Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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キリスト教の核心とは何か? キリスト教創立以来、一貫して変わらない信仰箇条の本質は何か?

2006年10月18日 | カトリックとは

アヴェ・マリア!


キリスト教の核心とは何か? キリスト教創立以来、一貫して変わらない信仰箇条の本質は何か?



 キリスト教において、何が最も本質的に啓示された現実なのだろうか? キリスト教が創立以来、キリスト教がキリスト教となさしめている最も本質的な啓示、信仰をもって受け入れられるべきこと(現実)とは何か? それの一つでも否定されてしまったらキリスト教がキリスト教ではなくなってしまう、というその核心は何なのだろうか? キリスト教の本貫であるカトリックの信仰の山とは何なのだろうか?


 聖アウグスティヌスは、それは「天主の聖子が人の子になった」ことであると答えている。De Trinitate, I, c. 13, n.28. filius Dei filius hominis factus est.


 これこそが、天主から人間に啓示され、人間がそれを信仰をもって受け入れるべき事柄の核心である。


 だからといって、その他のことがらは非本質的な事柄であるという意味ではない。信仰箇条にあることは全て信ずるべき真理であるが、それを信ずるべきである根拠はすべて、天主の聖子であり人の子となったイエズス・キリストによって語られたことにある。


 ここで私たちが「天主の聖子」という時、比喩的な意味ではない。現実的に、レアルに、文字通りの天主の聖子である。これは人々がナザレトのイエズスにつけた尊称ではなく、まさに「人の子」イエズスご自身が、「天主の聖子」としてキリストを告白することを弟子達に容共なさっている。人の子イエズスは、真実の意味で、レアルに、比喩的な意味ではなく天にまします天主を自分の聖父と呼んだ。司祭長の前で自分が「天主の聖子」であると認めたことが、死刑に処せられる決定的な原因となった。ユダヤ人らがイエズスを殺そうと決意したのは、イエズスが「天主を私の聖父と呼び、自分を天主と等しいものとした」からである。


 この言葉の固有の意味での「天主の聖子」が「人の子」となるのであるが、一個の人間としての、人間を親として持ち、この世に生まれ、この世の生活を送り、苦難を忍び、殺され、死んでいる「人の子」である。


 キリストは単なる優れた人間や義人、聖人として記念され讃えられる義人の一人ではなかった。それ以上のものだった。


 この世に生きて死んだ人の子イエズスは、「人の子」でありながら「天主の聖子」だった。しかも崇高な人間だったといういみでの「天主の聖子」ではなく、真実に天主の聖子なのである。イエズスは弟子達に向かって、この信仰告白を要求している。


 イエズスが本当に真実に、人類の救い主であるためには、真実に「人の子」であるとともに、また真実に「天主の聖子」でなければならない。


 イエズスが十字架に付けられた時、苦しいふりをしていたのではなかった。苦痛のふりを見せただけではなく、真実に肉体的苦痛をうけた。もしも単なる見せかけや「ぶりっこ」にすぎなかったら、イエズスの苦しみは意味を失う。従って、罪の贖いのいけにえの意味もなくなる。従って、イエズスは救世主ではなくなる。


 また同様に、イエズスが単なる「人の子」にすぎないならば、たとえ偉大な預言者であったとしても、有限な「人の子」のいけにえの価値は有限であり、天主に対して犯された罪を贖うことは出来なかった。イエズスが真に救い主であるためには、真に「天主の聖子」でなければならない。しかも尊称としての名目上の、比喩的な意味で「神の聖子」ではなく、真実に天主であり、「父なる天主」と真実に等しい、真実の「天主の聖子」でなければならない。


 そしてこの真実の天主の聖子が、真実の人の子となった、ここにキリスト教の啓示の核心がある。


(以上は、山田晶著『トマス・アクィナスの《レス》研究』の中の第5論文「レスとラチオ」を参考にしました。)

 



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心から聖伝のミサにご招待いたします。

2006年10月18日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア!


 ■ 聖伝のミサにようこそ! ■ WELCOME TO THE TRADITIONAL MASS!


 兄弟姉妹の皆様、


 兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに心から歓迎します! 


(聖伝のミサは、本来なら「ローマ式典礼様式のミサ」と呼ばれるべきでしょうが、第二バチカン公会議以前のミサ、聖ピオ5世のミサ、古いミサ、昔のミサ、旧典礼、ラテン語ミサ、トリエントミサ、トリエント公会議のミサ、伝統的ミサ、伝統ラテン語ミサ、・・・などとも呼ばれています。)



 何故なら、新しいミサについて、典礼聖省の新しい事務総長であるランジット大司教様はこう言っているからです。


■2006年6月22日■


【ランジット大司教】:
 不幸なことに、第二バチカン公会議以後に、幾つかの変化は充分な考察無しに、あわてて、その時の熱狂にかられて、過去からの行き過ぎの拒否としてなされている。このことのために望まれたこととは全く反対のことへと状況を導いた。・・・私たちは典礼が間違った方向に行ったと見ることが出来る。たとえば、聖なるものと神秘を捨てたことだ。これは(信徒の)共通司祭職と(叙階を受けた者の)特別な召命である職務的司祭職との混乱を引き起こした。言い換えると、平信徒の役割と司祭の役割との混乱がある。また、聖体祭儀は、キリストのカルワリオにおけるいけにえの記念でありこのいけにえの救いのための秘跡的効力ということに強調がおかれる代わりに、共同の会食と考えられる概念がある。まだそのほかにも変化があり、教会を空にして「プロテスタント化」した事実というようなこともある。



(2006年6月22日、ローマのIメディアのインタビューで、典礼聖省の事務総長、ランジット大司教の言葉)

 


■2006年6月25日■


【ランジット大司教】:
 (第二バチカン公会議後の典礼改革で)多くの移行がなされ、それは典礼の本当の感覚を見えなくしてしまった。第二バチカン公会議後の開学において典礼の祈りの指針(方向付け:オリエンテーション)は必ずしも第二バチカン公会議の文書を反映しているものではないと私たちは言うことが出来る。


(2006年6月25日、フランスの公式カトリック紙である「ラ・クロワ紙」のインタビューで、典礼聖省の事務総長、ランジット大司教の言葉)



■2006年7月13日■


【ランジット大司教】:
 公会議後の改革は・・・あまり肯定的ではない結果を生み出した。

 典礼聖省は、新しいミサにおける典礼の乱用を嘆く人々からの手紙を毎日受け取っている。司祭は好き勝手なことをし、司教らは目をつぶっている、或いは司祭たちのすることを「刷新」の名によって正当化している。・・・私たちは黙っていることができない。気を付けて見張っているのが私たちの責務だ。何故なら、ついに人々はトリエント・ミサに与りに行くようになるだろう。私たちの教会は空っぽになってしまうだろうからだ。トリエント・ミサは、ルフェーブル派の所有物ではない。


(2006年7月13日、ローマのIメディアのインタビューで、典礼聖省の事務総長、ランジット大司教の言葉)


【詳しくは次をご覧下さい:フランス語】
http://www.dici.org/actualite_read.php?id=1296&loc=Fr
【英語】
http://www.dici.org/actualite_read.php?id=880&loc=US



何故なら、聖伝のミサは、聖ピオ5世教皇様の大勅書によって義務化され永久に有効なミサ聖祭だからです。


「余によって命ぜられたものより他のやり方でミサ聖祭を捧げる事が無いように。又、何によってであろうともこのミサ典礼書を変更すべく強いられ、強制される事無く、又この手紙が決していつの時代でも変更されることの無く、却って〔この手紙が〕常に堅固、且つその適応範囲において有効であるように、同じく余は規定し宣言する。」


「・・・ 故に、絶対に誰一人として、余のこの許可、規定、命令、勅令、決定、認可、許可、宣言、意志、政令及び禁止のページに背反し、或いはそれに大胆にも背く事のないように。もしも、誰かがそれを企てようと敢えてするとしたら、全能の天主〔の憤慨〕及び使徒聖ペトロとパウロの憤激をかうと言う事を覚えよ。」

(1570年7月14日聖ピオ5世の大勅令『クォ・プリームム』)



「聖ピオ5世のミサ典書は、一度も廃止されたこともないし禁止されたこともありません。」
(2006年7月21日、ローマのIメディアのインタビューで、典礼聖省の事務総長、ランジット大司教の言葉)

 


     <2006年10月>


【大阪】大阪市東淀川区東中島1-18-5 新大阪丸ビル本館(JR新大阪駅の東口より徒歩5分)「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」


20日(金)証聖者ケンティの聖ヨハネ(3級祝日)白 大阪 午後5時半
21日(土)聖母の土曜日(4級)白 大阪 午前11時


【東京】東京都文京区本駒込1-12-5曙町児童会館1F 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

21日(土)午後6時半 グレゴリオ聖歌に親しむ会(http://sound.jp/gregorio/
     午後8時40分 グレゴリオ聖歌による終課

22日(主)午前10時  ロザリオ及び告解
          聖霊降臨後第20主日(2級)緑 午前10時半
     午後2時半 公教要理の霊的講話
     午後4時半 グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課

23日(月)平日(4級)東京 午前7時
24日(火)大天使聖ラファエル(3級祝日)白 東京 午前7時

 

 詳しいご案内などは、
http://fsspxjapan.fc2web.com/ordo/ordo2006a.htm
http://fsspxjapan.fc2web.com/2.html

または
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila351.html

 などをご覧下さい。


それでは、皆様のおこしをお待ちしております。


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兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!


天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

 


 


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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