Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

【参考資料】ビッフィ枢機卿の自叙伝『イタリアの枢機卿の追憶と叙述』より

2007年11月15日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

【参考資料】ビッフィ枢機卿の自叙伝『イタリアの枢機卿の追憶と叙述』“Memorie e digressioni di un italiano cardinale”



 イタリアの枢機卿、元ボローニャの大司教ビッフィ枢機卿は『イタリアの枢機卿の追憶と叙述』という自叙伝(640ページ)を発表しました。少し内容をご紹介します。

 それによると、ビッフィ枢機卿は、第二バチカン公会議が「教会の内的刷新」ということよりも、ヨハネ二十三世の“aggiornamento”アジョルナメント(今日化)というモットーがふさわしくなく有名になってしまった、と嘆く。教皇様のお考えではなかったが、「アジョルナメント」は、聖父の永遠のご計画と救霊の御旨を追求すると言うよりも、この世的な歴史上の「今日」だけを追求するようにさせてしまった。

 ビッフィ枢機卿は、第二バチカン公会議が共産主義について沈黙を守ったことを驚く。二十世紀の最も長い厳しい歴史的現象であるにもかかわらず、教会と現代世界に関する憲章において、共産主義については何も語らない。共産主義において、人類史上初めて、「無神論」がいわば「国家宗教」となり、押しつけられた。第二バチカン公会議はそれについて何も語らなかった

 第二バチカン公会議の参加者の中には、ナチの犯罪についてピオ十二世が「沈黙」を守ったと主張し批判するものがいたが、共産主義の犯罪に対する沈黙について、私たちはそれよりも遙かに遠くにいる。

 ヨハネ・パウロ二世は、1997年7月7日、ビッフィ枢機卿を昼食に招待した。食事の途中、ヨハネ・パウロ二世は枢機卿に、使徒書簡『第三千年期の到来』の一文を変更したことを告げた。

 公表される前の草稿ではこの一文が入っていた。「教会は、自分の子らの罪を自分のものと見なす」と。しかしビッフィ枢機卿はこれを受け入れられないと忠告し、最終文章は「教会は、罪深い自分の子らを、それでも自分のものと見なす」と変更された。

 枢機卿は言った。「私は、過去の誤りや矛盾の赦しを求めるという前例のないことを率先してやることは、主イエズスのお好みの「小さき者たち」をつまずかせるでしょう。信徒たちは、神学上の区別をどうつけて良い分からず、教会の神秘を健全に信じるだろうか?信仰宣言が私たちに告げるように、この教会の神秘とは、特に、教会が聖なるものであるということの神秘です。彼らはこの自己批判に混乱させられるでしょう。」教皇様は「はい、そうですね。そのことを考えてみます」と答えた。しかし、教皇様はそのことを充分に考えなかった。

 ベネディクト十六世が教皇に選ばれる四日前、将来の教皇様に向けて次のようなスピーチをした。

「・・・私は、私の言うことを聞いている将来の教皇様に、私の連帯と理解、また私の兄弟愛に基づく同情を表明します。しかし、私は彼にここで聞いたことを心配し過ぎたり、恐れすぎないようにとアドバイスしたいと思います。主イエズスは、彼にこの世のこれらの問題を解決するようにとは求めないでしょう。イエズスは彼に特別の愛を持ってイエズスを愛することを求めるでしょう。「これらの人々よりもあなたは私を愛するか?」と。アルゼンチンのマンガ、マファルダの中に、数年前こんなものがありました。手に負えない賢い小さな女の子マファルダはこう言うのです。「分かった!この世界には、問題発見学者はたくさんいるけれど、解決発見学者は珍しいってことね。」



「将来の教皇様に、私はこれら全ての問題に注意してもらいたいと思いますが、しかしそれよりも前に、そしてそれよりももっと、現代、天主の民を苦しめている混乱と指針の狂いの状況(state of confusion and disorientation)とを理解していただきたいと思います。彼らがどれ程、道を踏み外して導かれているか、とくに「小さき人々」が迷わされているか、をです。」
「数日前、私はテレビである老修道女がインタビューにこう答えているのを見ました。「亡くなったこの教皇様は、だれよりも偉大でした。何故ならこの教皇様は私たちに全ての宗教が同じだと教えてくれたからです」と。ヨハネ・パウロ二世がこのような賛辞を聞いて喜ぶか、私にはよく分かりません。・・・」


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【参考資料】ビッフィ枢機卿は、今年2月25日から3月3日まで教皇様とバチカンの長官たちの黙想会の指導をした。

 黙想会中、ビッフィ枢機卿は教皇様たちにこう訓話した。
反キリストは、自分を平和主義者、エコロジスト、エキュメニストとして提示する。反キリストはエキュメニカルな公会議を開催し、全てのキリスト教派の同意を求め、それぞれに何かを妥協するだろう。カトリック、政教徒、プロテスタントの少数グループを除き、群衆は反キリストのあとに従うだろう。反キリストに駆逐され、彼らは反キリストにこう言うだろう。『あなたは私たちに全てを与えたが、私たちにとって重要なこの一つだけは例外だ。すなわちイエズス・キリストだ。』」

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