Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

ベルゴリオ枢機卿とアルゼンチンの聖ピオ十世会

2013年03月19日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ヨゼフの大祝日、おめでとうございます。
 今日、聖ピオ十世会は聖ヨゼフに奉献されます。
 また、フランチスコ教皇様は、今日その教皇職を始められます。私は、毎日、フランチスコ教皇様のためにミサ聖祭を捧げています。教皇様のために復活祭まで、ロザリオの十字軍でたくさんのロザリオを捧げてください。

 さて、聖ピオ十世会南アメリカ管区長クリスチャン・ブシャクール(Christian Bouchacourt)神父様が持つベルゴリオ枢機卿に関する私見をご紹介します。原文はこちらにあります。

【お便り】
マリアちゃんから、教皇様が決まられておめでとうございます、13環です、のメール頂きましたので、カトリック教会の為に!で、3月いっぱいお願します。とお返事しました。

 フランチスコ教皇様の最初のお説教については、先日ここでご紹介しましたが、全文の日本語訳はこちら「教皇フランシスコの最初の説教」で読むことが出来ます。

「イエス・キリストを告白しなければ、物事は進みません。福祉活動を行うNGOになれるかもしれませんが、主の花嫁である教会にはなれません。・・・イエス・キリストを告白しなければ、わたしはレオン・ブロワ(1846-1917年)の「主に祈らない人は、悪魔に祈る」ということばを思い出します。イエス・キリストを告白しなければ、悪魔の世俗性を、悪霊の世俗性を告白することになります。・・・ イエス・キリストを告白したペトロ自身が、イエスにこういいます。あなたはメシア、生ける神の子です。わたしはあなたに従います。しかし、十字架について話すのはよしましょう。十字架はわたしたちと関係ないことです。わたしは十字架抜きの、別の方法であなたに従います。もしわたしたちが十字架なしに歩み、十字架なしに築き、十字架なしにキリストを告白するなら、主の弟子ではなくなります。世俗的な者となります。司教、司祭、枢機卿、教皇であっても、主の弟子ではなくなるのです。

 願わくは、カトリック教会が、十字架に付けられたイエズス・キリストだけを信仰告白しますように! どの宗教でも良いという折衷主義や間違ったエキュメニズムではなく、私たちの主イエズス・キリストを、私たちのために十字架に付けられたイエズス・キリストを告白しますように! 「イエズス・キリストを告白しなければ、悪魔の世俗性を、悪霊の世俗性を告白することになる」からです。


 良き御受難節をお過ごし下さい。
天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ベルゴリオ枢機卿とアルゼンチンの聖ピオ十世会
二〇一三年三月十五日


DICI編集部は新教皇選出の当夜、南アメリカ管区長クリスチャン・ブシャクール(Christian Bouchacourt)神父の私見を入手した。それは、次の通りである。

 ベルゴリオ枢機卿は貧しい人々の間で貧しい人間でありたいと願っています。彼は過激なほどの謙遜を養っており、しかし同時に、教会を屈辱させることさえできるほどです。彼が高位聖職者が身に付けるロシェ(rochet)やモゼッタ(mozzetta)なしの質素なスータンを着て聖ペトロ広場のバルコニーに姿を見せたのが完全な証拠です。彼は上品な政治家です……そして一九七〇年代の貧困層の理想的な使徒です。民衆や貧しい人々の方を向いているのは明白ですが、解放の神学の信奉者ではありません。

 自分の配下の聖職者たちの(霊的に)悲惨な状態によく気が付いていましたが、彼は事態の修復のために何もしませんでした。今日ほど、ブエノス・アイレスの神学校には神学生たちがいないことはありませんでした。これは「貧しい者の枢機卿」が主宰したいくつもの典礼がそうであったように、ひどい状態です。彼のもとで、私たちはもう一度パウロ六世の教皇時代にあったさまざまなミサを目にするかも知れなません。ふさわしい典礼儀式の数々にその名誉を回復させようとしたベネディクト十六世の努力とは大違いのものを、です。

 彼は堕胎には断固として反対していました。でも、ブエノス・アイレスのカルメリットたちに同性「婚」の法案──残念ながら最終的には可決してしまいました──に反対する素晴らしい手紙を書きながらも、この法案への反対抗議の間、遺憾な内容の論文を読み上げました。が、その中では主のみ名はただの一度も述べられることはなく、反対に彼の前で民衆を熱狂させようと演説した福音派の牧師たちのほうが、もっと勇気ある講演を行ったのです……。

(アルゼンチンでの同性「婚」の法案可決については、
Argentina: Senators Pass Law in Favor of “Homosexual Marriage”Argentina: the vote on the law on “homosexual marriage” and the reaction of the bishops as analyzed by Father Bouchacourt.Official Letter from the District of South America on the Legalization of “Homosexual Marriage” in Argentina などをご覧下さい。訳者注)

 エキュメニズム集会の間、彼は二人の牧師からの祝福を受けようと跪きました。

 彼は意見一致を重んじる人であり、対立を忌み嫌っています。ブエノス・アイレスで開かれた冒涜的展覧会を非難したカトリック信者たちとは距離を置き続けました。

 私は枢機卿と五、六回お会いしたことがあります。いつも親切に迎えてくださいました。私が希望したことを叶えようと模索しながらも、障害を克服するため、ご自分の歩んできた道からはみ出すことなしに……。


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【注】Argentina: the vote on the law on “homosexual marriage” and the reaction of the bishops as analyzed by Father Bouchacourt.によると、次のようにあります。

"The episcopate reacted with a certain firmness, but too late . . . During the large demonstrations the bishops put out diffused and woefully toned-down messages. For example, the day before the vote on the bill, lay Catholics from the territory of Cardinal Bergoglio, Archbishop of Buenos Aires, organized a great demonstration with . . . the evangelicals. There were 120,000 people present. The Cardinal delivered a message which was read by a woman―he was absent. This message argued only from natural law. The name of God was not even mentioned, which is unthinkable in Argentina, a country which is 90% Catholic. Neither was the name of the Virgin Mary mentioned, which is equally incredible in a country that is decidedly Marian as well. In other words, the Cardinal adopted a low profile. By contrast, the evangelical minister’s speech was quite impassioned. In it he defended the rights of God, the Commandments, etc. . . . He gained the sympathy of the crowd. He then voiced a resounding, thundering evangelical prayer, to which the Protestants seem to hold the secret. Sadly, although everyone waited, not one Catholic prayer was recited. One could see not only the disappointment but also the rebellion of many Catholics after the Cardinal’s speech. Numerous Catholics shouted their sense of betrayal. The crowd of Catholics left in distress.

I read in the French press and in the newspapers of the traditional movement that the Argentinean bishops were very courageous. That is false, with few rare exceptions! To come back again to Cardinal Bergoglio, he did send a remarkable letter to the Carmelite nuns of Buenos Aires. But this document was private, although it was posted on the Internet. Everyone awaited a speech of this type during the gathering of July 13th, but it was different― it was very disappointing. He did not attempt either to attack or to shock."


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