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NY連銀の株主(不公開)は米欧金融企業、米政府持株はゼロ!3兆円の利益。

2014年06月22日 09時26分45秒 | thinklive

*ケネディ大統領は連銀の紙幣発行権を取り上げる意思があり、財務省印刷局に数百万$の紙幣を印刷させた、これがケネディ暗殺要因の1つと言う説もあるほど、

米国憲法1条などで貨幣の発行権は、議会だけが独占的に持っている。従って100パーセント民間会社の米連邦準備制度理事会(FRB)は当然、貨幣の発行はできない。

そこで国家(政府)が差し入れる「利子がつく巨額国債」の代償として通貨=「利子がつかない小額に分割された国債」を発行することで通貨供給を行います。発券銀行によるドル紙幣が憲法に抵触しないためには、この紙幣が通貨・銀行券ではなく無利子の小口国債=連邦準備券という名目を維持させる必要がありました。アメリカのドル紙幣を良く見て欲しい。ドル紙幣は、アメリカ政府が発行する債券(国債)を担保にニューヨーク連邦準備銀行など12有る連銀が政府に貸し付けた『債権証書』のことなのです。ドル紙幣の表側には、はっきりと『Federal Reserve Note』と印刷されており、文字どうりFEB(連邦準備制度理事会)の小口の債権証書(利子の付かないFRBの社債)なのです。

『FEB連邦準備制度理事会の発券』=アメリカ憲法違反、その恐るべき仕組みは国家の税制が破綻して財政が大赤字になるほど、民間銀行=国際金融資本=FRBが儲かる仕組み。米国が赤字を垂れ流すせば流すほど、儲かる仕組み。

*NY連銀の株主

* ロスチャイルド銀行・ロンドン* ロスチャイルド銀行・ベルリン

* ラザール・フレール・パリ* イスラエル・モーゼス・シフ銀行・イタリア

 * ウォーバーグ銀行・アムステルダム
 * ウォーバーグ銀行・ハンブルク
* リーマン・ブラザーズ・ニューヨーク

 * クーン・ローブ銀行・ニューヨーク
 * ゴールドマン・サックス・ニューヨーク
 * チェース・マンハッタン銀行・ニューヨーク

ニューヨーク連邦準備銀行株の大株主株式保有比率は 
Chase Manhattan Corp.(Chemical+Chase) 32.35% 
チェース・マンハッタン銀、
1955年チェース・ナショナル銀行(1877年創立ロックフェラー系)とマンハッタン銀行(1799年創立,クーン=ローブ系)が合併して設立。クーンロープ系が実権を握る?クーンロープはロススチャイルドファミリー、 Citibank,N.A. 20.51% Morgan Guarantry Trust Co. 8.87% Bankers Trust Company 4.86% Republic National Bank of N.Y. 4.60% Bank of New York 4.46% Marine Midland Bank 4.15% National West Minster Bank USA. 2.94% Midlantic National Bank 2.76% United Jersey Bank 0.58% Key Bank USA.N.A. 0.08%

つまり、『ニューヨーク連邦準備銀行』は、欧米の銀行が株の100%を保有していて、米国政府は1株も保有していません。上記の中でチェース・マンハッタン銀行が米国のロックフェラー系ですが、他はすべてがロスチャイルド系の金融機関です。要するに、実質的にロスチャイルド一族が米国の中央銀行を支配しているということになります。

シティバンクとチェース・マンハッタン銀行

スタンダード石油は名前の通り石油業者であり、これだけではロックフェラー一族の資産は形成されなかった。もうひとつの重要な機能は、ナショナル・シティー銀行とチェース・マンハッタン銀行を通称スタンダード・バンクとする金融事業にあった。

ジョン・Dが20代半ばにして世界一の精油業者になり、39歳で国内の5大富豪に数えられるには、よほどの理由がなければならなかった。ニューヨークで弟ウィリアムが、ケロシンなど石油副産物の輸出をスタートしてから、1870年にスタンダード石油を創立し、ウィリアムの長男ウィリアムと次男パーシーがそれぞれ1896年と1901年に、ニューヨークのナショナル・シティ銀行頭取ジェームズ・スティルマンの娘エルシーとイザベルに結ばれ、石油資本と金融資本が結婚した。これが1990年代後半に、日本の庶民の銀行預金を収集してきたシティバンクの前身である。

1812年に創業したシティー銀行は、65年にナショナル・シティー銀行と改名して、ウィリアム・ロックフェラーが投資を続け、頭取スティルマンのもとで93年にニューヨークでトップにたち、スタンダード・バンクと呼ばれた。1909年にはモルガン商会が大株主となって、12年にJ・P・モルガンJr(通称ジャック)が取締役となった。*モルガンは元来、英国出身の金融家でロスチャイルド系米代理人とも呼ばれた、

これに対して、1863年に創業したファースト・ナショナル銀行ニューヨークで1912年まで頭取と会長をつとめたジョージ・F・ベーカーは、チェース・ナショナル銀行の5万株を購入し、モルガンとスティルマンの親友だった。彼の孫娘イーデスは、ロスチャイルド一族のウォール大バンカーであるジェイコブ・ヘンリー・シフの孫と結婚し、この銀行の大株主で重役だったのが、ヴァンダービルト一族のペイン・ホイットニーという顔ぶれであった。

かくして1955年に、前記のナショナル・シティー銀行と合併してファースト・ナショナル・シティー銀行ニューヨークとなり、76年に改名して現在のシティバンクが誕生し、表記も City Bank から Citibank となった。この歴史を見れば、世界の3大財閥であるロスチャイルド、ロックフェラー、モルガンが合体した金融機関である。

これに対してチェース・マンハッタン銀行は、母体が1799年創業のマンハッタン銀行にある。これにほぼ一世紀後れてスタートしたチェース・ナショナル銀行は、1930年代から50年代まで頭取と会長をつとめたウィンスロップ・W・オルドリッチが、ジョン・D・ロックフェラーJrの義弟という姻戚関係を持ったため、ロックフェラー財閥の金融機関となり、これが55年にマンハッタン銀行と合併し、チェース・マンハッタン銀行となったのである。

61年から81年までチェースの頭取と会長をつとめ、20世紀末まで最高顧問をつとめてきたのが初代ジョン・Dの孫デヴィッド・ロックフェラーである。91年7月にケミカル銀行がマニュファクチャラーズ・ハノーヴァー・トラストを吸収合併すると、今度は95年8月にケミカル銀行ごと吸収合併したチェースは、新会長と最高経営責任者(CEO)にウォルター・シプリーを据えることになった。

 イギリスの投資銀行界の老舗ブラウン・シプリー社が、アメリカのメリル・リンチと合体して、メリル・リンチ・インターナショナルとなり、これによってメリル・リンチが国際的な投資に大きく進出する力をつけた。そのブラウン・シプリー創業者の子孫L・パークス・シプリーの三男が、90年代に3大銀行を合併してチェースの最高実力者(会長兼CEO)に就任したウォルター・シプリーである。このブラウン・シプリー社のアメリカ支店が鉄道王ハリマン家の投資銀行と合体して、姉妹会社のブラウン兄弟ハリマン社が誕生し、その重役プレスコット・ブッシュの息子ジョージ・ブッシュが、ネルソン・ロックフェラー副大統領のもとでCIA長官、続いてレーガン政権の副大統領、さらに89年には大統領に就任した。同時にメリル・リンチ会長のドナルド・リーガンが、レーガン政権の財務長官になるというトライアングルが形成されたのである。この壮大なコネクション形成について、答を握っている者がいた。レーガン政権の人事を決定したジェームズ・ベーカー本人が、ブラウン・シプリー創業者、アレグザンダー・ブラウンの一族であったのだ。ベーカーの後任としてブレイディーを財務長官に送り込んだディロン・リード創業者の息子C・ダグラス・ディロンは、民主党のケネディー~ジョンソン政権の財務長官としてベトナム戦争の泥沼時代を演出し、のちロックフェラー財団の理事長に就任した。この世界には、民主党も共和党

ケネディーの前の共和党アイゼンハワー政権時代をほとんど動かしたジョン・フォスター・ダレス国務長官もまた、ロックフェラー財団の理事長であり、当時の大統領補佐官L・シャーマン・アダムズはネルソン・ロックフェラーの選挙参謀であった。ニクソン時代をほとんど動かし、20世紀末までロビー活動に飛び回っていたヘンリー・キッシンジャーが、チェース・マンハッタン銀行顧問会議の議長で、ロックフェラー兄弟基金のプロジェクト・リーダーをつとめ、個人生活では、デヴィッド・ロックフェラーの秘書ナンシー・マギネスと結婚したという事実まである。

アメリカには、財閥党というひとつの政党しか存在し得ないメカニズムがある。それは選挙に必要な巨額の資金問題であり、すでにこの事実は数多のアメリカ人ジャーナリストによって指摘されてきた。その資金を細部まで見てゆくと、金融機関と産業と遺産相続人のコネクションによって決定されることが判明する。



 




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