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ローズ胡美玉さんの《楽は苦に在り》 第14章:彼女は地の塩でした

2011年10月04日 | カトリックとは
第14章:彼女は地の塩でした

 刑務所では、私は全信者の中で最年少であり、異教徒の家庭に生まれたので、彼らは私によく面倒を見て下さいました。それらの人々の間で、陳マザーは最も印象的でした。

 逮捕後、私は徐匯区の刑務所に入れられました。 9月8日の夜には、そこは満員でした。 9月の一月を通じて、人々は次々にグループになってやって来ました。共産党政府は、10月1日の国慶節の前ごとに決まった手順があり、自分たちの権力を強化するために多くの人々を逮捕しました。司祭、神学生、修道女及びカトリック信者は常に彼らの目標でした。彼らの多くは徐々に逮捕されました。

 私たちの牢屋は僅か50平方メートルで、およそ20人の囚人がいました。夜に私たちが寝た時はすし詰めで、私たちが寝返りを打つ場合、同時に「一、二、三」と言って合図を取りましたし、そうでなければ私たちは全く動くことは出来ませんでした。この牢屋では、20人の囚人の中で2人の信者がおり、1人は修道女でした。修道女は黒い服の非常に格好の良い修道服を着ていました。彼女はしばしば沈黙し続けました。私は彼女に話かけるよう最善を尽くしました。彼女は煉獄援助修道会の修道女であると語りました。彼女の名前は、陳桂娥と言いました。私はそれを聞いた途端、余り考えずに答えました。「あなたの姪、ローズ陳瑞璋は、私の代母です。今、ここで私たちは真実のために殉教者となる機会があるのですから何よりです。直ぐに陳マザーは、私がどれほど無邪気であるかを悟りました。特に、彼女は私が良く取調べのために呼び出されているのを見ており、しかも刑務所での食べ物は非常に劣悪で、一日2食の食事は豚でさえ喜んで食べるような物ではありませんでした。最初は、私は何も食べることが出来ませんでしたし、一日中嘔き出していました。時間が経つにつれ、天主様に対する私の熱意が徐々に減って行き、まるでほとんどなくなったかのように見えました。マザーは、私が身体と霊魂の両方が弱くなっていたことに気付きました。彼女は私と話をしたので、警備員が頻繁に叱ったのにもかわらず、マザーはそれを気にも留めず、私を励まし続けて下さいました。彼女はこう語りました。天主様はあなたを証し人になるようにお選びになりました。それはあなたへの天主様の偉大な贈り物です。あなたは、カルワリオへの道はとても長く、曲がりくねっていることをはっきりと知る必要があります。私たちの主が十字架を背負われていた時、3度地面にお倒れになりました。あなたは、ほんの数年前に洗礼を受けました。あなたは天主様にすがらなければなりません。私たちが刑務所にいるのですから、現実には、悪い食べ物、ひどい悪臭や混み合った牢屋、多くの取調べ、囚人間の互いの押し合いへし合い、そして取調べのために座っている長い時間という異なる種類の誘惑に直面しなければなりません。これらの全ての苦しみに対し、あなたが心を尽くして天主様を信頼せず、また自分自身を励まして祈らなれば、誘惑に抵抗するのに十分な強さがなくなるでしょう」私は、どのようにしてこの牢獄で自分自身を励ますことが出来るのだろうかと思いました。そこは全く地上の地獄であり、そして汚れに満ちた場所でした。物質的なことばかりではありません。ある囚人は、実際、素行不良の人々でした。私たちカトリック教徒は、まるで狼の中の子羊のようでした。私は天主様と顔を合わせて話す方法を全く知りませんでした。陳マザーは、このことに対する最善の回答を私に与えて下さいました。彼女は手を取って私に教えて下さったのです。自分の指で幾つかの糸を捩り合わせて私のためにロザリオを作り、少なくとも一日に15連唱えるよう私に求めました。それから彼女は、朝の御ミサ、霊的聖体拝領、十字架の道行、黙想のスケジュールを設定しました。私は義務として行わなければなりませんでしたが、実際はそれが私の一日の糧となったのです。

 水の一滴を通して、太陽がどのようなものであるかを知ることができます。そしてまた、陳マザーの性格がどのようであったかも、いくつかの事実から見出すことができるのです。ある日、とても薄められたスープを飲んだ後、若い囚人が急にトイレに行く必要がありました。しかし、看守は進んで門を開こうとはしませんでした。彼女は大声で泣き叫びました。前にも述べましたように、私たちは決められた時間しかトイレに行くことを許されませんでした。私は刑務所に入れられるまで、この世で最も悲惨なことの一つは、腸が緩いことであるとは知りませんでした。排泄する場所がない所ではなおさらです。囚人は皆、何をすれば良いか分からず、押し黙ったままでした。 陳マザーは少し考えると、彼女の小さな包みから塩の半袋分をさっと掴み出しました。「これを飲みなさい、過度な尿を減らしますから」と彼女は言いました。それは実によく効きました。このような状況下では、塩はフカヒレやロブスターよりも貴重で価値がありました。

 ある日、一人の囚人が自分の指を門の所で怪我をしました。血は流れ続けました。人々は、地面に血の滴が沢山落ちるのを見ました。医者はおらず、薬も全くありませんでした。どのようにすれば、私たちは彼女を助けることが出来るのでしょう?一人の女性が、彼女のところに来て腕を持ち上げ、一枚の紙に彼女の指を押し付けました。陳マザーは何をしていたのでしょうか?毎朝、看守は私たちにコップ一杯のお湯を配っていました。私たちは時々それをすぐに飲みましたが、陳マザーは、たいていは他の用途のためにある分量を残しておきました。その日もいつものようにまだある量のお湯を残していました。彼女はコップを取り出し、そこにいくらかの塩を入れました。次に彼女は塩辛い水で指を洗浄し、細菌を殺すことが出来ると言いました。それから彼女は、使い古した服を引き裂いて、何枚かの細い切れを取りました。最後に彼女は指に包帯をしました。その囚人はマザーの慈悲深い行動に深く感動しました。彼女は、この罪深い世界で、かつ刑務所の中で、霊的な知恵と慈愛に満ちたカトリックの修道女に会う機会を持てたのは素晴らしいことだと語りました。

 私は陳マザーに会うまで、塩の使い方をほとんど知りませんでした。道理でイエズス様は聖書でこう仰せになったわけです。「あなたは地の塩である」(マタイ第5章:13節)陳マザー、あなたは塩の味を保ち続けました。そして、私たちに天主様のための純粋さと熱意をもたらし、私たちに多くの問題を解決するよう助けて下さいました。私はあなたの善い模範を真似てあなたの道に従い、地上で香しい塩になります。

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