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5481、奇縁まんだらの”藤間紫”独特の黄色い声、烈女列伝の一人者

2010年03月30日 17時00分11秒 | thinklive
烈女、烈男がいて人生は面白い、

野口美佳女史の烈話に出会う前の日の日経に、
瀬戸内寂聴師が藤間紫女史を取り上げていた、紫女史の言行も壮烈で、奇縁まんだらから
要約すると、
12歳から藤間流の宗家の勘十郎に弟子入り、21歳で藤間流の名取になった際に、紫の
芸名を勘十郎から与えられた、其の時に勘十郎は40才であったが、紫と結婚する、
一男一女をもうけたが、夫の弟子である、市川猿之助と相思相愛の仲となり、藤間家を
出て、猿之助と同棲する、其の時猿之助は16才年下であった、猿之助も当時、浜木綿子
と結婚、一男をもうけていたが、離婚、
紫女史はボクと同じ年齢であり、カミさんの実兄が踊りの家元で勘十郎の弟子でもあった関係で、新聞紙上での話題は日常的に目にはしていたが、凄い女性がいるな、と感じていた、
2000年に両人が結婚した時に紫は77歳、猿之助は61である、
猿之助歌舞伎という1つのスタイルを紫と両名で作り上げたのだから立派と言うべきである、
3月の始め頃か、地下鉄の車中の吊り広告で、猿之助、1周忌も済まぬうちに結婚、紫の
莫大な遺産の行くヘ、といった週刊誌の記事を見た、
ハワイで5児を安産した野口女子も劣らぬ烈女というべきで、さぞかしワコールは大変だろうと感じている、
それで、ワコールの分析を9割方,このブログで上げていたのだが、ワコールの株価を見ようとグーグルを検索した、アッという間に、ワコールのブログが消えていた、

*藤間勘十郎の出自

歌舞伎舞踊の振り付けを手掛ける日本舞踊の宗家・藤間流三世藤間勘祖(七世藤間勘十郎、藤間高子)の長男。父親は観世流能楽師の五十六世梅若六郎だが、父母の間に婚姻関係はない(藤間高子『そして始まり』より)。また人間国宝二世藤間勘祖(六世藤間勘十郎)、藤間紫は祖父母にあたる。
子役時代、『独眼竜政宗』(1987年 NHK大河ドラマ)において伊達政宗の幼少期・梵天丸を演じ、「梵天丸もかくありたい」のセリフは一世を風靡した。

*藤間紫の出自
日本舞踊藤間流紫派家元。夫は三代目市川猿之助。藤間勘十郎(六代目)の元の妻で、藤間勘祖(3世)である高子と俳優文彦の母。弟には六代目中村歌右衛門の芸養子である六代目中村東蔵。東京都出身。

元日本医科大学学長河野勝斎の長女で、12歳の時、6代藤間勘十郎に入門し、天才少女と言われた。もともとは弁護士を志していた。1941年、21歳の時、勘十郎から「紫」の名を貰い若くして名取となり、24歳年上の藤間勘十郎と結婚。一男一女を儲けたが、1960年代から16歳年下の市川猿之助と生活を共にするようになり、1985年に勘十郎と離婚。2000年に猿之助と正式に結婚した。孫に宗家藤間流家元の藤間良(高子の息子)とジャニーズ事務所所属タレントの藤間貴彦(文彦の息子)。

1948年の『淀君』をはじめとして、昭和30年代に帝国劇場での『椎葉の里』、明治座での『青銅のキリスト』等を発表、舞踊劇の創作に注力。舞踊家としても藤紫会公演を大劇場にて行なう。1985年の勘十郎との離婚訴訟をきっかけに、宗家藤間流のお家騒動が起こり、1987年に宗家藤間流を離れて紫派藤間流を創流[1]。毎年東京と大阪にて舞踊会を開催。1993年10月、国立大劇場にて自身のリサイタル「藤間紫の会」を開催する。
女優として映画にも数多く出演。女優初出演は1949年
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