THINKING LIVE シンキングライブ

シンキングライブは経済情報サイト
矢野雅雄が運営しています。

20676、安倍普三首相の外祖父、岸信介略歴、戦犯で死刑判決から解除、首相へ!

2013年01月23日 10時54分35秒 | thinklive

*ボクがここで触れたいのは、岸の本籍地の”山口県熊毛群田布施町”だ、

*鬼塚英昭著。日本のいちばん醜い日”に詳細は参考されたいが。一節を紹介する、

*「田布施に源を発する一族は遂に。この国を支配することに成功した、「美しい国ずくり」とは、今までの「美しい大和」に変えて異質の日本の創造を目指す試みである、歴代首相の多くが田布施と関係するこの日本は同なっているのだと訴えたい、私は皇室の秘め事の中に真実があるのではないかと幕末から終戦までの天皇家の人々の出自を書いてきた、鹿児島県田布施町出身の首相の後に山口県田布施町の首相が登場してきたことは偶然ではない」明治天皇の出自が、田布施町であることをこの著書では,縷々、証明に資料を挙げている、

*ボクはこの本を渋谷の紀伊国屋で立ち読みしたが、内容のリアリティに衝撃、本を棚に戻して、一旦は帰宅したが、思い返して紀伊国屋に取って帰り、購入した記憶がある、日本近代史において、田布施町は”中東のエルサレム”に匹敵するが、全く歴史から排除されている、いまは絶版になっているはずだが,Amazonでなら入手できるであろう、

*岸信介略歴、ウキペディア参照、

東京帝国大学法学部卒業後、農商務省に入省、同省廃止後は商工省にて要職を歴任した。建国されたばかりの満州国に渡ると、国務院の高官として実業部次長や産業部次長など要職を歴任し、「満州開発五か年計画」などを手がけた。その後、日本の商工省に復帰すると次官に就任した。東條内閣では商工大臣として入閣し、のちに無任所の国務大臣となった。なお、東條内閣の閣僚を務める間も、商工省の次官や軍需省の次官を兼任していた。
その経歴から、太平洋戦争後にA級戦犯容疑者として逮捕されるが、不起訴となり公職追放。公職追放解除後に政界に復帰すると自由党に入党するが、その後日本民主党の結党に加わり、保守合同で自由民主党が結党されると幹事長となった。石橋内閣にて外務大臣に就任。首班である石橋湛山の病気により石橋内閣が総辞職すると、後任の内閣総理大臣に指名され、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約の成立に尽力した。
総理大臣を退任してからも影響力を行使し、フィクサー、黒幕、「昭和の妖怪」とも呼ばれた。なお、正力松太郎などとともに中央情報局(CIA)から資金提供を受けていたとされる[1][2][3][4]。
第61 - 63代内閣総理大臣佐藤栄作は実弟、第90・第96代内閣総理大臣安倍晋三は外孫である。 

 出自

 山口県吉敷郡山口町八軒家(現在の山口市)に、山口県庁官吏であった佐藤秀助と茂世(もよ)夫妻の第5子(次男)として生まれる(本籍地は山口県熊毛郡田布施町)[5]。信介が生まれた時、曽祖父の佐藤信寛もちょうど山口に来ており、非常によろこんで、早速“名付親になる”といって自分の名前の一字を取って「信介」という名が付けられた[6]。数え年3歳になった頃、父親の秀助は勤めをやめて、郷里に帰り、酒造業を営むようになった[7]。

秀助、茂世(もよ)夫妻は、本家のある田縫のすぐそばの岸田で造り酒屋を営んだ(佐藤家は酒造の権利を持ち、母が分家するまでは他家に貸していた)[8]。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿