Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2018年 6月の聖伝のミサの予定
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】


6月はイエズスの聖心の月です。イエズスの御心の連祷を毎日唱えましょう。
意向:多くの司祭・修道者の召命が与えられるため
実践すべき徳:御聖体への愛徳と頻繁な霊的聖体拝領
守護の聖人:ゴンザガの聖アロイジオ

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します

◎2018年 6月の予定
【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(アクセス EG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 〒532-0002
(JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

    6月1日(初金) 童貞聖アンジェラ・メリチア(3級祝日)白
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭

    6月2日(初土) 聖母の土曜日(4級)白 殉教者司教聖マルチェリノ、ペトロ、エラスモの記念
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

    6月10日(主) 聖霊降臨後第3主日(2級)緑
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭

    6月11日(月) 使徒聖バルナバ(3級祝日)赤
            午前6時半 ミサ聖祭

    6月15日(金) 聖霊降臨後の平日(4級)緑
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭

    6月16日(土) 聖母の土曜日(4級)白
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図) 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」
    6月3日(主) 御聖体の荘厳祭 白  
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

    6月4日(月) 証聖者聖フランシスコ・カラッチョロ(3級祝日)白 
            午前7時 ミサ聖祭

    6月17日(主) 聖霊降臨後第4主日(2級)緑  
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

    6月18日(月) 教会博士証聖者助祭シリアの聖エフレム(3級祝日)白 
            午前7時 ミサ聖祭

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

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私的啓示と霊の識別 ファチマとメデュゴリエ その5 メデュゴリエの出現について結論を出す:パワオ・ザニッチ司教

2017年11月03日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 メデュゴリエのメッセージについて考察したのちに、結論を申し上げます。

第三部 結論:

 1990年3月上旬に、ザニッチ司教は最後にもう一度真理を宣言しようと試みました。勿論、彼はメデュゴリエの出現を否定することによって、彼に反対する多くの人がいることを良く知ってのことでした。これの最終の決定的な報告書は、極めて重要であって、私たちはこれを良く読むべきです。ザニッチ司教の報告には番号がふられており、1から29まであります。最後には、アイルランドのラジオ・テレビのキーロン・ウッドと司教との対話が注に付けられています。私たちは、これの一部を読んでみましょう。



1.ユーゴスラビアの司教協議会の委員会が、メデュゴリエの出来事についての真理を探究中である。しかし、その仕事は、ゆっくりと進んでいる。このレポートによって、私は出来る限り早く結論に至るようにと助けたいと思う。メデュゴリエに好意的なプロパガンダ[宣伝]は、ますます日増しに増えている。それは教会と世界を、既成事実の前に置こうという目的があるからである。これがメデュゴリエの弁護者たちの、最初からのねらいだった。彼らはそれに成功した、と認めなければならない。何故なら、メデュゴリエに反対する人々はあまりにもゆっくりと働きすぎるか、あるいは沈黙を守っていたからである。その為に、また、世界の多くの人々は、私のせいで真理が足踏みにされたと受け取っているので、私は、私の義務と良心とが私に命じるままに、もう一度新しいレポートを書き、委員会をこうして手助けしようと決意した。このレポートによって、メデュゴリエを擁護する人々の良心を呼び起こすことを望む。彼らの道は容易で、広く、常に下り坂である。私の道は難しく、茨だらけであり、登り道である。教会と聖母には、嘘が必要ではない。イエズスは言った。「真理はあなた達を自由にするだろう」(ヨハネ8:32)「私は道、真理、命である」(ヨハネ14:6)「私は真理を証明するために生まれこの世に来た、真理のうちにいるものは私の声を聞く」(ヨハネ18:37)と。メデュゴリエについてのいろいろな嘘を簡潔に書くために、200ページのペ-ジ数が必要だろう。今現在、私はいかなる学問的研究をなそうともせずに、この短い要約だけで満足しよう。私は、自分の名前が或る叙述の表題に載っているので、少し落ち着かない。しかし、出現の最初から、私は自分の司教としての立場、そして司教の義務から、この出来事の中心にいた。私は幾つかの「不愉快な事柄」について言及しなければならないことを残念に思う。しかし、これなくしては、議論はその力を失ってしまうだろう。しかし、私は最も不愉快な事柄については言及しないことにしよう。

2.典型的な態度:マリナ・Bと言うアトラス旅行会社の観光客のための観光ガイドが、1989年の8月に私の事務室に、或るパナマの司祭を連れてきた。彼の名はロドリゲス・テオフィロと言い、ルルドの聖母の主任司祭だった。彼とともに記者カルメン・カプリレスが来た。彼はIATA旅行会社(IATA, Avenida Alberto Navarro, POBox 1344, zone 7, Panama)の部長である。

 マリナは観光ガイド、英語の通訳、メデュゴリエによる回心者として自己紹介をした。司祭は私に、私が何故「出現」を信じないかその理由を尋ねた。私は彼に、私が信じないのは少なくとも20の理由があること、信仰について真剣に考えよく知っている人々にとってそのうち1つだけでも、それらの出現が超自然のものではないという結論に到達するのに充分であることを答えた。

 そこで私は彼に元フランシスコ会司祭、イヴィカ・ヴェゴの話をした。彼は自分の不従順のために、さらには教皇聖下の命令によって、会総長によってフランシスコ会(o.f.m.)から追放され、彼のした誓願は解かれ、聖職停止となった。彼はこの命令に従わず、ミサを捧げ続け、御聖体を配布し、愛人と時を過ごした。このことを書くのは不愉快である。しかし、聖母が誰のことについて話しているかを人々がよく見るために、どうしても書かねばならない。ヴィッカの日記と「幻視者」たちの報告によると、聖母は13回彼は無罪で司教が間違っていると言った。彼の愛人、修道女のシスター・レオポルダが妊娠すると、二人とも修道生活をやめ、自分の子供が産まれたメデュゴリエの近くで同棲を始めた。そして、メデュゴリエでは彼の祈りの本が売られ、何百万部も売られている。

 私はマリナにこれを英語に通訳して欲しいと頼んだ。真理を隠すような共同体のガイドにマリナがなったことについて、マリナを責め立てるわけにはいかない。彼女は、メデュゴリエでのやり方で、こうすぐさま答えた。「私たちは彼らにそんな酷いことを話さなければなりませんか?」私は彼女に答えた。「もしあなたがこれらの「酷いこと」を隠さずに、覆わなければ、このパナマから来た人たちはそれを早く知って、わざわざメデュゴリエまで無駄な旅行をしなくても済むでしょう。この真理を隠すのは正義に反し、罪深いことです。たとえそれが不愉快であっても、真理は語られなければなりません。」

3.マリア神学者ルネ・ロランタンも同じように振る舞っている。彼は1983年の御降誕祭の頃私に会いに来た。私は彼に夕食を招待した。彼は私に何故出現を信じないのかを尋ねた。私は彼に、ヴィッカの日記とその他の「幻視者」らの言葉によるとこの「婦人」が司教に反対して話していることを言った。ロランタンは直ぐに答えた。「このことを公にしてはいけません。何故かというと多くの巡礼者と回心者らがいるからです。」私は、有名なマリア神学者から出たこの言葉に躓いた。不幸なことに、これがいつもロランタンの立場である。すなわち、真理を隠し、偽りの擁護に立つ、これだ。彼は12冊もの本をメデュゴリエについて書き、そのほとんどの中で、真理とザニッチ司教は茂みの中に隠されている。彼は人々が聞きたがっていることが何かを良く知っている。従って、それを信じる人々を見つけるのは比較的簡単である。A veritate quidem auditum avertent, ad fabulas autem convertentur.(-彼らは真理から遠ざかり、作り話に耳を傾けるだろう。)(2ティモテ44)「幻視者」とメデュゴリエの擁護者は、ロランタンに先導され、共産国家において、初めから信者は「奇跡」に関することなら何でも、見かけ上の奇跡的な癒し、聖母のいわゆるメッセージなどを非常に早く、非常にたやすく信じることを見たのだった。

4.メデュゴリエがよって立つ主要な作者は、引退大司教フラニッチF. Franic、ロランタンR. Laurentin、ルプチッチLj. Rupcic, o.f.m.、イエズス会師アモルトAmorth、やはりイエズス会師のラストレッリRastrelli、そして世界中のフランシスコ会カリスマ運動者たちである。多くの本が早々と出版され、多くの記事、パンフレット、ビデオ、土産などが出された。その全ての後に、観光客、巡礼者、二人のフランシスコ会士ヴェゴVegoとプルシナPrusinaの書いた祈りの色々な本が来た。彼らは修道会を既に追放されており、本は色々な国の言葉に訳されて60万部が売れていた。また、人々の言うところの聖母のメッセージに息吹を受けたという狂信的な祈りのグループが来た。そしてこれらの全ての上に立つ原動力はお金だった。出現に疑問を挟むものについては誰も言及しなかった。司教は皆に警告を与えた。しかし、機械は前進するばかりだった。こうして人は50件の奇跡の癒し、そして150件の奇跡的な癒し、200、300・・・と話をしていた。ロランタンはその中から56件の書類を選び抜き、ルルドの医学調査研究所に送付した。マンガパン博士Dr. Mangapanは、1984年4月の回報に、これらの書類は全く価値がないこと、これらを使うことが出来ないこと、或いはこれらをメデュゴリエの出現のまじめな証拠として見なすことが出来ないことを述べている。ディアナ・バシレDiana Basileの癒しについて多くの人が書いている。私はこの書類をマンガパン博士に送り、この件を研究し、意見を述べてくれるように頼んだ。彼女の病気は複雑硬化症である。この件について、後にもっと詳しく本が書かれるだろう。

5.「幻視者」の信憑性:ミリヤナ・ドラギーチェヴィッチ。「出現」の1ヶ月後に、私はメデュゴリエに行って、「幻視者」たちに質問した。私は一人一人に十字架の上に手を置いて誓いを立てさせた。そして、彼らに私に真理を語るようにとお願いした。この会話とこの誓いは、録音されている。最初に対話したのはミリヤナだった。彼女は言う「私たちは、羊を探しに行くところでした、すると突然・・・」教区の助任司祭が彼女を遮り、私に「彼らは親に内緒でたばこを吸いに出かけたのです」と語った。「ミリヤナ、ちょっと待って下さい。あなたは誓いの封印の元に話しているのですよ。あなたは、羊を探しに出かけたのですか?」彼女は自分の口の前に手を当てて、「ごめんなさい、私たちはたばこを吸いに出かけました。」と言った。続いて彼女は私に「奇跡」が起こった腕時計を見せた。つまり、腕時計の針は狂ってしまったのだ。私はこの腕時計を専門家に見せると、彼はこの時計は確実に落下して、壊れてしまったのであると言った。私が彼女にこの時計を返す時、私は彼女に、これについてもはや奇跡だなどと言わないで欲しいと言った。しかし、その後の録音の中で、彼女は腕時計の奇跡がどの様にして起こったかを語った。そして彼は羊を探しに出かけていたのだと言った。その後、彼女は、聖母が全ての信仰が同じ価値を持つと言った、と報告した。私たちは、どうしてミリヤナの言うことを信じることが出来るだろうか。

6.ヴィッカ・イワンコヴィッチは、最初から主要な「幻視者」である。そして、メデュゴリエの創造者であるトミスラヴ・ヴラシッチ神父(フランシスコ会)がメデュゴリエについて主要な嘘をついたのは、このヴィッカを通してである。ヴラシッチ神父は1984年5月13日付けの手紙の中で教皇にこう自己紹介している。「私は、トミスラヴ・ヴラシッチ神父であり、天主の御摂理によって、メデュゴリエの幻視者を指導する者です。」と。彼にとって、「砂漠」に隠遁し、沈黙を守っていた方がよっぽど身のためであった。何故なら、彼の過去が自分のことを充分に語っているからである。ヴィッカは多くを語り、多くを書いた。このために、彼女は多くの矛盾したことを既に話している。ニコラ・ブラットNikola Bulat教授は、第一調査委員会のメンバーだったが、ヴィッカに尋ね、彼女について60ページからなる研究書を書いた。彼は彼女の日記の論理のなさと嘘とを明らかにした。

 私はここでは血の付いたハンカチの話しかしないことにする。或るタクシーの運転手が血にまみれた男に出会った噂が飛び交っている。この男がタクシーの運転手に血にまみれたハンカチを与え、彼に、「これを河に捨てよ」と言った。運転手は河に行き、次に黒い服を着た婦人と会った。彼女は運転手を止めて、ハンカチを求めた。運転手は自分のハンカチを出すと、彼女は「それではなく血にまみれたハンカチです」と言った。運転手は彼女が欲しがっていたものを与えると、彼女は言った。「もしあなたがこれを河に捨てていたら、世の終わりが来たことでしょう。」ヴィッカは自分の日記に中に、自分が聖母にこの話が本当であるかどうかを尋ねたことを書いている。聖母は本当だと答え、こう言い加えた。「この血にまみれた人は、私の聖子イエズスで、私(聖母)が黒い服を着た婦人だった」と。

 これは一体何の神学なのか?これから、イエズスが、もし人がハンカチを河に捨てたら、この世を崩壊することを望まれ、聖母がこの世を救ったと結論しうることになってしまう!

7.1982年1月14日、ヴィッカとマリヤと幼いヤコブは私を訪問しに来た。ヴィッカは興奮して私に話し始めた。何故ならヴィッカは嘘をついていたからである。彼女は言った。「聖母は私たちを送って、あなたに、あなたがフランシスコ会士たちに対してあまりにも厳しすぎると言えと言いました。」

ザニッチ司教「どの様にですか」

ヴィッカ「私たちは知りません」

 モスタールの二人のフランシスコ会のチャプレン(修道会付き指導司祭)、すなわち、イヴィカ・ヴェゴIvica Vegoとイワン・プルシナIvan Prusinaは、彼らの無秩序的生活と、不従順と、カテドラルの新しい主任司祭に対する信頼の欠如とのために、モスタールから離れるようにと司教に命じられた。しかし、彼らは自分の上長たちの前で、聖母がヴィッカを通して彼らに、去ってはならないと言ったので、モスタールを離れたくないと自己弁護をした。私はヴィッカに私たちのこの面会のおりに、「聖母はモスタールのチャプレンであるヴェゴとプルシナについて何か言いましたか」と尋ねた。

「いいえ、私たちはこの人たちを知りません」と、3人ともそろって答えた。

 私たちの会話は30分ほど続いた。私はそれを全て録音してある。私は何度もモスタールのチャプレンについて質問を繰り返したが、彼らはいつも「私たちはこの人たちを知りません」と答えた。その後に、私はヴィッカの日記の中で、彼らがこのチャプレンについて良く知っていることを発見した。明らかに、彼らは私の目の前で嘘をついたのである。しかし、私はこのことを彼らに言いたくはなかった。それは、私たちの会話の際に彼らの信頼を保存しておきたかったからである。

8.1982年4月3日、ヴィッカとヤコブは「聖母の使者」として私を訪問しに来た。既にモスタールのチャプレンであったヴェゴとプルシナとは、この年の1月に自分たちの長上によってフランシスコ会を追放されていた。彼らの仲間の幾人かと「聖母」は彼らを擁護に立った。私たちの会話の際に、ヴィッカはとても興奮してこう始めた。「私たちが初めてあなたと共にいたときには、私たちは全て言い尽くしたのではありません。そのために、聖母は私たちをお叱りになりました。私たちは多くのことを話しました、そしてそのために私たちは忘れてしまいました。・・・」

ザニッチ司教「何をあなた達は忘れましたか」

ヴィッカ「聖母は私たちに、このヴェゴとプルシナとのチャプレンが司祭であって、従って、その他の司祭と同じようにミサを捧げることが出来るとあなたに言えと言いました。」

ザニッチ司教「少し待って下さい。聖母はあなた達にそれをこの前私たちが会ったよりも前に言ったのですか。」

ヴィッカ「はい、そうです。ですから聖母は私たちをあなたに送ったのです。この前は別の多くのことを話して、これをあなたに言うのを忘れました。」

 この前の出会いの時に、私は既に直接に何度も聖母がこの二人のチャプレンについて何かを言ったかを尋ねてあった。ヴィッカが嘘を言っていたというのは私の目には明らかであった。そしてこの証拠だけでも彼女の言うことに対して、私の信頼を全て失わせるのに充分であった。マリヤとヤコブもこの嘘に参加した。

9.1983年1月下旬に、イエズス会のグラフェナウアーGrafenauer師が、メデュゴリエの現象について調査をする意向で私に会いに来た。彼は20本のカセットテープを聴いて、自分は聖母がメデュゴリエにいないと結論付けたので、メデュゴリエには行かないと言った。私は彼にそこに行くようにとしきりに勧め、彼は行って、数日の後にヴラシッチ師によって回心して帰ってきた。彼は幾つかの文書を持ち帰り、テーブルの上に投げ出してこう言った。「これが聖母があなたに言いたいことです。」

 私はこれが聖母の助けを借りて司教を転覆させようと言う陰謀なのだと理解した。彼が持ってきた文書というのは、ヴィッカの日記と、教区の日誌と、手書きの原稿とを寄り集めたものあった。そこで、彼らがどこから書き始めたのかを知るのが難しくなっている。ヴィッカとメデュゴリエを擁護する人たちは1年以上もこれらの文書を司教に隠していたのだった。以下にその抜粋の幾つかを挙げよう。

 1981年12月19日、聖母は、司教がヘルゼゴビナの混乱の責任があると言った。聖母はイヴィカ・ヴェゴがモスタールに留まり、そこを立ち去ってはならないとも言った。

 1982年1月3日、全ての「幻視者」らは一緒に聖母にイヴィカ・ヴェゴについて話すようにと頼んだ。聖母は答えた。「イヴィカは無罪です。たとえフランシスコ会から追放されたとしても、彼は勇気を持つように。・・・イヴィカは無罪です。」聖母は3回繰り返した。

 1982年1月11日、私たちはモスタールの二人のチャプレンについてまた質問した。聖母は、既に彼らの所で言ったことを2回繰り返した。(1982年1月14日、ヴィッカは司教とともにチャプレンの事務室に来たことがある。このときに、彼女はヴェゴを知らないと言った。)

 1982年1月20日、子供たちはイヴィカ・ヴェゴ師とイワン・プルシナ師が会を追われた今となっては何をすべきかを尋ねた。聖母は「彼らは無罪です。司教はその決定において、厳しすぎたのです。彼らは留まることが出来ます。」

 1982年4月15日、ヴィッカはこの質問を聖母にする。「イヴィカ・ヴェゴとイワン・プルシナについて何か私に言うことが出来ますか。」聖母はまず微笑んで、こういった。「彼らは無罪です。」聖母は2回繰り返した。「司教は誤りを犯しました。彼らはモスタールにとどまれます。・・・彼らは幾度かミサを捧げることが出来ます。しかし、彼らはことが落ち着くまで注意し、非常に賢明でなければなりません。彼らには過失がありません。」

 1982年4月16日、私たちが聖母と共にいたとき、私たちは聖母にヴェゴとプルシナのために「天にまします」の祈りをすることが出来るかを尋ねた。聖母は直ちに「はい、出来ます」と答え、私たちと共に祈りました。聖母が祈り終わると、微笑んで私にこう言いました。「この二人のことを私は常に考えています。」私は答えた。「あなたは正しい。」

 1982年4月26日、聖母「司教は本当に、その心の中で天主を愛していません。司教に対して、イヴィカとイワンは晴れ晴れとしていることが出来ます。今司教がしようとしていることは天主のみ旨とは反対のことです。しかし、彼は自分の好きなことが出来るでしょうが、ある日、かつて見たことがないほど、正義が明らかに表されるでしょう。」

10.ヴィッカは聖母がこれらのことを言ったことを一度も否定したことがない。そして、彼女自身がそれを自分の日記に書いたことも否定したことはない。このことが正真正銘であることを確実にするために、私たちにはグラフェナウアー師がヴィッカとマリヤナと会話の最中に録音したカセットテープがある。師はこのテープのコピーをメデュゴリエの教区教会と、司教と、ザグレブの司教協議会とに置いていった。これを聞いてみるが良い。

 ここにヴィッカとの会話の一部を載せよう。

グラフェナウアー師「司教はこれが聖母かそうではないかを判断する義務があります。」

ヴィッカ「彼は好きなように判断することが出来ます。しかし、私はこれが聖母だと知っています。」

グラフェナウアー師「教会は、自分に信頼することは、ここでのことは聖母ではない印であると言います。」

ヴィッカ「疑う人は続けて疑ったらいいでしょう。私は違います。」

グラフェナウアー師「これはよい印ではありません。あなたは一度司教に、教皇よりも聖母の言うことを聞かなければならないと言いましたね。」

ヴィッカ「はい、本当です。」

グラフェナウアー師「このことは、司教は教皇よりもあなたの言うことを、いいですかあなたの言うことを聞かなければならない、と言うことを意味します。」

ヴィッカ「いいえ、私ではありません。」

グラフェナウアー師「しかし、司教はこの現象がなんだか知らないのです。これは聖母ではないかもしれません。」

ヴィッカ「いえ、聖母です。」

グラフェナウアー師「あなたは、司教が悪く、あの二人(ヴェゴとプルシナ)が無罪であって、二人は司祭としての職務を果たすことが出来ると言いましたね。」

ヴィッカ「はい。」

グラフェナウアー師「彼らは告解を聞くことが出来ますか。聖母はそれについて話しましたか。」

ヴィッカ「はい。」

グラフェナウアー師「もし聖母がそう言って、教皇が彼らは告解を聞くことが出来ないと言ったのなら・・・」

ヴィッカ「教皇は好きなことを言うことが出来ます。私はありのままを言います。」

グラフェナウアー師「ほらね、だからこれが聖母ではないと結論できるのです。教皇が『いや、彼らはミサをしたり、告解を聞いたりすることが出来ない』と言うのに、聖母が別の所で彼らはミサも告解もできると言うのですから。これは不可能です。」

ヴィッカ「私は(聖母が言ったことが)本当だと知っています。」

グラフェナウアー師「これが本当ではあり得ません。ここで話しているのが聖母ではないと言うことについて、手を火の中に入れてもいいです。もし誰かが非常に大きな賜を受けると、この人の中で働いているのが悪魔であるという極めて大きな危険があります。」

 聖母にとって、何という酷い辱めであることか。この言葉によると、聖母が教会の権威を崩壊し、司教に対する従順とフランシスコ会の長上に対する従順と教皇に対する従順とを崩壊していることになってしまう。聖母が擁護するのはヴェゴなのだ。

20. 司教に対する讒言:彼らは言う。「司教も最初は信じていた」と。それは嘘だ。共産主義者は、フランシスコ会士、「幻視者」そして「巡礼者」らを迫害していたとき、私は彼らを全てかばった。しかし、私は「共和国の委員会の威嚇を受けて、或いは教区司祭たちがそれを私がするのを待っていたから」私は意見を変えたのでは勿論無い。それは多くの人々が勝手にでっち上げた讒言に過ぎない。私は投獄されたフランシスコ会士たちを弁護に、公に声を上げた。しかし、ヨゾ・ゾヴコJozo Zovko師は、公式調査の間に司教は「狼」であって「偽善者」であると宣言した。「狼」とか「偽善者」というのは、この審議の時に彼が使った正確な言葉である。ゾヴコの弁護士は、同僚の弁護士に、司教がかかる重い非難を受けるために司教が彼に何をしたかを求めた。

 ヴラシッチ師は、「幻視者」の口にしばしば「聖母の言葉」を与えた。例えば、「聖母の言葉」によると、サタンは、ここでは司教のことであるが、聖母の計画を破壊し尽くすように決意しているという。ヴラシッチ師はこのことについて、もっとはっきりと自分の友や、バチカンに手紙を書いた。私はこの非難をヴラシッチと師の管区長とに抗議した。彼はこれを否定しなかったが、自分を正当化しようとしてこう言った。私はこれを非常に心身の動揺しているときに書いたからだと。確かに誰でも心身の動揺しているときに何かを言うことが出来る。しかし、その時にはそれを書いたり、様々な外国語には翻訳したりしないものだ。

21. 彼らの実り:メデュゴリエを弁護する人々の最もよく使う議論は、この出来事の実りが聖母が御出現になっていることを良く証明していると言うことである。メデュゴリエにやってくる巡礼者たちよりも、メデュゴリエについてもう少し長く知っている人々は、こう言う。「メデュゴリエの熱心な弁護者が明らかにする実りは、彼ら自身が出現を信じていないと言うことを証明している。もしここで起こった全ての「ひどい話」が公にされたら、誰もが確かに否定的に考えるだろう。その為に、ロランタン、ルプチッチ、ヴラシッチ、バルバリッチ及びその他の者どもは、真理を注意深く隠している。メデュゴリエの擁護者たちがこの出現について疑心を抱く者と会うと、彼を村八分にして彼に対して非難の声を浴びせる。或いは彼が気が狂っていると宣言する。そうしてマルチンJ.-L. Martinは気が狂っているとされた。

29.メデュゴリエについてものを書いた人々は、良く本が売れて大変もうけている。不幸にして、批判精神を持って書いた人はあまり成功してはいない。何故なら、彼らは、組織されたボイコットに会うからだ。メデュゴリエの歴史を知るためには次の本を読むべきである。

Dr Ivo SIVRIC, o.f.m., La Face cachee de Medjugorje, t. I, 1988, 400p., ed. Psilog, Saint-Francois-du-Lac, Quebec, Canada, JOC 1 MO.

E. Michael JONES: Medjugorje: The untold story, Fidelity Press, 206, Marquette Ave., South Bend, IN 46617 USA, 1988, 133p.;

E. Michael JONES: Medjugorje: The untold story II, Fidelity Press, 206, Marquette Ave., South Bend, IN 46617 USA, 1989, 144p.

P. A. Gramaglia: L'equivoco di Medjugorje. Apparizioni mariane o fenomeni di medianita? ed. Claudiana, Torino, 1987, 172p.

 

+パワオ・ザニッチ司教

最後に

 以上はブラザー・ミシェル・ド・ラ・サント・トリニテ Frere Michel de la Sainte Trintite がソルボンヌ大学で1985年3月11日にした講演会の記録を元に、やはりブラザー・ミシェルの書いた研究書『メデュゴリエの全て』Medjugorie en Toute Verite, 1991, CRCを参照して作ったものです。

 メデュゴリエのことについて本当のことを良く知りたい人には、私はこの本を読むことを推薦します。

 私たちは、この研究の後に、少なくとも一つの結論を得ることができるでしょう。教会の認可しない出現の後を追い回さない、ということです。私たちは、賢明に忍耐強くありましょう。カトリック教会が認可した正真の御出現だけでも、私たちの信仰を強めるのに十分ですし、カトリックの聖伝のマリア神学だけでも、聖母について深く知るのに十分なのだからです。

 更に付け加えるなら、メデュゴリエは、ファチマの聖母のメッセージから気を逸らすものであると言えます。ファチマのメッセージが、聖伝のカトリックの教えにかなったものなら、メデュゴリエでは、エキュメニスムとカリスマ運動を解き、全く新しい別の教えを伝達しています。ファチマの聖母とメデュゴリエのゴスパには、よく調べれば調べるほど、対立があります。メデュゴリエのがスパはカトリック信仰とファチマの聖母のメッセージを、「平和」と「愛」の名の下に、隠れた方法で否定しています。私たちは、メデュゴリエのゴスパは聖母でないと確信できます。

 このことと関連して、以下に幾つかの事実のみを列記しておきましょう。知恵のある人は読んで悟るように。

 1987年9月22日、ウィリアム・カム(別名リトル・ペブル)は「聖母」からこのメッセージを受けたと主張しています。「私はメデュゴリエを100%支持します。そして、メデュゴリエの幻視者たちのために祈っています。」

 やはり、ウィリアム・カムによると、「聖母」が「私は私の愛と祝福をメデュゴリエの幻視者たちの霊的指導者、トミスラヴ(ヴラシッチ)神父に送りたいと思います。」("Highlights of Messages from Heaven" 1990, p40)と言いました。

 1987年7月3日サン・マリーノ(イタリア)でゴッビ神父は預言的な長いメッセージを受け、このメッセージは直ぐさま広められました。それによると聖母はこう断言しました。「・・・私の時は来ました。大いなる再臨の時、大天罰の時です。・・・既にこのマリア聖年の間、私がファチマで預言したこと、そして、ファチマの子供たちに私が委ねた秘密、また、私が今このとき、メデュゴリエで私が現れている人たちに与えていること、色々な大いなる出来事が成就するでしょう。」(このメッセージは1987年に配布されました。1989年のフランス語版の第13版には、メデュゴリエという言葉は、・・・・・・と、点々で書き換えられ、メデュゴリエという名は伏せられています。)

ファチマの聖母に信頼しましょう。聖マクシミリアノ・コルベのような聖母マリアの汚れなき御心への信心を持ちましょう。

「最後に、私の汚れなき御心は凱旋するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心し、世界に平和の一時期が与えられるでしょう。」(ファチマの聖母)

1997年9月8日トマス小野田神父
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2017年7月17日(月) 聖母の汚れ無き御心の随意ミサ 「ファチマの聖母の3回目のご出現を黙想して」

2017年11月03日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年7月17日(月)に東京で聖伝のミサを捧げました。そのときの説教をご紹介いたします。

2017年7月17日(月)聖母の汚れなき御心の随意のミサ
小野田神父 説教

聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。

今日は2017年7月17日、聖母の汚れなき御心の随意ミサを行っています。
なぜかというと、今日はこの午後に、築地教会から国会議事堂へと目指して、日比谷公園まで午後の16時からマーチ・フォー・ライフがあるからです。私たちも、ファチマのマリア様と一緒に行きたいと思っているからです。

また8月22日は、本当ならば日本でミサを捧げたい、日本の第1級の守護者としてマリア様の汚れなき御心のミサをしたいところが、残念ながら今年は捧げる事ができないので、特に今日お捧げしたいと思ったからです。

今日は御ミサの後に皆さんのお弁当の後、13時から15時頃まで「カトリック教会の命に関する教え」について話をする事を考えています。
特にいつも私が長い話をすると退屈すると思われるので、ピオさんとマリさんにも短いお話をお願いしました。そしてその次に、私が教会の教えについて話をしたいと思っています。
15時頃ここを出て、16時からマーチが始まる予定です。時間のある方はどうぞいらして下さい。


“Adeamus cum fiducia ad thronum gratiae.”
「聖寵の玉座に、私たちは信頼をもって近づこう。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は7月17日で、ファチマでマリア様が第3回目にお現れになった7月13日の御出現の直後でもあり、汚れなき御心の随意ミサをしておりますので、ファチマでマリア様が私たちに何を仰ったのか、という事を一緒に黙想する事にしましょう。

そして何を仰って、それを聞いた、見た子供たちが一体どのような反応をしたか、それを垣間見て、

最後に、私たちは今日遷善の決心を立てる事に致しましょう。

実は6月の御出現の時に後で、子供たちは特にルチアは、主任司祭とお母様からひどく疑われました。特にお母さんは、「この子は嘘をついている。絶対にもうそこには行ってはいけない。」主任司祭も、「これは悪魔の仕業だ」と思っていました。そこでルチアは、「本当に自分は悪魔から騙されているのではないか」という夢さえ見て、何度もうなされて、何度も何度も何度も苦しみました。そして愛するお母さんからは信じてもらえないし、神父様からも信じてもらえないし、「どうしたら良いだろうか。」

その事をジャシンタに言うと、ジャシンタは、「あぁ、でも悪魔はそんなにきれいではない。あの女の方はとってもきれいだ。」そして「もう、苦しいからお母さんに、『これは嘘だ』と言った方が良いんじゃないか。」「ダメだよ!それをしたら本当に嘘になってしまう。だからそんな事をしたらダメだ。」

ルチアは本当にどうして良いか困ってしまいました。そして悩みに悩んで、苦しみに苦しんで、遂に「7月13日には行かない」と決心します。その事をジャシンタとフランシスコに言うのですけれども、ジャシンタはその時に涙を流して泣き崩れて、「何で行かないのか!」と言って、何とかルチアを説得しようとします。するとルチアは、「もう行かない。もう決めた」と言うのです。7月13日の事をジャシンタに、「明日行かないよ」と言うと、ジャシンタはその後ずっと夜も寝ずに、フランシスコと一緒に、「ルチアが行くように」とお祈りをしていたそうです。

ところが7月13日になってみると、何かルチアの手記によると、「とても抵抗できないものが来て、どうしても行きたくなった」との事です。そこでジャシンタとフランシスコの家に行って、もう既に行ってしまったのかという事を探しに来ると、涙を流したまま子供たちはそこにいました。「あれ?ジャシンタとフランシスコ、あなたたち行かないの?」と言うと、「ルチアちゃんが行かないから行かない。一緒に行こう。」するとルチアは、「じゃあ行こう。」一緒に行きます。

既に1000名、あるいはある報告によると2000名の人々がコヴァ・ダ・イリアに集まっていました。その中を通り抜けて子供たちが行くと、ロザリオを開始します。その「子供たちがコヴァ・ダ・イリアに行った」という事を聞くと、ルチアとフランシスコとジャシンタの両親たちも、遠くからそ〜っと後を付けて、どうなるかという事を見に行きます。ロザリオが終わった頃、マリア様がやはり樫の木の上にお現れになりました。

ルチアはいつもの通り聞きます、「あなた様は一体私に何をお望みですか?」

するとこの女性は、「私は、あなたたちが来月の13日にまたここに来る事を望みます。それから世界の平和の為に、戦争が終わる為に、ロザリオの聖母の名誉の為に、毎日ロザリオを祈り続ける事を望みます。なぜならば、ロザリオの元后だけがあなたたちを助ける事ができるからです。」

するとルチアは言いました、「あなた様が私たちに現れているという事を信じる為に、皆が見て信じる事ができるように、どうぞあなたが一体どなたであるか、仰って下さい、そして奇跡も行なって下さい。」

するとマリア様は、「ここに毎月いらっしゃい。10月にはあなたに、私が一体誰であり、何を求めているか言いましょう。そして皆が見て信じる事ができるように、奇跡も行います。」

この嬉しい約束を聞いたルチアは、「ではこの病気の方を治して下さい」などと頼みました。ルチアがその記録を書いた時に、一体詳しく何を求めたのかは覚えていませんでしたが、しかしマリア様が、「年内にそのお恵みを得る為には、ロザリオを毎日唱えなければならない」という事を仰ったという事だけは覚えていました。

そしてマリア様は言葉を続けて、「罪人たちの為に犠牲を捧げなさい。そしてたくさんこう言いなさい、特にあなたたちが犠牲を捧げる時にはこう言いなさい、『これはイエズス様を愛する為、御身を愛する為、罪人の回心の為、またマリアの汚れなき御心に対して犯される罪を償う為です。』」とこう言うと、マリア様はいきなり両手を広げました。

想像して下さい。このマリア様が私たちの前に、樫の木の上に現れて立って、両手を開いた事を思って下さい。するとマリア様の手から燦然と輝く光が光線が出て、地上を照らしました。すると地面はあっという間に消えてしまって、その地の底に火の大洋、大海原を見ました。

その火の大海原のような所には、悪魔たちと人間の形をした霊魂がたくさんいるのを見ました。悪魔たちは人間と区別ができて、非常におどろおどろしく、恐ろしい形相をしていて、知らない動物のようでした。見ると嫌気と恐ろしさのあまり死んでしまいそうになりました。

人間は炭で焼かれた炭火のように、上がったり下がったりして、叫び声や苦しいうなり声、苦しみと絶望の声を上げていました。大きな煙との中で、霊魂たちはきっと喉が詰まって声が出ないような感じでうなされて、平衡感覚を失って、重さがなく上がったり下がったり、ちょうど真夜中に雪が降るように、たくさんの霊魂が地獄にと落ち、そして苦しんでいるのを見ました。

その地獄の光景をマリア様はお見せになって、その一瞬間の後にその光景は見えなくなりました。ルチアが後で言うには、後で記録しているには、「もしも私たちが天国に行くという保証がなかったら、おそらく恐ろしさのあまりそのまま息絶えてしまった事だろう。」

想像を絶するような現実の世界を見てしまいました。マリア様は仰いました、「あなたたちは、あわれな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救う為に、天主はこの世に私の汚れなき御心に対する信心を確立しようと願っています。もしも私があなたたちに言う事がなされるならば、多くの霊魂は救われるでしょう。そしてこの地上には平和が訪れるでしょう。しかしもしも天主を犯し続けるなら、罪を犯して天主を冒瀆し続けるならば、更に悪い戦争がピオ十一世の時に起こるでしょう。天主はこの世の罪の為に、この世を罰しようとしておられます。」

「その罰する手段は、戦争と飢饉と、教会と教皇様に対する迫害です。これを防ぐ為に、私はあなたたちに2つの事を求める為にやって来るでしょう。ロシアを私の汚れなき御心に奉献する事。そして初土の罪の償いの聖体拝領をする事を求めにやって来るでしょう。もしも私の要求が聞き入れられるならば、ロシアは回心して、この世に平和が来るでしょう。もしもそうでないならば、ロシアは世界中にその誤謬を広め、戦争を挑発し、教会を迫害し、そして多くの良い人は善人は殉教するでしょう。教皇様も多く苦しまなければならないでしょう。様々な国々が、この地上から無くなってしまうでしょう。」

「しかし終わりには、私の汚れなき御心が凱旋します。教皇様はロシアを私の汚れなき御心に奉献するでしょう。そして平和の一時期が与えられるでしょう。あなたたちがロザリオを唱える時に、特に玄義の終わりに一連の終わりに、こう言いなさい、『あぁイエズスよ、我らの罪を赦し給え。我らを地獄の火より守り給え。また全ての霊魂、殊に主の御憐れみを最も必要とする霊魂を、天国に導き給え』。」

こうするとしばらくの間沈黙があり、ルチアは、「何か更にお望みの事はありますか?」と言うと、「今回はもうありません」と言って天に昇り始められ、そして姿をお消しになりました。

3人の子供たちの内で、地獄の姿の様子を見た一番小さな子はジャシンタでした、6歳でした。この地獄の光景は、この聖ジャシンタに非常に多くの感動を与え、そして「地獄に落ちる霊魂を救う為であったらば、どんな犠牲さえもへのかっぱだ、何でもない」と思わせるほどになりました。その為にそのジャシンタは、その地獄のビジョンを見た後に、多くの犠牲と祈りと苦行を、喜んで捧げるようになりました。

ある時ジャシンタはこう言います、「あぁ、地獄!地獄!地獄に行く霊魂がかわいそう!本当にかわいそう。多くの人が生きながら焼かれて、あそこにいる、地獄にいる、火に燃えている木のように焼かれている。」そして手を合わせて、「あぁイエズスよ、我らの罪を赦し給え。我らを地獄の火より守り給え」というお祈りを何度も何度も唱えていました。

時にはジーッと考えたようになっていると、「何を考えてるの?」「地獄の霊魂を考えているの。かわいそうだ。」

ある時にはハッと起きたようになって、「フランシスコ!フランシスコ!ねえ一緒にお祈りしてる!?地獄に霊魂が落ちない為に、救う為に、たくさんお祈りしなきゃ!多くの霊魂が地獄に落ちているから。本当に多くの霊魂が!」「あぁ、この罪人たちがかわいそう!もしも彼らに地獄の事を見せてあげる事ができたら、きっと罪を犯さないだろうに。ルチアちゃん、皆に地獄ってどういう所か言ってあげて。そしたらきっともう罪を犯さなくなるから。そして地獄に落ちなくなるから。ねぇマリア様に言って、『地獄を見せてあげて下さい』って。多くの霊魂が地獄に落ちている、本当に多くの霊魂が。」

ルチアもジャシンタも、ちょうど昨日のイエズス様のように、「この群衆がかわいそうだ、もしもこのまま行ったら、その道の途中で倒れてしまうだろう。」
「罪人がかわいそうだ。もしもこのまま行ったら地獄に落ちてしまうだろう。何とかしなければならない。」

ジャシンタは、「一体、何の罪を犯して霊魂は地獄に落ちているのだろうか?もしもその罪が分かったら、それの罪を犯さないように助けてあげるのに。ミサに行かない事かしら?お祈りをしない事かしら?悪口を言う事かしら?天主様を冒瀆する事かしら?」詳しい罪については、ジャシンタはあまりにも幼かったので分からなかったのですけれども、罪がどれほど重大な事かという事は分かりました。

ある時リスボンの病院にいた時に、ルチアはジャシンタから聞いてます。マリア様がお現れになって、ジャシンタに教えてくれたそれは、「『多くの霊魂がなぜ地獄に落ちるのか?』と聞いたら、マリア様は、『肉の罪によって落ちるているのだ』と教えてくれた」と言います。

ジャシンタがその地獄に霊魂が落ちないようにする為に、第2に考えたのは、マリア様の汚れなき御心への信心でした。ジャシンタは知っていました、「マリア様の汚れなき御心は、絶対に私たちを見放さない。見捨てたりしない」という事を。「天の優しいお母様は、どんな事があっても私たちを助けてくれる」と知っていました。また「汚れなき御心は、私たちの避難所であって、天主へと導く道だ」という事も聞いて知っていました。ですからジャシンタはいつもこう言っていました、「私はマリア様の汚れなき御心が大好き。私たちの天の優しいお母様の心だから。」

いつもジャシンタは、「マリアの甘美な御心よ、私の救いとなって下さい」と何度も何度もフルス神父様から教えられた射祷を唱えていました。「私、このお祈りが大好き。マリア様の汚れなき御心が大好き。マリア様の汚れなき御心よ、甘美な御心よ、罪人を回心させて下さい。マリア様の汚れなき御心よ、罪人を地獄から救って下さい」と、何度も何度も唱えていました。

では私たちは一体今日、どのような遷善の決心を立てたら良いでしょうか?

7月、8月と暑い時期になりますけれども、私たちもジャシンタに倣って、霊魂の救い、多くの霊魂が地獄に落ちているという、その地獄の事を黙想致しましょう。多くの霊魂が地獄に落ちないように、救う事ができるように。

「もしも」、これは聖ベルナルドが言う事ですが、「私たちが地獄の事を黙想しながらこの地上で生活するならば、地獄に行く事を避ける事ができる。そして私たちはこの地上で聖人のように、天国のように生きる事ができる。しかし、もしも地獄の事をコロッと忘れて生活するならば、遂には地獄に行ってしまうし、私たちはこの世で地獄のような生活をするだろう。」

第2に提案したいのは、マリア様の汚れなき御心の信心を実践する、という事です。マリア様も地獄に霊魂が落ちないように、それを救う為に、これをお願いに来られました。特に御聖体を拝領する時には、罪の償いの為に、イエズス様を愛する為に、特にマリア様の汚れなき御心に対する罪を償う為に、罪人の回心の為に、聖体拝領をなさって下さい。そして私たちの日常生活を、犠牲を、苦しみを、罪人の回心の為にお捧げ下さい。

第3に、もしもできれば、昨日私たちはマリア様の御心に奉献されて、その中に入る喜びを得ましたけれども、どうぞこの御心の中にいつも留まって、マリア様の御心の玉座にいつも近寄って下さい。そして必要な助けとお恵みを見出して下さい。マリア様の御心の中という新しい命の中を歩んで下さい。そして私たちがマリア様の御心に奉献されて、その中に近付いて歩めば歩むほど、その私たちは多くのお恵みを受ける事ができて、遂には教皇様が世界中の司教様と一緒に、ロシアを奉献するお恵みを勝ち取る事ができるはずです。御心に奉献された霊魂が多くなれば多くなるほど、その事が実践されるはずです。

ですから、御心に奉献された、新しい命の生活を歩んで下さい。そしてそうする事によって遂には、マリア様の凱旋に与る事ができます。

マリア様は、「凱旋する」と仰いました。パリには凱旋門があります、ローマにも凱旋門というものがあります。これは勝利した軍隊の将軍がパレードをして、その戦利品を持って市民の前に、そのただの勝利ではなく、その勝利を見せびらかして、そのそれを喜び合うというのが凱旋です。マリア様は私たちに「それをする」と約束されました。

私たちもマリア様の汚れなき御心へと歩めば歩むほど、遂にはその凱旋のマーチにも与る事ができるはずです。この地上での凱旋マーチに与る事によって、ついには天国でのマリア様の凱旋に与る事ができるように、このミサをお捧げ致しましょう。

“Adeamus cum fiducia ad thronum gratiae.”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
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