリア様、御身は天から私たちをご覧になっています。私の眼をご覧になっています。御身は御手とそして御心を開いておられます。御身はこう私に語りかけます、『おぉ子よ、なぜ恐れているのですか、なぜ疑っているのですか、なぜ泣いているのですか。絶望する理由などありません。私と共にいるなら恐れる事などありません。私は天と地の元后ではありませんか。全世界の人々に対して御子イエズスが私に力を与えたのを知らないのですか。」

「御子イエズス・キリストと共に私と共に天国の王となって下さい。そして全ての悪に打ち勝って凱旋して下さい。」

「もしもあなたが私と共にいるなら、私は悪魔に命じます。そうするならば悪魔はあなたから離れなければなりません。子よ、私にお前の暗闇に光をもたらさせて下さい。そして決してこれを忘れてはいけません、最後に私の汚れなき御心は凱旋するでしょう。もしも私と共に留まるなら、永遠に凱旋するでしょう。」

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