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聖母の汚れなき御心への奉献更新のため:節制

2013年06月26日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
聖母月中の祈祷


我等主の御前(みまえ)に出で、主の御母マリアの尊敬によりて、主を讃美(さんび)し奉つらんとす。主よ願わくは我等の心を浄(きよ)め、すべての無益なる思いより遠ざけしめ、我が智恵を照らし、意志をば堅固(けんご)ならしめ給わんことを、我等の主イエズス・キリストによりて、アメン
 最も尊むべき天主の御母童貞聖マリアよ、我等は御身につくすべき尊敬と愛とを現さんがために此処に集(つど)いきたれり。
 我等は全能の天主が御身(おんみ)にかくも高き御位(みくらい)と御光栄(みさかえ)とを下し給えることを喜び、且つ主が御身(おんみ)の御心(みこころ)に最も深きいつくしみを与え、御身(おんみ)を我等の母と定め給いしによりて主を讃美し奉(たてまつ)る。
 我等はこの月を聖母の月として今日一日をもまた御身の尊敬のために捧(ささ)げ奉(たてまつ)る。
いつくしみ深き聖母よ、我等は御身(おんみ)を御子イエズスの御前(みまえ)における代祷者(だいとうしゃ)として撰(えら)び奉(たてまつ)る。
 今新たに我等が身も心も御身(おんみ)に献げ、我等が悲しみも喜びも生命(いのち)、死もすべて主の御旨(みむね)にかなうよう御身(おんみ)に任(まか)せ奉る。願わくは我等の御母たることを示し給へ。我等は叉、聖会と教皇、及びすべての聖職者並びに生けると死せる親族友達の為に祈り奉る。願わくは我等が讃美(さんび)と祈りとをもって御身の御心(みこころ)を喜ばせ奉らんとするを顧(かえり)み給え。
 我等はこの聖(とうと)き月において、すべての公教信者が特に御身(おんみ)にさゝぐる其の祈りに我等の祈りを合わせ、且(か)つ天国において、天の元后(げんこう)なる御身(おんみ)を永遠に讃美(さんび)する諸々(もろもろ)の天使と共に御身を讃(たた)えまつらん。
 されば我等をして死に至るまで生涯(しょうがい)忠実に主に仕(つか)え、死後天堂(てんどう)において諸天使(しょてんし)諸聖人(しょせいじん)と共に御身(おんみ)を愛し御身(おんみ)に感謝し、御身(おんみ)と共に主を永遠に讃美(さんび)するをうるの最上の幸福をえせしめ給わんとを特に願い奉る。アメン

二 十 一 日
節     制

(一)聖人方がいづれも口を揃えて云うていられる如く、天主と一致するためには、祈りの外にいつも五官をつつしみ、その慾を抑(おさ)えることが極めて必要である。慾(よく)を抑(おさ)えることは、天主と全く一致する完(かん)徳(とく)の土台となるものである。
 マリアはこのことをよく御存知であった。それ故(ゆえ)、謙遜(けんそん)をも愛されたのである。彼女は常に最も末(すえ)の席につくことを望(のぞ)まれて、いつも人の目に立たず、軽んぜられることを喜び給うた。従って貧窮(ひんきゅう)をも愛された。
 聖母は天主の外(ほか)、何をも持つことを望まれなかった。すべての地上の物から心を離して、三人の博士達のもたらした宝をも自分の富(とみ)とし給わなかった。
かかる方であるから、叉、賞讃(しょうさん)や名誉をうけるような所えは、決しておいでにならなかった。そして恥辱(ちじょく)や軽蔑(けいべつ)をうけるような所へはきっとおいでになった。御子がエルザレムへ入って人々の歓迎をうけ給うた時には、聖母の御姿は見えなかったが、十字架につけられ辱(はずかし)められ給うた時には、その下(もと)に佇(たたず)んでいられたでわないか。故(ゆえ)にわれらも御母に倣(なら)い、愛着の心や、慾(よく)念(ねん)を抑(おさ)える節制(せっせい)の業(わざ)を始めよう。
キリストはわれらに「人もしわが跡(あと)につきて来たらんと欲(ほっ)せば、己を捨て己(おのれ)が十字架(じゅうじか)をとりてわれに従(したが)うべし」と仰(おお)せられた。この御言葉(みことば)を守ろうとする者は必ず五官(ごかん)の慾(よく)を制(せい)し、己(おのれ)を愛する心を抑(おさ)えねばならない。

〔二〕かようの犠牲は我等の死ぬ迄つづく。なぜならば生きている限り慾はたえず起(お)こり,我等はそれを抑(おさ)える事こそ出来るが、消す事は絶対に出来ないからである。
 聖マリアは一生涯の間、かくの如き犠牲を捧げられた。即ち常に目、耳、口、等を謹(つつし)み叉,身も心も天主に捧(ささ)げ、唯(ただ)、天主に仕(つか)える事より外(ほか)は何も望(のぞ)まれなかった。
 我等も犠牲を払わなければならぬ。今日、押さえる事が出来なかった慾は明日も引き続き押さえんと努(つと)めなければならぬ。
かくして天主のお助けを願いたゆまず励むならば、ついには多くの慾と戦っても、常に勝利を得るようになるであろう。
 聖マリアに依(よ)って常に慾(よく)を制(せい)する恵(めぐみ)を与えられん為に「めでたし」三度唱(とな)えん。


祈 願 せ ん

 主イエズス・キリストよ、主は四十日の間、荒野(あれの)に止まり断食に依(よ)りて我等に肉(にく)身(しん)の慾に打ち勝つべき模範(もはん)を示し給えり、願わくはわれは聖母の御伝達(おとりつぎ)により肉(にく)身(しん)の邪(じゃ)慾(よく)、食(しょく)慾(よく)を制(おさ)え精神を益々堅固(けんご)にし、遂には光栄ある勝利に達するよう聖寵(せいちょう)を与え給わん事を。 アメン。


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