Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

秋田巡礼-シュテーリン神父様御説教-2017年5月3日「巡礼のはじめに~ヨゼフ様と共にヨゼフ様の助けを持って、ヨゼフ様の観点からマリア様に近づく」

2017年05月21日 | お説教・霊的講話
2017年5月3日 秋田巡礼 童貞聖マリアの浄配証聖者聖ヨゼフの随意ミサ
シュテーリン神父様御説教

同時通訳:小野田圭志神父


今年の巡礼は確かに特別な巡礼になっています。この巡礼は特にファチマのマリア様の概念の導きの元に、そのしるしの元にされます。

100年前、3人の牧童たちにマリア様はお現れになって、終末の時代にいう事ができる最も重要なメッセージを与える為にお現れになりました。この事に注意して下さい、ファチマというのは、100年前に一度起こってそれで終わってしまった事ではありません。確かに私たち一人ひとりの心を捉えて、もう動かさないほどの重要な歴史的な出来事でもありました。ちょうど素晴らしい映画を見ているようにその1つ1つの出来事に私たちは圧倒されて、うっとりしてしまうほどの出来事でした。多くの人々がそのようにファチマの事を考えています。

でもファチマはそれよりももっと重要な事があります。ファチマというのは、マリア様からの皆さんと私に対する直接の、そして個人的な働きかけです。

3人の子供たちにマリア様が仰ったという事は、私たちにも直接にマリア様は語りかけている事です。ちょうど3人の子供たちに語りかけたマリア様が私たちに、直接に御現れて個人的に仰った事を、全世界に語りかけています。もしもこのように理解する事ができるならば、マリア様の1つ1つの御出現と1つ1つのメッセージが私たちに対して新しい啓示となって、新しい語りかけとなります。

マリア様が私たちに語りかける時には、新しい情報を与えるとか、新しい知識を与えるという事ではありません。もちろんこのメッセージというのは1つ1つがとても重要な事です。マリア様の言葉は私たちに対する公教要理です。マリア様は御子イエズス様が私たちに教えたカトリックの真理を、ご自分の特別なやり方で教えてくれます。ですから素晴らしい教えを更に超えたものです。

学校に行って教室で授業を聞くと、先生からも知識を受けます。授業を良く集中して聞くならば、その授業の後で少し知識が増えます。でも頭は知識は増えたかもしれませんけれども、心や生活行動が変わるという事はあまりありません。何故かというと、誰もこの世では他の人の心を変える事ができる人がいないからです。

天主様も、天主様がその御恵みをお与えになった方だけが、それができます。でもマリア様は全ての聖寵の仲介者であって、人の心を変える事ができる力を与えられました。マリア様はこの特別のお恵みによって、このご自分のメッセージを聞いた人の心を変える力を持っています。

もしもマリア様がご自分の汚れなき御心の偉大さやその素晴らしさについて話されたとしたら、それと同時に私たちがこの汚れなき御心を愛する事ができるように、それを受ける事ができるようにするお恵みも与えてくれます。

もしもマリア様が恐ろしい罰について、例えば地獄の火についての真理を語るとしたら、私たちにそれと同時にこれを恐れ、これを避ける事ができるお恵みも与えてくれます。

もしもマリア様がその天国の素晴らしい美しさを私たちに知らせるとしたら、それと同時にマリア様は私たちの心に、天国の既に平和や喜びというものを感じさせてくれます。

別の言葉で言い換えると、マリア様の御言葉を私たちの心に個人的に受け取らなければなりません。マリア様は皆さんのお母様であって、皆さんはマリア様の子供たちです。この巡礼の3日間、マリア様は皆さんの心に語りかけて、皆さんを導き、皆さんを指導し、皆さんを助け、皆さんに語りかけ、皆さんを愛そうとされています。マリア様のお現れになった語りかけたこの修道院に行かれる時には、マリア様のその語りかけを感じるようにして下さい。

マリア様が何をなさったか、秋田で一体何が起こったかという事は歴史的な事を黙想する事は1つの事です。マリア様の言葉を黙想したり、涙について考えたりする事はできます。このマリア様の御像の単純さを感嘆する事ができます。しかし更に、「マリア様の流された涙の一粒一粒は、私の為に流されたのだ」という事を考えて下さい。「単なる歴史的な事ではなくて、マリア様が私たちの為に今生きて、今私たちに語りかけて働きかけておられる方だ」という「本物の御方だ」という事を感じて知って下さい。

今日私たちはマリア様に、ヨゼフ様と共にヨゼフ様の助けを以って近寄ろうとしています。聖ヨゼフは確かに、御復活の後には聖ヨハネがマリア様の事を世話しましたけれども、それを除けば聖ヨゼフ様が最もマリア様に近い方でした。マリア様の聖母聖月はいつもヨゼフ様の祝日で始まります。このマリア様の巡礼も、聖ヨゼフの最初の水曜日で始まりました。

ヨゼフ様がお持ちになっていた、マリア様を感嘆して眺めておられるその目、そのマリア様を愛するその心、聖ヨゼフの観点からマリア様に近付きましょう。聖ヨゼフは私たちに何を与えようとしているのでしょうか?

聖ヨゼフはまず私たちに、「心の平安」と「沈黙」を与えようとしています。それはこの世の喧騒雑音から心を離して、マリア様に心を集中させる事ができるというお恵みです。

第2にヨゼフ様は私たちに、「マリア様に対する感嘆と驚きの心」を与えようとしています。よく有りがちな事は、この素晴らしい真理であったとしても、頻繁に「またかぁ」とか「もう退屈だ」とかいう倦怠な心を持って聞いてしまう態度がよくありがちです。マリア様が素晴らしいお恵みを天からわざわざお持ちになって、「さぁ」と見せていらっしゃるにもかかわらず、私たちの態度といえば眠りこけていたり、退屈であったりとか、無関心であったり、というひどい態度をとりがちです。ヨゼフ様はそのような悪い態度から私たちを助けて、心を開いてマリア様を受けるようにさせて下さいます。

ヨゼフ様が私たちに与えようとされる第3のものは、「奉仕の心」です。ヨゼフ様はいつもマリア様とイエズス様に奉仕していました。マリア様の言葉や態度に感嘆して、「素晴らしいな」と思ってその言葉を聞くのみならず、マリア様の為に何かをしなければなりません。マリア様の為に何かをする、奉仕するという事はつまり、「マリア様の為に霊魂を救う事を手伝う」という事です。霊魂を救うという事は、老人の方や、或いは若い方や、或いは司祭、或いは一般信徒の方、或いは男性、女性、役割が違っています。

しかし一言私たちに共通して言える事は、マリア様の為に十分奉仕していない、マリア様の為に十分働いていないという事です。私たちが今している事よりも、もっとより良い事をする事ができるという事です。

ですから私たちはヨゼフ様の元に行って、「もっと良くマリア様の為に働く事ができるように」というお恵みを求めましょう。何故かというと、ヨゼフ様は全てをされて、これ以上更に良くする事はできない、というほどされた方です。このお恵みをヨゼフ様は私たちに下さろうとしています。

今年は、皆さんよく覚えて下さい。この皆さんのこの祖国の多くの方を回心させようと望んでいます。

今年はマリア様は、皆さんの元に多くの召命のお恵みを与えようとしています。

でもこれはこのお恵みを与えられるのは、「私たちがどれほどマリア様の為に奉仕するか否か」にかかっています。ですからヨゼフ様に、より良く、より多く奉仕する事ができるお恵みを求めて下さい。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
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