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24年前のあの日、1995/1/17

2019-01-19 13:38:23 | 観察
一昨日は阪神淡路大震災から24年目の記念日でした。

記念日、と言うと何かお祝い事の様だったり、軽々しく聞こえたりするが、
あえて記念日と書いている。

1/17を忘れないよう、と言うよりもこれからの防災、減災、復興に生かしていこうと
「防災とポランティアの日」「ひょうご安全の日」などに制定されている。

明石海峡を震源として発生した大地震であったが、不幸中の幸いで津波は発生せず、
被害は主に東西方向に線状に広がった。
とはいえ、大都市を襲った未曽有の大震災。
家屋の倒壊損壊は言うに及ばず、火災の発生に対し消火用水が使えない事態が多発、
あちこちに立ち上る火災の煙に対し、例の「まるで温泉街のようです」の
有名なひんしゅくアナウンスが今も耳に残っている。

当時、私は池尻大橋駅近くの客先に常駐して業務をしていた。
朝のニュースで神戸で最大震度6の大地震、死者が出ている模様とは伝わっていたが、
それまで滅多に地震がなく、震度3でビビるような土地柄だったので一部地域とはいえ
震度6を観測したとなればこりゃもう大騒ぎだろうと思っていた。

当初は「震度6を記録したところもある」だったが、あまりの衝撃で地震計が壊れたり、
震度を伝達するシステムが破損したりと、震度が伝わっていない場所が多数あったし、
その当時の震度には6以上の数字がなく、その面でもひどさが伝わっていなかった。

状況が上がって来ない、当初の報告では死者2名程度の軽微なものではあったが、
政府の動きも迅速ではなく、当時の首相は災害対策よりも財界人との昼食会を優先したとして
後々非難された。

私はと言うと職場でも気が気ではなく、刻々と明らかになる被害状況に驚いていた。
幸いにも両親は神戸の実家におらず大阪にいたので難を逃れた。

そのほかの家族親戚も最大の被害のあったライン上にはいなかったので、怖い思いをしただけで済んだ。

連絡がついたのはいつだったろうか。
はっきりとは覚えていない。
とにかく、全員無事だったので安心した。

一昨日、1/17の東京の日の出は6:50、神戸は15分遅い7:05が日の出。
地震は発生の5:46と言えばまだ真っ暗のはず。

停電の中の明り取りからの引火もあったろうし、ストーブやガス器具などからの出火もあったろう。
あっという間に多数発生した火災が救助と非難の妨げとなった。

後の検証でほとんどの死者は当初の崩落による圧死、とは言われているが、
目の前で焼け死んでいく家人を見ていたとか、家の中から聞こえる泣き声が火災とともに消えたと
聞くと、大勢の人が火災被害に遭ったことは間違いない。

大阪から神戸の実家の様子を見に行ったのは震災から2ヶ月経った3月20日。
その日は地下鉄サリン事件の起こった日である。

大阪からJRで神戸に向かう途中、西宮だったか芦屋だったか、一旦下車してバスに乗り継ぐときに
ラジオで事件のニュースが流れているのを聞いた。

神戸に近づいて再びJRに乗り継ぎ須磨に向かう。
三宮の繁華街のビル群の惨状は目を覆いたくなるぐらいだった。
果たして復興できるのか、できるとしてどれぐらいの時間がかかるのか、疑問だった。

家の写真は昨年4月にフィルムスキャナーを買った際に取り込んだ写真を載せた。
須磨(神戸)1995年3月

まだ何枚か載せていない写真を載せておこう。

1995/3/20撮影

墓。
無縁仏となって墓石が通路わきに積み重ねられていたのがひっくり返っている。
この墓はすぐ近くの須磨寺(仁和二年(AD886)建立)より古いと思われる村墓。
無縁仏の多さが歴史を物語っているともいえる。


その後の復興で多分きれいに片づけられていたのではなかったかな。
とすれば、粉砕して道路基礎などに使われたのではないだろうか。
(この辺り勝手な推測)

さて、もうなくなってしまった神戸の実家。
2階に上がったところの和室。
足の踏み場もない。


5月4日にも訪問しているが、全く手つかずのまま。
1ヶ月半の間に雨が降ったのか、風が吹いたのか全く記憶にないが、そのまま。

天井からは空が見えるし、




周りの家もよく見える。







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2 コメント

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少しでも減災に繋がりますよう、願わずにはいられません。 (すず)
2019-01-19 21:11:00
 今晩は。

神戸のご実家の写真を拝見すると、梁が立派で、さぞや立派なお家だったのだろうと思われます。理不尽なチカラで壊されてしまった、大切なお家をご覧になった、KGR様のお気持ち、さぞやお辛かっただろうと思います。

多くの人が飲み込んで生きてきたであろう苦しみを思うと、どうかこの震災がこれから起きるであろう災害に、少しでも役立って、減災に繋がればと願わずにはいられません。
すずさんへ (KGR)
2019-01-19 21:43:35
お気遣いありがとうごさいます。
周りには立派な豪邸が多くありましたが、我が家はとても立派な家ではなく、大正時代に建て、少し傾いたたぼろ家です。梁の太いのには私自身びっくりしましたが、設計が現代のものとはだいぶ違ったんだと思います。神戸では直下型地震の恐ろしさに思い知らされましたが、東日本では津波の脅威をこれまた思い知らされました。これからも過去に例のない想像を超える災害が起こるかもしれません。過去の経験がすこしでも減災につながればと思うばかりです。

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