Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

大修院長聖ヨハネ・グアルベルトのミサ: 私たちが相手を赦せば赦すほど愛徳に生きる事ができる : ビルコック神父様御説教

2019年08月08日 | お説教・霊的講話
2019年7月12日(金)大修院長聖ヨハネ・グアルベルトのミサ
聖ピオ十世会司祭 ビルコック神父様御説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


親愛なる兄弟の皆さん、今日は私たちは聖ヨハネ・グアルベルトの祝日を祝っています。この聖人は、10世紀から11世紀の間に生きた方です。

聖ヨハネ・グアルベルトは、この出来事で非常に知られています。

ある日、家族の一員が暗殺されたのです。そして聖ヨハネはこの事を非常に心に深く傷付けられて、そしてこの事を、この犯人に対してとても怒りと憤りを覚えていました。

ところである聖金曜日に、フィレンツェを旅している時に、この家族を殺した暗殺者に出会ったのです。ヨハネ・グアルベルトはお供の者たちと一緒に武器も持っていました。しかし暗殺者はたった一人で武器もありません。復讐の絶好の機会だと、剣を抜いて躍りかかりっます。

その道はとても狭くて、右にも逃げる事ができずに、左にも行く事ができず、後ろにも逃げる事ができませんでした。犯人は聖金曜日である事に気が付き、十字架に架かった者のようにサッと両手を広げ、跪いて、頭を差し出して「私たちの為に本日数々の苦しみを受け、十字架の上に生命を捨て給うた主イエズスの聖名によってお願い致します。どうぞ命ばかりはお助け下さい」と言う事でした。

ヨハネ・グアルベルトは非常にこの行為に胸を打たれて、乗っていた馬から降りて、この暗殺者を復讐して殺す代わりに、彼を抱き締めて赦したのです。

そしてこの時に聖ヨハネは、私たちが毎日唱えているこの祈りを唱えたのです、「我らが人に赦す如く、我らの罪を赦し給え。」

これこそが私たちのカトリックの態度であって、愛徳の態度です。私たちがもしも相手を赦せば赦すほど、愛徳に生きる事ができます。「相手を赦す」という事は、非常にキリスト教的な徳です。これは聖ステファノがやった事であり、私たちの主イエズス・キリストも十字架の上で模範を見せた事です、「聖父よ、彼らを赦し給え。彼らはその為すところを知らざるが故なり」と。

そしてこの「人を赦す、敵を赦す」という事は、非常に使徒職的な、使徒的な行為です。なぜかというと私たちの主も、「聖父よ、赦し給え」と私たちを赦す事によって、私たちを回心させました。また聖ステファノも、自分を殺すその相手たちを、敵を赦す事によって、聖パウロの回心も引き起こしました。

特に私たちは、マリア様にお祈りしましょう。特に秋田のマリア様に、この同じ態度を私たちが持つ事ができますように、お祈りしましょう。

秋田のマリア様は、私たちの罪を赦す為に涙を流されました。そしてそれと同時に手を開いて、私たちが回心するように招いておられるからです。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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