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日本──長崎、西坂の丘は「重要なカトリック巡礼地」

2014年02月08日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
聖ピオ十世会のインテリジェンス・ウェブ・サイトDICI に掲載された記事を日本語に訳してくださった方がおられますので愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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日本──長崎、西坂の丘は「重要なカトリック巡礼地」

二〇一二年十月八日

 今年の六月十日、日本のカトリック司教協議会は、二〇一二年二月の年次総会の間に告知されたことに一致して、長崎の西坂の丘を「重要な国際的巡礼地」であると指定した。今後、巡礼者たちは、大阪、広島、福岡を通過して、京都から長崎へと旅行できることになるだろう。巡礼者たちが通過する五つの各教区における記念のプレートとともに、つまり、一五九七年二月五日、西坂の丘ではりつけにされ、一八六二年六月八日、ピオ九世によって列聖された二十六人のカトリック信者たちが辿った道のりに従うことになる。

 時の権力者、豊臣秀吉は、一五八二年のその治世の初めに、イエズス会士たちに大阪に逗留し、同地で説教する許可を与えたにも関わらず、一五八七年、カトリックの全宣教師の追放令を発布した[訳注: バテレン追放令]。日本のキリスト信者の共同体は当時、二五〇の教会を持ち、信者数は二十万人に達していた。一五九五年には、一三七名のイエズス会とフランシスコ会の宣教者たちを含め、三十万人にまでなっていたと思われる。日本のカトリック教会の発展は、大名たち──影響力ある封建的総督──の改心によって成長を遂げ、九州の大名たちにすでに不満を抱いていた権威者たちを怯ませるほどであった。一五九六年十二月に、宣教師たちに反対する配下の一部の大名たちの讒言を受けて、豊臣秀吉はすべての宣教師と日本のキリスト信者たちの根絶を宣言した[訳注: サン・フェリペ号事件]。同年十二月三十日、秀吉は京都で捕縛された修道士たちと信者たちを大阪と堺を経て長崎へ連行し、そこではりつけにして殺害せよと命令を下した。死刑囚たちの公式名簿には二十四人の名前が乗せられており、その他二名の信者は長崎に向かう道中で加わった。囚人たちは縄で縛り上げられ、移動途中の村々の住民たちに見せしめとしてさらし者にされ、耳を削ぎ落とされ、陸路と海路で八百キロ以上の旅をした。一月のさなか、その地方では最も寒冷な月の一つであり、二十六日間旅は続いた。二月四日、二十六名はついに長崎から三十五キロ離れた彼杵に到着した。

 一五九七年二月五日、日本最初の二十六名の殉教者たちは、西坂の丘ではりつけにされた。イエズス会士、フランシスコ会士、そして平信者たちは、いっせいに処刑されたのである。殉教者たちの遺骸は九ヶ月間、十字架上にさらされたままであった。

 その他六〇〇名の信者たちが、日本を血で染めた迫害の間、同じ場所で殉教を耐えた。それは一八七三年まで続いた[訳注: キリシタン禁令の撤廃]。一部の歴史家たちによると、殉教者の数は三十万に及ぶのではないかとのことである。

 処刑場所は長崎市と長崎湾の反対側に位置する小高い山にあり、死刑囚のキリスト信者たちが処刑された場所であった。今日では「殉教者の丘」という名を与えられ、長崎の中心を走る駅の近くにある。日本では、古代ローマのように、はりつけでの処刑は屈辱的かつ重罪犯のための処刑方法であった。西坂の丘の頂には、京都から日本のゴルゴダの丘へと徒歩で引き回された二十六名の信者たちに敬意を表して、一九六二年に感動的なモニュメントが立てられた。信者たちはその丘に祈りを捧げるために訪れる──殉教者たちは直立し、ずらりと並んだ姿で描かれている。隣には近代的なチャベルと、迫害時代からの多くの遺物を収めた博物館がある。

 一五四九年、聖フランシスコ・ザベリオの来日以来、日本におけるカトリック教会の信者数は、人口の一バーセントに満たない。約半パーセントが日本人であり、残りの半パーセントは、大部分が東南アジアやラテン・アメリカからの移民で成り立っている。


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ロザリオの総数は2月6日現在、2081環になりました

2014年02月08日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
ロザリオの総数は2月6日現在、2081環になりました。


U.Kさんから54環が報告されました。詳しいPDFファイルが添付されていました。ありがとうございます。

また、別の方から次の報告を頂きました。


【報告】
おはようございます、修院長様、
こちらでは連日私の部屋の室温が2度で大変寒い日が続いております。
フィリピンはいかがでしょうか。
第4次ロザリオ十字軍の1月のご報告を致します。
私は76環お捧げ致しました。
あのヨハネ二十三世でさえ1日3環を捧げていた、というので頑張りましたが少しづつ数が減ってしまいました。
2月に入ってからは1日2環で落ち着いてしまいました。

【報告】
小野田神父様
ロザリオのお祈りの環数ですが、
添付ファイルのような報告で
よろしいでしょうか・・・
ふさわしくないものがありましたら、
ご指導いただければ幸いです。

御御堂など・・・23環
CD/iphone・・・18環
Youtube・・・13環
合計54環


 フィリピンのタクロバンで先月行われたメディカル・ミッションには、合計3028名が治療その他のサービスを受けることができました!天主様に感謝!
 聖ピオ十世会のインテリジェンス・ウェブ・サイトDICI に掲載された記事を日本語に訳してくださった方がおられますので愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


フィリピンより──第八回ローザ・ミスティカ・メディカル・ミッション

原文はこちら


フィリピンより──第八回ローザ・ミスティカ・メディカル・ミッション


二〇一四年一月三十一日

 昨年十一月七日、台風三十号(ヨランダ)がフィリピンを直撃し、数千の死者を出し、数十万の人々から家を奪った。レイテ島とその首都タクロバンは、二十五万の住民を有し、最も甚大な被害を受けた。聖ピオ十世会も例外ではない。タクロバンの聖堂とそこに駐留しておいた宣教用車が破壊された。信者たちの多くは同じように打ちのめされた。ある者たちは親族を失い、多くの人々は財産を破壊されたことによってである。

 従って、今年のローザ・ミスティカ・メディカル・ミッションは、一月二十日から二十五日にかけて、壊滅したタクロバン市で行われた。医師と看護師がACIM(Association Catholique des Infirmieres et Medecins)と聖ピオ十世会アジア管区によってボランティアとして招かれた。(see DICI no. 285, 22/11/13)

 フランス人ボランティアのグループが一月十八日、タクロバン空港に到着した。彼らは車内にはもはや椅子がなく、紐でくくられた運転席と窓の開かないトラックへと乗り込んだ。一人の子どもが彼らに近づいて「お腹がすいた!」と食べ物をねだった。フランス人ボランティアが旅行用のお菓子の残りをその子に与えた。彼らがタクロバンから受けた最初の印象は、乱雑に立てられたいくつものテント、色付きの防水布、ひしゃげた金属板、そして道端に積まれた生ゴミの山であった。人々はそこで、ぬかるみの上で生活していた。倒壊した家屋、うず高く積まれた装甲車、屋根がなくなった、あるいは破壊された倉庫、数枚の壁だけしか残っていない家々という光景を見るのは恐ろしく、悪夢のようでさえあった。巨大な木々が大地に倒れ、その根元は哀れにも天を仰いでいる。電柱はなぎ倒されていた。トラックはこの中を数キロ走って行った。トラックの中で「私たちは声も出ず、死のような沈黙の中で、想像を遥かに上回る現実を見ていました。私たちがメディアを通して見たどんなものともかけ離れた現実でした」だが、ここで多くのフィリピン人ジャーナリストたちは、膨大な数のご像が被害を免れた、と強調するのを恐れなかった。

 現地では、彼らはさまざまな宿泊施設で、できうる限り自分たちの寝場所を整えた。いくつかは水が出ず、電気がつかず、ベッドもなかった。他のボランティアたちが少しずつ、ぽつぽつとやって来た。暴風と豪雨で多くの飛行機やボートが欠航となり、来れない者たちもいた。聖ピオ十世会の修道士たちはイロイロから四日かかった。普通なら飛行機で二時間半の旅行である。

 一月十九日、日曜日にオリエンテーション(説明会)が開かれ、世界各地からやって来たボランティアたちが集合した。番号順に以下の通りである。フィリピン、フランス、オーストラリア、アメリカ、スイス、アイルランド、ベトナム、ベルギー、ニュージーランド、シンガポール、韓国、南アフリカ、マレーシア、カナダ、そしてトルコ人を先祖に持つアラム語を話す若い女性である。合計六十名のボランティアが集まり、後日、マニラとアメリカから、さらに二十名が加わることとなった。

 ACIMの秘書、ヨリー・ガムタン(Yolly Gamutan)は、市当局に一ヶ月掛け合い、み摂理のおん助けと彼女の人を引きつける微笑みを武器に、比較的平和で安全な場所──国技であるバスケットボールのコートの中央にある巨大な円形競技場、このスタジアムの使用許可を得た。屋根は一部はぎ取られており、降りしきる雨から部分的にシェルターの役目を果たしていたが、医療処置を行う場所のど真ん中に、たちまち池を作り上げてしまった。皮肉なことに、水道も、トイレも、電気もない場所の中で、ボランティア・チームは一日につき五百名以上の人々のケアにあたらねばならないこととなった。

 十四名の医師たちはスタジアム内のぬかるみのないスペースへと散らばった。初日、通訳と患者の登録のための十六名のボランティアたちが、まだ到着していなかった。このため、続々とやって来る患者たちに対する当初の主な妨げとなった。各医師たちは、タガログ語と英語の通訳とともに、なんとかがたつかないテーブルを準備したものの、患者の多くはタガログ語ではなくビサヤの方言を話した。スタジアム内は数区画に区切られた。すなわち、七名の一般診療医、三名の小児科医、二名の眼鏡技師、一名の皮膚科医、一名の歯科医──ローザ・ミスティカ・ミッションのために記録的な数の医師たちがいた。隅の一区画は包帯の手当て、個別の診察、簡単な手術、心電図装置のために用意され、薬の調剤は三つのセクションに分割され(歯科医、大人、子ども)、パスケットボールのコートの全長を占めていた。

 押し寄せる患者たちを、まずは名簿に記録することから始まり、その後、高血圧、及び気づかずに進行中の糖尿病を考慮した臨床評価があった。それから各患者たちは適切な区画へと案内された。診察の後、患者は薬の処方へと進む。ローザ・ミスティカ・ミッションは、すべての恩人のおかげで、生物学、放射線医学、そして入院治療に関する診療活動の全費用を請け負っている。

 膨大な数の患者たちは、自分たちの困難な状況において、たくさんの祈りを捧げることに同意した。ボランティアたちは「反抗などまったくありませんでした。なんと素晴らしい、希望という名の教訓でしょう!」と報告した。

 今年は、恩人たちの素晴らしい寛大さにより、オーストラリア人五名、アメリカ人二名、アイルランド人男性一名、ニューカレドニアに移民したピエ・ノワール[訳注: アルジェリア生まれのヨーロッパ系植民者]一名、フランス人男性三名と、約二十名のフィリピン人からなる建設チームを送り込むことができた。これら三十二名のボランティアたち、大工、電気技師、屋根職人、配管工、タイル工たちは、四軒の住宅と一件の聖堂を十日間で再建するという信じ難い課題に取りかかった。切迫した状況下にある数名の人々には、時間が足りないため、金銭的援助が与えられた。天主の恩寵を得て、建設チーム一人一人の情熱と才能のおかげで、この難しい課題は首尾よく成し遂げられた。

 宣教活動はこれだけに限られなかった。四名の司祭たちはスカプラリオを配布し、秘跡を施すことができた。毎日、最初のミサが南アフリカ人司祭、Coenrad Daniels神父によって捧げられた。なぜこれほど早い時間にミサが捧げられたのか? 午後五時半には、突然真っ暗闇になってしまうからに他ならない。建設チームは非常に朝早く、七時に始まる第二ミサに医療チームがあずかるより前に、仕事を開始していた。

 日曜日のミサの説教で、アジア管区長ダニエル・クチュール神父は、あるエピソードを引用してあわれみについて説明した。インドの路上で、死にかけていた一人の異教徒が拾い上げられ、聖なる修道女によって手当を受ける。瀕死の男は修道女に「あんたの信じるイエズスは、あんたみたいにいい奴なのかい?」と尋ねる。修道女は微笑んで答える。「いいえ、私のほうが、彼みたいに善い人になろうと努力しているのよ」 

 このミッションによってもたらされた援助が、たとえ大海の中のひとしずくにすぎないとしても、フィリピンの人々には現実的影響がある。彼らは逆境と戦い続けようと勇気づけられるからである。「困難は私たちに勇気を与える」「あなたの寛大さのおかげで私たちは立ち上がれる」「すべての人々に感謝します」と垂れ幕に書かれているとおりである。ローザ・ミスティカ・ミッションは八年間の宣教活動を続けてきたが「これほど多くの感謝を意を表されたことはありません。一人一人が前回同様に感動しています」とJean-Pierre Dickes医師は述べた。

 フィリピン人たちは、親切と微笑みと快活さを武器に、自分たちの苦しみのさなかにある些細なことや、親愛の情をあらわすしぐさ、友情を示すささやかな言葉を、なおも楽しむことができる。人々は自分たちのために互いに助け合うキリスト者の精神を持ち続けている。それは彼らが生きている劇的状況を考えれてみれば称賛に値する。

「私たちがイロイロで税関を通過する時」と、Dickes医師は述べた。「国境警備兵は五十五歳の女性でしたが、ボランティアたちがこの国にやってきた理由を尋ねてきました。私たちは定期的に行われる医療ミッションのためだと彼女に説明しました。毎年、私たちはさまざまな地域に行くのだが、今年はこういった状況のため、私たちは一番被害が甚大なタクロバンに行くところだと。彼女はそれ以上なにも質問せず、すぐに私たちのグループに通るよう合図をし、にっこりと笑ってくれました。彼女に感謝すると、彼女はこう言いました。「天主様が祝福してくださいますように! あなたたちのために祈るわ」と。

To help the SSPX mission in the Philippines:
-please make cheques out to the order of “ACIM”, with a note “for victims of the typhoon”, and send to Dr. Jean­Pierre Dickès, 2 route d’Equilhen, 62360 Saint-Etienne au Mont, France (tax receipt available upon request).
-or to the order of “MISSIONS”, with a note “Philippines” and mail it to MISSIONS, 60 avenue du Général Leclerc, 78230 Le Pecq, France (tax receipt available upon request).

IBAN: FR76 3000 3018 6000 0372 7114 114 - BIC: SOGEFRPP

(Source: ACIM – DICI no. 289, 31/01/14)



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--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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