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ルフェーブル大司教の1988年6月30日エコン (スイス) 司教聖別式の説教 : 離教に非ず

2020年10月11日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ルフェーブル大司教様の1988年6月30日エコン (スイス) 司教聖別式の説教をご紹介いたします。

これによって、1988年の四人のカトリック司教の聖別が離教行為ではないことが示されております。

離教の意図は全く無く、単に、カトリック教会をそのまま存続させる、カトリック聖伝の生き残りの為に、行っただけであると示しています。



聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教様の説教
1988年6月30日エコン (スイス) 司教聖別式の説教にて

親愛なるカストロ・マイヤー司教様、
いとも親愛なる友人、そして兄弟の皆様、

 ご覧ください、私たちは間違いなく歴史的な一つの式典の為ここに集っています。何よりも先ず皆様にいくつかのお知らせをさせてください。

 第一のものは皆様を少し驚かせるでしょう、私自身そうだったからです。昨夜、ベルンの教皇大使館から送られ、教皇様からの嘆願書の入った一枚の封筒を持ったある訪問者がやって来ました。教皇様は私が自由に使えるようにと車をよこしたのです、この車は私を昨夜ローマに連れて行くことになっていたようです。それは私が今日この司教聖別を執行する事ができないようにするためでした。私には行かなければならない理由も場所も伝えられませんでした!このような嘆願のタイミングのよさと知恵をどう判断するかは皆様にお任せいたします。

 この一年間、私は幾日も、それどころか数週間もローマに行きました。教皇様は私が来て謁見するように招いてはくださいませんでした。仮にいくつかの合意がなされたなら、彼に謁見することは私にとってきっと喜ばしい事だったでしょう。ですからここで皆様に情報としておしらせします。私は皆様にこの事実を単純にお伝えするだけです。私自身、教皇大使館からの手紙を通して知るに至った様に。

 それでは、この式典に関する幾つかの指示と、その意義にかんする重要な文書について[お話しします]。

 皆様の中でお持ちになっている方もいらっしゃる司教聖別式小冊子に見られる誓いを、司教となる者たちは既に、私の手において立てました。従って、この誓約、さらには近代主義に反対する宣誓、この宣誓は公教会が司教聖別される者達に必ずすることを命じていたそのままのものです、それから信仰宣言は、もはや行われたということになります。彼らはすでにこれらの宣誓と信仰宣言とを、数日間シエールにて行われていた黙想会の後で私の手の元で済ましています。ですから、この司教聖別式が、信仰に関する審問、つまりカトリック教会が司教に聖別されるべき人々に尋ねる信仰審問の儀式から始まることになりますが、驚かないようにして下さい。

 さらに皆様に知っておいて欲しいことは、聖別式の後、皆様が司教様たちの祝福とその指輪に接吻することをお願い出来るということです。昨日皆様がされたように、叙階された新司祭の両手に接吻する事は公教会内の習慣ではありません。しかし信徒の方々は司教たちからの祝福とその司教指輪に接吻をすることが出来ます。

 最後に、皆様のために、書物やパンフレットなどを入手できるスタンドを準備しました。それらの書物は、この司教聖別式が、一見ローマの意向に反して執行されるかのようなこの聖別式が何故に離教[行為]ではないかをもっと理解する事を助けるのに必要なあらゆる要素が書かれています。私たちは離教者ではありません! 

 もしも、破門宣告が中国の司教たちにたいしてなされたなら、彼らは自らをローマと絶ち、自分を中国政府の配下に置いたからであって、ピオ十二世教皇が何故彼らを破門したのかは容易に理解できるところです。

 私たちにとって、自らローマと離れることなど問題外です。私たちにとって、教会と関係のない政府の元に身を置くことも問題外です。さらには、パルマール・デ・トロヤの司教らがスペインで行ったように、ある種の別個の教会を作り上げるなどということも問題外です。パルマール・デ・トロヤの人々は、教皇さえ選出し、枢機卿団の編成などさえしたのです。

 私たちにとって、このようなことを行うのは全くの問題外です。考えにもありません。ローマから離れるというこの惨めな考えなど私たちには一切ありません!その反対に、私たちがこの聖別式を執り行おうとしているのは、私たちのローマへの愛着を表明するためです。

 永遠のローマ、教皇聖下、最近の教皇聖下達に先立つすべての前任の教皇たちへの愛着を表明するためなのです。最近の教皇様たちは、残念ながら第二バチカン公会議以来、カトリック教会とそのカトリック司祭職とを破壊している深刻な誤謬を支持することが自らの義務だとみなしてきているのですが。

 そういうわけで皆様方が自由に入手することが出来るように置かれたこれらのパンフレットなどのなかに、ドイツはマインツ大学で教会法学の学部長ゲオルグ・マイ教授によってなされたすばらしい論考があります。

 この教授は何故私たちが必要の緊急事態にいるか、つまり皆様の霊魂を助け、皆様を援助する必要性の中に私たちがいるという事を見事に説明しています。私が思いますには、先程の皆様の拍手は、決して世俗的な[喜びの]現れではなく、むしろ皆様の霊的な[喜びの]現れ、霊魂の救いのため、皆様の霊魂に聖主イエズス・キリストの生命を、正統な教義、諸秘蹟、信仰、御ミサの聖なる犠牲を通して、与えるために奉献されている司教や、司祭達を、とうとう獲得するという喜びを示す、霊的表明なのです。

 天国に行くために、皆様はこの聖主イエズス・キリストの御生命が必要です。この聖主イエズス・キリストの御生命は、公会議後の教会の至る所で消えつつあります。彼らはカトリックの道ではない道に従っています。つまり彼らは単に棄教に進んでいるのです。 

 これこそ私たちがこの聖別式を執り行う理由なのです。教皇になろうなどという気は私にはまったくありません! 私は、カトリックの教義を伝え続けているカトリック教会の一司教にすぎません。

 私が思うに、そしてきっとこれはそう遠くない未来のことでしょう、つまり皆様方が私の墓石に聖パウロのこれらの言葉を刻み込むであろう事です。“Tradidi quod et accipi --- 私は受けた事をあなた方に伝えた。そして他の何物でもないのです。私はちょうど皆様に一通の手紙を配達する郵便配達人です。私はその手紙、メッセージ、天主の聖言葉を書きませんでした。天主御自らがそれをお書きになったのです。つまり聖主イエズス・キリスト御自身がそれをわたしたちにお与えになったのです。

 私たちに関して言えば、私たちはここにいるこれら親愛なる司祭たちを通して、さらに永遠の信仰を保ちそれを信者達に授けることにより、公教会におけるこの離教の波に抵抗するために選ばれた全ての者を通して、ただそれを後世に伝えたのです。私たちは、善き知らせの単なる伝達者、私たちの聖主イエズス・キリストが私たちにお授けになったこの聖福音の伝達者であり、同様に聖化の手段である聖なる御ミサ、真実の聖なるミサ聖祭、霊的生命を実際に与える真の秘蹟の運搬者にすぎないのです。 

 親愛なる兄弟の皆様、私には自分がこれらすべての教皇達、つまりグレゴリオ十六世から始まって、ピオ九世、レオ十三世、聖ピオ十世、ベネディクト十五世、ピオ九世、ピオ十二世の声が私たちにこういうのを聞いています。「私たちはあなたに懇願する、あなたは私たちの教え、説教、カトリック信仰をどうしようとしているのか? それを放棄するつもりなのか? 地上からそれが消え去るままにさせておくつもりなのか? どうか、どうか、私たちがあなたに与えてきたこの財宝を守り続けなさい。信者たちを見捨ててはならない! 公教会を見捨ててはならない! 公教会を続けなさい! 実に、公会議以来、過去において断罪されていた事を、現在のローマ当局は、抱擁し公言している。どうやってそんな事が出来るのか? 私たちは、自由主義、共産主義、社会主義、近代主義、シヨン主義を、断罪した。」「私たちが断罪したすべての誤謬は、公教会の権威者たちによって、今や宣言され、採用され、支持されている。そのような事があり得るのか? 私たちがあなたに与えたこの教会の聖伝を存続させるためにあなたが何かしないかぎり、全ては消滅してしまうだろう。霊魂たちは失われてしまうだろう。」

 私たちは、今、緊急事態にいることがわかります。私たちは出来ることは全てしてきました。ピオ十二世教皇聖下とそのすべての前任者達の取った態度に立ち戻らなければならないということを、ローマが理解することが出来るように出来るだけの手助けをしてきました。カストロ・マイヤー司教様と私自身とは、ローマに行き、語り、何度もローマに手紙を送りました。私たちはこれらの語りかけを通して、これらの全ての手段を通して、ローマに理解してもらうようにし続けてきました。あの公会議以来、さらにアジョルナメント以来、公教会で起こって来ているこの変革は、カトリック的ではなく、永久不変の教義と一致しない、ということをローマが理解するようにと。このエキュメ二ズムと、これらのあらゆる誤謬、この司教団体主義、これら全ては公教会の信仰に反していて、公教会破壊の工程内にあるものであるということを。だから、本日のこの司教聖別の行為によって、私たちはこれら諸教皇の招きに従順に従い、結果として天主の呼びかけに従順であることになると確信しています、何故なら彼らが公教会内で天主の代理者であるからです。

 「では大司教様は何故、或る程度は成功の見込みがあったと思われるこれらの討論を止めてしまったのですか?」はい、正に、私が議定書(プロトコール)にサインをしたのと同時に、ラッツィンガー枢機卿の使者が私に一通のメモをよこし、その中には、私が犯した誤謬について謝罪するようにと要求する旨が記されていたからです。「私が誤謬の中にいる」ということは、「私が誤謬を教えている」ということは、このメモに私がサインするように送ってきた人々の頭の中では、私が真理に連れ戻されなければならない、ということを意味するのは明らかです。「私が犯した誤謬を認める」ということは、「もしあなたが自らの過ちを認めるならば、我々はあなたが真理に立ち返るのを助けてあげよう」という意味です。

 それでは、彼らにとってこの真理とは一体何なのでしょうか? それは、第2バチカン公会議の真理、公会議後の教会の真理以外の何ものでもありません。従って、バチカンにとって今日存在している唯一の真理とは、公会議の真理、公会議の精神、アシジの精神である事は明らかです。これが今日の真理なのです。しかしこのようなことは、私たちとは何の関係もありません! だからこそ、聖伝を無におとしめ、第二バチカン公会議の精神とアシジの精神とに世界を引き込もうとする現在のローマ当局の強い意志を考えた上で、私たちは身を退かせ、このまま続行することは出来ない、と言う事を選んだのです。続けることは不可能です。私たちはまぎれもなく私たちを導いたことになろうローマ委員会の代表であるラッツィンガ―枢機卿様の権威の下にいた事でしょう。私たちは彼の手中に身を置いていました、そして結果的に私たちをして公会議の精神とアシジの精神と引き吊り込もうと望んでいる人々の手に自らを委ねていたでした。これは単純に不可能でした。 

 そういうわけで私は教皇聖下に一通の手紙を送りました。そこで教皇様にこうはっきりと申し上げました。「私たちは、教皇様との全き交わりのうちにいたい、という全ての望みにもかかわらず、[この精神とこの提議を受け入れる事は]どうしてもできません。現在ローマにおいて全てを支配しているこの新しい精神、教皇様が私たちに伝えたいと願っているこの新しい精神が与えられるかぎり、私たちは聖伝において続けることを選びます。聖伝がローマでその地位を再び獲得するのを待ちながら、ローマ当局において、彼らの心の中で、聖伝がその元の場所を再び取り戻るのを待ちながら、私たちは聖伝を守るほうを取ります」と。これは天主様があらかじめご存じの期間、長く続くでしょう。 

 いつ聖伝がローマでその権利を再び取り戻すか、という時を知るのは私の役割ではありません。しかし、私が「生き残り作戦」聖伝の生き残り作戦と名付け、それをする手段を提供するのは、私の義務であると考えています。本日、この日は、生き残り作戦の日です。もし私たちがサインをしてしまった同意に従って存続し、それを実践に移すことによって、私がローマとこの取引をしていたとしたら、私は「自殺作戦 (Operation Suicide)」をしていたことになったでしょう。

 選択の余地はありませんでした。私たちは生き続けなければなりません! そういうわけで本日、これらの司教聖別によって、私は、聖伝を、つまりカトリック教会を生きたままに保ち続けているということを確信します。

 親愛なる兄弟の皆様、あなたたちは司教なくして司祭が存在し得ないことを良くご存知です。天主が私をお呼びになる時 ―― これは間もなくであろうことは疑えないのですが ――、これらの神学生達は誰から叙階の秘蹟を授かるのでしょうか? その疑わしい意向のため、疑わしい諸秘蹟を授ける公会議後の司教たちからですか? これは不可能です。

 第二バチカン公会議に至るまで、二十世紀の間公教会が常に叙階の秘蹟を授与してきたのと同じやり方で、聖伝と諸秘蹟を真に守ってきた司教達とは一体誰なのでしょうか? カストロ・マイヤー司教様と私自身です。私は秘蹟を変えることは出来ません。変えることができないからです。

 従って、多くの神学生たちが私たちに信頼を置き、彼らは、ここには公教会の継続、聖伝の継続があると感じたのです。そして彼らは、司祭職への真の叙階を授かる為、カルワリオの真の犠牲、御ミサの真の犠牲を捧げ、そして真の秘蹟、真の教義、真の要理を皆様方に授ける為に、直面したあらゆる困難にもかかわらず私たちの神学校に来たのです。これこそが、これらの神学校の目的です。ですから私は、良心にかけて、これらの神学生たちを孤児にすることは出来ません。同様に、将来のために何も提供することなく死んで皆様方を孤児にする事も出来ません。それは出来ない事です。そのようなことは、私の義務に反するでしょう。

 それ故に、私たちは天主の御恵みによって、司教の職務を果たし、皆様の子供達に堅信と、いくつもある神学校でより容易に叙階を授ける事のできるために、適した環境と職務にいると同時に、最も相応しいと思われる司祭たちを私たちの会から選び出しました。従って、天主の御恵みにより、私たち、すなわちカストロ・マイヤー司教様と私自身とは、これらの聖別によって、聖伝に継続の手段を与える事になり、両親たち、祖父母たち、祖先たちの公教会内に留まることを望むカトリック信者達に対して、その手段を授ける事になるでしょう。

 私たちの祖先たちは美しい祭壇をもつ諸々の教会を建てました。しかしながらこれらの祭壇は度々破壊され、テーブルによって取り替えられました。こうすることによって、公教会の中心であり司祭職の目的であるミサ聖祭の犠牲に関して公会議以来生じてきた急進的な変革を表明しているのです。この聖別式の遂行において私たちを支持するためにこれほどの大人数で来てくださったことに対し私たちは皆様に感謝を申し上げます。

 私たちは祝された童貞聖マリアに目を向けます。親愛なる兄弟の皆様、皆様が良くご存知のように、ある日「ペトロの座は邪悪の座になるでしょう」と啓示するレオ十三世の予言的な幻視について知らされているに違いありません。レオ十三世教皇は、「レオ13世による悪魔祓い」と呼ばれる悪魔祓いの祈りの中でこう言いました。

 それは今日、起こっているのでしょうか? それとも、明日の話でしょうか? 私にはわかりません。しかしいずれにしても、それは予告されてきているのです。邪悪 (Iniquity) とは全く単純に誤謬のことかも知れません。誤謬は邪悪ですから。つまり、永久不変の信仰、カトリック信仰を、もはや宣言しないという事は、重大な誤謬なのです。もしもかつて何らかの邪悪があったとするならば、これがそれです。そして私は、公教会の中でアシジ以上に重大な邪悪は決して存在したことがなかったと本当に信じています。それは天主の十戒の第一戒と使徒信経の第一箇条に反しています。あのような事が、公教会の中、全教会の目前で起こりえたなどという事は信じられないことです。何と屈辱的なことでしょうか! 私たちは、未だかつてこれほどまでの屈辱をこうむった事はありません! ローマにおける現状について皆様方に情報を差し上げるべく特別に出版されたル・ルゥー (Le Roux) 神学生の書いた小冊子の中に、皆様はこの件についてのすべてを見出すでしょう。 

 このような事柄を言われたのは善き教皇レオ十三世だけではなく、我らの聖母も同様に予言した事なのです。ちょうど最近、コロンビアのボゴタの修道院を受け持つ司祭が、「良き出来事の聖母」の御出現に関する一冊の本を持って来てくれました。この聖母マリア様に、エクアドルのキト (Quito) にあるひとつの大聖堂は献堂されています。これらの啓示は、トリエント公会議の後間もなく一人の修道女が受けたもので、お分かりのように数世紀前の事であります。この御出現は既にローマと教会当局によって認可され、一つの壮大な教会が聖母マリア様のために建立されました。その内部で、エクアドルの信者たちはその御顔が奇跡的に作られた、一枚の聖母の御絵を大いなる信心をもって崇敬しているのです。それを描いた画家はこの聖母の御顔をいざ彩色する過程で、それが奇跡的に仕上げられているのを発見したという事です。さらに聖母は19世紀と20世紀の大半において誤謬が、公教会を破滅的状態に陥れながら、聖なる公教会の中でますますはびこるだろうと予言されたのです。道徳は退廃し信仰は消えて無くなるだろうと。今日それが起こっているのを見ないほうが不可能といえます。

 この御出現についてお話しを続けることをお許し下さい。しかし聖母は、真の司祭達を養成することにより司祭職を救いながら、この棄教と不敬虔の波に真っ向から立ち向かうという一人の高位聖職者について言及しています。この予言が私について言及しているとは言いません。皆様がご自身で自らの結論を出してくださって結構です。この数行を読んでいた時、私は呆然となりましたが、それを否む事が出来ませんでした。なぜなら、それはこの御出現の文書局の中に記録され保管されていることだからです。

 もちろん皆様方はラ・サレットの聖母の御出現を良くご存知であり、そこで彼女はローマが信仰を失い、ローマで一つの「陰り(eclipse)」があるだろうことを言及しています。一つの「陰り」、これをもって聖母が言わんとすることに気づいてください。 

 そして最後に、私たちに馴染みの深いファティマの秘密、ファティマの第三の秘密は、ローマを侵略し、公会議以降世界を覆ってしまったこの暗黒について言及しているに違いありません。さらに、ヨハネ23世がその秘密を公表しない方がよいと判断したことは、疑いなくきっとこれが理由であり、おそらく彼が実行不可能と感じた手段、例えば公会議を見込んで、さらに公会議のために彼が着手し始めた方針を完全に変更することなどの対策を講じる必要があったからでしょう。 

 私たちが頼ることのできる事実がある、と思います。

Consecration at Econe on June 30, 1988

 私たちは天主の御摂理の中に自らを置きます。私たちは天主が御自分の行っていることをご存知であると確信しています。ガニョン枢機卿様は、聖職停止の十二年後、私たちを訪問しました。十二年もの間、私たちはローマとの交わりの外にいるものとして、教皇様に逆らう反逆者にして反対者として語られてから、十二年後に、彼の訪問がなされたのです。ガニョン枢機卿ご自身、私たちが行っている事がまさに公教会の復興に必要であることをお認めになりました。さらに枢機卿様は、1987年12月8日に、私達の神学生たちの聖ピオ十世会への誓約更新のために私が捧げた御ミサに、大司祭として (pontifically) に参列さえしました。私は聖職停止のはずだったのに、です。それにもかかわらず、事実上、私は教会法上問題ないとされたのです。教皇使節たちは、私達が良くやったとおっしゃって下さいました。つまり、私達が抵抗して、良くやった、ということです!

 私は今も同じ状況に私達がいることを確信しています。私達の執行している行為は、見かけ上 ---- そして残念ながらマス・メディアは良い意味で私達を支持してくれないでしょう。新聞の見出しは、もちろん、「離教」「破門!」などと書きたいだけ書くでしょう。

 しかし、私達は確信しています。私達が受けるすべての非難、罰則は、全くの無効、絶対的に無効で何の意味をも持たない、と。それについて私達は無視をするつもりです。

 ちょうど私があの聖職停止を無視したように、しかし、最後には教会と進歩的な聖職者達によって良くやったと褒められたように、同様に数年後、--- 私には何年後になるかはわかりません。ただ天主のみ聖伝がローマにおいてその権利を得るために何年かかるであろうかを知っているのですが--- 私達は、ついにはローマ当局によって抱擁される日が来るでしょう。ローマ当局は、その日、より大いなる天主の栄光と霊魂の救いのために、私達の神学校、家族、市民社会、私たちの祖国、そして観想大修道院と様々な修道院において、信仰を維持したことについて感謝することでしょう。

聖父と聖子と聖霊の御名によりて。 アーメン



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